第十九話 救いのない命
「彼女の容体は、酷い状態です」
病院の一室で、アドレは若い医師から、弟子が負った怪我の説明を受けていた。
「全身に打撲と擦過傷。顔と腹部のものが一番重い。手首には裂創が。これは恐らく、長時間縛られ続けていたせいでしょう。発見時の報告通り、縄で後ろ手に縛られていたようです。胸部は、肋骨が三本折れています。その内の一本が肺を傷付け、左腕と右足の骨にもヒビが入っています。彼女がエルフだということを考慮しても、完治までは確実に、一ヶ月以上かかるでしょう」
医師が告げた彼女の容態は酷いものだった。掛布団の下にある彼女の体がどうなっているのか。それを想像しただけで、アドレの心が痛くなる。
「ただまあ、今のところ生命に危険がないというのが、一つの救いでしょうか。それ以外はもう……。拷問でも受けたような有様です」
「そう、ですか……。とにかく、ありがとうございます」
アドレが頭を下げると、医師は資料を片付けて、何も言わずに病室から出て行った。扉が閉まり、病室に静寂が訪れる。
「はぁ、クソッ……。レイラ。どうして、こんな……」
アドレは悪態を吐き、包帯だらけになった記憶喪失の少女を見やった。彼女の顔に表情はなく、瞼は力なく閉じられ、機械だという左目を隠していた眼帯は外されている。毎日のように子供達と遊んだことを報告していた時の、嬉しそうにしていたあの笑顔は欠片もない。
「いったい何があったっていうんだ。レイラ」
突然行方不明になったかと思えば、こんな姿になって戻ってくるなんて。
あれだけ必死になって、何度か手を汚してまで探したというのに、こうなるまで見つけることができなかった。助け出すことができなかった。アドレは、そのことを悔やんでいた。
レイラの顔をしばらく眺めた後、アドレは唇をギュッと結んで、彼女から目を離した。
「行くぞ、カイ。レイラがどこでこんな目にあったのか、必ず突き止める」
「……ああ」
一切の音を立てず、二人は病室を出て行った。その背中には、静かな復讐心が宿っていた。
――病室に一人残された少女が目を覚ましたのは、その日の太陽が沈んでから、一時間ほど後のことだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「ん……う、ぅ」
目が覚めた時、辺りは真っ暗だった。背中の下にはふかふかのベッドの感触。頭の下には柔らかい枕がある。どうやら私は、久々にきちんとした場所で寝ているようだ。
ここは、どこなのだろう。私は、いったい……。
見覚えのない場所だ。だが、この雰囲気は知っている。アケルで経験した初めての入院と似ている。ああ、そうか。つまりここは病院で、私はあの後無事に保護され、怪我の治療をしてもらったのか。
起き上がってみると、全身に痛みが走った。わかっていたとはいえ、思わず表情が歪む。だが、あの小屋にいた時ほどではない。見ると、体中が包帯まみれだった。
「ん、く……」
それでも無理して体を起こす。処置はしてもらったようだが、肋骨の骨折はそのまま。足はほぼ治りかけているが、手首の傷や、全身の打撲はそのままだ。腕にも多少のダメージが残っている。ということは、まだ私は助けられてから、それほど時間が経っていないということだ。恐らく、まだ一日と経っていないだろう。
「いか、ないと……」
痛みを我慢してベッドから這い出し、服を脱いでギプスを無理矢理外す。あの子達を助ける。私は、そう誓ったんだ。
私があそこから逃げ出したことは、もう既にあの男に伝わっているだろう。そうすると、恐らく、あいつは相当怒り狂ったはずだ。その怒りを、あの子達にぶつけているに違いない。一刻も早く助けに行かなければ。こんな所で時間を無駄にしている暇はない。
すぐ傍に置かれていた自分の服を着て、靴を履き、眼帯を着ける。上着はあの場所で脱がされたままだったが、武器は無事だった。
「ふぅ、ふぅ」
既に息も絶え絶えだったが、私は我慢した。あの子達が受けている苦痛は、こんな程度じゃない。
立ち上がって、病室の窓に近付く。窓は開いていた。外からの冷たい風が、カーテンを揺らしている。窓から首を出して下を見る。地面は少し遠い。ここは二階のようだ。
「ふぅー。っ……」
覚悟を決めて、飛び降りる。一瞬の空中浮遊の後、衝撃が体に伝わる。治りかけていた足に激痛。全身の傷口が開いてしまう。
「んくっ……はぁ、はぁ……」
悲鳴を堪え、立ち上がる。あの子達を助け出すためなら、この程度。
「ふぅー……」
体を動かすだけで全身が痛いが、その動きは不思議と軽やかだった。自分の意識と肉体が、いつもより離れているような感覚。いつかも感じた非現実感。でも、怖くない。これから私がやろうとしていることを完遂するためには、むしろこの状態のほうがいい。
痛みが落ち着いてくるのを待ち、眼帯に隠された左目で周りを見回す。ここは町の中心部。町の外れにあるあの小屋まではそれなりに距離があるようだ。義眼を使って周囲を警戒しながら、私は夜の町に繰り出した。
住民のほとんどが寝静まった真夜中。生き物の声すらない静かな裏路地。いつも以上に誰の気配がなく、明かりも少ない。私は、自分の存在を誰かに知られないよう足音と気配を殺し、痕跡を残すことなく、あの小屋の近くまで戻ってきた。
夜中だというのに、ここには武器を持って徘徊する見張りの姿があった。ここはそれほどの重要施設らしい。これからは、警戒のレベルをさらに高くしなければならないだろう。義眼での索敵に加え、エルフとしての身体能力もフルに使う。感覚がさらに鋭敏になる。そして、自分がこれからやろうとしていることに、少しの楽しさを覚える。
口元だけで笑いながら、一度足を止め、武器を取り出す。その引き金を引くと、いつもの大きな剣ではなく、手と同じくらいの大きさの刃が出てきた。手の中でクルクルと回してみて、その感触を確かめる。
……うん、大丈夫。私は、これの使い方もよく知っている。
銀色に煌めくナイフを構えた私は、闇に紛れながら行動を開始した。
「っ、が……」
最初は適当に、そこら辺を歩いていた見張りを襲う。道の角で待ち構えて、通りかかったところにひと刺し。首筋を切って息の根を止め、力を失った肉体をゆっくりと地面に寝かせる。誰かに気付かれた様子はない。完璧な暗殺。
死体を処理している暇はないので、血の匂いが辺りに広がる前に、手早く次に移る。こちらへ向かってきていたもう一人を殺し、屋根に登って上から狙い、三人目を仕留める。これで見張りは全員排除した。目的の物置小屋に急ぐ。
物置小屋近くの建物は、ほとんどが麻薬の工場になっているようだった。その中では、沢山の人が睡眠を取っている。恐らく、この人達が麻薬を作っているのだろう。泊まり込みで労働しているらしい。熱心な人達だ。自分が大勢の人を不幸にしていることを、自覚していないのだろうか。
工場といっても、その見た目は一般の民家とそう変わりない。ただ単に、中に専用の機材が置いてあるだけだ。見つからないための偽装工作なのだろう。だが、この左目は誤魔化せない。手早く工場に侵入し、悪人達の命を刈り取る。一人残さず。
……哀れな、救いのない命だ。麻薬なんかに関わらなければ、こんなことにはならなかったかもしれないのに。
残っているのは、私が監禁されていた物置小屋と、まだ明かりがついている別の建物。物置小屋には誰もいなかったので、私はもう一つの建物の玄関に立った。
気配を殺して、義眼で中の様子を探る。そこには、一人部屋の中で立つあの男と、床に寝そべった子供達がいた。
「ったく、あいつを逃すとは。やっぱこの町の連中は使い物にならねえな。どいつもこいつも、馬鹿とグズばっかりだ」
誰に言うでもなく放たれる男の暴言。暴力を振るわれたのか、子供達は地べたに這いつくばっている。私がいなくなったことを責められているようだ。
「お前らもそろそろ処分しなきゃなんねえってのに、仕事増やすなよ、このガキ供」
男は怒りに任せて、足元の子供、フリック君を蹴り飛ばす。子供達をサンドバック扱いしている。怒りがこみ上げてきて、ナイフを握る手に力が入る。
けれど私は冷静なまま、ゆっくりと扉を開けた。今この場に、激しい感情は必要ない。
「ああ? 誰だこんな時間に。ノックくらいしやがれ」
扉の音に気付いて、物凄い勢いで振り返る男。その顔はまさに鬼の形相だった。だが、玄関口に立っているのが私だと気付くと、目を細めて少し表情を和らげた。
「ほう……まさか、自分から俺の元に戻ってくるとはな。エルフ。どういうつもりだ」
憂さ晴らしに足元のサス君を踏みつけた後、ゆっくりとこちらに近付いてくる男。近くの箱には、私の上着が雑に入れられていた。後で売るつもりだったのだろう。それも、ここに戻った目的の一つだ。
男は随分と余裕を見せつけていたが、真っ赤に染まった私の服とナイフを見た瞬間、はたと足を止めた。
「……そういうことか。ふん、俺を殺しに来たのか。その様子だと、もう何人か殺ったんだろ? 意外だよ、レイラ。あれだけやられてよくそこまで……」
「……私の名前を、気安く呼ぶな」
時間を稼いで逃げようとする男に、肉薄。抵抗などさせはしない。ナイフを腹部に突き刺し、胸まで刃を滑らせる。心臓を切り裂き、絶対に助からない怪我を負わせる。
「ガッ、ぁは……くそ、俺は、こんなところじゃ、死な、ない……」
なおも喚く男の胸をさらに抉る。温かい血が、私の手を赤く染める。
ナイフを抜くと、男はそのまま地面に倒れた。行動終了。ナイフの刃を消し、持ち手だけになった武器をしまう。
無様に転がった男の体を踏み越え、上着を取り戻す。こんな男に触れられたと思うとあまり着たくないが、この服は常に清潔に保たれるようになっているので、それほど気にすることはない。この血も、手に付いているもの以外はそのうち消える。
埃を軽く払ってから上着を羽織る。ポケットの中身を確認すると、師匠に買ってもらったハンカチはあったが、お金がなくなっていた。
……こいつ、私のお小遣いを盗ったな。……いや、今はお金よりも、子供達のことが優先だ。
しゃがみこんで子供達を助け起こす。その時、まだ息のあった男が言った。
「……はっ、レイラ。そいつらを、連れてっても、幸せ、には、できない、ぞ……」
掠れた空気と共に、男の口から絞り出された言葉。だがその意味を問う前に、男の生命活動は停止した。その肉体から力が抜け、床の血溜まりが広がっていく。
……そういえば、こいつの名前、知らないな。
ふと浮かんだそんな疑問を、すぐに振り払う。殺した相手の名前など、気にしていてはきりがない。
「みんな、大丈夫?」
「お、ねえ、ちゃん?」
「レイラおねえちゃん……」
「ごめんね。私のせいで、蹴られたりして。痛かったよね。でも、もう大丈夫。助けに来たよ。さ、お姉ちゃんと一緒に行こう?」
子供達を怖がらせないように笑顔を作って、私は、暴力を振るわれていた五人の子供達を、建物の外に連れ出した。
◇ ◇ ◇ ◇
目の前でどんどん原形を失っていくいくつかの建物。それは、私が監禁されていたあの物置小屋と、男が拠点にしていた建物と、麻薬の工場になっていた建物。鮮やかな火柱が夜空をオレンジに染める。
周囲の建物は基本的に土壁だから、簡単には燃え移らないだろう。中には誰もいない。あるのは死体だけだ。証拠になりそうなものはひと通り持ち出してあるので、私が悪いと言われることはないはず。私の復讐は、ひと晩のうちに、完璧に成し遂げられた。
……これで、終わった。少なくとも、これでこの町の麻薬問題は根絶される。
魔物と戦った時とはまた違う感覚。隠密行動と暗殺による興奮。それも徐々に収まってきて、私は緊張を解き、大きく息を吐いた。
私の周りには、助け出した五人の子供達。彼らは、目の前で燃え盛る炎を、ただ呆然と見つめていた。
「あ、ああ……」
「もえてる……」
炎の中で崩れ落ちる建物を前に、子供達が呟く。その足は、熱に浮かされたようにフラフラと前へ進んでいた。
「駄目。行っちゃ駄目」
五人の前に立ちはだかり、引き留める。子供達は抵抗した。
「おねえ、ちゃん。でも、あそこに……」
「あそこにはもう、何もない。何もないんだよ。だから、ね? お姉さんと一緒に行こう?」
「でも、でも……」
子供達の虚ろな瞳には、オレンジ色に燃えて踊る炎が映っている。炎は確実に勢いを増し、ここからでもその熱を感じるはずなのに、彼らはこぞって燃える建物に近付こうとしていた。危機回避能力が働いていない。あの薬の効果が切れ始めているのだ。
「……いや。やだ。ほしい……」
「ほしい、ほしいよぉ。おねえちゃん。欲しい。あれが、あれが!」
「あれがないと、あれが、ないと……!」
「嫌。苦しいのは、いやっ!」
口から漏れた小さな呟きが、徐々に、耳を塞ぎたくなるような叫び声に変わっていく。乱れる呼吸。歪む表情。この子達を襲う苦しみは、見ているだけの私には想像することもできない。でも、私は、止めなくてはならない。そうでなければ、助け出した意味がない。
「駄目だよ。あそこにはもう、あの薬はないの。全部なくなっちゃったんだよ。お願い、お姉ちゃんと来て。ここは危ないから」
「いや、いやあっ! 放して!!」
カトナちゃんの鋭い爪が、私の頬を引っかいた。痛みと熱が走り、血が出てくる。これくらいの傷は、気にもならない些細なものだった。だけどこのままだと、私一人では抑えられなくなる。
くっ……仕方、ない。
暴れるカトナちゃんの首筋に手刀を入れ、ぐったりとする彼女の体を地面に寝かせる。そんな行為を見ても、子供達は薬の禁断症状に勝てないのか、私を恐れた目で見ることはなかった。
心を鬼に――いや、怪物に。
流石の私も、子供に暴力は振るえない。そう、思っていた。でも違った。私は至って自然に、至って簡単に。薬物を求める亡者となった子供達に手を上げ、順々に眠らせていった。
「……ごめんね」
「っ……おねえ、さ――」
フリック君を最後に眠らせた時、ちょうどいいタイミングで、背後の路地から人影が現れた。誰かが火事を通報したのだろう。夜中に起こしてしまって申し訳ない。
狭い場所を通り抜け、ぞろぞろと現れる騎士達。彼らは皆、いつもの鎧ではなく、耐火性の防護服のようなものを着ていた。でも、先頭にいた二人だけは、この町の騎士ではなかった。
「チッ、こんな人気のない所で火事なんて、明らかに人為的な……な、レイラ!? お前、どうしてここにいるんだ。病院で寝てるはずじゃ……」
驚く師匠と、多くの気配。この人に私の名前を呼んでもらったのは、随分と久しぶりな気がした。
師匠に名前を呼ばれた安心感からか、一瞬足元がフラッとする。だが、軽く首を振って頭をはっきりさせ、師匠に言った。
「……この子達を、助けに来たんです」
沢山の騎士を引き連れてきた彼は、私の背後で踊り狂う炎を見、地面に寝かされた子供達を見、そして私に視線を戻して、
「この火事は、まさか……お前が、やったのか?」
「……はい」
私が頷くと、随伴していた騎士達が構える。だが、師匠はそれを手で制して質問を重ねた。
「中の人は、どうした」
「……殺しました。殺してから、火を付けました」
誤魔化すことなく答えながら、よくこんなにスラスラと言葉が出てくるものだと不思議に思う。以前の私だったら、こんなことをしてしまったことに動揺して、声がつっかえてしまっていたのに。これも、一つの慣れなのだろうか。それとも単に、心が宙に浮いているだけなのか。
「もう、いいです、アドレ殿。彼女を現行犯で逮捕――」
「待て。まだ話は終わってない」
割り込んできた騎士を再度制止する師匠。その様子を尻目に、私はそっと呟いた。
「……麻薬を作ってる人を殺すのは、悪いことじゃないんですよね」
「なっ、それは……」
たじろく騎士の反応から察するに、誰も知らなかったのだろう。ここが違法麻薬の実験場であることを。あの男の用心深さが覗える。それだけ巧妙に隠されていたようだ。だがそれも、もう無意味。
「……ここは、大きな犯罪組織の、麻薬の工場でした。証拠は、ここに」
まだ疑いの目を向けてくる騎士に、念のためと取っておいた読めない紙の束を取り出す。それから、問題の麻薬そのものが入った薬瓶。中で錠剤が転がって、カラカラという音が小さく響く。子供達の指が、ピクリと動いたような気がした。気絶させたばかりだが、このままだと目を覚ますかもしれない。
「……それで、師匠。この子達を運ぶの、手伝って……」
そこまで言った時、また足から力が抜けた。今度は上手くバランスが取れず、地面に転がってしまう。
「うぅ……」
ああ……無理が、祟ったのかな。
起き上がろうにも、体に力が入らない。そんな私を、駆け寄った師匠が抱え起こす。
「おい、レイラ。まったく、お前、まだ怪我が治ってないってのに」
「し、しょう……それより早く、この子達を……」
「わかった。だから、お前も無理するな」
そうして師匠に背負われた私は、カイと騎士達に抱えられた子供達と一緒に、病院に運ばれた。
病院に辿り着いた時、医師達は既に準備を整えていた。どうやら、騎士が一人先に走って連絡していたようだ。
病院の入り口で待ち構えていた彼らは、医者とは思えないほど完全防備だった。騎士でもないのに、鎧を着ている人もいる。いったい何に対しての防御なのだろう。疲労と苦痛と眠気の中、そんなことを考える。
医師達の中には、私の姿を見るなり驚いた人が何人かいた。多分、私の治療を担当した者だろう。こんなに早く動けるようになるとは思っていなかったのかもしれない。
師匠の背中でぐったりとする私の横で、先頭にいた初老のお医者さんが、カイの腕の中で呻くベーラちゃんを見るや否や、
「見せなさい」
肩の広い白衣と、大きな眼鏡。髪は全部真っ白。だが、しわだらけの顔に浮かぶ表情は真剣そのものだった。もう何十年も医者を続けていることがわかるのに、まったく老いを感じない。そしてなぜか、この人だけは、何の防具も身に着けていなかった。
彼はベーラちゃんの瞳孔、呼吸、心拍、体温を素早く確認した後、カイに命じた。
「急いで地下に連れて行くんじゃ」
師匠の背中に身を預けながら、病院に地下室なんてものがあるのかと驚く。子供を抱えた五人が地下室へと向かうのを見届けた後、老医師は私に向き直った。
「さて、入院早々部屋を抜け出した阿呆はお主じゃな。まったく、怪我も完治しておらんというのに、馬鹿な真似をするでない」
「ごめん、なさい……」
当然だが、怒られた。素直に謝る。
「早く病室に連れて行くんじゃ」
「了解、先生」
頷く師匠。その背中から降りられない私は、文句も言えないまま二階の病室に連れ込まれた。そこは予想通り、今夜私が目を覚ました場所で、私が脱ぎ散らかした患者衣とギプスがそのままになっていた。
師匠は散らかっていたベッドを軽く片付け、私を寝かせた。そのまま上着と靴を脱がされる。
「ふぅ、ふぅ……」
多少なりとも楽な格好になった私は、ベッドに身を預けて力を抜いた。そうして気を抜いた頃に、体が痛み出す。全身傷だらけ痣だらけの状態で、相当な無理をしたことを思い知る。
……ああ、駄目だ。体が、痛い。もう動けそうにない。骨折もしてたから、今の私の体、酷い状態、なんだろうな……。
でも、後悔はなかった。私は、あの子達を助けることができた。麻薬の影響は当分残るかもしれないが、あの子達の未来を守った。そう思うと、どこか満たされたような気持ちになる。
そんな満足感に浸る私の傍ら、椅子に座った師匠が、ゆっくりと話しかけてくる。
「レイラ。一つ、いいか」
「な、なんですか、師匠……」
あまりの痛みに体を起こすことができなかったので、首だけを回して師匠のことを見た。こうして師匠の顔を正面から見たのは、久しぶりだった。
師匠の顔を見るの、三日ぶりだ。でも、なんか、疲れてる? ……心配、させちゃったのかな。
申し訳ない気持ちになった私に、師匠は軽く息を吸って、
「いったい何考えてんだ! この馬鹿野郎ッ!!」
「ひっ……」
思いっきり怒鳴られた。それも真正面から。
反射的に体がビクッと強張り、病院中を震わす大声が耳から頭に響く。エルフの聴力には、これが中々キツイ。全身に怪我をしてぐったりしている状態では、なおさら。
「急にいなくなったかと思ったら、大怪我して帰ってきやがって! しかも、この間よりも容体が酷いときた。俺達がどれだけ心配したと思ってんだ!! さあ、吐け。いったいどこで何をされたのか。隠さず、正直に、全部だ!!」
「う、うぅ……」
我慢できず、涙が出てきた。悪いのは私だということは、わかっている。でも、こうなることくらい、予想できていたはずなのに。
「これ。こんな所で大声を出すでない。ここは病院だぞ」
声をした方を見ると、扉の所に先ほどの老医師がいた。扉を閉めた老医師は、こちらにつかつかと歩み寄ってくる。
「すまん、先生。だが、こいつにはどうしても、これだけは言いたかったんだ」
「気持ちはわかるが、抑えよ。彼女は我々の患者でもあるのだ」
今度は師匠が委縮する番だった。威圧を収めた師匠は、もう一度私に視線を戻し、静かに言った。
「……何か俺達に、言うことはないのか」
悲しそうな声色だった。たまらず涙が溢れ、ずっと言いたかった言葉が口をついて出てくる。
「うぅ……ご、ごめん、なさい。ごめんなさい、師匠。心配、させて、私……」
「ああ……お前も、よく、戻ってきた」
謝罪を口にした私を、師匠は優しく、そして強く抱き締めてくれた。師匠の大きくて力強い腕の中で、私はまた涙を零した。
◇ ◇ ◇ ◇
その日はもう夜も遅く、私の体も限界だったので、事情説明は翌日、つまり今日に回された。
今日、私は昼過ぎまで眠っていた。そのおかげなのか、体中の怪我は、担当の若いお医者さんも驚くほどのペースで回復に向かっていた。
遅すぎる朝食を終えた私の元に、待ちくたびれた様子の師匠がやって来る。彼は、挨拶もせずにこう切り出した。
「さて、レイラ。話してもらおうか。お前がいない間に何があったのか。昨日のあの火事はなんなのか」
「はい……」
私は、師匠に聞かれるがまま話した。
あの日、いつものように遊んでいた子供達に、痺れ薬を飲まされたこと。あの子達は実は、悪い男に利用されていたこと。その悪い男に捕まり、薬の実験台になるか、奴隷になるか選ばされそうになったこと。私が選択を拒み続けていると、薬に目が眩んだ子供達に木の棒で殴られたこと。そして、誰もいない隙に逃げ出して、気付いたらこの病院にいたこと。
「そんなことが……くそっ、俺達と騎士団で町中を探し回ったってのに、情けない……」
表情も険しく、膝の上で悔しそうに拳を握る師匠。でも、まだ私の話は終わっていない。本題は、ここからだ。
この場所で目が覚めた私は、子供達を助けるために病院を抜け出した。そして、麻薬の製造に関わった人を一人残らず殺して回った。最後にあの男を殺し、子供達を助けて、証拠になりそうなものを集めてから建物に火を放った。その時、ちょうど師匠達がやってきた。
「その後は、師匠も知っての通りです」
「そう、か」
すべてを聞き終えた師匠は、腕を組んで深く息を吐いた。その顔が思案げに揺れている。頭の中で報告書でもまとめているのだろうか。
数分沈黙が続き、ようやく師匠が口を開く。
「はぁ、わかった。そういうことなら、お前の行動も理解できる。だが……あれは、完全に無茶だった。もう二度とするな。いいな」
「……はい。すみません。もう二度と、あんなことはしません」
低い声で叱られて、素直に頭を下げる。全身の包帯は新しいものに変えられているが、その中にある傷は案の定悪化してしまった。間違いなく、私が無茶をしたせいだ。おかげで入院予定期間が延びてしまい、師匠に無駄なお金を使わせる羽目になった。いつも迷惑ばかりかけて、申し訳ない。できればもう二度と、包帯のお世話にはならないことを祈りたい。
私が顔を上げると、師匠は一つ息を吐いて、少し言いにくそうに口を開いた。
「それでな、レイラ。俺からも、お前に伝えなきゃならんことがあるんだ」
……来た。
師匠の言葉に、私は身構えた。私も、ずっと知りたいことがあったのだ。それはもちろん、私が助け出したあの子供達のこと。あの子達があの後どうなったのか、ずっと気になっていた。
「お前も気にしていたと思うが、お前が助け出したミクサーの子供達のことだ」
「え? みく……な、なんて言いました?」
師匠の話の中に一つ、聞きなれない言葉が混じっていた。
私がその単語について尋ねると、師匠はカイと顔を見合わせて、それからゆっくりと話を続けた。
「お前、まさか知らずに付き合ってたのか? えっと、いいか。あの子達はみんな、竜人と翼人、とか、二つの種族の特徴を持っていただろう。そういう、種族の違う両親の血を色濃く受け継いだ子供のことを、ミクサーというんだ」
「そう、なんですか……ミクサー」
そう、か。そういえばあの子達は、みんな二つの種族の特徴を持っていた。そんな子達のことを、そういう風に呼ぶなんて。初めて知った。
「それで、それがどうかしたんですか?」
新しい言葉を知った私は、とりあえず話の続きを促した。けれど師匠は口重そうに、中々先を語ろうとしない。
「種族を超えて愛し合うことは、まあ普通にある。フェニ達も、一応、そうだっただろう。その間に生まれる子供は、通常、どちらかの種族の特徴だけだ。でも、稀に、父母双方の特徴を受け継いで生まれてくる子供がいる。そいつらがミクサーだ。それでな。その……そのミクサーの子には、一つ、問題があるんだ。だから今では対策されて、そういう子供が生まれないようになってる」
「え、なんですか、それ。問題……?」
生まれないようになってる、って、いったいどういう……。
疑問に思うことが多かったが、とりあえず師匠の言葉を待つ。
「ミクサーは大抵、力が強い。体だけじゃなくて、魔法とか、そういうものもな。二種族の特徴を受け継いでいるから。それは、わかるな?」
「はい、わかります、けど……」
確かに、二種類の翼をもつフリック君は空を飛ぶのが凄かった。尻尾が二つあるベーラちゃんは足が凄く早かったし、イスリゴ君は力持ちだった。サス君はどんな狭い所にも入れたし、耳が四つあるカトナちゃんも当然、私よりも耳が良かった。師匠の話は、あの子達の特徴と一致している。
けれど、私は師匠の話し方に違和感を抱いていた。まるで何か後ろめたいことでもあるかのように、どこか回りくい説明が続いている。いったいどうしたというのだろう。さっきからやけに慎重だ。何か、言いたくない理由でもあるのだろうか。
「それでな、レイラ。落ち着いて、聞いてくれ。ミクサーの子は、力が強い。だから、子供の肉体じゃその大きな力に耐えられなくて、その……」
その先を言いたくなさそうに、言葉を濁す師匠。私は眉根を寄せて、不審に思う。なんだか、凄く、嫌な予感がした。
隣のカイに脇を小突かれて、師匠はゆっくりと、もう一度口を開いた。
「大抵、十歳になる前に、死んでしまうんだ」
「……え」
思考が、止まった。たった今聞いたばかりの言葉が、理解できない。いや、理解したくない。ただ機械的に、口だけが動く。
「それ、って、まさか……」
「残念だが、レイラ。あの子達は、もう、寿命なんだ」




