第十話 義眼の少女
「はっ、はっ……」
まだかすかに聞こえる制止の言葉を振り切って、すっかり無人になった大通りを駆け抜ける。
不思議と体が軽い。ついさっき逃げてきた時よりも速く走れる。魔物に恐怖を植え付けられたばかりだというのに、私はまったく不安を感じていなかった。自分はできる、戦えるのだという、強い確信があったから。
そうだ。私は、戦える。だから、この町のために戦いたい。あの場に残ったアドレさん達を助けたい。
それだけを考えて走っていたからか、私の見知った場所に戻ってきたのはすぐだった。
……見えた!
何と書いてあるかわからない看板。大体覚えてきたお店の配置。その先に現れる、あの恐ろしい魔物達の姿。けれど、まだまだ遠い。いくらエルフの視力が良いとはいえ、ここからでは詳しい状況まではわからない。
――でも、今の私には、距離なんか関係ない。
左目の望遠機能を有効化。景色が一部切り取られ、遠くのものが近くに、より鮮明に見えるようになる。拡大された視界に映し出されたのは、敷き詰められた魔物の大群と、それと勇敢に戦う兵士や町の人達と、最前線にいるアドレさんとカイさんの姿だった。
戦況は、あまり芳しくない。次から次へと現れる魔物の圧倒的な数に押されて、かなりの苦戦を強いられている。このままではいずれ押し負ける。一刻も早く、私も参加しなければ。私なら、あの戦況を変えることができる。そんな確信があった。
右手に構えた棒の引き金を引く。カチッという機械的な音。それを合図に、どこからともなく金色の粒が現れ、渦を巻き、この棒を持ち手とする一本の剣が現れた。
全体的に角の目立つ、私の身長ほどもある片刃の長剣。この時代と不釣り合いな外見のそれには、一見すると刃は見当たらない。でも、大丈夫。これのことは、誰よりもよく知っている。
戦は、もうすぐそこに迫っていた。見慣れた光景の中で繰り広げられる、殺し殺されの混戦状態。敵と味方が入り乱れ、下手をしたら、仲間を巻き込んでしまうかもしれない。そんな混沌とした状況。
……このまま真っすぐ突っ込むのは危険だ。
そう判断して、走っている勢いそのまま、立ち並ぶ家々の屋根へ飛び乗る。瓦の上を伝って、徐々に後退している兵隊の防衛線を越え、宿の屋上から魔法で援護しているフェニさんの横をすり抜ける。
「え、れ、レイラちゃん!?」
通り過ぎる驚愕の声。こちらを見上げたカイさんが目を見開く。私はそんな二人の反応を無視して、鞘を左手に掴み、その時に備えて大きく息を吸った。
腰に構えた鞘が縦に割れ、その間に現れた刃が煌めく。姿を現した刀身を素早く抜き出すと、その切っ先を真下に向け、私は、戦の渦中に飛び込んだ。
「ふっ……!」
「ギャ――」
剣先が魔物の体を貫き、その先の硬い地面に突き刺さる。足の下で潰れる魔物の頭。飛び散る血飛沫。
周囲の魔物が驚き、のけぞる。その隙に私は素早く剣を引き抜き、体ごと剣を回転させ、動きの止まっていた魔物達をまとめて斬った。
「なっ、レイラ!? 馬鹿野郎! お前、なんでここに……!」
四方八方を魔物に囲まれた中で、私の姿を捉えたアドレさんが叫んだ。
「手伝いに、きましたっ!」
背後から噛み付こうとしていた魔物の頭を斬り払い、答える。
「手伝うってお前――っ!」
私の返答に対する彼の言葉は、私を囲んだ魔物に邪魔されて、最後まで聞こえなかった。
やっぱり、多い……!
左目に表示される魔物の行動予測。わざわざそれに意識を向けなくとも、体が勝手に攻撃を避け、一度も触れられることなく、迫り来る魔物を薙ぎ倒す。
一匹一匹はそこまで強くない。だが、斬っても斬っても減ることのないこの圧力。密度。この目がなければ、私はあっという間に食べられていただろう。
そうして数を減らし続けても魔物の勢いは止まらず、仲間の死体を踏み潰してまで、狂ったように襲い掛かってくる。そのただならぬ勢いからは、生き物の底力のようなものが感じられた。
……もしかしたら、彼らもまた、生きるのに必死なのかもしれない。
一瞬そんな考えが頭をよぎるが、すぐさま振り払う。今は、そんなことを考えている暇なんてない。例え相手が生存のために戦っているのだとしても、こっちだって、命がかかっているんだ。
「っ! 危ない!」
誰かの叫びが聞こえた。こちらへの注意喚起。言われなくても、左後方、魔物の死体の上から、別の魔物が飛び掛かってくるのは見えていた。けれど彼が警告した通り、もう避けるのは間に合わない。でも――。
すぐさま振り向いて、構える。すると剣の輪郭が一瞬ぼやけて、次の瞬間には盾に変身し、振り下ろされた爪を防いだ。
「……っと!」
攻撃を弾いた盾を再び剣に戻し、襲い掛かってきた魔物を斬り伏せる。
「か、変わった……?」
警告してくれた男性がそう呟く。彼の意識がこちらに逸れた途端、
「い、ぐぁああっ!!」
魔物の牙が彼を襲った。周囲の魔物を斬り倒して男性の元に急ぐが、少し遅かった。魔物に噛み付かれた足から、ドクドクと真っ赤な血が流れ出ている。ズボンの下を確認するまでもなく、大怪我をしていることがわかった。
「た、立て……そうにない、ですね」
だが左目の解析によると、すぐさま命に関わる怪我ではないようだ。ひとまず安心する。
「ぐっ……お、俺のことはいいから……」
「もう、馬鹿なこと言わないでください! そんなこと言われても、全然格好良くありませんから!」
まるでこれから死ぬかのような、ふざけたことを言う男性。そんな彼の襟首を掴み、左手一つで建物の上に放り投げる。動けないのなら、せめて安全な場所に動かせばいい。
彼が発した二度目の悲鳴を耳に、私は戦闘を継続した。彼のことは、上で支援しているフィキさんが助けてくれるはずだ。
「はっ……ぃやあっ!」
爪が振り下ろされる前に腕を斬り、続けざまに頭を落とす。命が一つ消える。胴体に突き刺した刃を引き抜いて、別の魔物を刺し、肉を抉る。またいくつかの命が消える。
……まだまだ。
体ごと刃を回転させて周囲の魔物をまとめて仕留める。開いた空間に雪崩れ込んできた新たな魔物の腕を落とし、牙を避け、前足を掴んで別の魔物に刺す。痛みにひるんだ隙に、二匹ともきっちり殺す。
そうやって剣を振り回して、魔物を倒していくたび、私の中に、今まで知りえなかった感情がどこからともなく湧き出てきた。
「……ふふっ」
知らず知らずのうちに漏れる自然な笑み。表情が変わるのを抑えられない。初めて――いや、あの男達を襲った時以来だった。何かをこんなに楽しいと思ったのは。
楽しい。そう、楽しいのだ。剣を振ることが、生き物を斬ることが、他者の命を奪うことが。そして何より、その生き血を浴びることが。たまらなく楽しい。これまで経験してきたどんなことよりも心が躍り、生きる喜びを感じられる。
もっと斬りたい。もっと殺したい。そんな欲望が胸に渦巻いて止まらない。いや、止めたくない。私はずっと、こうしていたい。自分はこのためだけに生きているのだと感じるほど、他のどんなこととも比べ物にならないくらい、心地良かった。
――そうか。私はずっと、こうしたかったんだ。
「ふふ、あははっ、あははははっ!!」
それは、これまで胸の中で燻っていた何かがすっきりと収まり、同時に、理性的な判断を放棄した瞬間だった。
そうして、次から次へと自ら命を投げ出してくる魔物を、三百匹あまり斬り倒した頃だっただろうか。
それまではただひたすらに突進し続けていた魔物達が、突然、それまでとは違う奇妙な鳴き声を上げ、一斉に尻尾を巻いて逃走を始めた。撤退の合図だ。
「……ん?」
完全に勢いが逆転し、来た道を戻っていく魔物達。ここにきて、ようやく自らの不利を悟ったのだろうか。残っていた数百匹あまりは、我先に海へと引き返していった。
「お……終わった、のか?」
「やった! 俺達の勝利だ!」
私よりも後ろで戦っていた兵士達の明るい声。勝利を確信した歓声を背中に受けて、高揚していた気分が段々と落ち着いてくるのを感じる。
「……ふぅ」
どうやら、この戦いは私達の勝ちらしい。少々呆気ない幕引きだった。徐々に理性が戻ってくるが、なんだか物足りない気持ちが胸に残る。
散々暴れてもどこか満たされない気持ちを胸に、魔物の後を追っていくと、見慣れた灯台の下に辿り着いた。最近来ていなかったが、赤く染まった岩場では、背を向けた魔物達が次々と海へ潜っている。
……彼らが突然押し寄せてきた理由は、いったい何だったのだろう。最初から最後まで、この争いの原因はわからないままだった。
役目を終えた剣を軽く一振りして、鞘に収める。すると、刀身は鞘ごと実体を失って光の粒子となり、それも数秒後には完全に消えてしまった。そのなんとも言えない幻想的な様子を見守っていると、ふと、こちらに近付いてくるアドレさんと目が合った。その傍らには、血塗れになって、いつもより怖く見えるカイさんもいる。でも多分、彼の眼光が普段より鋭いのは、その見た目のせいではない。
「あ……アドレさん」
「レイラ……お前、どうして戻ってきた」
そう問いかけてきた彼の表情は、叱るような口調とは裏腹にどうにもさえない。多分、私にどのような反応をすればいいのか、よくわかっていないのだろう。怒ったらいいのか、心配すればいいのか、それとも嘆けばいいのか。その気持ちを察することは簡単だった。
私自身が、今もなおこの状況に戸惑っているのだから。
「……なんで、でしょうね。自分でも、よくわからないんです。けど、なんとなく、私にもできることがあるはずだ、って思たんです。そしたら、体が勝手に動いていて、いつの間にか、ここに……」
「いつの間にかって、お前……ああ、もう。めんどくさい話は後だ。とりあえず、怪我の応急処置だけでもしとかないと。見せてみろ」
そう言って彼は私の腕を引っ張る。けれど、私にはその言葉の意味がわからなかった。
怪我って、何を言っているのだろう、この人は。私は無傷だ。あいつらには爪一本、牙一本触れられていない。
「怪我、ですか? いえ、特にはしていません。これは全部返り血なので」
アドレさんの手を振り解いて、血を吸って重くなった服を広げる。このまま放っておくと染みになってしまうので、早くフィキさんに洗ってもらわないといけない。スカートは元々赤色だから目立たないかもしれないけれど、特にシャツが危ない。白色だから染みが目立ってしまう。
……って、そういう話じゃないか。
しかし彼は、そんな話はしていないというように首を振り、私の顔に手を伸ばした。
「そんなはずないだろう。ほら、顔にも切り傷が。服だって所々破けてるじゃないか」
「え?」
アドレさんに頬を撫でられて、私は驚いた。そこには確かに傷があり、血が出ていたのだ。体の至る所に付けられた傷を目にすると、本当にそこが痛くなってくる。
全然気付かなかった……私は、この痛みもわからないくらい、戦いに集中していたのだろうか。いや、それよりも、あんな魔物に傷を付けられたことが悔しい。腹立たしい。私を傷付けた魔物も、攻撃を避けられなかった自分自身も。
そんな悔しさは胸の内にしまい、私はアドレさんの手を振りほどいた。
「本当だ……。でも、いいじゃないですか。この程度のかすり傷。もっと酷い怪我をしている人だっているでしょう。脚を食べられた人とか。私は後で大丈夫です」
「でも……いや、お前がそう言うんなら、問題ないんだろうな。それにしても、随分な暴れようだったな。まさかお前がここまで戦えるなんて、思ってなかった。それになんだ? お前の剣は。こう、なんか、盾になったりしてたが」
先ほどの戦いで使った武器ことを言っているのだろう。アドレさんは心底感心した様子で、私のことを見た。
「そう、ですね。……これも、自分ではよくわからないんですよね。気が付いたら握っていて。訳もわからず使っていた感じなんです」
改めて、手の平に残った剣の柄を見つめる。フェニさんに渡してもらってから結構経つけど、ずっと正体がわからなくて、腰の袋に入れっぱなしだった。最近はその存在すら忘れていたけれど、まさか、こんなところで使うことになるなんて。
これは、武器だった。誰かが私のために作ってくれた、世界に二つとない武器。けれど、それが誰なのかは、どうしても思い出せない。……これもまた、いつもと同じだ。
「はあ……そう、なのか。不思議だな。もういつものことだが」
「……はい」
そこで一旦アドレさんとの話を切り上げて、振り返る。そこには、いつも通りの豊かな青。静かに波立大きな海。今は陸際が赤く染まっているが、それもいつか元通りになるだろう。海は広い。この程度の赤が混じったところで、海が紫色になることはないのだ。
魔物の戻っていった海を見つめているのは、私だけではなかった。命をとして町を守り抜いた騎士や町の人達もまた、同じように感慨深く海を見つめ、そして、勝利の余韻に浸っている。その姿はまさしく、町を救った英雄だ。背景に見える血塗れの町並みは……まあ、いいアクセントになっていると思えばいい。
「……まあ、事情は、わかった。納得はできないがな。とりあえず、助力ありがとう。お前に大きな怪我がなくて、よかった」
そう言って、アドレさんは私の肩に手を置いた。
「はい……ありがとう、ございます。心配してくれて」
その手の上に、私の手を重ねる。アドレさんの手は、私の手よりも大きくてゴツゴツしてて、ちょっとだけ、温かかった。
……この人は、出会った時からずっとこうだ。とっても優しくて、いつも私のことを気に掛けてくれる。まるで、私の父親みたいに……それに対して私は、ずっと迷惑ばかりかけている。恩返しだってまだ何もできていない。そもそも、どうやってお礼をするのかも考えていないのに。……また後で、フェニさんに相談しようかな。
そんなことを考えながら、アドレさんの顔を見上げた時だった。
左の視界に赤い警告表示。
「――っ!!」
起点は遥か後方。慌てて振り返るが、穏やかな海には何の変化もなく――いや、あった。海の中に、何かがいる。それも、とてつもなく大きな何かが。
これは、不味いかも……!
「あっ、おい。どうしたレイラ」
既に動いていた体に任せて、盾を広げたその刹那。暗い海中から、何かが凄まじい勢いでこちらへ向かってきた。
「ぐ……っ!!」
攻撃を受け止めた盾が軋み、徐々に体が押されていく。悲鳴を上げる右腕。踏ん張る踵が地面を抉る。
飛んできたのは水の塊だった。だが、この圧力。この衝撃。もうビームといっても過言ではない。薄く閉じた左目に、盾の耐久力が限界だという警告が見えた。
このままじゃこっちが持たない。早く、なんとかしないと……っ!
「離れて、くださいっ!」
近くにいた人達に、叫ぶように呼びかける。後方に誰もいないことを左目で見て、彼らが地面に伏せたのを確認してから、私は仰け反るように身を引いた。
「うあ――っ!」
盾に弾かれた水の砲撃が、私のすぐ横の空間を切り裂く。そしてその後ろにあった地面を、道を、建物を破壊していく。
吹き付ける水飛沫と凄まじい衝撃に、体が吹き飛ばされて宙に浮く。咄嗟に盾を手放してなんとか受け身を取ったが、流石にもう無傷を言い張ることはできそうになかった。
ううっ、腕が……。
痺れる右腕を庇いながら立ち上がる。何なんだ、この攻撃は。さっきの魔物に、こんなことができる奴はいなかった。いったい何に攻撃されたのか想像もつかないけれど、相手が私達に敵意を持っていることは間違いない。
落とした盾を素早く拾い、遠距離から攻撃できる別の武器――対物狙撃銃へと変化させる。そのまま抉れた地面に寝そべると、海に向かって銃を構えた。
「うっ……」
痺れの残る右腕に鈍い痛みが走るが、私はそれを無視してグリップを握り、照準器を覗く。
こんな痺れはどうってことない。今はそれより、この攻撃をしてきた相手のほうが重要だ。
「大丈夫かレイラ!」
「は、い……私は平気、です」
「くそっ、終わったと思った途端に……。おい、お前。被害状況は」
「ち、中央通りと、周辺の建物に被害が……」
「魚市場がやられた!」
「船が、船が沈んでる……」
次々と聞こえてくる町の被害にカイさんが舌打ちを漏らし、私の心も沈む。
「……チィ」
……町を、守れなかった。けれど避難が完了していたおかげで、人的被害はない。今は、それだけでも喜ぶべきだ。
後ろの人達があれこれ騒ぐ中、視線の先で変化があった。
「おい、あれはなんだ!?」
いち早く気付いた誰かが叫ぶ。空気が一気に張り詰めた。
岸から十キロ以上も離れた遠洋で、不自然に盛り上がる海面。それが徐々に膨らんで、弾けて――左目の超望遠機能が、その姿を捉えた。
町一つ分はあるであろう大きさの双翼。灯台よりも太い胴。短い四肢の先に生えた鋭いかぎ爪。蛇のように長い尻尾。長い首の先に付いた頭部。そのすべてを覆っている、半透明の鱗。太陽の光を反射して輝くその体は、それを生きる災害と呼ぶに相応しい威圧を放っている。
「グガァァアアア!!」
巨大な口から放たれた咆哮が海面を、空気を、そして私達の心を震わせた。
遅れてやってきた強烈な衝撃に、一瞬耳が聞こえなくなる。地面が震え、その振動が体に直に伝わる。そのせいか、音が過ぎ去っても、頭の中にキーンと耳鳴りが残っていた。
「あれは……」
揺れの感覚が収まってきた頃、誰に問うでもなく呟く。それに対する返答は、悲鳴にも似た叫びだった。
「ど、ドラゴンだと!?」
その言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
ドラ、ゴン……? あれが、竜なのか。
以前フェニさんに聞いた、よくお伽話に出てくるという怪物。世界で一番強い生き物。遥か昔、人間が生まれるよりもずっと前から存在し、気まぐれに災害を起こすという、あの……。
そんな化け物を目の当たりにした兵士達は、戦いの姿勢で剣を構えながらも、一歩ずつ後ずさっていた。腰を抜かしてしまう人までいる。だが、それも仕方ない。何せ相手は、世界を統べる強大な化け物。恐怖を感じるなというほうが無理だ。
翼を広げたドラゴンが、天空へともう一度咆える。そして翼をはためかせ、海面から体を浮かせたかと思うと、まっすぐこちらへ向かってきた。
「こ、こっちへ来るぞ!」
「落ち着け! あいつは俺がなんとかする。お前らはとにかく安全を確保しろ。魔法で防壁を張るんだ」
再び剣を構えたアドレさんの頼もしい言葉に、人々達の怯えが一瞬薄まる。そして彼は、その剣幕のまま私に叫ぶ。
「お前も一度離れろ! 今はそうするしか……」
けれど私は、彼の言葉に従わなかった。
そんなことを言っている場合じゃない。私にはわかる。残念だが、流石のアドレさんでもあれの相手は無理だ。
私はドラゴンの生態なんか知らないし、こういう時、どうやって倒せばいいのかもわからない。けれど、この状況から明らかなことが一つ。町を守るためには、近付かれる前に仕留める以外に方法はない。
遠距離攻撃の手段は私のライフルしかないが、この弾丸では恐らく効果がないだろう。それなら――。
グリップ横のボタンを操作する。すると、狙撃銃特有の長い銃身が縦に割れ、本体の奥から金属製の二枚のレールが伸びてきた。銃全体の輪郭が一瞬不安定になり、すぐにまた違う形で定着する。一新されたその銃器は、電磁誘導により物体を超高速で射出する兵器、電磁加速砲だ。
……こっちなら、例えドラゴンが相手でも通用するはず。
充電が始まったレールの間に火花が散り、スコープに映る電力メーターが徐々に増えていく。
「私に任せてください」
「馬鹿お前、いったい何を言って……」
今にも殴りかからん勢いのアドレさんを無視して、初弾を装填。左目の着弾予測を頼りに、照準器の向こうで徐々に大きくなるドラゴンの頭部に照準を合わせる。
「……邪魔、しないでください」
「お前……」
慎重に、正確に。確実に殺すという殺気を込めて。これを外したら次はない。風と波、呼吸と拍動のタイミングを計り、その瞬間を待つ。
そして、すべての要素が完璧に揃った一瞬――引き金を引いた。
「――っ!!」
至近距離から響き渡る轟音。左肩にこれまでにない負荷がかかり、関節が外れそうになる。だがこの程度、先ほどの攻撃に比べれば全然軽い。
弾丸が音速の壁を破った衝撃で、海の表面が割れ、また耳がキーンとなる。視界が水飛沫で覆われて、ドラゴンの姿が消える。雨のように降る海水を浴びながら、アドレさんが呆然と呟いた。
「うっ……嘘だろ、レイラ。まさかお前、やったのか?」
「いや、駄目ですっ!」
急所を狙った弾丸はしかし、わずかに左に逸れて、ドラゴンの大きな右腕と右脚を貫いた。
……いや、弾が外れたのではない。私の狙いは完璧だった。だが、あのドラゴンがこちらの動きを察知して、一瞬のうちに弾道から外れようとしたのだ。恐るべき反応速度。その高度な感知能力と凄まじい運動能力に、私は戦慄を覚えた。
「グ、ギァアアアア!!」
仕留め損ないはしたが、与えた傷はドラゴンの進路を変えさせるには十分だった。苦悶の叫びを上げたドラゴンは翼を大きくはためかせ、急激に高度を上げて私達の真上を通り過ぎていく。
すぐさま立ち上がって、空に向かってレールガンを構え直す。その時、こちらを向いたドラゴンの巨大な瞳に私の姿が映った。頬に何かが落ちてくる。海水とはまた違うそれは、なんだか少しねばねばして、独特な刺激臭。
これは……ドラゴンの、血?
そのじんわりとした温かさを意識した瞬間、
「ぃ――っ!!」
右の腕と脚に、強烈な熱を感じた。一瞬遅れて、まるでそこが爆発したかのような凄まじい痛み。全身がカッと熱くなり、胸が締め付けられ、息が詰まる。もう立っていられない。銃を取り落としてしまう。
制御できずに倒れ込む体。投げ出した腕の下に広がる真っ赤な水溜り。風圧による高波に流されて、薄くなって……ヒクヒク痙攣する手足から漏れ出す血液が、またその色を濃くしていく。
「ぁ、が……」
血、が……な、んで……?
原因のわからない耐え難い痛みと、熱と、苦しさが脳を焦がす。あまりの苦痛に呼吸ができなくなって、段々、目の前がぼやけて、暗く――。
「おい、おいっ! レイラ! 大丈夫か。しっかりしろ!」
ひどく慌てた様子で、こちらに駆け寄るアドレさん。耳元で叫ばれるその大きな声も、強く揺すられる体の感覚も、どこか遠くに感じられる。そんな時、一つ思い出すことがあった。
ああ……そういえば、海に落ちたあの時も、こんな声、聞いた、ような……。
その思考を最後に、私は意識を手放した。




