悩み
黒峰蓮慈が異世界に転移してから、一週間が経過した。
初日以降、特に代わり映えする出来事は起こらず、あの後に先輩冒険者から難癖を付けられてイビらせるよう定番的な出来事もない。
そして、特に問題を起こす訳でもなく蓮慈はこの一週間で、創作物に出てくる異世界と実際の存在する異世界との違いを多に実感させられ、それに順応すべく「自分が思い描く異世界」を補正していった。
と言っても、彼の中で何かが変わる事はなく、その根本的な思想に変化が起きる筈は無かった。故に、夢の無い異世界に対する憤りと呆れは薄れる事はなかった。むしろ、日に日にその思いは増幅していく。
だが、その思いを外に出す事はせず、世間知らずの新米冒険者としての振る舞いを行ってきた。唯一、先輩ロリ冒険者であるラウルには、事ある毎に不機嫌になっている事を見破られていたが、あくまで「不機嫌になった」程度の変化だと思っていたし、それで蓮慈が目に見えて八つ当たり等の癇癪を起こす事も無かったので、彼女は問題視する事は無かった。
しかし、本当に何の変化もなく、問題も起こらなかったっという訳ではなく、実際のところはその逆だったといえる。
蓮慈は冒険者加盟連合会史上最速で、その冒険者等級を昇格させて、現在は『白銀級第二位階』である。これは、全二十五等級存在する中で、七番目に存在する上位の等級である。
蓮慈からすれば、冒険者の等級上げなど全く興味が無かったのだが、ラウルを連れて依頼がてらに魔物の大量討伐を行った事によって、その常識破りな戦闘力が明るみに出る形になってしまった。
それ故、本人が全く気に止めていないとしても、その周囲の人間はそういう訳にもいかず、いろいろと細かい規則を無視して冒険者加盟連合会は彼の等級を昇格させる事にしたのだ。
無論、そんな目立つ様な異例の処遇を受けるのは、蓮慈のポリシーに反するのだが、何故か本人である蓮慈とはまともな話もせずに合意無しの十八階級特進となった。蓮慈曰く、「九回、死ねっと?」。
しかし、蓮慈は初日以降、一日十回以上の依頼をこなし、依頼一つ毎に数百万単位での荒稼ぎをする。一日の稼ぎは既に一千万を軽く超えており、その倍以上の収益が支部に舞い込んでいる。
こんな行為を、セイドリッヒ王国以外で行えばすぐさま魔物は枯渇状態に陥るし、魔物の素材も需要よりも供給が遥かに上回り市場価値が大幅に下がるだろう。
だが、幸いな事に、ここは人類の最前線の一つであるセイドリッヒ王国。王国軍と魔族の小競り合いが絶えぬ激戦地。魔法薬ポーションや魔導器、そして武防具の素材となる魔物の部位は過剰供給がむしろ好ましいくらいだ。
買い手の困らない資源を定価より安く買い取り売り捌いている冒険者加盟連合会からすれば、蓮慈のように連日数千万以上の利益を上げ、尚且つ善良な心を持つ冒険者は手放したくないのだ。
そして当然の事ながら、蓮慈程の実力者ならば、どんな国でも御抱えの兵士にしたいものだ。それはセイドリッヒ王国ならば尚更の事。故に、様々な手を使って懐柔が行われるっと思われる。
だが、兵士一人に数千万単位の給料など払う訳にもいかず、ならばと国益的な功績や実績が無いにも関わらず、下手な爵位や勲章も与えられる国がある筈かない。事実上、どんな国会でも蓮慈を御抱えにする事は叶わない。
まあ、一応はセイドリッヒ王国の第一王女の命を救っているので、爵位はともかく、名誉勲章ならば贈呈出来なくもない。だが、蓮慈はあれ以降、王族どころか騎士団関係者とも接触を取っていない。そのお陰で、セイドリッヒ王国の要人の殆んどは黒峰蓮慈っという人物の存在を未だに知らずにいる為、御抱えどころか勲章贈呈の話が挙がってくる訳がない。
しかし、その常識破りな実力が近い内に世間一般に知られ、王族や貴族の耳に入るのも時間の問題だ。故に、冒険者加盟連合会が他の勢力よりいち早く動き、彼から生まれる利益を独占するべく冒険者等級を前代未聞の早さで昇級させる事にした。
冒険者としての地位を上げ、その権限の幅を広げさせる事で彼の自己顕示欲を満たし、冒険者として縛り付けようとした訳だ。
既に、金欲は加盟連合会が部位素材の買い取りで満たしているし、あとあの年頃の者が抱く夢は大体が自身の英雄化などの自己顕示欲なので、等級を上げてやりそれを満たしてやる事で蓮慈を懐柔したつまりだったのだ。
しかし、それは蓮慈にとっては無意味な事だったが。
そしてもし、この突然の十八階級特進のお陰で他の冒険者から少しでも難癖を付けられてようものなら、全くの逆効果となっていただろう。そうなった場合、最良の場合は難癖を付けた冒険者がご臨終、最悪の場合は王都の冒険者加盟連合会支部が消滅していただろう。
蓮慈の十八階級特進っという異例の事態に、先輩ロリ冒険者ラウルも非常に驚いたが、それも数秒後には「クロミネ様なら仕方ないっか………」っと呟いたそう。
ちなみに、まるで専属化したかの様に毎度毎度蓮慈に連れられるラウルも、冒険者加盟連合会からのお情けか、あるいは同情からか、はたまた何者かによる圧力なのか、二階級特進させられて現在は『鋼鉄級第五位階』である。これは全等級中十一番目の等級であり、シーズン限定やサポート専門の冒険者がこの等級に至るのは史上初である。だが、蓮慈の等級の八つ下である。
冒険者加盟連合会からの陰謀と幼女冒険者からの仕方無い認定を受けた事以外は特に変わった出来事もなく、蓮慈は異世界での日常の基礎を完成させようとしていた。
だが、異世界での日常が持続的に続く訳もなく、いつまでも非日常が訪れない筈はない。まるで、物語中の主人公のそれ体現するっと言わんばかりに彼は厄介事に巻き込まれそうな雲行きを察知した。
というか、既に厄介事は目の前までやって来ていた。
ニア・ホワイトルーレっと名乗る儀礼鎧に身を包んだ女騎士と他数名の騎士達が加盟連合会の支部に乗り込んできたのだ。そして、レンジ・クロミネっという黒髪黒眼の極東人を探しているっと言う。
「この中に、レンジ・クロミネという黒髪黒眼の極東人を知っている者はいないかっ!?」
支部内に居る冒険者並びに支部事務員にも聞こえる様に、声を張り上げるニアに皆が一度は視線を向ける。
だが、誰もその問いには答えなかった。当然、この支部に居る冒険者、それと事務員達もレンジ・クロミネっという人物が誰なのか分かってはいる。
しかし、彼らは実力至上主義っと言っても差し支えない冒険者。そして、お相手様の騎士は血統やら伝統やらを重んじる選良至上主義。
普段から水面下ではあるが両者共に、「成り上がり者」「守銭奴」っと罵倒罵声を浴びせあう仲である。だから、冒険者は嫌がらせで、彼女達に非協力的なのだ。
勿論、全ての冒険者や騎士達がそういった思想の持ち主ではない。現に、ニア・ホワイトルーレも騎士達の中に於いては成り上がり者である。故に、ニアは相手が冒険者だからっと何か突っ掛かるものはないし、むしろ彼らに感謝の念を抱いている。
何故なら、彼女に本格的な剣術を教えてくれた師範は、冒険者だったのだから。
しかし、この支部にいる冒険者はニアの経緯など知らないし、興味もないだろう。彼らにとってのニアの認識など、金の亡者に着く金魚のフン程度のものだ。
まあ、ニアが実はセイドリッヒ王国国家騎士団王宮配属王室近衛騎士第〇三小隊の小隊長だと知ったら、ペコペコしだすのだが。ちなみに、前の小隊長は反逆罪が確定しており、その後日極刑が下される事が決定している。そして、空席になった小隊長の責務をニアがくり上がりで受け継き、小隊長に就任する事になった。
冒険者は貴族やそれに従える騎士には嫌悪感を抱く事はあるが、流石に王族にまでっという事は流石にない。だから、さっさとニアの身分を明かせば、冒険者の皆さんは素直に蓮慈の事を口に出すだろう。
しかし、ニアは身分を明かそうとせず、蓮慈の事を辺りの冒険者に聞き回る。
ニアが身分を明かさない理由は、王宮関係の泥沼があるからだ。ここにニアを含む数人の騎士が訪れた事は、出来るだけ内密にしたかったのだ。まあ、それは表向きにはっという話で、本気で内密に出来るなど初めから思ってはいないので、礼儀鎧を来てきたのだ。
だが、その礼儀鎧が冒険者達に成金の使いパシリっという印象を与えてしまい、全く相手にしてもらえない理由を作ってしまう始末。
全然話を聞いてもらえないニアの様子に、着いてきた彼女の部下である数名の騎士もやれやれっと苦笑を浮かべていた。その苦笑からは呆れっという感情よりも、微笑ましさっという感情が読んで取れた。
それは、彼女が彼らに信頼されているからだ。
ニア・ホワイトルーレには、少し世間知らずであるが故に空気が読めない所がある女騎士だが、誰にでも平等に話し掛けて笑顔を見せる可愛らしい少女でもあった。
それ故、ニアが起こす多少のドジは、仲間の騎士達のみならず第一王女にも彼女の愛嬌の一つとして認識されていた。
だが、蓮慈はそれが分からなかった。
何故、他人の失言失態を愛嬌として認識できるのか?
失言失態などの行為は、直接的間接的に問わず即時暫時など関係なく、害悪だろうにっと。
それがどうして愛嬌になるのか?
それら害悪から、損害以外に一体何を得られるのだろうか?
憤慨以外に一体何を抱くというのか?
概ね、優秀である者の、失言を耳にし、失態に立ち会い、何故彼女に愛嬌を抱くのか?
自分より秀でた人間の失敗を目の当たりにする事で、劣っている自分を慰めているのだろうか?
そんな事に無駄な時間を使うなら、身体を鍛えよ頭脳を磨け。その者より秀でた存在に進化し、害悪に成りうる者を淘汰せよ。愛想笑いも、同情の苦笑も、安堵の微笑みも、全て無価値だ。
無価値なモノを生産し合う馴れ合いの心理的動きは、蓮慈にとって実に理解に苦しむものである。
しかし、蓮慈本人とて人間社会に生きる個である。人間社会の大部分が、他人の些細な失敗に口出しはしない。事ある毎に、失敗を指摘していたら埒が明かず時間を無駄に使うだけ、それこそ非生産的な行いである。
一度や二度の失敗、または注意指摘で改善されるのなら、蓮慈も特に思う事はなく、むしろ本人の伸びしろになるだろうっと思う。
だが、三回以上同じ失敗をしたとなると、蓮慈は無能者というレッテルを貼り失敗が頻繁する様ならば利益無しの害悪と認定する。
勿論、それを本人は直接宣告する訳ではないし、その他の者の前でも言動に出す訳ではない。
ただ、もし彼に直接的な害悪を及ぼす、あるいはそれが予測出来た場合は、容赦なく蓮慈はその人物を消すだろう。無論、表立って法律に反する様な処分の仕方はしないが。
その為、黒峰蓮慈は現段階でのニア・ホワイトルーレの対処を決めかねていた。
彼女自身が直接的間接的に蓮慈に損害を与えた事はないが、それは永遠持続のものではなく、いつかは損害を与えてくるだろう。それこそ、今回のこの接触はニア本人は全くの無意識だろうが、蓮慈を王宮関連の泥沼的状況に引きずり込めば、それはニアに間接的被害を与えられた事になる。
そうなれば、蓮慈の中でニア・ホワイトルーレは準危険人物指定を受け、失言失態がある度に徐々に評価が下がっていくだろう。そして、最終的には排除という措置を彼は取る。
しかし、強い権力を有する者との繋がりを作るのは、場合によっては利益に繋がる。何も、権力=問題、問題=害悪っと直結する訳ではないので、有益にも無益にも成りうる。
そのせいで、蓮慈はニアと接触すべきか、非常に悩んでいた。
会えば、間違いなく第一王女救助の件で、上流階級者への繋がりが出来てしまう。それが利益になるのか、損害になるのか。
王宮内部の勢力争い、次期王位継承者争いがどの様になっているのか、また何故第一王女は命を狙われたのか。
正直、蓮慈には無害有害以前に、見えない陰謀が渦巻く世界に足を踏み入れたくないだけだ。王族や貴族に富豪などの上流階級にいる者達におべっかを使うのが面倒くさい。
強大無比な力を持った今の状態で国家権力などのしがらみに縛られる理由をは、数の暴力が侮れないのと、魔法や技量の不確定要素を持つモノがあるからだ。
まあそれもぶっちゃけた話、防ぐことの出来ない『絶対属性』(存在するかは不明)などの防御回避不可能なモノが無い限り、魔法技量は既に恐るるに足らず。
数の暴力も、蓮慈の強大無比な技量に掛かれば、いきなり対価が必要にならない限りは数など関係なく、十万の軍隊だろうが百万の軍隊だろうが全て返り討ちだ。
故に、もしもっという可能性や危険性を無視すれば、国の一つや二つ相手に取るだが、蓮慈は地球に居た時と同様に慎重な姿勢を保っている。
別に、王族か勢力の強い貴族やその派閥の傘下に入るのは悪くない。そのモノの力を最大限有効活用するだけだ。
だが、何処かの派閥の味方になるっという事は、何処かの派閥の敵になるっという事でもある。
第一王女暗殺未遂の件もあるし、この世界というか、このセイドリッヒ王国での勢力争いは中々に過激なものの様だ。敵対派閥から闇討ちや毒殺による暗殺を決行されるかも知れない。
現段階での蓮慈ならば、相手が死ぬだけだが、いくらサイコパスとは言え、蓮慈はシリアルキラーの様な殺人を好む人間ではない。だから、蓮慈からすれば無意味な殺し合いなどの流血沙汰は、正直御免である。
相手が望むのなら話は全く別だが、その可能性があるモノに自分から近付くほど馬鹿ではない。
上流階級の特権を横領する為に、厄介事が起こること間違いなしの所に行くのか、蓮慈は非常に悩ましかった。
だから、蓮慈はニアの存在に気が付きつつも、その対応に困ったので支部の二階に逃げ込んでいた。
二階部分は基本的に一般公開されていないので、加盟連合会に加入していない者は上がって来られない。ここなら見付かる心肺はないし、最悪の見付かった場合でも気が付かなかったっと言い訳が出来る。
そして、慎重さと疑い深さは人一倍の蓮慈にしては珍しく、その最悪の場合が起こりえる事はないだろうっとたかを括っていた。
それが仇になった。
「ようやく見付けたぞ、レンジ・クロミネっ」
「なん……だとぉ………」
ニアとその愉快な仲間達である騎士達は、ごく普通に蓮慈が居る二階のスペースへとやって来た。
「すいませんっ、クロミネ様を探していらした様なので、お知り合いかと思い………」
この場に案内したであろうラウルが居心地が悪そうに、蓮慈に向けて頭を下げる。それに対して蓮慈は「流石はラウルちゃん、やっぱり優秀な子だ」っとラウルの株を上げていた。
「いいや。ありがとうね、ラウルちゃん」
「お役に立てたのなら、幸いですっ」
蓮慈はいつも通りに笑顔でラウルに対応し、ニア達としっかり対面する。
「お久しぶりですねぇ、ニア・ホワイトルーレさん」
ニアにも同じ様に笑顔で対応する蓮慈だったが、ラウルには不機嫌なのが十分伝わった。
あ、これ、案内しなかった方が良かったヤツだ。
ラウルは密かにそう思うのだった。