Thrust doun
バイトをドタキャンしたのは、多分初めてだ。
ただ、38度は言い過ぎただろうか。
店長は、よっぽどの事だと思ったらしく3日も休みをくれた。
「今、バイトへの電話終ったよ。」
「ごめんね。」
「いや、良いんだよ、最近本当に熱ぽかったし、とりあえずピザでも頼む?お腹減ってるでしょ?」
「ありがと。」
「テリヤキチキンで良い?」
「うん、よく覚えてるねありがと。」
そう言って、やっと少し笑ってくれた彼女を可愛いと思ってしまった。
だけど同時に、あの日の事を思い出していた。
あの日、僕はバイトが終わり、スーパーで買い物していた。
「エリンギ安!これは、今日もなべだな。」
2パック99円の魅力に負け3日連続の鍋に突入する事が決まってしまった。
「となれば、白菜と豚肉か。いや、鳥もありだな。」
カートを走らせ、野菜売り場を右往左往する
とりあえず、白菜を買わなければ。
「もしかして、佐藤くん?」
白菜売り場の前に来たその時、急に声をかけられた。
「え、そうですけど、すいませんどちら様でしたっけ?」
「あ、ごめんねー!唯の母です。初めまして。」
そう言って会釈をされた40代半ばの女性は、こんな小汚いスーパーには似合わない綺麗さがあった。
「わ、初めまして!唯さんとお付き合いさせて頂いてる佐藤志です。」
「いいのよ、そんなに硬くならなくて!写真で見るよりイケメンねー」
緊張で少し大きめの声を出してしまった僕の事が面白かったのか、お母さんはな大きな声で笑っていた。
そして、気づく。確かに、笑った時に目が細くなるところが凄く唯に似ていた。
「今日は唯と一緒じゃないの?」
「はい、唯さんとは朝いっしょだったんですが、僕がさっきまでバイトだったので。」
「そう。佐藤くんは何のバイトをしているの?」
「あ、ファミレスです。」
「そうなのね。頑張ってね。」
お母さんは、一瞬僕の顔をよく見た後、また、笑っていた。
「佐藤くんは今日1人でごはん?」
「はい。」
「ちょうど良かった!うちで食べてかない?」
「いやいや、とんでもない!唯さんも居ないし、今日のところは!」
「あら、良いじゃないの!唯は帰ってこないけど、佐藤くんとお話したかったのよ!!ご飯だけでも一緒に食べましょうよ!」
この頃、唯は学校の近くで、友達とルームシェアしていて、実家には全然帰って無いと、言っていた。
「そ、うですね。僕も唯さんのお母さんとはいずれちゃんと話そうと思っていたので、いい機会ですね!でわすいませんお言葉に甘えて。」
いつもの僕ならこんな事は絶対にしない。よそ様の家の晩御飯を食べるなんて、しかも今回は彼女無しでその家族に会うなんて!
でも、3日連続の鍋に終止符が打たれると思うと、少し心惹かれる物があったのかもしれない。
いや、唯の家族と早く仲良くなって、本当は結婚を前提にお付き合いさせて頂いてると早く言いたかったのかもしれない。
いろんな事が重なったことで、すんなりとお母さんの提案を受け入れてしまった。
「そうと決まれば、今夜はすき焼きね!待っててね材料買ってくるから!佐藤くんは自分のお買い物続けててね!出入り口で待ってるから!」
そう言ってカートを飛ばして唯のお母さんは肉売り場へと消えていった。
確かあの時の僕は、なんだか少し嬉しかったし、ドキドキしていたんだ。唯は初めての彼女だったし、彼女のお母さんに会う事も初めての経験だったから。
こうなったら一応唯にLINEしとくかな。
スマホを取り出し、唯に事情を説明する文を打った。
送信ボタンを押そうとした時、一瞬よく考えてしまった。
いや、やめとこう、お母さんと色々話した後LINEしよう。もしかしたら唯が凄く嫌がって、今日はやっぱりやめときますって流れになるかもしれない。
今日は唯のお母さんと話す事がもう結構楽しみになっていたのだ。
途中まで打った文を消して、携帯をかばんの中にしまった。
自分のカゴの鍋の材料をさっさとレジで会計を済ませ、先にスーパーの入り口で待っていた。
「お待たせ佐藤くん!ごめんね、結構かいこんじゃった!」
「全然、大丈夫ですよ。僕もさっき終わったところなので!」
「その、袋の中身は、今日は鍋にする予定だったでしょ?」
また、唯に似た笑顔で気さくに話しかけてくれる。
僕は、そうなんですと相づちをうち、お母さんの袋を持った。
「ありがとう!そこの裏の駐車場に車と待ってるからそれで行きましょう!」
「はい!」
順調じゃないか!お母さん、絶対いい人だし、今日はちゃんと伝えるんだ。
結婚も考えてるって。
そして、唯ともっともっと仲良くなって、ちゃんと働いて、落ち着いたらプロポーズするんだ!
この時の僕は、間違いなく浮かれていた。
車に乗り込み唯実家まで、車で10分ほど。車の中では、誰の趣味か分からないが銀杏BOYZの曲がずーと流れていた。
これは、確かBABYBABYだっけ。
今の僕にぴったりな淡いラブソングだ。
車の中お母さんから唯の昔の事などを聞いているうちに、10分はあっという間に過ぎた。
「じゃあ、あがってあがって。」
「すいません、お邪魔します。」
唯の家は思ったよりも小さく、それでいて、思ったよりも古いアパートだった。
「とりあえず、適当にそこらへん座っといてね!汚い家だけどゆっくりしててね!」
「いえいえ、全然綺麗じゃないですか!僕の部屋はこの10倍汚いですよ!」
「そーなの!よかったわ平くん、綺麗好きじゃなくて!」
今日はいつもより、言葉のキャッチボールがうまくいってる。100点満点中96点だ。
リビングにはあまり物が無く、シンプルなローテーブルに、テレビ台に普通のサイズのテレビが載っている。
そして、そのテレビ台には家族で写っている写真もあった。たぶん、これは唯が小学生の時のものだ。
お母さんと、唯とイケメンな高身長なお父さんが写っている。
そして、思い出してしまった。そうだお父さんの壁。
忘れていた、お父さんという存在。
やばい、急に緊張してきた。そうだよな、時間も時間だしそろそろ、帰ってくるよなー。
なんて言おう。
急に焦りだした僕は心の準備のために、さりげなくお父さんの話を、キッチンで料理する、お母さんに聞いてみた。
「お父さんイケメンですね!口が少し唯に似ていると思います!」
「そう…?たしかにイケメンだけが取り柄だったのよねー」
そう言って、背中を向けたまま少し落ち着いたトーンで答えた。
だった?過去系の文末をよく考える。
しまった。と思った。
唯は、家族の話をしたがらないが、もしかしたら、お父さんは…。
「もしかして、唯から聞いてない?」
「何をでしょうか?」
思わず変にかしこまった言い方をしてしまった。
「お父さんはね、去年亡くなったの。脳梗塞で、突然よ。」
「あ、それは、何も知らないで、ほんとにすいませんでした。」
「いいのよ、もう一年たったんだから。後でお線香あげてね。多分、喜ぶわ。」
やっぱり、台所で背を向いたまま、お母さんは答える
「はい、もちろんです。」
しまった、少し気まずくなってしまった。
どーするか。別の話題を話さなければ。
「あの、テレビつけていいですか?」
「もちろん、良いわよ!ゆっくりしててねもう出来るから!」
「すいません。ありがとうございます。」
さっきまでの絶好調が嘘のようにたどたどしい受け答えだ。
テレビを回しても、特にこれ!というものはやっていない。
チャンネルを3往復くらいして、旅番組に落ち着いた。
これは、石川県だろうか?温泉と海鮮が交互に出てくる。
そうこうしてるうちに、お母さんのすき焼きは完成した!
「お待たせ、飲み物はお茶で良いかしら?」
「はい、ありがとうございます!
うわ、美味しそう!すき焼きなんて、久しぶりです!」
「そう!それは、良かった!唯もすき焼きが、大好きなのよ!」
「そうなんですか!それは、知らなかったです!」
「ふふふ、意外となんにも知らないわね佐藤くん!」
「そーですよね、もっと頑張ります!
」
少し、やっちまったと思ったが、とりあえず目の前のすき焼きの良い香りが場の空気を和ませてくれているようだった。
「それでは、いただきます!」
「どうぞ召し上がれ」
お母さんのすき焼きはすこぶるおいしかった。こんな料理を食べたのは、本当に久しぶりだ。
「これ、本当に美味しいです!」
「それは、良かったわ!佐藤くんは、よく食べるのね!」
「はい、美味しい料理は、いっぱい食べちゃいます!」
「ふふふ、口が上手ね。」
それから、少しだけ会話を交わし、すき焼きをほとんど完食した。ご飯も2杯おかわりした。
テレビの旅番組はいつのまにか、沖縄の映像になっていた。
「ごちそうさま、本当においしかったです。」
「それは、よかったわ。お粗末様でした。」
お腹いっぱいで、幸せだ。これから、唯の事をいっぱい話そう!
「平くん、あのね」
話す内容を頭の中で練っているうちに、先手をお母さんにとられてしまった。
「はい、あ、そうだお線香ですよね、すいません!」
「違うの。実はね、本当は今日、佐藤くんに頼みたい事があって呼んだの。」
「え、はい、なんでも、言ってください!」
急に改まったお母さんの口調に少しびっくりしながらも、頼みならなんでも叶えてあげたいと思っていた。
「単刀直入に言うわね。」
「はい!どんとこいです!」
僕の軽い返事にも、顔色1つ変えず真面目な顔でお母さんは続けた。
「唯と別れてほしいの。」