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Light

 秋葉原に光が灯り始める。

 蛍光灯のシンプルなそれだけでは無く、数々のモニターに映し出される映像の光やお世辞にも上品とは言い難い派手な色のライトが街を染め上げていく。

 ここ秋葉原レインボウゲイト2102号室にも、その灯りは入り込んできている。

 ロールシャッハは秋葉原歩行者天国、メーンストリートに面した窓の方へとソファを向けて、テーブルに足を投げ出し座っていた。

 遠く遠く広がる筈の景色は無機質なビル群に阻まれてはいたが、JR秋葉原駅に集う虫の様な人々だけはその瞳にくっきりと映っている。


「ただ今戻りました」


 音も無くロールシャッハの腰掛けるソファのすぐ後ろに、フロイトが現れる。

 いかにもメイド風に小さく纏めた髪は少しも乱れてはいない。ロールシャッハは「うむ」とだけ答えると右手を後ろに差し出した。

 

 その手に掛かる重みに、ロールシャッハの口が真横に裂けた。闇に浮かぶ下弦の月はそれから楽しそうに笑い、揺れた。


「メロディライオンシリーズ、プリティーハートグループはこれを以てして息を吹き返したと言ってもいいものよ」


 『うまのはな』とプリントされた黒い紙袋から取り出したパッケージを鼻の下に当て香りを楽しむ。

 猫耳美少女が描かれたパッケージを包むビニールを破く。欧米の子供がプレゼントの包装を破く様なそれでは無く、ある種の職人がその最後の仕上げを手作業でするが如く、丁寧に、そして素早く。

 三十センチ四方のそれの他に、特典と思しきディスクがディスクケースに入れられて一纏めにされていた。彼はメインディッシュであるパッケージの中から一枚のディスクを取り出し、フロイトが点けた室内灯へとかざした。


「美しい。ディスクのプリント面にまで崇高で精巧で、芸術的だ」

「モニターは既に」


 いつの間にかセットされていたモニターにメロディライオンのインストール画面が現れる。

 慣れた手付きで全ての行程を終わらせ、青色のステータスバーがインストールの進行具合を知らせる。ボリュームたっぷりの様で、推定残り時間は一時間三十分を告げていた。

 

「人類の進歩とは何ぞや、それは娯楽の追及にあり。ほんの百年前は、この様な素晴らしい娯楽が日本より生まれるとは我輩も思わなんだ」

「旦那様の仰る通りで御座います」

「核を落とされ敗戦国と嗤われたとて、ここまでのし上がってはぐうの音も出まい。武力を用いない暴力、それはある種オタク文化の持つ力であるとは思わんか」

「旦那様の仰る通りで御座います」


 ロールシャッハは考え込む様な仕草をした後に、合点が言ったように鼻で笑った。

 それから彼は画面を見ながら「我輩なりに考えたのだがな、フロイト」と前置きしてから、楽しそうに口を開いた。


「彼らはもう『創る』事だけでは満足せぬのだ。自己投影だけでは満足しきれなくなったその心が生み出したのが、異世界や二次元へ入り込む事への憧れ」

「あの『目』はオタクの総意である、と」

「察しが良い。『目』の写真は確かに現実離れしている。だがあれは偶発的に撮れたモノで、それに尾ひれがついて異世界に行けるなどという噂が立ったのだ」


 そう言って彼は「ある種の、集団ヒステリーだ」と付け加えるとトマトジュースに口を付ける。まろやかな香りに彼の顔が綻んだ。

 

「全ては妄想。オタクの哀しき、現実逃避よ」


 ステータスバーだけが、ゆっくりと進んでいった。












「フロイト、今日はもう良い。休め」


 仁王像の様に微動だにしなかったフロイトは、両腕を臍の位置から離す。

 パソコンの画面を食い入る様にして見つめるロールシャッハに深々とお辞儀すると、彼女はリビングの扉を開け別室へと消えて行く。

 後に残ったロールシャッハは自動で進んで行くテキストを子供の様な顔で見つめ、時折出現する選択肢に酷く頭を悩ませていた。


「ハハハハ、こやつめ、我輩と夏祭りに行きたいという臭いをプンプンまき散らしておるわ。だが、まだ貴様のルートでは無い、早々に消えろ」


 満足気に選択肢を選び、悲しそうな顔をする犬耳美少女を蔑んだ瞳で見下すロールシャッハ。

 ファンシーなBGMが鳴り響き、フルボイスのセリフが流れる。


「好き嫌いの自由が貴様に残されていると思うでないぞ、待て待て、この流れはもう性行為に入るのか。痴れ者め、頭の弱そうな顔をしておるからに」


 ドドンと表示される特別一枚絵に辟易しつつ、ロールシャッハはマウスを握り締める。

 画面右上の『めにゅう(はぁと)』から『セーブ』を選び、雪の様なベッドに転がり込む猫耳美少女のシーンを保存する。


「口ではなんと言おうとも、アダルトゲームに置いてエロは絶対の基準。メロディライオンシリーズが評価されたのは口に出すのも読む事も躊躇う、その恥文。さあ見せて見ろ、我輩に」


 焦らす様なテキストにやきもきしながらも、彼は絶対のポリシーをもって『早送り』という愚行に走りそうになる己を制止していた。

 何もそんな事を書かなくても、というテキストがだらだらと続き、時折混じる接吻の音が薄暗い部屋に響き渡る。


「昔、磔にされた事があったが…その時よりも、高鳴る。高鳴るぞ、震えるぞ、漲るぞ」


 ファンシーなBGMとは打って変わって、何処か神々しくも優し気なBGMへと変化した魔法少女メロディライオンは遂に接吻から次の魂のステージへとステップアップする。

 より激しくなる声、より艶めかしくなる音にロールシャッハの瞳が朱く爛々と輝き始める。

 


 その時、キーボードの横に置かれた彼のスマートフォンから、流行りのアイドルソングが流れた。

 我に返った様に真顔になると、スマートフォンがサビを歌い切る前に手に取り、歌を止める。


「零時、五分前か」


 ロールシャッハはスマートフォンを握り締めると、流れるテキストを無視してウェブサイトにアクセスする。彼にとっては忌々しい『目』についてのウェブサイト。

 

「書き込みでは、噂が有名になるにつれて贋作が増えたとあった。つまり初期の写真が怪しいという訳か」


 ずらりと並ぶ幾つものサムネイルを一枚ずつ見ていく。

 学校の集合写真の様な物から何気ない老人を映した一枚、テレビに映った物を撮影したと思われる一枚など、数々の『目』が撮られている。

 だがそれも一様に『バラバラ』であった。純粋な『目』から子供の落書きの様に歪んだ『目』、一つとして同じ様な『目』は映っていない。

 ロールシャッハはイチゴの写真を思い出しながらサムネイルを見る。

 あの写真が本物であったかは定かでは無い。だが彼はあの写真を見た時に感じた感覚を忘れてはいない。


「…これか」


 胸の鼓動が高まる。

 ロールシャッハがタップして大きく映し出されたその写真は、子供の写真だった。

 砂場で遊ぶ少女の写真だったが、縦長の写真に『目』が横向きで大きく映っている。一見すればそれは『目』には見えない。露光か何かだと言われればそれまでだろう。

 だが彼はその一枚から目を離せずにいた。ただの何気ない写真である筈が、まるで往年の名画の様に心を捉え、離さない。


「ふん、証明してやる」


 11時59分を刻んだスマートフォンの時計。心臓の鼓動より遅いその点滅のもどかしさも、今の彼にとっては娯楽。

 何もない、ある筈がない。彼は口の中でそう呟いて、写真を見つめていた。

 



 永遠とも思われた1分間は、未来へ動き出す。

 今までが全て、過去になる。




「な、に」



 声は枯れていた。

 ロールシャッハの見つめていた写真の『目』が、確かに『まばたき』をした。

 

 薄いはずだった『目』はその実態を現す。くっきりとした、それこそ人間の様な『目』が写真一杯に大きく映る。

 それは不規則に瞬きを繰り返しながらきょろきょろと辺りを見渡す様に眼球が動いている。

 やがてその目はロールシャッハを捉えると、二度瞬きした。

 彼にもわかる明らかな発見の合図。大きく見開かれた目は瞳孔が開き、そして輝く。



「なッ?!」



 眩い輝きがロールシャッハの眼前に広がる。

 その眩しさに彼は目を瞑り、本能的に顔を背ける。

 手にしたスマートフォンが、その拍子にテーブルへと落下し、短く高い音を立てた。




「ロールシャッハ様、如何なされました」


 リビングの扉が開き、フロイトが入ってくる。

 


「ロール、シャッハ…様?」


 後に残るのは、自動で流れるテキストと、如何わしい音声のみだった。




 

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