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3/11

Eyes

 何がそんなに楽しいのか、休日の真昼間という『昼間のゴールデン・タイム』の東京都秋葉原は人でごった返していた。

 かつてこそ『オタクの街』などと蔑まれてはいたものの、今となってはそれこそ『オタク文化』は一種のビジネスとして多くの企業や有力者と、一部の才を授かった者が蝗の様に食い尽くしていく最中であった。

 初夏の秋葉原の熱気はきっと天候のせいだけでは無い。


 メイド喫茶と言うのも『オタク文化』を助長してきた、切っても切れない関係性を持つコンテンツである。

 掃いて捨てるとは良く言ったもので、それこそ今の秋葉原に『メイド喫茶』と呼ばれるものはごまんと存在し、路地裏の廃れたぼったくりバーよろしく金を巻き上げるだけ巻き上げて『あんたなんか豆腐の角に頭ぶつけて死ねばいいのよ』と罵られたりする店や、如何わしいマッサージをしてくれる店も、とびっきりの美女を揃えた店から賞味期限目前の牛乳の様な婆が痛々しいメイド服を着ている店まで数多く点在する。


 『エヴァンシュ』もそんな数多くあるメイド喫茶の一つである。


 中学生が横眼でちらちらと確認しながら何度も往復してしまうアダルトゲームショップ―――実際にはただのゲームショップだが、きわどい写真が何枚も飾られている―――の入居するビルの二階に位置する『エヴァンシュ』は『秋葉原に来たらやっぱりこれ!萌え萌えメイド喫茶厳選25店舗!』という多いのか少ないのか理解しがたい、無駄に分厚いガイドブックのトップページを飾っている。

 店内は『いかにも』と言った感じに装飾されており、ピンクと白を基調とした可愛らしいテーブルと椅子に、床のゴミでも拾えば丸見えなのではないだろうかという長さのスカートを履いたメイドが歩き回っていた。

 30席ほどのテーブルは既に団体や個人客で埋まりつくし、ガラス扉からは初詣に並ぶ参拝客の様に男達が列挙していた。

 各テーブルには一人から二人のメイドが席に着いており、微笑ましい光景を見る事が出来る。一緒に写真を撮る外国人の姿も多く、客層は日本人だけという訳では無いようだった。


 その内の一つのテーブルに、足を組んだ男と、その右斜め後ろにこの店のメイドとはまた違う格好をしたメイドが居た。

 男は眼を瞑りながら組んだ足に右手を掛け、先に運ばれてきたであろうトマトジュースをストローで飲みながら満足気に頷いていた。

 右後ろのメイドはその様子をにこやかな顔で見守っている。純白のエプロンが無ければ魔女かと思ってしまう程の黒いドレスの裾を軽く上げて、彼女は男に耳打ちする。


「如何で御座いますか」


 赤い瞳に黒い髪、彼女は男の頷きを肯定と受け止めてまた姿勢正しく臍の辺りで手を合わせた。


「あーっ!ロールちゃん!遅くなってごめんねぇ~」


 砂糖菓子より甘い声が店内のポップダンスミュージックの間から聞こえる。

 目に優しくないピンクツインテールのメイド少女が、男とメイドの前にうさぎの様に飛び跳ねながら現れた。

 男はようやく目を開けて、口元を上げて答える。


「よい。こう盛況しているのも貴様にとっては喜ばしい事であろう」

「でもでもぉ~、ロールちゃんとこうしてラブラブできる時間が少なくなっちゃって寂しいにゃん…」


 男は頬杖をつくと右手を伸ばして『イチゴ』と可愛らしい字体で書かれたネームプレートをつけたメイドの顎を軽く上げる。


「案ずるな、時間など我輩にとってそれこそ無意味だ。偶さかの憂事など卵で包んでしまえ」

「やぁ~~ん、おさわりはダメなのにぃ~~」

「ロールシャッハ様はオムライスをご所望です」


 メイドの言葉を受けてイチゴは投げキッスをしつつキッチンへと向かう。男は再びストローに口をつけ先程よりも大きく頷いた。


「小娘の割に口が上手い。世が世であるならば我輩の臣下にしていた所だ、そうでなくとも此処で腐らせておくには惜しい。なあフロイト」

「旦那様の仰る通りで御座います。しからば早速この店の責任者を」

「良いのだ良いのだ、所詮我輩の余興。結局の所暇潰しに過ぎぬのだ」

「しかし旦那様、もう既に33回目の来店になりますが」

「数で物を量るな、数字とは実力の無い愚か者が最後に頼る手段に過ぎん。真の理解者である我輩は過程を愛するのだ、それが如何なる事柄であれな」

「素晴らしきお考えで御座います。しからば早速ハラキリを」

「良いのだ良いのだ、失敗とは成功の母であるぞ。浮世において成功と結果だけを求めてはそれこそ窮屈で生きる事も儘なるまいて。父と母は何故我らに手を与えた、自分の首を絞める為の縄を作らせる為ではあるまい」


 深々と頭を下げるフロイトを他所に、ロールシャッハと呼ばれた男は胸元のポケットから携帯端末を取り出す。イチゴとのツーショット写真で飾られたロック画面を解除すると図ったかの様なタイミングでファンシーな着信音が流れ出した。

 『有木』と文字だけ見れば無機質であるが、恐らく彼をモチーフにしてデフォルメされた彼専用の可愛らしいぽっちゃりとしたアイコンが着信を告げている。


「我輩だ」


 電話口の男は『あっ』と前置きすると喉に肉が詰まったかの様な聞き取りづらい声で続けた。

 男は人混みの中、それも駅の近くに居る様で、電車の発着音がバックで流れていた。


『ロールシャッハ殿!朗報がありますぞ』

「我が眷属の言わんとする事など手に取る様に判るわ。だが良い、続けてみよ」

『ぬふふ。実は頼まれていた魔法少女メロディライオンシリーズの限定版が手に入ったのですのよ』

「ほう。夏の陣に合わせて来るとは思ったが、まさか抜け駆けしてシーズンを外してくるとは、いやはや我輩も思わなんだ」

『それが、どうやら今回は二部作の様で、夏の陣に後編限定版が発売される様ですな』

「そういったやり口も嫌いでは無い。つまり夏の陣までに全編をコンプリートしておけという心意気であろう」

『どこに届ければいいでござるか?』

「秋葉原のレインボウゲイト2102号室に届けておけ。しかし貴様はよくやった。前払いしておいた報酬の他にもフロイトに届けさせよう」


 電話口に洗い鼻息が『おほっ』という声と共に聞こえた。有木は早口に礼を述べると電話を切る事すら忘れて駆け出してしまった様だった。

 ロールシャッハは鼻で笑いながら通話を切り、足を組みなおしてフロイトを見やる。


「なかなか使える男だ。言葉遣いがまだ我輩好みでは無い、が」

「旦那様の仰る通りで御座います。しからば早速」

「ああ良いのだ良いのだ。オタクとはかくも素晴らしき行動力と頭の回転を持ち合わせている。同族でこそ無いが、我が僕としては十分すぎる程の働きをしているだろう。そんな事よりもまた我輩の前に数多の美少女が現れてしまうな」

「お言葉ですが、未攻略のゲーム・ソフトが何本か溜まっております」

「それもまた一興。積まれた箱を見るたびに我輩の心はオペラ・バスティーユで管弦楽の生演奏を聞いた様に躍るのだ」


 丁度その時、厨房からイチゴがハートをまき散らしながら歩み寄ってきた。萌えの押し売り御免と言わんばかりのぶりぶりっぷりにロールシャッハは口角を上げる。『恐らく』付けたであろう尻尾と胸のメロンがバインバインに揺れている。

 彼女が運んできた湯気立つオムライスにはケチャップでハートが描かれており、卵の山の天辺にはロールシャッハとイチゴの顔がプリントされたフラッグが刺されていた。

 その様にロールシャッハは目を見開いて前のめりに覗き込む。イチゴの顔と旗を交互に見つつ、厳かな声で問いただす。


「貴様、これはなんだ?」

「ロールちゃんとあたしの愛の印だにゃん。こーゆうの、嫌いだったかにゃ?」

「いいや、実に興味深い。あのアポロでさえ、月面に刺す旗よりオムライスに刺した旗の方が芸術的で崇高で、心満たされるものとは思わなかっただろうよ」


 彼女にとってロールシャッハの言葉は時に理解が難しい事が多く、その言葉を賛辞と受け取るまでには多少時間を要した。

 それからロールシャッハの口元へと白銀のスプーンで黄色と赤のコントラストが美しいオムライスを運ぶ。赤ん坊の柔肌を思わせる黄色に包まれたチキンライス、トマトの酸味と甘み、それから僅かばかりの辛みがロールシャッハの口の中にじんわりと広がる。

 二、三度頷いてからロールシャッハは左手の五本指を閉じた目元の下あたりにあてがう。


「食物の記憶という物は案外木枯らしに吹かれた落ち葉の様に何処かへ飛び去ってしまう物。しかし、このオムライスの味わいだけは誰が忘れる事が出来よう」

「えーっ?どーいう意味ぃー?」


 その言葉に、フロイトが正しく風の如くイチゴの脇に移動する。

 一人悶絶し天を仰ぐロールシャッハが元の態勢に戻る前に、腰を折ってイチゴに耳打ちする。


「この上なく、素晴らしく、無上だと旦那様は賛辞を送っていらっしゃるのだ、萌えとやらの化身めが。そのまま『嬉しいにゃん』とでも言え」

「わーい、嬉しいにゃん♪これでいーの?フロイトちゃん」

「もう少し頭を捻った回答をわたくしは期待していたが、致し方ない」


 ロールシャッハがトマトジュースに手を伸ばそうとするより早く、フロイトは元の位置へと戻る。

 イチゴはそういった様子に一切ツッコミを入れる訳でも怪訝そうにするでも驚くでも無く、満足そうなロールシャッハを見て笑っていた。


「あー、そーいえばロールちゃん」


 イチゴは胸元からウサギを象ったケースに包まれたスマートフォンを取り出した。

 それから幾つか操作をして、一枚の写真をロールシャッハに見せた。


「最近ネットで噂になってる奴なんだけど、わかるにゃん?」


 ロールシャッハは怪訝そうな顔をしながら写真を眺めていた。

 だがすぐに興味がなさそうにイチゴに返して、ストローに口をつける。


「唯の、貴様と貴様の友人が写っている写真であろう。勿論顔のつくりで言えば貴様の方が四十倍程優ってはいるが、それの確認ではあるまい」

「もー、ロールちゃんってばぁー、そーいうんじゃなくてぇ」


 写真は海でイチゴが友達とピースサインをしている物だった。所謂自撮り角度と呼ばれる黄金比を完全に理解した物で、ロールシャッハの言う通り変わった所は無かった様に見えた。

 だが写真全体に、何か薄い模様が出ているのをイチゴは指摘する。


「なんかさー、これ、円みたいな薄い模様が出てるでしょー?で、真ん中にも丸い円みたいのがあってー」

「ふうむ、言われてみれば確かにそうだが、それがどうした」

「フロイトちゃんはわかるにゃー?」


 振られたフロイトは瞳だけを動かし、切れ長の目を更に細めて画面を見つめる。

 何やらキラキラとした視線を送ってくるロールシャッハを後目に、彼女は小さく答えた。


「目、で御座いますか」


 手を打ち鳴らす音の後に「さっすがぁ~」とい間の抜けた頭の悪そうな声が響いた。

 それからイチゴは携帯を上下反転させてロールシャッハに再び渡す。

 フロイトの答えがつまらないと感じたのか、もう彼は興味を失った様な顔で携帯の画面を見つめた。

 だが顔はみるみる興味を覚えた顔に変わっていき、砂の城を完成させた少年の様な口ぶりで口を開く。


「成程、これは睫毛にも見える。確かに画面全体に目が浮かび上がっているな」

「そーなんだにゃ。最近、写真とかテレビ画面とかによく写ったりして、ネットで話題になってるんだよ。0時に見ると異世界に飛ばされるー、とかクッキリ写った目を見ると異世界に飛ばされるーとか」

「何故、異世界なのだ。そこに拘る理由は何なのだ」

「わからないけど、実際に異世界に行ったとかいう書き込みもあるみたいだし、まんざら嘘でもなさそうじゃないかにゃ?」


 イチゴの問いかけにロールシャッハは「くだらん」と一蹴した。


「そもそも異世界なぞ存在しようも無い。昨今の異世界はトラックに跳ねられたり病床で力尽きたりして転生するらしいが、その様な事が出来るのならば我輩は今にでも首都高速5号池袋線に我が身を投げ捨てよう。なあフロイト」

「旦那様の仰る通りで御座います。しからば早速大型トラックを一台手配致します」

「ああ良いのだ良いのだ、我こそ言うなれば異形の身なりて、今更別世界に思いを馳せる必要も無い。パソコンの電源をつければ何時でもそこは異世界なのだから」


 パーティータイムの終焉を告げる音がイチゴの携帯から鳴り響く。

 イチゴは哀しそうな顔をして両手で顔を覆った。


「やぁーん、もう時間だぁー、もっと面白い話もあったんだけど、ごめんねロールちゃん」

「良い。別れとは終わりでは無い、時に別してこそ我らが繋がりは太くなるのだ」


 立ち上がる。長い手足とスラリとした様に、他の客達の目が一瞬彼に移る。

 だがそんなものはすぐにどうでも良くなった様で各々自分のファンシータイムにまた夢中になってしまっていた。


「またの逢瀬を楽しみにしているぞ」

「ありがとぉー!まったねぇー!」


 大手を振るイチゴを後目に、ロールシャッハとフロイトは階段を降りる。

 店の前で待っていた客達の「このクソ暑いのにあんな貴族みたいな格好して、熱くねーのか?」という囁きを華麗に受け流し、道路に降り立つ。

 日はまだ高く、気温は熱い。

 初夏の風は二人を撫でて秋葉原のメーンストリートを駆け抜けて行く。


「腹も心も満たされた。後はホテルに戻るばかり、だが」


 顎に手を当ててロールシャッハは考える。


「先程の写真、あの目、どう思うフロイト」

「唯の偶然の産物に御座いましょう。心霊写真などと世間では騒がれている様ですが」


 街の人々の話題は確かに『目』で持ち切りだった。

 フロイトがスマートフォンでSNSを開くと、専用のコミュニティやトピックスが乱立している。

 それどころか道行く彼らは口々に、何処で写真を撮ったら写った、何時に写真を撮ったら写った、テレビのこの番組で一瞬写った、などと口々に話していた。


「そうではない。我輩が言いたいのは」


 ロールシャッハは一段声を低くして呟いた。


「あの目、こちらを見ているのか、写真を見ているのかという事だ」

「写真を見ているというのは、あの写真を撮った時に目が見ていたという事で御座いますか」

「そうだ、しかし我輩にはあの目を見た時――――」


 人の流れは止まらず、何処かで誰かが笑い、叫ぶ。


「我輩を見ている様に思ったのだ」






 





 

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