Entrance
「貴様の腕に付けている物はなんだ?」
ロールシャッハは興味深そうにシンデレラの右腕に着いた機械式のリングに目をやる。細く赤いそれをシンデレラはひらひらと振りながら「何って、ダイブ端末」と答えた。
それから彼女は意地悪気に笑うと、胸に手を当てて鼻孔を膨らませた。
「世界は7つに分かれてるんだけどね、その世界間の移動は電子空間を通じて行うの。あたし達は『ダイブ』って呼んでる―――いだだだ!にゃんでほっぺたちゅねるの!」
「我輩がいつドヤ顔で説明しろと言った?我輩は童では無い。一つの事柄から複数を推測するなど朝飯前よ」
「だってどうせ聞くじゃん!」
「小娘、周りを良く見てみろ。四方を海に囲まれ、これだけの人間が居るのだ。単純に考えて別の大陸ないし世界がある事は普通気が付く。過剰な説明は時に興を削ぐのだ」
そう言ってロールシャッハは「説明台詞が多いのは駄目なアダルトゲームの特徴だ」と告げるともう一度シンデレラのほっぺを摘む。
「にゃんだってば!」
「ハハハ、貴様の頬は中々弄りがいがある。実に愉快、ンハハハ」
「にゃめろー!」
ロールシャッハの手から逃れたシンデレラはダイブ端末に手を触れる。
幾つかのスクリーンが出現し、彼女がその内の一枚を操作すると、腕のダイブ端末が発光する。
―――シンデレラ、行くあてはあるのですか?
「そんなもん無いわよ。とりあえずここに居るといつあのアイドルモドキが騒ぎ出すか判らないし、サンタマリアにでも行くわ」
シンデレラが右腕を振るう。カーテンを開ける様な仕草を思わせたその動作は何も無かった筈の空間に『入口』を創り出す。
ぽっかりと空間に開いたその穴の様な『入口』からは、見える景色こそ0と1ばかりが溢れた緑色の空間だったが、雑踏と、多くの人の声が聞こえて来る。
「ほう、やっと異世界らしくなってきたではないか。サイボーグをのしただけでは味気ないと思っていた所よ」
―――そういやロールシャッハ、アンタ吸血鬼なんだろ?
「然り。だがそれは和名だ、ヴァンパイアと呼ぶがいい」
―――データベースにゃ吸血鬼、ヴァンパイアってのは伝説上の生物で、処女の生き血を吸って生き永らえるってあるが、アンタは吸わなくていいのか?
「必要ない。我輩は未だかつて血を吸ったのは二度だけだ。この小娘の血など必要ない」
「あ?」
「そもそも『処女』である必要など無い。確かに美味ではあったが、あれはどちらかと言えば人間にとっての麻薬だ。半血のヴァンパイアくらいなものよ、血に好き嫌いを示すなど」
「お前その目、おい、こっち見ろ、おい」
―――準備が出来たみたいですよ。シンデレラ、ロールシャッハさんは貴女の反応が可愛らしくて、面白いのですよ
入り口の周りにスクリーンが展開される。
『回線は正常に接続されました。個体番号A-452312・個体名シンデレラ・入場準備完了を押してください』
「ロールシャッハ、手を出して」
ロールシャッハが右手を差し出す。その掌を上に向けさせ、シンデレラは左手の掌を合わせる。
「アンタの情報をあたしのダイブ端末に登録するからね。なんだか知らないけどダイブ端末持ってないみたいだし、あたしの身内って事で登録して、共有しないとダイブ出来ないし」
スクリーンに幾つかの項目が現れた。シンデレラは手首を軽く回してスクリーンを見ながら口を開く。
「名前は?」
「アレキサンダー・オズ・ロールシャッハ。最強無敵三千世界天上天下無双の」
「はいはい、次、年齢は―――ってひにゃーっ!ひっぱるにゃ!」
「貴様、小娘にしては良い度胸をしているな」
「もう痛いなぁ…年齢は?」
「7月21日生まれの548歳」
シンデレラの指が止まる。
―――桁が足りませんね
「…30歳でいっか、それくらいの見た目だしね。次、出身地」
「ルーマニアだ。生まれはオルテニア地方の現ルムニク・ブルチャだが、屋敷はトランシルヴァニアにあり、そこで、まあ、育った」
「うーん…弾かれるなぁ、そんな地名はこの世界に存在してないみたい」
「まあ異世界だからな、仕方あるまい。むしろもう少しファンタジックな方が我輩好みなのだがな」
「腐っても貴族みたい―――いだだだだ!き、貴族だかりゃ、ポラリスのベールブランサ出身にしとこうかにゃ」
―――IDもパスワードも無いのに登録できるのか?
「だから共有って形にすんのよ。そうすれば電子省に申請しなくったっていいもん。規制される前にやっちまえって事よ」
―――まぁ確かに『ならずものをブッ壊したヒーロー』が申請に来たら間違いなく代行者呼ばれて牢獄行きだもんな
「そうそう。ほら、見なよ」
シンデレラの周りに展開されたスクリーンには『グリムニュース・提供ラース中央新聞社』と書かれたネットニュースが映されていた。
ロールシャッハはその記事をさらりと読み流すと口角を釣り上げて歯を見せた。異常に発達した犬歯に、シンデレラは思わず「本当にヴァンパイアなんだ」と呟いた。
「ラプンツェル警備サイボーグ、通称『ならずもの』がアタラクシアのヴァーゲン高速道路入口にて凄惨に破壊される、犯人の行方は未だ知れず、ねぇ」
「あの程度の人形で我輩に楯つくなと、片腹痛いわ」
「あーあ、穏便に済ませるはずだったあたしの計画が…」
―――オマエだってオレ達を工場員ブッ殺して奪ったんだろ?同じ事じゃねーか
「アレは殺したんじゃない。いつか説明するけど、ブリュンヒルデに仕組まれてたのよ。アイツ、代行者の癖に」
―――代行者がラプンツェルに反旗を翻す訳ねーだろ、アタラクシアの代行者は『憂悶聖女』の筈だ
「一つの世界に一人の代行者って事は限らないでしょ、サンタマリアみたいに。大体『磔の聖女』は年中おねむだから騒ぎがあっても対応が遅いし、民度も低くなるのよ」
―――ありゃ特別だろ、ファンベルバーガーのラッキーセットみたいなモンだ
「ええい我輩の存ぜぬ話をするな。早くしろ、待ちきれんし腹が減った」
「あのねえ、ファストフードじゃないんだから『お願いします』『お待たせしました』なんてウマく行く訳ないでしょうが。ちょっと待ちなさいよ」
「ヴァンパイアハンターというお遊戯集団が居てな、彼奴より滑稽な馬鹿を見られるとは、フロイトへの土産話が出来たわ」
「お腹空いてんのはあたしもなの、ちょっと黙っててよ」
「我輩に命令するなこの貧しき乳めが」
「うっさい548歳児」
「いいか小娘、我輩の父上曰く人は案外尊いらしいが、貴様を我輩が定める人から畜生へ格下げしても良いのだぞ」
「ヴァンパイア、殺し方、簡単、女性向け、と」
「小娘、貴様何を検索している。我輩は殺されても死なんからな」
「良かったな、マグロの捌き方しか出てこねーやクソッタレ」
―――お兄ちゃん、さっきまでの真面目な雰囲気はどこ行っちゃったんだろうね
―――気にすんなグレーテル、こうやって人工知能は取捨選択して成長していくんだ
「全く、こんな時にフロイトが居れば」
「さっきからフロイトフロイトって言ってるけど、誰?」
彼女はそう質問した後、口元に手をやって目をいやらしく細めた。
「もしかして、カノジョ?」
「違う。フロイトは我輩の専属メイドだ」
―――女性の方ですか?
「然り」
―――貴方がそこまで頼るのですから、きっと優秀な人なのでしょうね
「うむ。フロイトはアレキサンダー家に務めるメイドの中でも群を抜いて長けている」
「じゃあアレじゃん、ご主人様とメイドのイケない恋ってのがあるんじゃないのぉ、そこまで言うならさぁ」
「ある訳なかろう。フロイトは人間だ、何故我輩が人間と恋愛をせねばならん」
焦りも動揺もせずきっぱりと断定したロールシャッハの言葉を受けて彼女は一気に興味が無くなった様で「そうッスね」とだけ呟くとスクリーンに目を移す。
画面中央のステータスバーは今にも完走しそうで、ロールシャッハも今か今かと腕を組みながらその様子を見つめていた。
やがて『入口』のスクリーンから音声が響き、完了の合図を告げる。
『登録、共有設定は完了しました。個体名・アレキサンダー・オズ・ロールシャッハ。ダイブ準備完了を押してください』
「ロールシャッハ『様』だ、ポンコツめ」
「何言ってんのよ、ホラ行くわよ」
「納得いかん、やり直せ。こちらの世界に来てからというもの、我輩の威厳が損なわれ続けている」
「死なないってだけでしょうが。まあそれでも結構化け物だけど」
「貴様は全くもってヴァンパイアという存在を理解していないな、400年前、人間は我輩の牙から逃れる為に生娘を我が屋敷の門前に生贄として捧げていた。つまり我輩はある種信仰の対象であり、また人間が憧れ、畏れる存在なのだ」
頬を膨らませ口元に手を当てたシンデレラは薄目でロールシャッハを見つめる。
「へー、すごいすご、いだだだだだ!何回目だよこれ!」
「母上は友を大切にせよと仰った、その言葉がなければ胴体と首が離れていてもおかしくないのだぞ」
「わかったわかったわかった、すごいですかっこいいですやり直します。だからグリグリはやめてー!」
―――人間の男はほぼマザコンって言うけど、そうなのかなお兄ちゃん
―――オスってのは母親が好きなんだろうな、本能的に
『登録・共有設定は修正されました。個体名・最強無敵三千世界天上天下無双のヴァンパイア・ロールシャッハ様。登録完了を押してください』
「フハハッ!そうだこのポンコツめ、それでよいのだ」
頭を擦りながらシンデレラは舌を出して『登録完了』と浮かび上がったオレンジ色のボタンを指で押す。
『入口』の周りに展開されていたスクリーンは一枚だけとなり、機械音声が続ける。
『回線接続正常終了。ダイブ行程フェーズ1からフェーズ5まで正常終了。いってらっしゃいませ、シンデレラ、最強無敵三千世界天上天下無双のヴァンパイア・ロールシャッハ様』
「ねえ、アンタさ、恥ずかしくないの?」
「貴様は貴様の容姿を褒められて恥ずかしいと感じるのか?」
「もういいや」
『5秒後にゲートは【Grimセントラルロード・ルートヴィヒ銀行前】ゲートに接続されます』
「とりあえず飯を食わせろ」
「ほっぺちゅねるな!」
「ハハハハハ、良い頬だ、ハハハハハ」
『ゲートが開きます。良いダイブを』




