榊原家と新たな敵
榊原家。たしか、平安時代頃から栄え、日本の歩みと繁栄にも大きく関わってるといわれてる。世界で活躍する文化人を輩出し、この国を代表する四大名家の一つ。
久遠家とも古来より仲睦まじく、ともに歩んできた家柄だ。
そんな榊原家当主の侍女と名乗るこの女、染河 緋鞠は刀を携え、深き森の中、美しい女体像のように佇んでいる。
こちらも『狼牙』を逆手持ちにして相手の出方を見る。相手は強者だ。簡単に打ち勝てるような柔い相手ではない。
お互いジリジリと小さな足踏みを繰り返し、ゆったりとしたのろまな動きで牽制する。
このまま時間は進んでいく。なにもせず、なにも起こらず、ただ貴重な時間だけが過ぎていく。
「ーーーっ!?」
突如だが、その沈黙の時間は破られた。
斗真の素早い踏み込みからの突撃が進んでいく時間の障害となったからだ。
一瞬の隙も与えないその跳躍は緋鞠に攻撃する暇も回避する暇も残さない。
ただ受け入れるのみだ。
「くっ!?............なかなかの一撃。あらためて礼賛するで御座るよ。」
「そりゃどうも。だが、これはまだ序の口だ。」
互いの刃が震えたつ。鉄同士が反発しあい、決して混ざることのない鉄同士が空気を震わす。
斗真の断続的の攻撃の隙を把握し、緋鞠が動く。
攻守が転じたようだ。先程まで防御に専念していた緋鞠は刀を振るい、斗真を斬り倒そうと目論む。
「チッ......... 厄介な相手だ。」
持ち運びしやすいように設計された刃渡りが仇となる。長物の刀にナイフは攻撃範囲を増やすだけの飾り物に過ぎない。
刀の怒濤たる斬撃の前には脇差しとしか認識されない。
「ガッ!」
ここでようやく鍔迫り合いに乗り移る。
ガチガチと互いの刃が交わり、刀身を磨り減らしていく。
( こりゃじり貧だな。)
いっこうに戦績は変化しない。
引き分けが続くスポーツのように、混ざることのない水と油のように、勝敗が決まることなく体力を消耗するだけだ。
( 仕方ない。本気を出すか )
斗真は身を低くし、屈んだ状態になる。それは豹が足草に身を潜め、獲物が来るのを待ち構えてるようだ。
たしかに彼の眼は豹のように鋭く、尖々としている。まさしく雄豹のようだ。
「?なにを..........」
そう言いかけたとき、緋鞠の口は閉ざされた。
気づけば自分は宙に投げ飛ばされ、一時無重力を体験していた。
そして、重力を従い、地面へと落下した。
「ガハッ............!」
落下の際に肺の中の空気がすべて放出される。身体はあちこちが痛みだし、しばらくは動けないだろう。
いや、そういうことではない。なぜこの惨状になったのだろうか。
それは彼が原因だからだ。
「ぐぐ............っ。さ、さすがで御座る。せ、拙者、これほどの強者には会ったことがないぞ。」
息を切らし、ゼーハーと荒々しい呼吸をしながらその細い身を起こす。
一応、手加減したのだが、元々戦力差はとてつもなく離れているので、手加減してもまだ優々な態度をとれるほどだ。
さすがの榊原家侍女も彼の前には赤子同然。彼を相手するなどという行為は危険なものだと今知ることとなる。
「お前は攻撃はまあ良いが、防御はほぼ素人だな。我流なのかもしれんが、少しは他流を学べ。そうすればわかることもあるからな。」
俺の台詞を聞いた瞬間、緋鞠の顔は驚愕で満ち溢れ、愕然とした口調で話始める。
「.........察しのとおり。拙者の剣は我流、しかも他流を学んだことはありませぬ。斗真殿はなぜそれを?」
「簡単な話だ。剣の道筋は点でバラバラ、構えもグチャグチャ。剣道でも居合いでもないなら我流だってことさ。」
(........まさかここまでとは)
先程の戦敗で実力は身体に叩き込まれ、嫌というほど味わった。
だが、ただ強いだけの猛者ではない。軍師のように、敵の戦力や行動をよく観察し、己のステータスに反映させている。
兵士と軍師、両方を兼ね備えた厄介な相手だと再認する。
キンコーンカーンコーン
遠くのほうで授業終了の印となるチャイムがこちらにもこだましている。
廊下の窓からは生徒たちが一斉に教室から出ていき、休み時間へと移行する。
そろそろ戻るか。凛にサボっていたと不審がられても嫌だしな
「じゃあな、楽しかったよ。また会おうぜ」
緋鞠にそう言うとすぐに去る。あういう面倒なキャラの人物はさっさと離れたほうがいい。面倒事に巻き込まれる前にな。
去り際にすごい寂しげな表情をしているのは気のせいだなと思う。
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「お待ちしていました、お嬢様。」
「うむ!今日は全問正解だった!誉めても構わんぞ!」
やけに寂しい胸元を張りながら腰に手をあてる。これは褒めろと言ってるのだろう。身体も幼児なら精神面も幼児だなと改めて認識した。
なんとか見張りをサボっていたのは凛には知られていない。凛はちゃんと真面目に見張りをしてようなので、もしサボっていたとバレたらなにされるかは知りたくもない。
一世一代の名演技で切り抜けることが出来た。
「では食堂に参りましょう。」
凛は桜花の右側、俺は左側に付きながら同伴する。
先日の誘拐のように再び桜花に怖い思いはさせたくない。そんな親心を持ちながら食堂へと向かった。
「そういえば凛、お前に手紙があるんだったな。」
突然、桜花がそんなことを言い出した。どうやら机の中に大量の手紙が紛れ込んでいたらしい。しかもほとんどがファンレターやラブレターのようだ。桜花と凛のぶんで半々だろう。相変わらずスゴい人気だ。
桜花が手渡ししただけの量でも十数枚はあるように見える。桜花はよしとして、よくもまあ、こんな無愛想な女に手紙なんて出すもんだ。送り主に普段の凛の様子を教えて落胆させてやりたいよ。
「井上様に.......加藤様、渋谷様、それに藻手内様からも......また同じ方達からですか......」
ん?今上げた名前にあきらかにモテなさそうな名前の奴がいたぞ。これも神様のイタズラかなんかか?悲惨すぎるだろ
その手紙の群から一枚抜いて内容を見てみる。さて、どんな情熱的な言葉が....
『凛様へ
好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです好きです
藻手内 和男より』
「...............」
こういう単語が羅列している手紙の対処法を誰か教えてほしい。
破ればいいのか、もしくは警察に届けた方がいいのか。またその両方をすればいいのか。
誰か最も確実な対処法を教えてほしいです。吉報をお待ちしてます
「はぁ.......私はまだ、誰とも付き合わないと言っているのに.......」
嘆息を吐きながら手紙を横取る。そして一枚も読むことなく、近くのゴミ箱へホールインワンした。見事に鮮やかな手口だ。あの手紙の送り主が気の毒だ。
それにしても酷な奴だ。前々から暴言とか吐くから酷な奴だと思ってたけどいつもにまして酷い。将来結婚してもすぐ離婚しそうだ。
「私もだ。好いてくれるのは嬉しいが誰とも付き合う気はない。」
「そうですね。」
二人して女の世界でよた話に入り込んだ。なんでこうも女は恋バナが好きなのだろうか。それは男が生涯を賭けても解けない永遠の謎だ。
「そういえば、斗真は早々人気のようですね。女性陣が貴方のことを噂していましたよ。」
「悪いが、俺もまだ付き合う気はない。」
「な、なら、交際がダメなら、見合いはどうだ?お前ならイケると思うんだが.......」
やけにモジモジしている桜花はいきなり突拍子なことを言い出した。
頬を紅潮させ、落ち着きが目立つ足を踏み、じっと見つめ始める。目が合ってしまうと、金縛りに逢ったように硬直してしまう。そのために逸らしたくとも逸らせないのだ。
俺と桜花は身長差が激しい。俺の身長が約172センチぐらいなら桜花は140センチぐらいしかない。
差だけでも30センチ。人間の頭一人分は空くことになる。
桜花は首を痛める角度なのに全然逸らそうとしない。むしろ今のままでいいとでも思ってるようだ。
桜花の頬はどんどん熱を孕んでくる。リンゴのように、ザクロのように、血のように赤い漆工芸品のように真っ赤に染まり行く。
やべ........なんだか頭がボーとしてきた........
「ゴホンッ!」
「「っ!?」」
わざとらしく、俺たちに聞こえるような音で咳き込んだ。その咳にようやく自分達の有り様に気づいたのだ。
「............二人はやけに仲がよろしいですね。なにか秘め事でも?」
「い、いやいやいやいや!私と斗真はそんな間柄ではないぞ!さて、食堂に行くか!」
バタバタと慌てるとそのまま食堂に向かう。油を差してないロボットのようにガチャガチャとした動きだ。右手右足が一緒に出てる。
「さては........お嬢様............」
何かに気がついたのか、顎に手をあて、じっくりと思案している。
それからして、かなりの強面で俺を睨み付けやがった。凛のふてぶてしい態度と理由もなく恥ずかしがってる桜花の様子が気になってしょうがない。
俺も凛と桜花の後を追って食堂へ向かう。
△▼△▼△▼△▼△▼△
「いただきます!」
「いただきます」
「...........」
「斗真、食事の前の『いただきます』はどうした?食材や収穫した人達を労ってするものだろ?」
「.........いただきます」
「よし。」
子供を躾る母親のように挨拶を教える桜花。彼女の言うことも一理あるが、俺が挨拶したのは桜花に言われた、というより、その横の凛のオーラに恐れてだ。
お嬢様に二度も言わせるなと言わんばかりに睨んできたら誰でも言うしかないよ。
白鴎学園の食堂はスゴい広く、日が射し込んでゆったりとした空間だ。
食を求める生徒がぞろぞろと雪崩れ込んでも、席が満席になることなく、スペースを確保できるほどの広さだ。
そんな食堂で俺たちは食事中だ。
「ふ~ん、中々の味だな。」
これだけの設備に投資されてるためか、料理も一流だ。シェアにでも作らせてるのだろうか。
まだ現役だった頃はこういうウマイ飯を食べる暇はなかった。いつ襲われるかの瀬戸際で育ってきたからな。
そのために食事のペースが速い。ゆっくり食ってる余裕はないし、軽くお腹に溜まるくらいがちょうどいいんだ。
「ごちそうさま」
わずか数分で完食。あまりの速さに凛も桜花も驚いてるようだ。
さて、あとは食堂に設置しているテレビでも見るか。
「あら?ここにいたのね。」
突然変な奴が来た。
俺らの席を気づいてなのか、足を止めて桜花へ話しかけてる。もしや不審者か?と、疑ってしまったがこんなところを白昼堂々と姿を見せるような馬鹿はいない。
桜花の友人だろう。
しかも隣には緋鞠がいる。さっきの戦闘から数十分経ってるのでさすがに土まみれの服ではないようだ。
「おっ?朱乃か。」
「ふふっ、先月は大変だったわね。貴女を誘拐するなんてどこの馬鹿なのかしら?」
こいつが榊原家当主の朱乃か。公家の出身のせいか、上品さが表面に映え、いかにもお嬢様だと繕ってるようだ。
ブラザーが似合う、なでしこ美人と言おうか。
「おはようございます、朱乃様」
「おはよう、凛。もしかして貴女が桜花を助けたの?」
「いえ、私ではなく.........」
凛が俺を見る。それに釣られて朱乃も俺を見た。ジロジロと品物を見定めてるようで気に障るが、少し我慢してたら見終わる。
「そう、貴方が新人の執事?なら自己紹介がまだだったわね。私は榊原 朱乃。そっちのは侍女の.......」
「さっきぶりで御座るな、斗真殿。」
「緋鞠、知り合い?」
「はい。先程、学園内をウロウロしていましたので怪しい奴かと思い、手合わせしました。しかし、結果は拙者の惨敗で手も足も出ませんでした。まさか桜花殿の執事であったとは......」
よかった。俺がサボっていたことは知られてない。万が一バレたら凛に何されるか......
「緋鞠を負かしたの?貴方、何かスポーツでも?」
「いいえ、生憎軽い近接戦闘ぐらいしか.........。それに、負けたのは偶々ですよ」
「......ふ~ん」
ん?あの眼は半信半疑ってところだな。自分の侍女を倒した俺に興味を抱いてるのか。
桜花達も場を読んでくれたのか、俺が元暗殺者でしかも、伝説と殺し屋だとは黙ってくれてる。
二人と対称的に緋鞠は俺が『偶々勝った』とホラを吹いてることに物申そうとするが、睨みを効かせたら渋々辞退してくれた。
悪いが、俺は『狩人』を捨てたんだ。それを今更欲しいとは思わない。
「まっ、いいわ。で、貴方の名前は?」
「五月雨 斗真です。久遠家の執事を承っています。以後、お見知り置きを。」
「斗真ね?よろしく。さっきはうちの緋鞠がお世話になったわ。」
「いいえ、こちらもお世話になりました。」
「ふふっ、ご謙遜を。緋鞠を負かした同学年は貴方ぐらいなのよ。胸を張っていいわ。それで桜花、次の日曜日のことだけど..........」
朱乃は桜花となにやら話したいことがあるようだ。会話から察すれば次の日曜日に出掛けるつもりだ。前々から計画してたらしい。よくもまあ、あの事件後に行けるな。
ありゃ、もう昼休みが終わる時間だ。
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東京国際空港、またの名を羽田空港。
この国が世界の都市との流通を延べる重要な拠点だ。一日数百から数千人以上の人や荷物が出入りし、空を駆けて行く。
その正面入り口から一人の男が出てきた。
男は封筒に入れられた紙を一目見ると口元を歪める。
「けけけけ.........ここにあの女がいるのか」
低い声質。だが、地声よりも冷ややかな顔が目立つ。それは、人を殺すのを唯一の楽しみにしてるような面だ。
「待ってろよ.........十六夜 凛........」
ある屋敷のメイドの名を呟くと用意された車で目的の場所へと向かった。