大英帝国へ
「まもなく、4番ゲートが閉まります。搭乗のお客様はお急ぎください」
かなり清んだ美声のCAのアナウンスをBGM代わりにし、必要な物が入ったバックを片手に急いで4番ゲートまで走る。
現役時代に鍛えぬかれた脚力をフルパワーで走行させ、ぐんぐんと他のお客を抜いていく。並外れた洞察力も生かされてる。一人もぶつからずに斗真は走り続けた。
まもなく離陸してしまう飛行機の乗降口に時間までにつかなくてはならないからだ。
事は一週間前になる。
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『イギリスだと?』
突然のイギリス訪問への招待に驚く斗真。その顔を眺めながら事の発端となるオルテガは口を開いた。
『はい。今回私が帰国したのはただの休暇です。一週間後にはまた執務が始まります。その場所は我が母国の大英帝国です』
たしか生まれがイギリスだと言ってたな。そして、桜花の両親の護衛をやってると聞いた。
まだ執務に戻るため、イギリスに帰るのだろう。なんだか名残惜しくなる。
『だけど、なんで俺もイギリスに行かなきゃならんのだ?』
『旦那様に貴方のことを紹介しなくてはなりませんからね。もちろん奥方様にもです。それに、お嬢様もご両親に会いたがっていますしね』
『俺の資料送ったって凛から聞いたぞ。資料だけじゃダメなのか?』
『たしかにそれも一理ありますが旦那様は直々に会いたいとのことです。費用や手続きはこちらでやりますので滞在してください』
『俺に拒否権は?』
『ないです。出発は来週のゴールデンウィークです。この一週間で準備を済ましておいてください』
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というように無理矢理な海外旅行へ連れていかれる。
桜花は両親と会えるのを楽しみにしているし、オルテガも母国から一週間くらい離れてると母国が恋しくなるのもわからなくはない。
だけどこんな扱いはないだろうがよ。ほとんど無理強いだろ。
ちなみに遅刻した理由はパスポートが見つからなかったからだ。
俺は各国の軍事機関や政府機関から危険視されてる異物。その国で足がつかないように英語、フランス、ロシア、日本の4つのパスポートを常持している。どれも全部知り合いのツテで手にいれた。
そんなことを思いつつも足を止めることはない。アナウンス通りに4番ゲートまで走り、やっとの思いでたどり着いた。
今回俺らが乗るのはボーイング社が作り上げた世界最大の旅客機エアバスA380だ。最大定員数853人、最大離陸重量560トン。高バイパス比ターボファンエンジンを搭載した世界唯一の4発ワイドボディ民間航空機。オール2階建てのその巨体はまさしく空飛ぶホテル。
隣の同じボーイング社の旅客機が子供のように小さく見える。
今回の空の旅ではかなり贅沢な類に入るだろうな。これも桜花ん家の財力がなせる業ってとこだ。
そんなエアバスA380の搭乗ゲートで受付してるCAに搭乗券を見せ、さっさと乗り込む。
さすがは世界最大の旅客機だ。中は普通の旅客機よりも広く、内装はオシャレでゆったりとした雰囲気を象徴させる作りだ。
こんな旅客機乗るのは初めてだ。しかもファーストクラス。いつもはエコノミークラスの普通の旅客機だからな。
ファーストクラスの席の間を抜けてしばらくすると前方に人影が見えた。
目を細めて見ればそれは凛だ。いつものようにメイド服をキチッと着こなし佇んでいる。
あいつは荷物が少なくていいなぁ。俺なんか保安検査部で時間食ったもん。
「ようやく来ましたか。もうすでにお嬢様もオルテガ様も席に座っております。何にもたついていたのですか?」
「すまんな。俺の前の客が保安検査部で引っ掛かってな。しばらくの間、列が止まってたんだ」
「そうですか。しかしまあ、汗かくほど急いでいたところを見るとあながち嘘ではないようですね。シャワーすることをオススメします。このまま機内に汗の臭いが充満してもいい迷惑ですから」
忌み嫌ってんのか心配してんのかはっきりしろよ。こいつはまだ罵倒ばかりの口を閉じることはないな。
「まあ...........悪い匂いではありませんがね」
「え?」
「いいえ、なんでもありません。まもなく離陸です。席につきましょう」
ぼそぼそとした呟きを聞き逃したために凛が何と言ってたか聞こえなかった。だが、そんなことお構いなしにせっせと席についてしまう。
なんだろう、なんかの秘め事かな?まあ言われた通りに席につくことにしよう。まもなく離陸だ。
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キィィィイン...........
エアバスA380での空の旅は快適そのものだ。三ツ星ホテルのベッドのような触れ心地と揺り椅子のような軽やかな揺れが人を安楽へと誘う。
一度横になれば寝られずにはいられない。だんだん眠気が襲ってきた
だが、いつ何時敵が襲ってくるかはわからない。まだ俺のなかには暗殺者と時の自分が残っている。なかなか抜けないこの習慣を治そうとは思ってるが治らない。
眠気を覚ますように持ってきた本を読む。
「おや、斗真が読書とはどうしたのですか。明日は雨が降りそうですね。」
「人が読書すんのにそんな珍しいか。これはあのじいさんの本だ。イギリスに行くんだからこれを読んどけと貸してもらったんだ。」
「ふむふむ........『シャーロック・ホームズ バスカヴィルの獣犬』、『ABC殺人事件』.......イギリス関連の書籍ばかりですね。しかも推理小説。オルテガ様の嗜好ですか」
「だな。推理小説なんてあまり読まねぇのに読む気もないな。だがまあ、いい作品だよ」
推理小説の二大巨匠の名に恥じぬ作品ぶりだ。独創的かつ引き込まれるような事件の展開を強調し、サイレント映画のような気分が生じてくる。
コナン・ドイルとアガサ・クリスティの死後数十年経った今でも二大名作として根強い人気を保っている。名作中の名作だからである。
「私は『オリエント急行の殺人』が好きです。逃げ場のない列車内でのポアロと犯人との頭脳戦が必見でよく読んでいましたから。アガサ・クリスティ作品のなかでも好感がある作品です」
「ほほぅ、お前はエルキュール・ポアロが好きなのか」
ちなみに俺はシャーロック・ホームズが好きだな。あの並外れた頭脳と格闘能力、音楽から科学まで幅広いジャンルをこなすオールマイティーな人物だ。
彼からも学ぶところはいくらでもある。暗殺者だった俺から見ても理想像に相応しいほどだ。
「そういや、イギリスでのスケジュールはあんのか?」
「もちろんです。ロンドン・ヒースロー空港に到着後、用意された車でロンドンにある別荘まで向かい、そこで旦那様達と会っていただきます。その後の日程は各自自由です。二日目は後日連絡します」
「なんだ、桜花の両親と会えばいいだけか」
「はい。それと滞在中にコンピュータ会社と会合があります。なんでも、VFXやCGなどの一流会社でハリウッド映画監督からも絶大な指示を受けてる大手企業です。今回はその最新の機器を体験させてくれるらしいです」
「VFXねぇ......まあ興味ないや」
まったく興味ないので凛に一声かけて睡眠にはいる。さすがのエアバスA380のために寝心地はバツグン、椅子はフカフカだ。
このまま着陸まで寝させてもらうとしよう。
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「......き...........く......い。........て.....た.......い」
「うぅ.......ん?」
「起きてください、もうヒースロー空港に到着しましたよ」
「あぁ.........もう着いたか」
いつのまにか着陸まで寝てしまったようだ。だけど元々着陸まで寝るつもりだったから問題ない。むしろまだ寝たいほどだ。
ロンドン西部のヒリンドン特別区にあるここロンドン・ヒースロー空港は『英国の玄関』ともいわれるイギリス最大の国際空港だ。スクランブル交差点のようなに他国とイギリスとの出入りが盛んで1日数百から数万の人や荷物がいったり来たりを繰り返している。
開港したのは第二次世界大戦前だ。元々は軍用機の着離陸をする軍事基地の一環だったが終戦後に民間空港として再び開港した。
それからは長い歴史を持つ空港の仲間入りを果たし、1976年1月には世界初の超音速旅客機であるコンコルドがニューヨークとの間を就航するようになった。
そんなヒースロー空港内を堂々と歩く。メイド服と執事服を着た集団が空港内を歩けばもちろん視線の的になる。いささか気にしないようにしてるがこうも見られるのは嫌気がさす。
「今回はお忍びみたいなものですからね。注目されて当たり前です。しかしこれは威圧感を与えて近寄らせないようにするためです」
凛はそう言ってるけどやっぱり気になるな。さっさと荷物取って車に乗るか。
「お嬢様。車が来たようです。荷物は斗真に任せてお先に乗車してください」
「うむ」
空港を出るとイギリス高級車の代名詞であるジャガーがすぐ目の前に停めてあった。
イギリス王室御用達としてエリザベス2世やチャールズ皇太子から御用達指定を下賜されているほどの高級車だ。
そのジャガーの最新車 XJ LUXURYがあちこちのジャガー堂の目に映り、足を止めさせる。
いつのまにかXJ LUXURYの周りは珍しさから野次馬が集まり、人だかりが出来てしまっていた。
「まったく人混みはいやですねぇ。ささ、お嬢様、足元にお気をつけて。」
「斗真、何してるのです?早く荷物を持ってきてください」
「俺は荷物持ちか?あぁ?」
みんなの荷物を持たされたパシり扱いの俺はせっせと荷物をトランクに入れる。ほとんどは私物だろうが、中は開けてはいけないパンドラの箱だ。
もし開けて秘め事の私物だったら殺られる。実際、屋敷で凛の部屋の鍵があいてあったので入ってみたらファッション雑誌で溢れていた。
あの凛がだぞ?オシャレとは遠く離れてるような奴なのに。
もちろん勝手に入ったことと秘密を見たことによる折檻が待っていた。一人で屋敷と庭と敷地内を掃除させるとは鬼畜な奴だな。
そんなつい最近のことを思い出しつつ助手席に乗り込む。ちょうど四人なので席はこれで満杯だ。
「さすがイギリス車はインテリアが最高だな」
「そうとも。木目パネルと皮革シートが英国車の証です。これ無しでは英国車とは呼べませんね」
そう言うなり車を発進させた。
ロンドンの街並みは古くながらも新しき要素を加えた真柄だ。18世紀から19世紀までの大英帝国時代に建てられたレンガ造りのビルが並んでいる。
かつては産業革命後に急速に文明開化したロンドンの成の果てだ。人工爆発と環境問題を作り出し、衛生も整ってなかったとされる魔の都 シティ・オブ・ロンドン。
その魔の都の中心を切り裂くように流れる大河 テムズ川の上に架かるタワーブリッジを通過する。
右の窓からはロンドン塔が霧深き空を貫き、ロンドンのシンボルとして佇んでいた。
「あれがロンドン塔か........見たところ普通の建物だな」
「ふふ、ですが、かつては王政が罪人を拷問や処刑の場として建てた戒めの塔。鎮魂されてない魂が今なお現れる霊園と成り果てた地帯と化しました。」
おう、物騒な話だ。くわばらくわばら......
そんな英学に詳しいオルテガの講義を聞きながらロンドンの街並みを眺めていく。
ヨーロッパでも人気の観光地のためにロンドンは観光客で溢れている。なかにはアジア系や黒人も多く、それほど人気が高いことを証明している。
「あれが久遠家のイギリス邸です。今は旦那様方がイギリスでの仕事のために家宅として使用しています」
見ればテムズ川沿いに立派な建物が一つ。バッキンガム宮殿のスケールを若干縮めたアメンシトリー式の西洋風の屋敷だ。高さ2メートルはある塀に囲まれ、鉄扉が唯一の出入り口になっている。
鉄扉前には数台を超える監視カメラと熱感知センサーが、塀の上にもいくつかセンサーとカメラが仕掛けられている。
まるで要塞だ。ここへ近づく者は容赦なく手にかかることになるだろう。
その堅牢な鉄扉を潜ると広い庭が待ち構えていた。玄関から鉄扉までおよそ50メートル間に噴水と庭師によって形整えられた芝が並べられ、庭そのものが客をお出迎えしてくれたようだ。
その先で数人の人影が見えた。
玄関先に車を停めると桜花は最初に降り、元気よく男性に抱きついた。
「父上!久しぶりです!」
「おおー、愛しき我が娘よ!3ヵ月だが元気でなによりだ!」
どうやらあの人が桜花の父親だ。顔にハリが現あり、若いのか老いてるのかわからないぐらいの顔つきをしている。まあ桜花の年齢からするとまだ若いほうかと思う。
「母上もお久しぶりです!」
「あらあら、ずいぶん元気が余ってるのね。私たちがいない間元気にしてた?」
「はい!」
隣の若々しいながらも色気のある女性が桜花の母親のようだ。そんなに派手な金品を付けてはないが姿そのものにオーラを感じる。なんか凛と似ているオーラだ。
二人は桜花を抱き締めるように会話を始める。親子水入らず他の使用人達も三人の様子を見ながら微笑んでる。
やがて、会話が終わると桜花の父親が俺らのほうに歩き、それに続いて母親も付いてきた。
「オルテガ、日本での桜花の世話をしてもらってすまないな」
「いえいえ旦那様。私もお嬢様の成長ぶりを見れて嬉しいですよ。むしろありがたいとでも言いましょうか?」
「ははは。それはこっちも幸いだな。明日はゆっくりしてくれ。メアリーもまもなくこちらへ来るだろう」
「ありがとうございます」
オルテガと会話を終えると今度は凛に話しかけた。
「先日の事は聞いた。怪我がなくてなによりだ」
「はい........あの件は誠に申し訳ありません。私の実力が至らないために旦那様にもご迷惑をおかけしました」
「いや、君はよく働いてくれてる。普段も桜花の護衛と世話役を頼んでいるからな。身体にも気を付けるといい」
「はい」
ジャスクの件も笑顔で許してくれるのか。なんとまあ心の広い人なんだが。凛にもこれぐらいの心構えをもってほしいもんだ。
「さてと.......」
凛と話を終えると最後に俺を見る。ジロジロと珍しいそうに見てるわけではないが、面白そうな物を見る視線だ。
ショーケースに入れられたケーキを物珍しそうに見てるというのか。そんな感じだ。無邪気で楽観的に見るその目付きはまるで子供のようだ。
「君が五月雨 斗真くんだね?話は凛が送ってくれた資料を見たよ。なんでも、元暗殺者だって?」
「はい」
「私の屋敷の使用人は皆変わり者が多くてね。そのほとんどが元はそういう関係の者なんだ。一例をあげると凛のような特殊な経歴の持ち主なんだ」
なるほど。たしかにそうだろうな。
今の一言でここの使用人はどういう存在なのかよーくわかったよ。
おそらくは俺と同じような役職かそれに等しい仕事なんだろう。だからあんなにもフレンドリーな人なんだな。
「だけど、その職から手を引いて私の使用人になってくれている。今では家族の一員のようだ。君もそのつもりでいてくれると嬉しい」
「これからお世話になります」
「ははは!新入りは態度が堅くて面白い。おっと、自己紹介が遅れたな。私は久遠家当主の久遠 葵。こちらは妻の久遠 椿だ」
「よろしく」
ペコッと頭を下げる椿さん。京美人みたいに着物姿が似合う妖艶な女性だ。桜花がロリ可愛いならその母親も綺麗だな。
立ち話もなんだろうしとにかく中に入ってくれたまえ。それから話をしよう。凛は桜花についてもらうよ。彼とは二人きりで話したいからね
「はい」
いわれるがままに久遠家イギリス邸にお邪魔する。
さすがは世界の久遠財閥。なかのインテリアも一流品物を使ってるな。
屋敷は大きな間取りだ。ベルサイユ宮殿みたいな金ぴかの彩飾品、一室一室は広く、数十人集めてもまだ余裕がある。
大広間には天井から大きなシャンデリアが吊らされ、大広間の明るさを保持してる。プラハのオペラグラスの名物であるシャンデリアに似ている。同じ職人が作ったのだろうか?
階段も螺旋階段だ。踊り場にかけられた油絵を眺めつつ、葵さんについていくと彼の自室といえる部屋についた。
「ここが私の部屋だ。私は読書が好きでね、たくさんの本があるが気にしないでくれ」
とは言うものの本に囲まれるのは落ち着かない。一気に倒れてきたらどうするか
「君は部屋は取ってある。桜花の要望ですぐ近くの部屋をとっておいたよ。2階の南側、大きな女神の像があるその隣だ。その隣が凛と桜花の部屋になっている」
「わざわざすいません。自分の部屋まで用意してもらって......」
「いや、気にしないでくれ。部屋は結構余ってるからね。誰かに使ってもらうのが部屋の役割だ」
「ありがとうございます」
「それにしても........桜花はずいぶん変わった少年を見つけるものだ。散歩中に拾った聞いたときはおもわず笑ってしまったよ」
おそらく、俺と桜花が初めて会ったときの話だろう。その時俺は気絶していたからどんな場面だったかは知らないが、まさか散歩中とはな。
「さて、私はまた仕事にかからなくてはならない。申し訳ないが話はここまでだ。部屋の場所が分からなかったら桜花にでも聞いてくれ。短かったけど新鮮で楽しかったよ」
「こちらこそ。これからよろしくお願いします」
「うむ、こっちもよろしく」
葵さんに一例して部屋を出る。
なかなか面白い人だったな。あんな父親をもって桜花も嬉しいだろうな。
俺には家族と呼べる人さえもいない。事故で死んでしまったんだから会うことも出来ない。
唯一要るとしたらじいちゃんだけだろうな。そのじいちゃんも病気で死んじまったし、孤児になってしまったんだ。大人なんてほとんど信じられなかった時代があった。
まあ、桜花と会ったことで少しは世の中に興味を持ったのかもしれんな。桜花に感謝感謝だ。
さて........部屋を探すか
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「奥方様、紅茶です」
「ありがとう、凛。............うん、なかなか美味しいわ」
斗真が別室でたわいもない会話をしている同時刻、一階の大部屋では桜花と凛、さらには椿も一緒にお茶していた。
いつも同じ時間帯、彼女達はお茶を飲むのがたしなみの一つだ。
桜花は母親である椿との3ヵ月ぶりの会話を楽しんでいる。それを遠目に眺めており、紅茶を淹れ、茶菓子を用意する凛。
三人よれば姦ましいとは言うが、上品さが漂うこの空間では喧しさのない紅茶の時間が繰り広がれている。
「そう、学業は頑張ってるのね。友達との仲も良好かしら?」
「もちろん、私の相談にも耳を貸してくれます。みんな親友そのものです」
「ふふ、娘が楽しそうなところを聞けて嬉しいわ」
桜花と椿は親子仲良く談笑している。話の話題はほとんどが桜花の学校生活や日常生活のことばかりだ。
だが、椿からすれば娘の日常でも楽しめるには充分な話題だ。まるで、ゴシップを聞いてるみたいになってるだろう。
「そういえば桜花」
「なんですか、母上?」
「彼のこと..........斗真のこと好きなのかしら?」
時計が止まった気がした。
音が無くなり、この世が無音の世界に突入したような気分だ。
それでも時計のチクタクと針が進む音やコツコツ廊下を歩く使用人の足音がする。
音が無くなったというより断続的な音が断絶した、といった方が的確なのではないだろうか。
「なななななななな何を言ってるのですか!?」
その静寂と化した一室を打ち破るのは桜花だ。舌足らずの口調になり、顔全体を赤くしながら弁解する。
我が娘の赤くなった顔を見ながら笑うのは椿だ。妖艶な口元を歪めて笑っていた。
「隠さなくても分かるわよ、娘だもの。それよりいつ惚れたの?」
「あ、あの.........奥方様.........?」
「あら?いつも真面目な貴女が言葉を濁すとはどうしたのかしらね。まさか貴女もかしら?」
「い、いや.........そんな.........」
自分同様に慌てる凛を見る桜花。彼女は自分の使用人が己と同じ人物に恋してたなんて知り、驚愕した。
椿はそんな二人の様子を確認すると分かりきったようなことを口にした。
「彼も罪な男ね。こんな可愛い女の子が想いを伏せてるというのに気づきもしないなんて。こうなったら私が直々に言い聞かせてやろうかしら。」
「ま、待ってください母上!」
「そ、そうです!早まってはなりません!」
「貴女達のことを考えてやってるのよ。それよりそんな感じじゃ図星ってところね」
「うっ............はい、たしかにそうです。私は斗真のことが好きです」
「わ、私だって好きだ!優しいし、かっこいいし、守ってくれた!」
観念したかのように凛が想いを綴る。さらにそれに反発するように桜花も想いを綴った。
年上らしい落ち着きを保つ凛と子供らしく叫ぶ桜花を見ながら 正反対よね、と思う椿。
彼女は娘の好いた男が他の女性と被ろうと関係ないと思っている。斗真なら二人くらい女性を侍ろうとしてくれるだろう。そんな気がする。
主従関係の者が恋愛するのも許してる。そうでなければ、今の夫と結ばれることはなかったかもしれないからだ。
「二人とも頑張りなさい。男を振り向かせるのは力でも金でもなく、女の魅力よ。あの鈍感な少年を先に振り向かせるのはどちらなのかしら?」
その言葉を最後に桜花と凛の間に火花が飛び散る。バチバチと破裂するが、それは憎悪からなる火花ではなく好敵手からなる衝突だ。
それを面白おかしく見ながら椿は凛が淹れてくれた紅茶で喉を潤し、夕日が沈みかけるロンドンの街並みを香り感じていた。