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モザイクロス  作者: アサオ
第二話 私の愛しい夢
7/20

(1)

 眠りにつく前、いつも考えることがある。

 それは神に祈りを捧げるみたいに大事な儀式。

 眠りに意識を手放すまでは、まぶたの裏にみえる暗闇のなかに、ある光景を映しだそうと必死になる。

 明日にはきっと、そうなるように。私の願いが、届くように。

 眠りにつく前、私は夢をみる。

 それはとてもひとりよがりで、しあわせな夢。



 私の朝は早い。

 前日に寝るのがどれほど遅くなっても、毎朝五時半には起きるのが習慣となっている。ときには夜更かしをしてお昼まで寝ていたいと思ったり、冬場の身もこおる寒さの日に布団からでたくないと思ったりすることも勿論あるのだが、一度身についてしまった習慣(これ)はそうやすやすと消えてなくならないものだ。

 この屋敷に住みはじめてからも、それは変わらなかった。いや、変えることができなかっただけなのかもしれない。

 だとしても幸いして、今はこの習慣がけっこう役に立っている。

 ねぼけ眼をこすりながらひと通りの身支度をすますと、私はだいすきなセーラー服に身をつつむ。その瞬間、眠気は簡単にどこかへ吹き飛んでしまう。これは私の戦闘服だ。

 鏡にうつるセーラー服姿の自分を見て、つい笑顔がこぼれた。これを毎日いつでも着ていられるのが、学生である特権のひとつだろう。昨今、学生服はブレザーが主流となりつつあるが、私は断然セーラー服のある未来を望んでやまない。

 私がセーラー服に魅せられるようになったのは、やはりあの国民的アニメの影響が大きい。初めてそれを観た時、なんてかわいい服なんだと一目惚れしたのだ。私もいつかセーラー服姿で戦う戦士になるんだ! と小学生のころは本気でそう思っていた。しかしそれが叶わないことを悟ってからは、友達や知り合いから、もう着なくなった昔のセーラー服を譲ってもらったり、セーラーカラーがついている洋服を買いそろえて集めるようになった。だから私の私服はセーラーカラーがついたものがほとんどである。

 本当になんで私は月の国の人間に生まれかわってこなかったんだ! こんなにセーラー服を愛しているのに!

 今でもこうして嘆くことはしばしばある。

 鏡のなかの自分に思わず苦笑いした。そろそろ気持ちを切り替えるべきだろう。

 私は赤色のスカーフを整えてから、腰まである髪を丁寧にブラッシングして、最終チェックした。

 今日も私のセーラー服は可愛い。

 おおいに満足して、部屋を出た。

 私が自室を出て向かった先は、浴室である。正確にいえば、浴室の脱衣所のほうに用はあった。

 脱衣所に入ると、洗面台と反対の位置に、見た目はコンビニや駅などで見かけるダストボックスに似たものが二つ、並んで設置されている。そのボックスは、上部のほうに押すとひらくタイプのふたがあり、それとは別に中のものを取り出せるように、正面からも開けられるような構造をしている。その前びらきの扉をひらくと、四角いバスケットが入っていて、その中に大量の衣服がびっしりと詰めこまれている。左側は男もの、右側は女ものといったようにそれぞれ分けられているのだ。これらの衣服は全て、この屋敷で生活している住人たちのものだった。

 私はそのバスケットを両方とりだすと、脱衣場をあとにして、今度はそのとなりの部屋──洗濯室──までそれらを運んでいった。

 さて、ここで私がどうして他人の服を勝手にもち出しているのかというと、それは私の屋敷での役割が、洗濯全般にあたるからである。洗濯以外にも、アイロンがけや裁縫、服の手入れに関することは基本的に私の仕事になっている。

 私が親元を離れて、この崖の上にある屋敷でひとりで暮らすようになって、もう一年が経った。正確には、私の他にもこの屋敷で生活する人がいるから、ひとり暮らしという感じはあまりしていないけど。

 この街はどこを見渡しても山、山、山だ。山と山のあいだに街が埋もれているような感じがして、ときどきひどく閉塞感に似たものに囚われてしまうことがある。この崖下が、私の故郷にもある海辺であったら、また感じはちがったのだろうか。

 それでも自然いっぱいの緑はきれいだし、空気はおいしいし、わりとこの場所を私は気に入っていた。故郷で海を眺めていたときは、彼方にある水平線や波のゆらめきに思いを馳せることが多かったが、ここでは崖の下にみえる街のようすを見て、感傷に浸ることが多い。

 この場所はまったくの孤立だ。屋敷の正面にある森厳とした森は、屋敷に来る者をすくなからず圧倒させ、屋敷の裏手にある絶壁の下の閉鎖的な街は、見る者を絶句させる。この光景を見てしまったら、否が応でも息をのむしかない。

 どこにも、逃げられる場所なんてない。

 山にも街にも属さない、まるで異空間のような不思議な場所。それが、私たちが暮らすこの屋敷だ。

 私も両親に薦められた高校がこの街になければ、こんな場所に足を踏みいれることはなかっただろう。こんな不気味な屋敷にも、住むことはなかったはずだ。

 私がこの屋敷に馴染めるようになったのも、ごく最近のことである。それまでは、この屋敷の異様な広さとか立派な構造に、ずいぶんと気後れして慣れなかった。私は生粋の庶民だから、幼いころに英才教育を受けたことがあるという、所謂良いところの家で育ったらしい群青とか、もとから華があってどこか品もある、ようにみえる紅子さんたちと違って、屋敷にとけこめるほどの浮世離れさを持っていなかった。だから、こんな大層な屋敷は私のような平民には合うはずもなく、心底居心地が悪かったのだ。

 そう、私もそれを信じて疑わなかったのだけど、慣れというものは存外恐ろしく──。

 半年もこの場所で生活していると、いつしかそんなことも気にならなくなってしまった。

 くり返しになるけれど、私たちの住む屋敷は、街外れの崖の上に建っている。いったい誰が、いつ、なんの目的で、こんな辺鄙な場所にひっそりと、まるで誰かの目から逃れるみたいに建てたのかは知らないが、かなり前の建物らしいことは私の目から見てもあきらかだった。誰かの手がくわえられているといっても、外壁をよく見れば、至るところに小さなヒビが入っているし、壁の色が薄墨色をしているせいで、廃れた雰囲気も否めない。だから、巷で『化け物屋敷』なんて、揶揄されているのだろう。高校のクラスメイトがそう呼んでいるのを、私は聞いたことがある。確かに、遠く──例えば、崖の下にひろがる街──から見ると、そう言われてなにも不思議はない。

 けれど、そんな化け物屋敷にみえる外観でも、近くで見ると、まるで中世につくられた教会のように、厳格な雰囲気も持ち合わせているのだった。

 外壁と同じ、くすんだ黒色をしたスレート葺きの屋根に、一階には張りだし窓が、二階には細長のアーチ窓が規則正しくならんで、モルタルの壁に埋めこまれている。屋敷の中央よりは西側に位置している、玄関ポーチの柱はコリント式らしく、柱頭にはアカンサスの葉をモチーフとした装飾が、繊細に施されている。東側に取りつけられたベランダも、とても立派だ。

 この屋敷を間近で見たことがある者なら、この建物を見て『化け物屋敷』などとはとうてい言えないだろう。しかし、私もわざわざクラスメイトに誤りを指摘してやれるほど親切な人間ではないので、屋敷が話題にあがったときはいつも知らんふりをきめている。あの屋敷をどう思おうと、それは個人の自由なのだし。言わせたいやつには言わせておけばいい、というのが私の持論だ。私も屋敷ではなく街のほうに住んでいたなら、あの屋敷をそう噂していたかもしれない。

 それにしても、こんな場所に屋敷を建てようだなんて、よく思いついたものだと思う。今でこそ屋敷までの山道はきちんと整備されているが──それでも車がやっと通れるぐらいの砂利道だ──それは屋敷を建てる以前に、そびえる山を無理にきり崩して道をひらいたのに違いない。この特殊な場所に、屋敷を建てるために。やはりどこかのもの好きか、目立ちたがり屋の金持ちが、別荘にとでも屋敷をつくらせたのだろうか。そう考えると、なんだか腹が立った。おのれ、富裕層。

 外観の不気味さは私も同感だけれど、一歩なかへ足を踏みこめば、もう一度目から鱗が落ちるような衝撃を受けることだろう。これは私の経験からいえることでもある。本当に貴族の屋敷にでも迷いこんでしまったみたいな錯覚。それ程までに建物の中は、外観の重苦しい雰囲気とはうってかわり、きらびやかで風格があり、とても眩しかった。その眩しさが、私にはすこし恐ろしくもあった。

 洗濯室でひとり、みんなの服を洗濯機に次々と投げこんでゆく。この屋敷には私以外にあと五人の住人がいるため、洗濯物の量もそれなりに、いや、かなりある。洗濯機に服をすべて押しこむだけでも一苦労なのに、これをまた干さなければならないのだから、洗濯するのも楽じゃない。けれど、この役目を引き受けたときから、どんなに面倒なことでも手は抜かないと決めていた。だから、たとえ朝がつらくても五時半にはきちんと起きるし、毎日洗濯することも欠かさない。

 この屋敷に住むときに、私はある条件を、屋敷の管理人と思しき人物から言い渡された。なんでもこの屋敷に住むには、なにか他の住人に役立つことをしなければならないらしい。住人の誰か一人にでも感謝されれば、それはどんなに些細なことでもいいそうだ。しかし、すでに居る住人と同じ役割になることは避けなければならないという。私はこの時、その管理人から役割の例をいくつか挙げてもらった。掃除をする、車の運転手をする、勉強を教える、歌をうたう──など。私は反射的に、その中に含まれていた洗濯を選んだ。それ以来、私が洗濯の担当となったわけだ。

 そういえば、近々また屋敷に人が増えるとかなんとか、群青が話をしていたっけ?

 そんなことを思い出していると、バスケットの中の服はもうすべて洗濯機に食べられてしまっていた。

 やがて、洗濯機がうなり声を上げはじめると、私もようやく一息つく。ジャーという声が室内に響き渡り、洗濯機は水をためていく。そのうちジャブジャブと言いながらまわり始める。

 幼いころから私はこの音を聞いているのがとても好きだった。あちらこちら飛び跳ねるように賑やかで、ゆかいな飛沫音。静かなところより、多少うるさい空間にいる方が、私は居心地がよくて好きだ。

 洗濯機が一生懸命に仕事をしてくれている間、この空き時間に朝ごはんを食べるというのが私のルーティンでもある。

 私は洗濯室をでると、屋敷の一番東側にある食堂を目指して足を進めた。



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