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【群青の話】
いきなり怖い話をしろっていわれても、紅子もまた無茶をいうね。
あいにく僕はそういうものには無頓着な質だから、みんな、というか、紅子の期待に応えられるかはわからないよ。
だけど、うん……そうだね。
所謂怖い体験や不思議な体験はしてきた方だと思うけど、そういうものが実際に、僕に危害を加えてくることはまずなかった。さっきもいったけど、僕自身そういったものに関心がなかったこともあって、もし怖い体験をしたとしても無視できたし、忘れることもできたからね。
だけど、そんな僕でも過去に一度、ある体験に嫌だなと思わされたことがある。
今回はその話を、みんなにきいてもらおうかな。
あれはいくつぐらいの時だったかな。今となってはもうよく覚えていないんだけど、いつからか僕は特定のある人を目にするようになってね。その人たちはなんというか、男性だったり女性だったり、子どもだったりする場合もあるんだけど。
もちろん僕は毎回同じ人を見てるわけじゃないよ。
その人たちにはひとつ、特徴があってね。彼らはきまって白っぽいような、クリーム色の無地の服を着て僕の前に現れるんだ。彼らは季節に関係なく現れて、夏場はTシャツ、冬場はセーターなんかを着てたのかな。とにかく上着だけはいつもそのぼんやりとした色の服をきてた。
仮に、そのクリーム色の服を着た人を『クリームさん』としようか。
そのクリームさんの存在をはっきりと意識しはじめたのは大人になってからのことだったかな。うん、確か社会人になってからクリームさんを意識する割合が多くなったね。
まぁ、クリームさんは毎日現れるってわけじゃなかったんだけど。でもふとした瞬間、彼らは僕の視界に突然入ってくるんだね。僕が街中を歩いていたり、車を運転していたり、こちらが気を抜いてぼうっとしてるときによく見かけたよ。
で、どうして僕がそのクリームさんを意識するようになったのかだけど――。
(あら、あたしが今着てるのも白ね。ねぇ、群青。もしかしてあたしもクリームさん?)
紅子、話の腰を折らないでくれると有り難いな。残念だけど、紅子は紅子じゃないかな。
話を戻すよ。
彼らは見た目は僕たちと同じように、ただのふつうの人にみえた。だから、僕はそれまで彼らを疑問に思わなかったし、彼らの存在も気にとめてこなかったんだね。彼らに何かされるわけでもないし。
だけど、彼らのほうは違ったのかもしれない。もしかすると、彼らは、彼らを認識している僕に、気づいてほしかったのかもしれないね。
僕が彼らを僕たちとは違うと判断したのは、いつからか彼らが僕に向かって手を振ってきたからなんだ。それが僕が社会人二年目のときで、僕は彼らを嫌でも意識せざるをえなくなったんだね。
最初、僕は、僕とは違う誰かに、彼、クリームさんは手を振っているんだと思ってた。だって、僕からすれば知らない人だからね。だから、僕はずっと知らんふりをしてた。だけど、どうやらクリームさんは僕が一人でいるときにも現れるし、あぁ、やっぱりあの人は僕に向かって手を振っているんだろうな、ってわかったよ。それに、クリームさんをよくよく観察してみると、まるで僕に「おーい」と呼びかけているみたいでね。もちろんそんな呼びかけは聞こえてこないんだけど。でもその時はさすがにゾッとしたよ。ゆっくりと左右に振られるあの腕がすごく不気味に思えてきて、今にもあの人から声をかけられるんじゃないかって、僕はそれからますますクリームさんを無視するようになった。
だけど、クリームさんを見かける頻度は日を増すごとに多くなっていくんだ。毎回、こっちへ来いと言わんばかりに振られる手が、とてもストレスになってきて。だけど、アレに応えるのはマズイんだろうなぁってことはなんとなくわかっていたから、どれだけストレスになっても僕は無視することをやめなかった。
だけど、ある日。
実は、当時僕には婚約者がいて――。
(えぇーっ! 群青、そんな人いたの!?)
(婚約者がいるのにこんなところに来たってことは……まさか相手に振られでもした?)
あぁ、そう……だね。まぁ紅子のいう通り、色々あって今はここで生活してるわけだけど、今はその話はいいじゃないか。イエナもそう興奮しないで、ね? もう一度座ろうか。
で、僕はある時、その婚約者と一緒にドライブに出かけたんだけど。
(ひゅ~、なになに、群青の恋バナとか新鮮~!)
……うん、で、その日も僕はクリームさんを見るんだよ。自宅から車に乗りこむまでに二回、彼女の家まで向かう途中に五回、彼女を拾ってドライブ中、それこそ信号待ちするたびにクリームさんは現れてね。普段より現れる頻度が明らかに違うものだから、この時はさすがに僕も恐怖を通り越して苛立ちのほうが勝ってしまって。
どうしてこの日に限ってクリームさんはくどいほど手を振ってくるんだ! って。酷いときは信号待ちで停車してると、僕の真横に立ってたこともあるからね。
ほんとに、あれには迷惑したよ。でも彼女を前にその苛立ちを吐き出すこともできないから、仕方ないし、それからも徹底的に無視することにした。それしか抵抗のしようもないからね。
でもね、お昼に立ち寄ったレストランでさすがに彼女も僕のようすがいつもと違うことに気づいたみたいで。「どうしたの? なにかあったの?」って聞いてきてくれてね。僕は何でもないよ、と答えるので精一杯だったんだけど、そんな言葉が彼女に通用するはずもなくて。
彼女は何度も僕から苛立ちの原因を聞き出そうとしてたんだけど、僕も本当のことをいうわけにはいかないから、ずっとはぐらかしていたんだよ。で、どうにか彼女を納得させて、またドライブに戻ろうと車に乗りこんだときに、彼女、ぽつりと溢したんだ。「そういえば何度かこっちに向かって手を振ってくる人見かけたけど、群青の知り合いじゃないの」
シートベルトを締めながら、彼女が呑気にそんなこと言うものだから、僕は思わず「見えるの?」って訊いてしまってね。彼女はその時とても不思議そうにしていたけど、すぐに「違うならそれでいいの。無視してても、私は気にしないから」って返されて。
彼女がいつ、どのクリームさんを見てそう言ったのかはわからない。だけど、彼女はもしかして最初から、僕が無視するクリームさんを見ていたのかもしれないね。
実はこの時も、彼女のすぐ窓越しで、僕に手を振ってくるクリームさんがいたんだけど。
(なるほどねー。彼女もとんだ悲惨なデートよね。)
(群青はそのあと、クリームさんのこと彼女と話さなかったの?)
(そうだね、彼女もわりと醒めたタイプの人間だったから、あの時もこのことはそれきりって感じで区切りをつけたみたいで、僕の方もまた話を蒸し返すのもどうかなと思ったから話してないよ。彼女がオカルトなことを信じていたのかも、今となってはわからないね。)
(クリームさんは、今でも、群青は……みえるの?)
(ううん、あき。どうしてか今は全く見ないよ。この屋敷に来てからは一度もない。)
(なんだったのかねぇ、そのクリームさん。やっぱりあんたになんか言いたいことがあったんじゃないの?)
(例えば?)
(そうねぇ、将来あんたは苦労する! とか、その婚約者とはダメになる! とかさ。)
(なにそれ紅子さーん。群青が苦労する人間にはみえないよ~!)
(イェーナ、それは誉め言葉ととっていいのかな?)
(はーいはい、群青お疲れさまでした。じゃあ、次は~……イェーナね! よろしく。やっぱこの手の話は楽しいわ~!)
(それは良かったよ。)




