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モザイクロス  作者: アサオ
第三話 後悔ならしている
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(2)

『10 回顧録』



 今はただなんらかの手違いで、これがあなた以外の誰かに見つかってしまわないかと不安でなりません。ただその時がくるまでこれが誰の目にも触れられず、きたるべき日に読まれることをこの先もずっと願っています。先に逝ってしまう私を、どうかお許しください。


 いいえ、許してもらわなくてかまいません。私は弱かった。それだけが事実なのですから。あなたの気持ちを私が理解できないように、私の気持ちがあなたに理解されると思っていません。それを責めているわけでもありません。人間なんてそんなものです。自分のために生きて当然。他人のために生きてなんかいません。他人のために生きることができる、と言う人がいるならば、それはよっぽどの楽観主義者か、それを言う自分に酔いしれている迷惑な人間だけです。実際にそんな人がいたとしてもそれは、お金に恵まれ、人間関係に恵まれ、心に余裕のある、ほんの一握りの人たちだけでしょう。私の周りにいた人たちはみんな、本当の意味で他人のために生きられる人ではありませんでした。

 だから、私が死ぬことも私の勝手で、私が下した選択で、自由です。私は自分のために死を選びました。どうぞわらってください。馬鹿なやつだと罵ってください。


 ただひとつだけ我儘が許されるなら、私の下したこの選択を、どうか頭ごなしに否定しないでほしい。私はこれを書くまでの間、十分すぎるほど悩みました。何度もやめようと思いました。だけどそれは無理でした。私は私をやめてしまいたい。どうしたって、これからを生きるということが耐え難く、生きることに希望が見出だせないのです。

 私は贅沢者です。恵まれた容姿、丈夫な身体、良好と断言することは憚れますが、決して悪くない人間関係。

 このようになぜ死ぬ必要があるのかと問われれば、それは私にもよくわかりません。世界には私なんかより不遇の人は沢山いるでしょう。その人たちからすれば、私はどれほど身勝手な選択をする駄目な人間でしょうか。彼らからの非難なら、私は甘んじて受けます。


 ただ私と関わりを持ったことのある彼らから非難されることがあれば、それは別です。なぜなら私はそんな彼らからことごとく、生きる希望を奪われてきたのですから。彼らがどんなに優しく、労りの言葉をかけようとも、私にはなにも感じません。どうかこれからもあなたたちは私に言ってきたようなありきたりな優しい慰めを仰って、自分が正義の塊だとでもいうようなご立派な意見を述べられてください。私は生前そんな慰めを彼らから何度もかけられました。その度に私の心は抉られ、怒り、そして泣きました。あなたたちのその言葉が、私を生きられなくしていることにも気づかずに。

 そうだとしても、私が死ぬことは誰のせいでもありません。ただ私があなたたちのように強い人間でなかったのが原因です。できの悪い人間です。私の精神が人より少しばかり劣っていたせいです。それを回復させようと努力もせず、肉体の消失という、簡単な方法で済ましてしまう私が悪いのです。


 死ぬことは怖くありません。怖いことは生きている世界にたくさんあります。私にとって生きることは苦痛以外のなにものでもありません。

 ただ息をするだけで、鳩尾に鉛のようなものがどっと雪崩れこみ、重苦しく私のなかにそれは居座りつづけます。そのなんともいえない苦痛は、眠るときによく現れました。灯りを消し、寝ようと目をつむるのですが、一向に眠りに落ちない。ただ自分が死ぬときの様子が頭のなかに浮かんでは消え浮かんでは消え、気づくと朝を迎えています。それが毎日のように続きます。私は病んでいるのだと自覚しても、それを他人に告げることもできず、決意して他人に言うとき、決まってその方々は、私を追い込む言葉ばかり返されました。私はもう、誰かに話を聞いてもらうということをやめました。


 なぜ私は生きることに絶望したのでしょうか。ただいつしか未来を生きることが、たまらなく苦しいと感じるようになったのです。私はこれからを乗り切る方法を見出だせないと感じたからです。

 生きていれば、なにか楽しいことがあり、その分嫌なことが必ずあります。それが当たり前のことだと人は笑います。けれど、その嫌なことは私にとって笑い事では済まされないのです。

 楽しいことがあった。嫌なことがあった。でも次にはもっと楽しいことが必ずある。だから今を乗りきろう。

 このような思考になることはまずないのです。

 楽しいことは続かない。嫌なことの方が多い。その嫌なことが起こる未来を生き抜くほど、この世界を生き抜く価値はあるのでしょうか。

 生きていれば良いことがある。常套句のようなその言葉が、私はきらいです。良いことがある以前に、私は嫌なことを乗りきれない将来の自分が嫌になります。将来苦しむ自分が嫌でいやでたまらない。自分がその嫌なことを乗り越えられないであろうことが怖くてたまらない。その幾度もくり返される、楽しいことと嫌なことの連鎖が、私をずっと苦しめるのです。それなら私は楽しいことも嫌なことも経験せず、今ここで死を選ぶことの方が幸せなんだと思うのです。

 人の幸せは誰かが決めてよいものではないという。

 幸せは自分で決めることができるはずです。

 ならば、私にとっての幸せは、今死ぬことができるという現実なのです。誰がなんと言おうと、私はこれでもう死ねるという事実に、たまらない幸福感を覚えます。もう頑張らなくてもよいということに、私はようやく呼吸ができます。


 申し訳ありません。弱い自分で申し訳ありません。私の死を知って、万が一悲しんでくださる方がいるとしたら、その方にはこれ以上のない申し訳なさと、私などを悼んでくださるあなたの優しさに感謝で涙がでます。もしその方に死んだ私が声をかけることができるとしたら、どうか私のことなど忘れて記憶の外からも放り出して。もしあなたがつらくなったその時には、弱いために死んでしまった私のような者がいたことを笑いとばしてやってください。

 死んだあいつよりも自分のほうが頑張って生きている、自分のほうがつらいのにあいつはすぐにリタイアしてどうしようもないやつだった。

 そう、私をあなたの捌け口の対象にでもしてやってください。それで私は幸せです。それが死んだ私にできる唯一のことです。あなたの捌け口となれたなら、私はこの上ない幸せを感じることができます。


 私のために、本当に私のために、一瞬でも悲しんでくださった方には、私は今も申し訳なさしかありません。叶うなら、私と出会った記憶ごと、全て消去していただきたいと思うのが願望ですが、そんなことはできません。

 さいごまでわがままをいいました。そして、私の亡骸が有効活用できるなら、臓器提供など望むべき人の元へ。私が役に立てるなら、どうか良いように図ってやってください。どうか、そのところよろしくお願い致します。


 今度こそ、おわりに。本当にごめんなさい。まっとうに生きることができなくてごめんなさい。誰かに迷惑をかけてごめんなさい。恥さらしで、弱い私でごめんなさい。次に生まれ変わることができるなら、私は何にも生まれ変われなくていい。私は私で終わりにしたい。

 これを書いている今、私はしあわせです。さようなら。





 私が初めてこの遺書を読んだとき、私は彼女のことをひどく辟易した。それと同時に、私は自分自身もつよく嫌悪した。

 この手紙が届けられた時、彼女はもうこの世を去った後だった。

 そして、この手紙は彼女が心を許していたとされる数人に送られたものだと、後になって聞いた。


 彼女も人が悪い。どうして私なんかにこんな遺書を送りつけてきたのだろうか。

 彼女が私を頼ったことなど生前に一度だってなかったはずだ。それなのに何故?

 私に永遠の謎が残されてしまった。


 彼女が恨みがましく思っていた人間を私は知らない。そもそも私も彼女を苦しめていたうちの一人なのではないか。

 次々と湧いてくる疑問に、答えてくれる人はもういない。


 私は彼女の端正な文字を何度も何度も追いかけた。彼女に触ることはもうできないが、代わりに彼女の綴った文字をやさしく何回もなぞった。どんな思いで彼女がこれを書いたのか想像もつかないが、この時の彼女は心底すがすがしい思いでいたに違いない。


 筆跡に迷いはなかった。淡々と、途中でつまることもなく、彼女はこれを書き上げたのだろう。書き終えたあと、彼女は文字通り、幸福感に包まれていたのだろう。その気持ちのまま逝けたのなら、彼女の望みは果たされたというわけだ。

 所詮、自分以外は皆、他人。どんなに救いの言葉をかけても、本人に生きる気力がないのならどうしようもない。


 こんなつめたい思考しかできない私を人は蔑むだろうか。

 しかし、この時にふとわかったことがあった。

 彼女が私にも遺書を寄越した理由が。

 彼女の死後、私がその事実を引きずることが少ないと、彼女に判断されたからだろう。そして、彼女の願いを望み通り叶えてやれるのも、私の他に適任はいない。

 私は弁護士だ。彼女の願い通り、事を運ぶことを手伝ってやれる。

 彼女はここまで見越して、私に手紙を届けたのか。愚かな人だと思う。


 ここでひとつ、彼女が私をそんな人間だと解釈していた事実にすこし驚いた。間違ってはいないが、どうせなら生きているうちに私の本性を暴いてほしかった。そこまでわかっているなら、私のこの仮面を彼女にとってもらいたかった。

 今になって、彼女のいない現実に込み上げてくるものがある。彼女はまさか、私が悲しむなど思ってはいなかっただろうが。


 私が彼女を生かしてあげられたとは、今も残念なことに思えない。けれど、彼女にとっては不本意でも、私は彼女を忘れてやれないし、彼女のいない現実にもこれからたびたび嘆かされることになるだろう。

 私がこれを記録しているのは、彼女への些細な抵抗からだ。他人に興味などなかった私が、彼女のせいで変な感覚を植えつけられてしまった。他人が突然この世からいなくなってしまうことを、少し怖いと思い始めた。だが、彼女を困らせたいわけでもない。


 私はこの回顧録を、ある屋敷の書庫へと紛れ込ませておく。

 その書庫は膨大な量の蔵書があって、果たしてこれが誰かの目に触れられる日が来るのか、見当もつかない。だが、もしこれが第三者に読まれる時が来るのなら、どうかこの回顧録の持ち出しだけはやめてほしい。こんなものを彼女に許されるはずもなく書いた私が言える立場ではないが、どうかこの屋敷の中でだけ扱われてほしい。

 彼女は亡くなるまで、この屋敷の住人のひとりだった。これを書いている私も、この屋敷で生活していたことのある人間だ。だから、どうか読まれるならば、これからこの屋敷で生活する人間だけに読まれたい。これは私のわがままだが。


 最後になったが、彼女へ。

 勝手にこんなものを書き上げてすまない。きみの手紙を利用してすまない。

 けれど、どうしても我慢ならなくなったんだ。きみがいなくなってから、私は人間らしい感情に悉く悩まされたよ。今まで感じてこなかったのが嘘みたいに、他人に対して興味を持てるようになった。恋愛も、あれだけ呪っていた感情だったのに、あれから妻も息子もできた。きみは驚くだろうな。

 だが、愛する人ができたことで、きみのことを思い出す機会も多くなった。妻もこどもたちも、きみのようにいつか突然いなくなってしまったらと思うと、年々恐怖を覚えるようになった。あの時、きみに植えつけられた感情に支配されることが長くなった。

 その時になって、きみが感じていた不安感も、種類は違えどこんなようなものだったんじゃないかと考えるようになったんだ。あの手紙をもらったときには到底わからなかったことだ。怖いな、とてつもなく。このぼやけた不安は。厄介だ。妻もこどもたちも元気なはずなのに、時々何かにすがりつきたくなるくらいの不安に押し潰されそうになる。これは堪えた。きみの気持ちなんてわかるはずもないと思っていたが、もしこれがそうだとしたら私も死にたくなる。

 つい先日、妻が亡くなったんだ。病気だ。私は妻の死も見届けることになってしまった。後になって知らされるのも辛いことにかわりはないが、日に日にやつれていく妻を近くで見守るのも神経がまいるね。駄目だとわかっていても、この時だけは本当に私も死んでしまおうかと思ったよ。

 だけど、そんな時にまたきみのことを思い出すんだ。きみが私に手紙を送ってきた日のことを。あの日の自分を。思い出すと、たちまち死ねなくなってしまったよ。あの日、きみに対して少しでも冷徹なことを思った自分が許せなくてね。だから私はまだ死ねないと思った。息子や孫たちのためにも。

 私はまだもう少し生きてみようと思う。きみが救われなかったこの世で。この苦しみと一緒に、私は、生きてみようと思う。


──19XX.4.24



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