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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

幸福論

作者: 青鷺落葉

挿絵(By みてみん)




 ぬばたまの闇を、一人の男が駆けていた。その後を追うは一人の女。

「死ね!」

 物騒な言葉と共に、これまた物騒な代物――ナイフを男に投げつける女。しかし、男はアッサリとそれを躱す。

「ひーちゃん、はっずれー!」

 男はケラケラと笑いながら、落ちたナイフを蹴り飛ばしてから、走る。

 彼は明るい通りに出た。ここ――東京は夜でも懐中電灯の必要性を感じない場所が多い。そんな街並みを、男はケラケラと笑いながら走る。そんな彼の後を男と同い年くらいの女が追いかける姿は、通行人にとって奇妙に映っただろう。

 もっとも、男も女もそんなことに気づいてはいないだろうが。

 明るい場所に出てみれば、男の容姿はかなり整っていることが分かる。女もそれに引けを取らないくらい美しい。恋人同士の痴話喧嘩だろうか? 二人のことを知らない人間はそう判断するだろう。

 まあ、違うわけだが……。

カハホリ(カワホリ)……絶対に殺す」

 いつの間にか追いついた女は、男の手をつかみ彼を睨んでそう言った。

「できるものなら……」

 男は逆に彼女の腕をつかむと、路地裏へ連れ込む。人の目の届かない場所へ入ると、すぐさま女は男――カハホリの胸へナイフを沈めた。

 やったか? しかし、男は平然としている。

「無理だよ……キミに俺は殺せない」

 ニィと笑ったカハホリの口からは日本の八重歯。確かに心臓を貫かれているのに、男は平然として、女を見る。

「ダメージは与えられるけど、致死には程遠いってところかな?」

 ナイフを抜きながら、カハホリはそう分析した。次に、女は別のナイフで男の首を掻き切る。血が流れた。

「首は反則!」

「うっせぇ。とっとと死ね」

「嫌だね、死なない。俺はやりたいことがあるんだから」

 そう言って、男はコートで血の流れる傷を隠すと、明るい街に出る。人ごみに消えて、彼の姿は見えなくなった。

 女は盛大に舌打ちをする。

 ――また、殺し損ねた。




 瑠璃垣(ルリガキ)(ヒサギ)。身長173cm、体重59kg、年齢17歳。

 職業:エクソシスト。

 これが昨夜、カハホリという男を追いかけていた女のデータである。ナイフで傷つけられても平然としている姿から、分かっている方も多いだろうが、彼――カハホリは人間ではない。俗に吸血鬼と呼ばれる種族である。

 一月ほど前、吸血鬼であるカハホリの退治を依頼された。

 面倒だと思いながら、彼女はカハホリのことを調べた。

 すると、出てくるわ出てくるわ……女性関係でのいざこざが。こういう輩は楸が最も毛嫌いするタイプである。

 そして、カハホリ本人に会いに行ったら、何故か口説かれ、押し倒された。その時は殴って逃げ出したから良いものの、それからことあるごとにカハホリは楸へからんでくるようになる。それが鬱陶しくてたまらない。殺さないまでも、出来れば永遠に自分の前から消えて欲しいと、楸は常々願っていた。

 それなのに……

「転校生の川堀ヨルです。よろしくお願いしまーす」

 黒髪の可愛らしい少女――しかし、楸にはわかった。彼女は、カハホリだ。

 アニメや漫画の世界かと思うほど嫌なタイミングで楸の隣の席が空いている(そういえば、ひと月ほど前に隣の席の生徒が校則違反バカやって、退学した)。そして、当然のように川堀はそちらに座る。

「よろしくね、ひーちゃん」

 笑顔で告げられ、楸は目の前の少女(仮)を殴り飛ばしたい衝動を、必死で抑えた。

 ――つーか、それ以前に何で女装しているんだよ。お前、男だろ!

 本当なら今すぐ胸ぐらをつかんで、怒鳴り散らしたいが、此処でそれをやれば騒ぎになる為、楸は必至で耐える。そんなことを知ってか知らずか、川堀は、ニコニコ笑顔で楸を眺めていた。




 昼休み。

 できれば、コイツと同じ空気を吸いたくないと思い、楸は中庭で昼食を食べていた。元々、机を囲んで一緒に食事をする友達もいないため、不審に思われることは無い。

 半分近く食べ終わったところで、人の――いや、人外の気配。

 川堀だ。

「ひーちゃん、やっと見つけた」

 そう言って、見た目美少女・本性男が微笑む。

「なんで、アンタがここに来るんだよ……」

 ぶっきらぼうな口調も気にせず、川堀は楸の隣に座る。

「いやー、隣の席になったのも何かの縁だし、仲良くなろうかと」

「アンタが勝手に座ったんだろ。開いている席ならほかにもあった」

「ひーちゃんの隣に座りたかったから!」

「……それ以前に何で態々女装して、この学校に来たんだよ」

「転校してきたのは、ひーちゃんとスクールライフというものを、体験したかったから」

「死ね」

「女装は趣味」

「死んでおねがい」

 絶対零度の瞳で睨まれ、川堀は『酷い!』と言って泣きだした。しかし、楸はそれが嘘泣きだとわかっているため、無視を決め込む。

「…………なんか言ってよ」

 不満そうに川堀は言うが、楸は黙って昼食を食べていた。

「ひーちゃーん、ひーちゃん、ひぃーちゃぁーーん、ひーちゃんったらー」

「うるさい」

「ひーちゃんが、ずっと無視するからじゃん」

「もう話しかけんな」

「いーや。聞きたいことがあるんだから」

 急に真剣な表情で話し始め、楸は『それだけ言ったら、離れろ』と、川堀に言った。川堀は、先ほどまでの女声ではなく男の声で、小さく楸に言った。

「どうして、楸は俺を殺そうとするんだ?」

 楸のことを《ひーちゃん》というあだ名では無く《楸》と言ったところから、川堀の真面目さがうかがえる。

 楸はじっと彼を見て言った。

「上から、殺害命令が下ったから」

「それだけとは思えないんだけど」

「町で出た、吸血鬼によると思われる連続殺人事件。この辺に住む吸血鬼はお前だけだし、アリバイも無い。犯人だと断定されているから」

「いや、それは俺じゃないし」

「はあ?」

 聞き返すと川堀はキッパリと言った。

「だから、俺じゃないの。別の奴の仕業なんだって」

「でも、交友関係洗ってみると、全員アンタが捨てた女って」

「ああ、そうだね。ニュースみて驚いたもん」

「…………」

「ねえ、信じてくれた?」

 川堀の言葉に、しかし楸は首を横に振った。

「信じられない」

「どうして?」

「見るからに嘘吐きって感じだから」

 率直な楸の感想に川堀は声をあげて笑った。

「するどいね、そのとおりだ」

 しかし――

「俺は、犯人ではないよ」

 キッパリと川堀はそう言った。





 だったら証拠を見せて。

 楸はそう言った。すると、川堀はHRが終わった瞬間、楸に言う。

「今日、一緒に帰ろう」

 何人か、川堀を誘おうと思った人間が居たようだが、楸に話しかけた時、クラスメイトは少し距離を取った。それを楸は横目で不思議そうに眺める。

 対して楸はまるで、川堀の言葉など聞こえていないかのように――そして、クラスの状況などが見えていないように、黙々と素早く帰り支度をして、川堀を置いて教室から出て行った。

「ちょ、待ってよ」

 川堀が追いかけようとすると、一人の男子生徒が川堀を止める。

「川堀さん、止めといた方が良いよ」

「なんで?」

 川堀の問いに男子生徒はすこし声を小さくして言った。

「だって、いつもどこかしらに怪我しているし、女なのに背が高いし」

「モデルだったら、あれくらい普通じゃん」

「……それだけじゃなくて、町の不良相手に大立ち回りしたとか、ヤクザを病院送りにしたとか、危ない噂が立っているんだ」

「ふーん」

 興味なさそうに呟いて、川堀は鞄を手に取って窓に近づいた。何をするのかと、男子が見る前で川堀は校庭に見える人物――楸に声をかけた。

「ひーちゃん、すぐ行くから待っててねー」

 それだけ言うと、川堀は陸上部かと思う足の速さで教室から出た。川堀に楸の噂を話した男子生徒はもちろん、その会話を聞いていた面々は驚いて川堀の後姿を見ていた。

 一方、靴箱近くにいる川堀は、とっとと校門を抜けようとする楸に怒声を浴びせていた。

「待っててって、言ったじゃん!」

 その言葉すらも聞こえていない様子で、楸はさっさと帰ろうとする。

 川堀は仕方なく、走って彼女を追いかけた。

「ひーちゃんったらー」

「うっさい。なんなんだよ……」

「俺が犯人じゃないって信じられないなら、真犯人を見つける」

「へー、がんばれー」

「だから、ひーちゃんも手伝って♡」

「ヤダ」

 即答。

 どうしてそんなことを言うのかと川堀は問い詰める。曰く『一緒に居たくないから』。《誰と》とは言わなくても分かるだろう。

「そんなこと言わずに~」

「本当に、死んで、おねがい」

「酷い! 酷いわ」

「…………」

「悲しすぎて、ひーちゃんに盗聴器つけちゃうかも」

「……そんなことしたら、すぐに息の根を止める」

「じゃあ、手伝って」

「ヤダ」

「だって、このままじゃ、余計被害者が出るでしょう? もし、俺が犯人でも、ひーちゃんが監視していれば、被害は出ないじゃないか」

「……」

 楸はしばらく黙ってから、指を二本突きつける。

「二週間。それ以上は付き合わない」

「了解! じゃ、さっそく行こう!」

「どこへ?」

「元カノとは名ばかりの、遊びで付き合った人の所」

「やっぱり、お前最低なんだな」

「その最低男に引っかかるのは、バカ女~」

 言い返すことができず、楸は口をつぐんだ。





 一人目 《鮎川(あゆかわ)久仁子(くにこ)

 カハホリと付き合っていた期間は去年の秋から冬まで。クリスマスの一週間前に分かれたのだそうだ。曰く《イベント事に熱中しすぎでウザかった》。付き合う前にそれくらい見極めろと言いたいところだが、どうせ《遊び》なら良いと思ったらしい。

 身長は女性の平均から見ても低く、お人形のような可愛らしい容姿をしている。

 彼女の住んでいる部屋の扉を開け、本人を前にして楸は何と説明すればいいか分からずに目を泳がせる。いきなり、殺人事件のことを話しても相手を混乱させるだけだ。

 そんな楸とは裏腹に川堀は元気に鮎川へ話しかける。

「鮎川さん、実は、聞きたいことがありまして」

「えっと、あなたは?」

「カハホリの、妹です」

 それだけ言うと鮎川は合点が言ったように頷き、少し不機嫌そうな表情を浮かべた。元カレとそっくりな、彼の妹が来て嬉しいと思うことは無いらしい。

 川堀は彼女に問う。

「実は、兄がしばらく前から失踪しておりまして……何か知っていることはありませんか? ここだけの話、兄と関わった人間が彼を見たって話が出ていまして……兄、本人とは分からなくても、人影を見た――とか」

 兄を心配する妹を完璧に演じきる川堀を見て、楸は呆れと感心が混ざった感情のまま、鮎川の証言をまとめていた。

 曰く、最後に会ったのはひと月ほど前で、彼らしい姿を見ていない。けれど、偶に視線のようなものを感じるのだという。

「思い過ごしかもしれないけどね」

 そう言って肩をすくめる鮎川。彼女に『長く続くようでしたら警察に行った方が良いですよ』と言い残し、その場を去った。

「カハホリ、彼女の証言は……」

「うん、本当。確かに一月前に会ったよ。寄りをもどそうって話」

「……」

「さあ、次に行こう!」




 二人目 《芹沢(せりざわ)知美(ともみ)

 彼女とは今年の夏に付き合ってすぐに別れたらしい。すらっとして、気の強そうな女性だ。別れた理由は《束縛が嫌》。それはカハホリがあっちこっち女にいい顔をしていたからではないかと楸は思ったが、言ったところで無駄だと思いあえて黙った。その際、川堀から『何か言いたそうだね』と言われたが、楸は『さっさとしろ』と川堀をせかす。

 先ほどと同じように、兄の身を案じる妹を演じ川堀は芹沢から情報を聞き出した。意外と情に流されやすい性格らしく、川堀に同情して彼女は知っている限りのことを話してくれた。曰く、何やら黒い人影を見たことがある――とのこと。

 楸は川堀に問う。

「あの人と会ったのは……」

「別れを告げたっきり会っていない。……つまり、そいつが犯人の可能性が」

「アンタが犯人じゃなかったらね」

 楸の言葉は冷たいものだ。しかし、川堀はめげずに次の女性に会いに行く。




 三人目 《水口(みずくち)(まみ)

 彼女は割と長く続いた例で、去年の春から秋と冬の間くらいまで付き合っていたという。

「ちょっとまって。それってフタマタかけていたってこと?」

 楸の問いに川堀はアッサリと頷く。

「大丈夫。フタマタなんて可愛いものだよ。多い時は六人位と」

「今すぐそこのマンションの屋上から飛び降りて」

「そんなことをしたら、俺の美しい顔が」

「死ね」

 楸の冷たい視線を浴びながらも元気な川堀は、軽いノリで水口の家のインターホンを鳴らす。返事は無い。何度鳴らしても同じだ。

「出かけているんじゃないの?」

 楸の問いに川堀は『そうかも?』と首をかしげる。

「水口さん、外出はほとんどしないし、この時間は家にいると思ったんだけど」

「……何やっている人?」

「小説家。ほら、田貫みなって知らない?」

「聞いたことはあるけど、読んだことは……」

「基本的に部屋に閉じこもって、小説を書いているんだよ。創作中でも居留守を使う人じゃなかったんだけど……まあ、また今度来るか」

 そう言って川堀は興味を無くしたように、水口の家を後にした。楸も川堀の後を追う――その直前、楸は少しだけ水口の家を振り返る。彼女の瞳には枯れた季節の花が映っていた。




 気が付けば、辺りは薄暗くなっている。一体次はどこに行くつもりだろうと、楸が先行く川堀の後をついていくと、川堀はクレープ屋のワゴンの前で立ち止まった。慣れたように注文を終えると、二つのクレープを渡される。そのうちの一つを楸に渡した。

「おススメなんだよ。どうぞ」

「……ありがとう」

 クレープに罪は無いと楸は素直に受け取った。確かにそれは美味しい。自然とほころぶ楸の顔を見て川堀は少しだけ笑った。

「凛としているひーちゃんも良いけど、こういう顔も素敵だね」

「……へー」

 女を口説くような言葉に楸は興味を持たず、クレープを食べていた。そんな彼女の横顔を見て、川堀は少しだけ頬を膨らませる。

「照れるとか、もう少し反応が欲しいんだけど」

「殴ればいいの?」

「ごめんなさい」

 一応、《殴る》というのは楸の冗談である。しかし、川堀は本気で信じたのかそれとも冗談と受け取ったのか微妙な反応をする。

「ひーちゃん、今日はもう遅いし終わりにしようか」

 川堀の言葉に楸は頷く。

「遅くなるとうるさいし」

「ご両親?」

「弟」

 口うるさい、鬱陶しいと言いながらも、弟のことを話す楸の顔は慈愛に満ちていた。

「仲がいいんだね」

 川堀がそう言えば、楸は少しだけ考え『そうかもしれない』と肯定した。

「送るよ」

 少し低い声で言われた言葉に、しかし楸は首を横に振った。

「大丈夫、一人で平気だから」

「女の子の夜道の一人歩きは危険」

「その辺の男子よりは安全なんだよ」

 楸の言葉に川堀はクラスメイトとの会話を思い出す

――『……それだけじゃなくて、町の不良相手に大立ち回りしたとか、ヤクザを病院送りにしたとか、危ない噂が立っているんだ』――

 聞こうと思った。しかし、楸が『それを言うな』と言っているように見えて、川堀は『そう』とだけ返し、その場で二人は別れた。




 風呂上り

 ぼんやりと面白くも無いバラエティを眺めている楸をみて、弟は不思議そうに首をかしげる。

「なにか、あった?」

「別に、なにも……」

「今日の姉さん、少しだけ機嫌が良いように思える」

「そう?」

「うん」

 弟の言葉に、楸の脳裏には川堀の顔が思い浮かんだが、首を一つ振ってそのイメージを追い出した。

「今日、美味しいクレープを食べたからかな」

「今度連れてって」

「うん。すぐには、無理だけど」

 楸の言葉に、弟は『いつでも待っているから』と言って部屋に戻って行った。




 翌日。

 放課後、早速二人の人物を訪ねたが留守。

 次に少し離れた場所に住む女性の家を訪ねた。六人目の女性の名前は《藤見裕子(ふじみゆうこ)》。川堀曰く、いかにも遊んでいそうな外見通りに、男遊びの激しい性格だという。

 彼女の家を訪ねると、出てきたのは藤見裕子では無く、強面の男。彼を見て、川堀は『げっ』と呟く。一体何なのだろうかと様子を伺えば、川堀はこっそりと教えてくれた。なんでも、藤見裕子の本命彼氏で、遊んでいたことがバレた際、カハホリもとんでもない目にあったという。

 一応、今回も同様、兄を心配する妹を演じる川堀。

 男はカハホリに対して怨みがあっても、身内にどうこうしようとは思っておらず、藤見がここ最近帰っていないこと、妙な人影なども見かけていないことを話した。

 その後、もう一軒まわったが、結局収穫は無かった。肩を落とす川堀を眺め、楸が歩いている――と、路地裏で何かを見つけた。

 最初は、人形――マネキンか何かかと思った。しかし、何かがおかしいと思い、楸は川堀を置いてソレに近づく。……近づいて、分かった。それは人だ。青い顔をして――全身の血を抜かれた人間であった。

 川堀が気づき、それに近寄る。

「裕子さん……」

「は?」

 聞けば、この女性は藤見裕子なのだという。間違いはないらしい。

 川堀の驚いた表情を見て、楸は思った。彼は本当に【犯人ではない】のではないか? と。

 その後、警察が来てこっそり盗み聞きした死亡推定時刻は、昨日楸と川堀が共にいた時間で、川堀のアリバイは確定された。




 川堀が無実と解ってすぐ、楸は川堀へ謝った。しかし『死ね』発言を初めとしたキツい言葉を改めるつもりは無いらしく、早朝から抱き着こうとしたら『走る新幹線の前に飛び出して来いよ』と笑顔で言われた。相変わらず酷い。

 教室へ入り、川堀は隣の席であることを良いことに、楸へ話しかけた。

「ちょっと考えて思ったんだけどさ、犯人は俺に恨みを持っている人間じゃないかって思うんだ」

「まあ、そうかもしれないな。で、その怨みの筋とか諸々わかっているの?」

「多すぎてまとめるのに苦労した」

 そのセリフに楸は顔をしかめる。

「一体どこでそんな怨みを」

「昨日、その一つを見たじゃないか」

 川堀の言葉に、楸は納得した。と、同時に川堀に侮蔑の視線を送る。

「不潔」

「性は人の三大欲求の一つだよ。むしろ自然体と言ってくれ」

「自然体と本能のままは違うと思う」

 真っ当な意見である。川堀は苦笑いを浮かべて視線を逸らした。

「あと」

 楸は続ける。

「学校ではあまり話しかけないで」

「どうして!?」

 身を乗り出す勢いの川堀に楸は言う。

「目立つんだよ」

 この学校の制服はグレーのブレザーだ。その中で黒いセーラー服は目立つ。そうでなくても、川堀は(外見だけは)可愛らしい少女である。転校初日から話題になっており、その上周りから恐れられている楸と共にいるのだ。妙な噂も立てられる。

「だから、近づかないで」

 言えば、川堀は悲しそうな顔で楸を見る。しかし、楸はそれに気づかなかった。




 放課後。

 楸は川堀を置いて先に外へ出た。

 彼女は校門の前に見慣れない存在がいることに気づく。小学生くらいの少女だ。ここの生徒の妹か何かだろうか? 自分には関係ない――そう思って、楸はその子の前を通り過ぎようとするが、彼女は楸に通せんぼをする。

 両腕を大きく広げて、じっと大きな瞳で楸を睨む少女。一体何なのだろうか? 何か怨みは……あるかもしれない。楸は自分も川堀のことは言えないと内心反省しながら、少女に話しかける。

「誰か待っているの?」

 少女は頷く。

「通してもらえるかな?」

 首を横に振った。

 さてどうしよう? 無理矢理飛び越えて行こうかとも思ったが、少女に怪我をさせるわけにもいかない。考えていると、数人の生徒がこちらを遠巻きにして、素通りしていった。なんとなく、関わり合いになりたくない雰囲気を察したのだろう。きっと自分も同じ行動をとっていたと楸は考える。

 その遠巻きにしている生徒の中から、見覚えのある顔が二人の前に飛び出してきた。川堀だ。

「真弓ちゃん……どうしてここに?」

「おにーちゃんに会いに来たんだよっ」

 そういって少女は川堀に抱き着いた。

 一体どういうことだ? 説明を求める楸に、川堀は人気の少ない場所に移ることを提案した。一応、川堀は女子生徒ということになっている。男だとバレたら色々マズい(楸としては、どうでもいいことだが)。

 とりあえず、人気のない公園に移動して話を聞くと、少女は川堀が人間ではないことを知っている少女で、結構長い付き合いがあるらしい。なんでも、彼女の祖父が川堀のような吸血鬼を研究している人で、その研究に協力したことからの縁らしい。

 川堀にじゃれつく姿は一見人懐っこい少女に見えるが、どうも楸は嫌われているらしい。何故か睨まれた。

 川堀曰く、初めて会った人は大体こんな感じだから気にすることは無い。しかし、先ほどからあからさまに敵意を向けられ、あまりいい気はしなかった。

「真弓ちゃんはなんで俺に会いに来たんだ?」

 川堀がそう問えば、彼女は『最近あそんでくれないんだもん』と不機嫌そうに言う。

「ここ最近、お兄ちゃんはあの人と一緒に居て、私の相手をしてくれないんだもん」

 真弓を見て、楸は小さくため息を吐く。

「だったら、この子と遊んであげれば」

 そう言って楸は公園を出る。

「ちょっと、ひーちゃん!」

 しかし、川堀に止められそれはかなわなかった。

「何?」

「ひーちゃんが言ったじゃん。真犯人を見つけるまで、俺と付き合ってくれるって」

「お前の冤罪が晴れたから良いだろ。こっちは一人で犯人を捜す」

「だったら、俺もいた方が良いじゃん。俺だって一応は関係者なんだよ。……ほら、真弓ちゃんは近くまで送ってあげるから、先に帰って」

 川堀がそう言えば、真弓はさらに機嫌悪そうに顔をゆがめる。

「……」

 それに気づいた人はいなかった。





 犯人は被害者の血液を吸出し失血死させている。そこから犯人は吸血鬼ではないかと思われていた。しかし、ここまで吸血鬼に絞って犯人探しをしていたのに、犯人が現れない。もしかしたら、犯人は別の何かなのか?

 楸はそう考えた。

「注射針で首筋に牙で刺したような穴をあけて、血を抜けば吸血鬼がやったっぽくなるし……」

 楸の言葉に川堀も頷く。

「俺に恨みを持っている人間で、そういうことを考えそうな人間は……」

「できれば、医者関係なんかがいれば犯人が絞り込めそう」

「なんで、そうと言い切れるの?」

 探せば、一般人でも注射針は手に入る。医者に絞り込むにはまだ早すぎるのではないか? そう言えば、楸は『まだ、表に出ていない情報だけど……』と言いにくそうに話した。

「被害者の女性、その……まあ……なんというか……」

「??」

「せ、性行為中に殺されているんじゃないかって、膣内がかなり傷ついていた、らしい」

「……だったら、被害者の身体から体液とか……」

「ローションの残骸っぽいのはあったらしいけど、体液は無い。多分、避妊具を使ったんじゃないかって」

「殺す相手に態々避妊する強姦魔ねー。普通、ナマでやるってイメージがあるのに……」

「体液から、証拠を残したくなかった……とか? そして、全員ってわけじゃないけど、子宮が無くなっている人がいるんだ」

「しきゅう?」

「赤ん坊が……」

「いや、それは知っているけど……でも、どうして?」

「わからない」

 そう言って楸は首を横に振る。

「生きている内に取り出された人もいれば、死んだ後に取り出された人もいる。でも、犯人は多分同一人物だ」

「へぇ……悪趣味」

 うぇーと川堀は顔をゆがめる。あまり、想像はしたくない。犯人は異常な人間なんだろうなと、川堀は考えた。

「医者関係――条件に合いそうな人はいるよ」

 その人物は水口貒の元彼氏。カハホリと付き合う前に付き合っていたらしいが、束縛が強くてすぐに別れたらしい。カハホリと付き合っていた間も、何かとちょっかいをかけてきた相手だ。

 名前は安桜友志(あさくらゆうじ)。町の病院に勤めている。

 彼の情報を得るべく、川堀と楸は水口の家に向かった。しかし、留守である。

 ほとんど外出をしない人間が、確実に家にいるだろう時間を狙っていたのに、留守とはなにかがおかしい。タイミングが悪いだけかもしれないが、妙な違和感を、二人は感じていた。

 とりあえず、今日は帰ろう。そう思い水口の家に背を向けた――そのとき、誰かが水口の家へ入って行った。若い男だ。それをみて、川堀は言う。

 彼が、安桜であると。

 鍵がかかっているため家に入ることはできない。

 ただならない予感を感じた楸は、かばんに入っていたステンレス製の水筒を取出し、思い切り窓にぶつけた。二三回で、窓は割れる。

 そこから水口の家に侵入し、寝室へ向かうと、そこには手足を縛られた女性と、彼女を組み敷く安桜の姿があった。血液の跡、気絶した女性を見て、楸はすべてを察したのだろう。

 対して安桜は突然現れた恋敵によく似た少女に動揺と怒りの感情を見せた。そして、この状況を見られたことに対する焦りも生まれたのだろう。近くに会ったツボを手に取り、二人に――一番手近にいた楸に襲い掛かってきた。しかし、楸は軽くそれを躱すと、安桜の鳩尾に一発拳をぶつけ、そのあと彼の身体を蹴り飛ばした。

 普通の少女とは思えない力で、安桜の身体が飛び、壁に当たって彼は気絶する。

 これで、思ったよりあっけなく一連の事件が終わった。




 ように思われた。

 被害者は、また現れたのだ。

 今度の被害者は、鮎川――あのとき、最初に会いに行った女性である。

 彼女の身体に子宮は無くやはり、膣内は無理矢理の性行為を行ったかのように傷ついていたという。

 その話を聞いて、川堀はある仮説を立てた。それは、《カハホリ》に恨みがあるのではなく、《カハホリと付き合った女性》に恨みがあるのではないか――と。

 性交のあとを思わせる後から、犯人は男性だと思われたが、世の中にはいろいろな《道具》があるそれを使ったとなれば、犯人が女性でもおかしくは無い。

 そう考えて、カハホリと付き合った女性とその周辺を調べてみたが、彼女達にアリバイがあった。多少怪しいものもあるため、もっと詳しく調べる必要もあるかもしれないが……。

「犯人が人間なら、エクソシストの出る幕ではないとは思うけど……」

 疲れた表情で家に帰ってきた姉を見て、楸の弟はそう呟く。暗に危ないから身を引けと言っているのだ。しかし、楸は首を横に振る。

「私は普通の人より丈夫だし、平気だよ」

「姉さん……」

 弟は姉の身体を後ろから抱きしめて言った。

「僕は姉さんが心配だよ……、また、自分から傷つくんじゃないかって」

 瑠璃垣楸は危険人物だ――そう言われる理由は、彼女が持っている、天性の《戦いの才能》故だった。

「昔、姉さんが友達を助けようとして、ガラ悪い人と喧嘩になって……姉さんはその人を守っただけなのに、すごく怖がられたよね。そのときみたいなことが起こるんじゃないかって、心配なんだ」

「……」

「ねえ、父さんのマネしてエクソシストになったのは、その力を肯定して欲しかったから?」

 弟の質問に楸は素直に頷いた。

「うん。悪魔なんかと戦うには強くなければいけないしね」

「それで、姉さんが怪我したら……」

「平気だよ」

 楸は弟の身体に寄りかかって言った。昔は小さかった弟なのに、あと少しで彼は楸の身長を追い越そうとしている。

 弟に言った言葉は強がりでは無く真実だ。

 彼女は多少の怪我など気にも留めない。それ以上に、誰かが死ぬのが嫌なのだ。だから、自分が傷ついても、誰かを助けようとする。

 姉の考えていることを察した弟は……

「気を付けてね」

 それだけ、彼女に伝えた。




 結局、調べても調べても良い情報は得られなかった。

 体育のバスケ中、楸はいらだちまぎれにボールをシュートした。しかし、それは思ったとおりの弾道をずれ、ゴールの近くにいた川堀の頭に直撃する。

「あ」

 謝る間もなく、川堀が倒れる。急いで川堀の様子を見ると、いやに血色が悪い。

「保健室に連れて行きます」

 周りからの非難の視線を浴びながら、楸は川堀を負ぶって保健室へ向かった。養護教諭は咳を外しているのか、誰もいない。とりあえず、楸は川堀をベッドに寝かせた。

 見れば見るほど、本当に顔色が悪い――青白いを通り越して、紙のように白かった。

 触れてみると、体温は低い。吸血鬼の平熱など分からないが、このままではまずいのではないか? そう思うも、一体何をすればいいかわからない。人間相手ならとりあえず暖かくすればいいと聞いたことがある。楸は川堀に布団をかけ、湯たんぽか何かが無いか探そうとした。

 川堀の傍から離れようとしたとき、布団の隙間から手が伸びてきて、楸の服をつかむ。

「何?」

 問いかけても、川堀はうつろな瞳で楸を見るだけで、答えはしない。一体何がしたいのか? 楸はそう考えながらとりあえず、川堀の手を外そうとした。その時、ボールにぶつかって倒れた人間とは思えないほど、俊敏な動きで、川堀は楸の両手を拘束する。

「川堀?」

 やはり問いかけには答えない。床に押し倒され、川堀の顔が近づき、そして、楸の首にかみついた。一瞬の鋭い痛みと、身体から力が抜ける感覚。血を吸われているのだ――楸は気づき、抵抗しようと思ったが、拘束の手は思ったより強く、振りほどくことができない。一体この細い腕からどうやって力を出しているのだろうか? 川堀の姿は女ではあるが、正真正銘性別は男であると、楸は再認識していた。

「い、いい加減に、しろ!」

 この際相手に怪我を負わせても気にしないとばかりに、楸は全力で川堀の身体を蹴る。

 呼吸が浅く早いし、心臓もうるさい。そして、貧血を起こしたのか、クラクラする。楸は体調不良を起こしたような感覚を感じながら、川堀を睨みつける。

「あんた、一体どういうつもり?」

 漸く顔を上げた川堀はいつもの川堀であった。

「ひ、ひーちゃん……」

「……」

「ごめん」

 そう言って、川堀は頭を下げる。

「最近、血を飲んでいなかったから」

 つまり空腹で、倒れるほど体調を崩しており、その結果一番近くにいた楸の血を吸ってしまったらしい。

「そうなる前に誰かしらの血を貰えよ……」

 川堀の美貌なら、男女問わずに捕まえることができるだろうに……。それに、あまり知られてはいないが、相手の体調を損なわない程度の吸血は禁止されてはいない。それを川堀が知らないはずは無いだろう。

 一体なぜ、今まで血を吸わなかったのか?

 問えば、言いにくそうに川堀は話す。

 曰く――

「誰の血を飲んでも美味しくない」

 らしい。

 味覚が狂ったのなら、とっとと医者に行った方が良い。それだけ言うと、楸は制服を整えて楸は保健室を出ようとした。しかし、川堀に止められる。

「ねえ」

「ん?」

「俺が死んでも良い――って言ったらどうする?」

「むしろ今すぐに死んで欲しい」

 話は終わりとばかりに、楸は保健室を後にした。

 誰もいなくなった保健室で、川堀はため息を吐く。

「二葉亭四迷のバカ野郎」

 悪態をつき、川堀は窓を睨んだ。

 ――いっそ、夏目漱石にするか……でも、気付かないかもな




 やはり、調子が悪かったのか川堀は早退したらしい。久しぶりに一人で歩く通学路には、どこか違和感があった。

 思ったより、道が広く感じられる。

 灰色の道を歩きながら、楸はそう思った。

「ねえ」

 不意に声をかけられ、そちらを見ると大きな一対の瞳がこちらを見つめていた。

 たしか、彼女は――

「真弓ちゃん?」

 その言葉に少女――真弓が頷いた。

「お兄ちゃんが、貴方を呼んでって」

 川堀が? 一体なぜ?

 ――それ以前に、一人で学校近くにお使いに行かせるなよ……

 それとも頼める相手が彼女しかいなかったのだろうか?

 とりあえず、真弓の跡をついていく楸。そういえば川堀の家には行ったことが無かった。

 しかし、連れて行かれたのは、以前川堀が真弓を送っていくときに少しだけ見たことのある真弓の家であった。

「こっち」

 裏口へ行き、土の露出した地面の場所に案内された。一体どこに連れて行こうというのだろうか? そう考えた瞬間、痛みが楸を襲い、彼女は意識を手放した。




 次に目を覚ました時、楸は裸で両手を縛られた姿となり、冷たいコンクリートの床に転がされていた。

 上下左右、同じコンクリートで囲まれていた部屋に、一つだけあるのぼり階段。その向こうに扉があることを踏まえると、地下室――だろうか?

 とりあえず、何か羽織るものが欲しいなと思い、楸は辺りを見回した。

「あっれー、もう目を覚ましちゃったんだ」

 ざんねーん! そう言いながら現れたのは、片手にメスをもった少女――真弓だ。

「なにを……」

「なにをするの? 何回聞いたかわからない! 状況から判断できないの?」

 真弓はとても子供とは思えない顔で笑った。

「あーあー、なんで、お兄ちゃんはこんな馬鹿女ばかり、気に入るんだろうな」

「?」

「あたしのことは、見てくれもしない癖に……」

 真弓はメスを楸に突き付けながら言った。

「どうして、アンタ達みたいなのが愛されるの?」

「何を言っているか、よくわからない……」

「あたしは、お兄ちゃんに愛されたいの。そして、いつか……」

 そう言って彼女はいとおしそうに腹部を撫でる。

「お兄ちゃんの子供を産むの。それが、どうして――あの人の種をその身に受けるのは、アタシじゃなくて、違う人」

「……」

「それが許せない、だから、殺すの。……その前にたくさん傷つけてね」

 その言葉で理解した。

 一連の連続殺人の犯人は、彼女である――と。

 しかし、どうして、こんな子供が子宮の取り出し方などがわかるのか?

 その疑問を口にする前に、真弓はメスを楸の腹に突き付けながら言う。

「安心してね、大事なところは綺麗に取り出してあげる。お爺ちゃん、すっごく変わった人で、普通子供に見せるべきでは無いところ――化け物の解剖をあたしの前でやってくれる……なかには、人間とまるで変わらない奴もいて、そう言うの何回も見て、あたしもメスを持ってバラしたことがあるから、安心して」

 ね?

 そう言われても、微塵も安心できない。

 先ほどは寝起きで上手く働かなかった頭も大分クリアになった。狂気の色を濃くする真弓とは裏腹に楸の頭は冷静である。腹部にメスが沈み込みそうになったとき、楸は地面を蹴って、真弓から距離を取った。

 そして、もう一度地を蹴り、彼女に体当たりする。

「きゃあ!」

 声をあげて、少女は倒れる。楸は、縛られた足で器用に落ちたメスをつかむと、それを後ろに縛られた手に持っていき、両手と両足の拘束を解いた。

 服になるモノを探すと、地下室の隅に薄汚れた白衣を見つける。無いよりはマシだろうと考え、倒れている真弓を放置し、楸は地下室を出ようとした。

 しかし――

「――っ」

「逃がさないよ」

 腹の左の部分が痛い。ナイフで刺されたのだと気付いたのに一瞬遅れた。

 そして、真弓の姿を見て驚愕する。

 身長は同年代の男子より数センチ高い楸よりも、さらに頭一つ分は高く、そして山のような筋肉を持っている。先ほどまでの十歳程度の可愛らしい少女の面影の無い、まぎれもない男の姿だ。

「薬が切れた――この姿を見られるなんてね」

 首を絞められながら、楸は苦痛に呻く。

「ま、殺す方法が少し変わるけど良いか。――死んで」

 楸の身体から、力が抜けた。

 殺したか? 真弓が脈を図ろうとしたとき、真弓の身体が吹き飛んだ。

「!?」

 自分の二倍はありそうな大男を吹き飛ばした少女を、真弓は白黒した目で見る。

「生憎、この程度で死ぬほど軟じゃないんで……」

 先ほどの死んだふりに騙されてくれてよかったと内心ほっとしながら、楸は地下室を飛び出し、入り口の近くにあった箪笥を力任せに扉の前に置くと、その建物から逃げた。

 裸に白衣一枚の身体で外に出た後、彼女はハタとあることに気づく。この格好では、確実に変態扱いされる。もう一度引き返して服を失敬しようかと思ったが、また戻る気にはなれず、楸は真弓の家の庭でへたり込む。ああ、どうしようか?

「ひーちゃん?」

 頭上から声が聞こえ顔を上げるとそこには、黒い服を身にまとったカハホリが立っていた。久しぶりに、彼の男性の恰好を見たような気がする。

「カハホリ……」

「なんとなく、ひーちゃんのにおいがしたから、来てみたけど……」

「犬か?」

「吸血鬼ですー。困っているんでしょ?」

「へ?」

「俺の家、すぐ隣。来る?」

 そう言われ、楸は普段だったら絶対にとらないカハホリの手を、取ってしまった。

「うん」

「ねえ、ひーちゃん」

「何?」

「今、夜だね」

「ああ」

「月が出ているね」

「うん」

「月が、綺麗ですね」

 カハホリの言葉に、楸は微笑みと共にこんな言葉を返す。

「私死んでも良いわ――」

「ひーちゃん……」

「なんて言うか」

 楸は、カハホリの目をまっすぐに見て言った。

「お前が落とした女たちと一緒にするなよ」

 強い瞳に、カハホリも好戦的な笑みで返す。

「ふふっ、そうこなくっちゃ、ひーちゃんじゃないよね。ねえ、吸血鬼とエクソシストの、禁断のラブストーリーってどう思う?」

「そういうことを思い浮かべて、実行するお前は死ねばいいと思う」





 真弓――本名:葛野真樹くずのまき――は正真正銘、成人男性。カハホリをお兄ちゃんと呼んでいたのは昔からの癖だという。――と、なるとカハホリの年齢はいくつなのだろうか? それとなく問いかければ、彼は『永遠の17歳』とふざけたことを口にした。

 この答えに、楸はもっと彼のことが嫌いになれそうだと思ったが、カハホリは気づいていないだろう。

「そんなわけで、君のお姉さんってどんな異性が好みか知っている?」

「自分より弱い相手はダメだとは言っていました」

 楸の弟は、心底見下したような目でカハホリを見つめ、紅茶を一口すすった。

 昼下がりの喫茶店の雰囲気には似つかわしくない、殺気が彼から放たれる。しかし、カハホリはそんなものをまるで気にしていない。

「いや、そうじゃなくて、背が高い方が良いとか、そんな感じ?」

「知っていても教えませんよ。死んでください」

「辛辣なところはお姉さんそっくりだよね」

 弟は大きくため息を吐いた。どうして、大事な姉を奪おうと画策する男の恋愛相談をしているのだろう? あの事件が切欠で、連絡先を交換するんじゃなかったと、彼は心の底から後悔した。

 ――姉の命の恩人だなんて思うんじゃなかった

 初対面の時の好青年の姿が本当に憎たらしい。そう思いながら、彼は愛しの姉に連絡する。

「姉さん、変な男の人にからまれている。助けて」

 カハホリに向かって、殺意の湧いた攻撃が飛んでくるのは、あと何分後のことだろうか?




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