色褪せぬもの
『お元気ですか? 貴方がいくなってから
随分と時が経ちました。
私はこの丘の柿の木の下、 ぼんやり空を
見上げています。
頂いた櫛も、 思い出も、 色褪せたけれど、
貴方への想いは……。
今も変わりません……。
終戦を迎え、 色々大変です。
この空の下でそれでも私は生きていきます。
約束、 叶いませんでした。
それでも大丈夫。 私は強く生きていきます。
柿色の櫛と、この丘で……』
終戦から数年後、私は結婚もせず、教師の
道をすすんだ。
大変な時代の中、皆必死に生きている。
戦争という爪痕の残る中で……。
「あのさ、 先生はお嫁に行かないの?」
あどけない顔の小学生の女の子が私に
尋ねた。
「そうねぇ。 誰かもらってくれる
かしら?」 言葉を何気なく濁す。
「好きな人がいるの?」
「さあ……」
子供は実に正直だ。
小学生の教師を始めて間も無い私は、毎日
戸惑う事ばかり。
それでも子供達の笑顔に励まされ、努める。
戦地へと赴いたあの人の分までとはいかない
けれど、精一杯自分の道を歩く。
せめてもの……。
そんな言葉はおこがましい。
それでも、私はあの人の分まで……。
「さあ、 今日のお勉強は終わりです。
皆さんお家の人のお手伝いをしっかり
して下さいね」
教科書を片付け、生徒に声をかけた。
まだまだ復興の途中。学校よりも家の
仕事が大切。
わらわらと皆帰り支度をし、家路へとつく。
職員室へ行き、私は学校の仕事をした。
「いやぁ、 先生。 お若いのにご立派で
すなぁ。 うちの息子の嫁に頂きたい」
おもむろに、校長先生が話しかけてきた。
「有難いお話ですが、 私は教師の道を
選びました。 今が楽しいです」
「そうですか……。 残念です」
少し不満な様子で、自席へと戻って行った。
確かに教師の道も厳しい。女に生まれた
以上、お嫁に行くのは当然とされる。
しかし私は意志を曲げない。
約束……。 叶わぬ約束。
私の心は、現実ではないけれど、あの人に
嫁いでいる。
自分勝手な事かも知れない。
あの丘での曖昧な約束かも知れない。
それでも、私の中にはあの人がいる。
形ばかりが婚姻というならば、私のこの
思いは茶番に過ぎない。
心が通じ合うのが、本当の婚姻だと私は
信じている。