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プロジェクト9

「あの…。」

リリィはその若い画家の男性に声をかけると、その彼がリリィの方を振り返った。

「似顔絵ですか??」彼はそう言った。


「いえ。あなた、お名前は?」リリィが名前を訊くと、

「僕なんて名乗るほどのものじゃありません。ちょっと前からこの島に来てまして、今は芸術家を目指しています」

「この島の人間ではないのね?」

「はい、都会が嫌になってここに…」その彼は、リリィと話しているときもずっと青い空を見上げていた。


「ちょっとだけでいいんだけど、あなたの絵を見せてくれないかしら?」リリィがそうお願いすると、彼は自分の住んでいるせまい貸家に案内した。


「ほんとは自分の描きたいものはこんなものではなくて、もっと美しいものを描きたいんです」

と彼は言った。

その彼が描いたと思われる作品の数々は正直いってあまりうまいと感じる作品はなかった。芙美子さんを描いた青年とは人違い?とリリィは思った。

「他には?」リリィは訊いてみた。

「似顔絵を描いて小銭稼ぎはしていますが、僕の世界に合わないし、売れなかったとしてもモデルになっていただいた人にあげてしまっています。先日も、多分島の住民ではなさそうな清楚な女性を描きましたけど、結局それもあげてしまいました」

「えっ?」リリィは、やはり芙美子を描いてくれた男性はこの人だと確信した。

「どうかしましたか??」

「・・・いえ」

「記念に似顔絵を描きましょうか?」画家の彼にそう誘われたが、リリィは、

「ありがと。でも、私はもうおばさんだから遠慮しておくわね」

と言って、断った。



それからリリィは、彼に自分の経験した恋について語った。


もう20年前くらいの昔に、今の夫である冴えない章宏のところに毎日通っていて、彼のとんちんかんだけど面白かった話を毎日に聞きにいったということ。汚かったアパートから出発した私たちだったけど、彼がずーっと彼女自身を大切にしてくれたと感じたひとつひとつの思い出を噛みしめるかのように、リリィは自分の半生を振り返っていた。


「やあねー。年取るとつい、昔のことを思い出したくなっちゃってね」

「素敵な思い出ですね」青年は、その話のことを褒めた。

「あなたをみていたら、つい思い出してしまったの。あなたは、あの人の生き方にとても似てるんだもの」

「僕が、あなたの想い人にですか?」

「ええ! でもね。私の夫はもう、もうしょぼくれたおじさんになっちゃいましたけどねー」リリィは笑いながらそう言った。

「僕にも素敵な恋ができるかな…」

「・・きっとできるわ。なにごとも自信を持つことね。今日は、変なおばさんに付き合ってもらっちゃってどうもありがと」

「いえ、こちらこそ。なんにもないところですけど、また遊びに来てください」


そういって、リリィはその青年と別れた。



-- + --



ゴリラ動物園にもまた待望の赤ん坊が生まれた。六花から生まれたのはかわいいメスゴリラで、名前は『奈々』と名づけられた。


「この施設で7番目のメスだから、奈々なんだよ。リリィ。お前には負担が大きいかと思うけど、新人の通信士では荷が重い。また、奈々の面倒を見てあげてくれないか?」

「いいわ。その代わり、六花は新人の通信士にお願いするけど?」

「ああ、いいよ」


「リリィさん、おはようございます!」もう18歳になり高校卒業真近となった芙美子は、まだ見習いという立場だったが、時々章宏たちが運営するゴリラ動物園に来て、世話のお手伝いをしていた。

「あ、ふーちゃん。この子、六花が産んだ奈々っていう子なんだけど、勉強がてらに一緒に指導役に当たってもらうけどいい?」

「はい! ああっ! 圭太と良太はいつも元気ですね~」

「彼らはますます元気になってるわね」


圭太と良太は、最近ゴリラが胸を叩く行為であるドラミングを盛んにやるようになり、近隣への騒音問題になってしまったために、現在は動物園の方に引き取られ生活していた。

そして、奈々が生まれたその年から久美子が新しい園長に就任した。というのは、章宏はもう年齢的に引退すべきと感じ、研究所の過去の資料整理などに専念することにしたためだ。


「久美子さん、大変な仕事だけど頑張ってください。もし困ったことがあったら、うちのリリィになんでも訊いたらいいよ。あと、新人の飼育係も久美子さんの判断で雇用してもらってかまいませんから」

「はい、精いっぱい頑張ります」

「まあ久美子さんは日本で初めてのゴリラ通信士だからね、期待してますよ!」


正直なところ、章宏が園長を引退した理由は他にあった。

章宏はゴリラたちを一生懸命に面倒を見たが、”どこか”自分になついてくれなかったということだった。実際にそれはゴリラ通信士として合格した人10名の内、7名が女性という過去の実績が物語っていた。



-- + --



そして、奈々が生まれてから約1年が経った。


「ねぇ、ふーちゃん」リリィは芙美子に声をかけた。

「例の似顔絵描いてくれた人! 会いに行かなくていいの??」

「うん… ほんとはずっと会いに行きたいと思ってるんですけど。でも、お母さんになんて言われるか…」


そんなことを話していたところに、久美子が親子連れの来園者への案内を済ませ、リリィたちのところに近寄ってきた。

「お疲れさまー。少し休憩しましょう!」久美子が芙美子たちに声をかけた。

「ねえ、お母さん…」

「なに?」

「あの島にいってもいい?」といい、丘の上にある園内から望める瀬戸内海の方を指差した。

「例の似顔絵描いてくれた人のとこ?」

「…うん。ダメかな?」

「お母さん、色々考えたんだけどね。結論は、あなたがあなた自身の心で信じた道を行きなさい。いいわね?」

「それって…」

「あなたはもうじき20歳なの。ゴリラだって、20歳になれば立派な成人よ。あなたももう私のいうことを聞かなくてもいいのよ。自分の信じる道を突っ走りなさい!」

「うん!!」

「・・久美子さん!」リリィも一緒に喜んでくれた。

「その代わり、泣いて帰ってきたら承知しないんだから!」

「でも、良太や圭太、奈々ちゃんは誰が面倒見るの??」芙美子は不安そうな顔をした。

「私たちが誰だと思ってるの。一流のゴリラ通信士がこんなにもいるんだもの。安心しなさい」久美子は、芙美子の気持ちに背中を押した。

「ふーちゃん! その画家の彼ねー、今は”おんぼろ貸家”に住んでるけどがっかりしないでね!!」リリィはそう、芙美子に助言した(笑)

「うんっ!」



こうして芙美子は、動物園を離れて彼女にとっては遠く離れた島、3年前に約束した彼のいる生口島に身を馳せることになった。


(つづく)

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