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プロジェクト8

芙美子という少女につきっきりで、リリィは彼女にゴリラ語の基礎を教えた。

芙美子の覚えるスピードは思っていた以上に早く、たったの1年でゴリラ通信士として必要な基礎会話能力を身につけてしまった。


「これで私、お母さんの負担を軽減できるかも…」芙美子はぼそっとつぶやいた。

「えっ? そんな思いで圭太や良太と接していたの?」リリィは芙美子にそう訊いた。

「いけなかったかな??」

「ううん。いけなくなんかない。むしろ、とても立派だと思う。うちの茜も、それくらい親思いの子だったらよかったのに… 茜なんかね、アニメやゲームとかに夢中で、全然親の手伝いなんてしてくれないの。もっとも私もねー。あなたのお母さんと同じくらいにゴリラ通信士になるために頑張ってしまったから、その”ツケ”が回ってきたんだと思う。でもね」

「なに?」

「私は、あの人のやってきた仕事がすごく好きなの。もう20年も一緒に連れ添ってきたけど、一緒に過ごしてきた中でなによりも一番大切にしてくれたのが私のことだったし」

「へえ、リリィ先生はとても愛されてるんですね」

「芙美子ちゃんは好きな人とかいるの?」

「私はこの家で大切に育てられ過ぎてきたし、幼い頃にお父さんがゴリラ調教中に車に轢かれそうになった良太をかばって死んでしまったから、男の人というものがよく分かりません。だからなのか、まだ恋というものをしたことがないんです」

「恋は女を変えるのよ(笑) 大丈夫。すぐにできるから!」

「私は今、女子高に通ってるからそんな出会いなんて…」

「まあ、かわいい子には旅をさせろってね。うちの茜でも誘って、一緒にどっか遠くに行ってみたら?」

「そうですね」



一方、章宏のほうは林所長が遺した研究成果で、まだ学会に発表されていなかった『ゴリラ繁殖の加速化への試み』という論文を読んでいた。


「そうか。一度の出産で6頭産むためには、それ相応のリスクが必要なのか…」


「ただいまー」リリィが檀上さんところから帰ってきた。

「どうだった? 芙美子ちゃん」章宏はリリィに芙美子ちゃんの様子を訊いた。

「彼女はすごいよ! やっぱり、小さい頃からゴリラと一緒に育ってきてるから素質が違うんじゃないかな」

「ねー、ママ?」

「なにぃ、茜??」

「その芙美子ちゃんに『どっか行こうよ』って誘われたんだけどさー」

「うん、茜はどうするの?」

「断った」

「どうして???」

「私、あの子と友達になれないな、なんとなくだけど。あの子、ちょっと天然だしね」

「もう茜ったら!」リリィはちょっと気落ちした。

「分かったわ。でも、お母さんはあの子をもうちょっと面倒みてあげたいから」

「・・・マジでママなんて大嫌い・・・」機嫌を損ねた茜は、自分の部屋に戻ってしまった。

「ちょっと、茜!!」

章宏がそんな二人の間のやりとりを聞いて、口を出した。

「あいつも寂しい思いをしているんだよ。お前が芙美子ちゃんにかかりっきりだからさ」

「そうなのかな… もう、そんな年頃じゃないと思ってたのに…」

「子供ってのはそういうもんだ。明日はどこか買い物にでも連れてってやれよ。折角の日曜日なんだし」

「そうね」


-- + --


その年の夏が終わりそうな頃に、リリィはまた、芙美子ちゃんのところにゴリラ通信士のコーチングのために檀上家に行った。

「私… 最近、胸がとても苦しいんです…」芙美子が第一声でリリィにそう告げた。

「どうかしたの?」

「実は…」

話を聞いてみると、芙美子はひとりきりで遠くに行きたくて、頑張って連絡船に乗船し、瀬戸内海にある近くの島を訪ねていったようで、そこで似顔絵を描いてもらったのだという。

「へえ、どれどれ… あれ、結構うまい絵だね。これ、芙美子ちゃん?」

「はい。私のありのままを描いてもらいました」

「そうかな? おばさんの目には、この絵の芙美子ちゃんはちょっと笑顔がはにかんだ感じがするんだけど。芙美子ちゃんはもっと大きな笑顔になると思うんだけどねー」

「多分、そのときはこんな風に映ったのだと思います。それでね… 私、来年になったらその島に移り住もうって思いました! その絵を描いてくれた方と約束してきてから」

「ええ?! お母さんには相談したの?」

「これからなんですけど…」


「おひさしぶりです、小金沢さん」芙美子さんのお母さんが二人で話しているところにやってきた。

「あ、お母さん! 私のお願いを…」

「ダメです!! さっき、あなたが話していたことをそこで聞いてたんだけど…。折角、リリィ先生にここまで色々教わってきたのに。圭太や良太はどうするつもり? あの子たちも悲しむわよ」

「でも、来年行くって約束してきたんだから!」大人しい芙美子がいつになく大きな声を張り上げて、お母さんの久美子に反抗していた。

「高校だって、あと2年あるし! 大体、見ず知らずの人との約束とおうちのこと、どっちが大切だと思ってるの! あなたが純粋な性格で、素直なのは分かるけど。その人と約束しているんだったら、今すぐ連絡して”行けない”って言っておきなさい?」

「・・・分かった。でも私が高校卒業したら、行ってもいいでしょ?」芙美子は最後まで島に行くことを諦めることはなかった。

「久美子さん。私の方があなたよりも年上だからというわけでもないんだけど、芙美子ちゃんのいうその人、どんな人か確かめてからまた考えてあげたらいいと思います。この絵を見てください」と、芙美子さんの似顔絵を見せた。


「・・・」久美子さんはその絵を見て、あまりの上手さに息を飲んだ。


「この絵を見て、私は描いてくれた人は信用できると思ったんです。心ない人間ではこういった芙美子ちゃんを描くことはできませんよね? もし、良太と圭太の面倒が久美子さんの大きな負担になるなら、うちの動物園で預かりますし。ね?」

「小金沢さん、本当にお世話になりっぱなしでごめんなさい。でも、この子にはちゃんと高校くらいは卒業してもらいます。ここの家は、義祖父様から相続した立派な財産のおかげで裕福な暮らしはさせてもらっていますけど、心の教育は重要だと義祖父様からいいつけられているんです。私がいなくなっても、全部自分でできる子に躾をしてあげたいんです。だから…」

「久美子さんの気持ち、私も人の親だから分かるわ。じゃあ、芙美子ちゃん? 今はお母さんのいうことを聞いてあげなさい。私がこの絵を描いてくれた人のところにそれとなく行って確認してくるから。それまでは、今、自分ができることをやったほうがいい」

「分かりました・・、リリィ先生」

「うん、いい子ね」

こうして、芙美子が感じていた”恋心”は一旦は引いてもらうことになった。



その後、リリィが芙美子の自画像を描いてくれたという男性を探しに、生口島を訪れていった。連絡船で小さな港に到着したリリィは、そのすぐの波止場でスケッチブックを持った若い男性を見つけた。

「もしかして、彼が芙美子さんの絵を描いた人かしら??」

そう思って彼に近づいたリリィは、驚きを隠せないほどの光景を目の当たりにした。



画家の男性は、芙美子のお父さんである雅彦さんの若い頃にそっくりだったのだ。



(つづく)

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