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プロジェクト10

奈々が生まれてから、もう5年の月日が過ぎていった。



章宏は、いつものように資料整理していた時に園内の倉庫に眠っていた金庫を目にした。


「あれ?なんだろう… ああ、引っ越しの際に鍵が開かなくて困っていたやつか」


とりあえず章宏は、一度園内の事務所に戻り、昨年の動物園の損益計算書などを見ていた。このところの来園者の減少方向により、経営状況が悪化しつつあるゴリラ動物園の将来をどうするか考えていたがどうにも結論が浮かばなかった。


「ああ、やっぱり新しい動物を入れて、来園者の幅を広げるしかないのかな…」


そんな風に悩んでいたところに、章宏に会いたいという中年のおばさんが訪れてきた。


「え?どんな人??」章宏は対応した事務の女性に訊くと、彼女は昔の知り合いだといっているようだった。

「誰だろ… とりあえず、応接まで案内してくれないかな?」

「かしこまりました」



「どうも、はじめまして」応接室で待たせていた女性に、章宏はそう挨拶をした。

「・・私のこと、忘れたのかしら??」

「多分、初めてだと思うんですが・・」どうしても章宏は彼女のことが思い出せなかった。

「それもそうね。40年以上も昔のこと、覚えてろというほうが無理があるわね」その女性は笑った。

「私は、吉永佐智といいます。武蔵原美大で、あなたと一緒に『ゴリラ概論』を聞いていたんだけど覚えてない?」

「ああ!!! あの時の女性! 覚えてます」

「お互いに歳を取ったわね」


その後、吉永さんはこれまでに生きてきた自分の人生を章宏に語った。

あれから、彼女は大庭教授の研究室で研究員兼事務所秘書を務め、年老いた大庭教授が脳梗塞でなくなるまで一緒に造形美術の研究を行ってきた。


「私はね、大庭教授の言うコケシみたいな”失敗作”を見に行ったとき、彼がこう語ったの。


”君の言う通り、これらは私が深層意識の中で思い描いた理想の形、なのかもな”


てね。その時はただの変態だと思っていたんだけど、ようやくその言いたいことの意味が分かってきた」

「というと?」

「我々人間はね、自然と”繁殖したい”と願っているということよ。つまりね、人間は自分の代以降に子孫が続かなくなることをひどく畏れている生物だと、彼はいいたかったのよ。逆を言えば、寂しさが大嫌いなんだって」

「寂しさねー」

「あなたは、この動物園はもう何年やってるの?」

「初めて、ゴリラ通信士が誕生してからだから… おおよそ15年くらいかな。もっとも、それ以前は広島市内でゴリラ研究所を営んでいた林所長のところでお世話になっていたから、ゴリラに関わってからもう結構な時間が経っているよ」

章宏は、改めて自分がゴリラに捧げてきた時間が長いことを思い返した。

「あなたが、ゴリラと関わってきた理由はなに?」吉永さんは章宏に訊いた。

「ゴリラと関わってきた理由?? 私はね、ゴリラを使った通信『ゴリラ通信』というものを実用化できないかって、それだけで東奔西走していた。だけど最近思うことは、現実はそんなに甘くはなかったということだ。なにより、ゴリラはその風貌から多くの誤解を受けており、またゴリラの成獣後は相当のパワーを振るって暴れる可能性がある。多分、君も大庭教授からは聞いたかもしれないが、繊細で争いを好まない動物だといわれることもあるが、彼らはやはりジャングルで生き残るために自己防衛能力を極限まで高めている。そんな彼らが、人間のエゴを目の当たりしたら、ひとたまりもなく我々にキバを剥くだろうと確信している。彼らゴリラが人間にならなかった理由が、そこにあるのかもしれないとね」

「・・・さすが、長年ゴリラに寄り添ってきただけあって、気付いているようね。大庭教授も言っていたわ。ゴリラが人間よりも優位なこと。それは、その類まれなるパワーの持ち主なんだってね。成獣したオスゴリラなら、プロボクサーでもやっと届くか届かないかという500kg級の重いパンチ力を当たり前のように身につけているし。で、あなたは覚えているかしら? あの講義の中で、教授が盛んに口に出していたこと」

「なんでしたっけ?」

「ええと、”すべての造形物には、完成の前に必ず設計意図が含まれている”よね。言い換えると、目的なく生まれてきたものは何一つ無い、ということ。覚えてるでしょ?」

「あ、ああ・・」


章宏は、事務の女性から出されたお茶を一杯口にした。


「であるとすると、ゴリラという一つの造形物を見たとき、そこにどんな設計意図が含まれているのか。その設計意図こそが彼らの生存理由(レゾン・デートル)なんだけど、あなたはどう思う?」

「今まで考えてみたことがないな。そんなことは」

「あなたはいつしか研究ではなく、”ビジネス”としてゴリラと付き合うようになったから無理はない。あえていうなら、あなたにとってのゴリラの生存理由は、この動物園存続のために必要な生き物にすぎない」

「・・・いきなり来て、君は失礼な言い方をするな。彼らは私にとっては”家族”なんだよ」章宏はムッとした。

「家族ねぇ・・・ でも、もしもよ。彼らゴリラが何らかの原因で暴れ出したら、あなたはゴリラを守る? それとも、彼らを抹殺する? どちらを選ぶのかしら」

「・・・暴れたら仕方がない。彼らを死なせるしかない」

「それが、本当に家族だと言えるの?」

「・・・」章宏は言葉を無くした。


「私が何を言いにここまで来たのか… 」


吉永さんは、鞄からA4判の茶封筒を取り出した。


「この絵を見てよ」封筒から取り出したものは、茶色の毛をしているまだ幼いゴリラの絵のコピーだった。

「見覚えありますよね??」

「・・・奈々??」

「そう。ここの動物園にいる一番人気の奈々ちゃんよ。この子、不思議よね。ゴリラというのは普通アフリカに住んでいるから、全身は黒い毛で覆われていると同時に、皮膚も黒くなければ紫外線にやられてしまうものなの。でも、この奈々はもう5年経とうとしているのに、皮膚も黒くならなければ、毛の色も茶色のまま」

「日本に来て、体質が変わったんじゃないのかな? ここはアフリカほど日差しが強くないし」

「確かにそれもあると思うんだけど、でもDNAがそれを許してくれないわ。ここ以外にあるゴリラのいる動物園で出産に成功した赤ちゃんゴリラではこうなったゴリラはいない。もっとも、ここにいるマウンテンゴリラではなく、あちらはローランドゴリラだからなのかもしれないけれど…」

「吉永さんは一体、何が言いたいのですか??」

「ゴリラとしてはメラニン色素の分泌が足りないのよ、奈々ちゃんは」

「エサが悪いということですか? それとも健康状態が良くないのか?」

「そんな場当たり的な問題ではない。もっと”根本的”な問題よ。あなたは、林教授という男をどのくらい知っているの?」

「彼は、ゴリラの研究にとても熱心だった人だ。死ぬ直前まで、ゴリラの絶滅を危惧していたと聞いているが…」

「その理由は?」

「理由までは…」案外、所長のことについて知らないことをそのとき章宏は気付かされた。

「じゃあ、教えてあげるわ。聞いて驚かないでほしいんだけど」



(つづく)

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