迷子
「僕は恋の迷子~」
椅子を軽く軋ませて、男は軽やかに歌う。
目前に詰まれた書類も黙殺して楽しげに窓の外を眺めながら。
「一生迷ってて下さい」
部下らしい男の冷たい一言に男は姿勢を正した。そこは整えられた執務室。
セイフィルト城内にある魔術部隊・後方支援部隊長の執務室。
「それは、ヒドイんじゃないかい? ザラクビオ」
部下ザクラビオは軽く肩をすくめ、書類整理を続ける。
この二人の出会いは世界から魔王軍を総て打ち払おうという統合軍内部。
何時の間にやらセットとして見られる上司と部下になっていた。
「ヒドイですか? 仕事してくださらないのなら、関係のない場所で迷ってられたほうが助かりますが?」
「恋はいいよー。恋愛は人としての永遠のテーマだよ。ザラクビオは恋をしたことがないのかい?」
再び椅子を軋ませ歌うように男は軽やかに言う。
「恋……ですか……」
思い起こすかのように途切れ気味な言葉に、男はいきいきと身を乗り出す。
「おお。ザラクビオにも思いを寄せる相手がいたか。さぁ、この恋の達人ケンドリック・ハーブに話してごらん」
冷たい眼差しが男にそそがれる。
「記憶に残ってませんよ」
そっけない返事にケンドリックは両の手をあわせてまっすぐ前に伸ばす。
左手の甲につけられた魔力増強のタリスマンがちらりと光を放つ。
「おや。つまらない。もしかして例の異端の魔女が初恋だったりしてと期待したのに」
「恋をするなら……全ての人の敵がいなくなってからですよ」
ザラクビオの言葉にケンドリックは低く笑う。
「無理だね。人の敵は人さ。最終的な自分の敵は自分なのだから」
大きく腕を広げ、諭すように、そして同時に嘲るかのようにケンドリックは言葉を綴る。
ザラクビオはその言葉と態度にどうしても反応してしまう。すまいと思っていても気がつけば感情を、激情を抑えることが出来なくさせられる。
「では何のための統合軍ですか?!」
怒鳴る言葉にケンドリックは即答する。
「人が平和に暮らせるための統合軍さ。少なくとも国同士の争いはないし、防衛は統率されてたほうが効率的だ。それでも問題はあるにはあるがね」
どこか、非難するかのような響きのある口調。
「…………」
ザラクビオには反論できぬ言葉。ただケンドリックを睨む。
「それに恋はすまいと、しようと思ってするものではないさ」
「こんな時代の恋は悲劇に終わりそうですけれど?」
感情のまま反抗的な口調のザラクビオをケンドリックは軽く笑う。
「悲劇になるとわかっていても恋したら愛したら迷えないさ」
ケンドリックは天井を、そのむこう側を透かすように仰ぎ見る。
「人はいつだって迷子。人生の迷子だよ。どうせ迷っているなら恋の迷子の方が響きが良くないかい?」
ウィンクとともに手元の書類をぱちんと弾いておどけて見せる。
「真剣に感心しかけてた私がバカでした!!! 好きなだけ迷っていてください」
ザラクビオは乱暴に椅子をひいて立ち上がり、執務室を後にした。
ポツンと残されたケンドリックは苦笑し、呟く。
「若いねー」




