紫陽花とまいまい
霧雨が視界をけぶらせる。
雨の中、生き生きと小さな花が群れをなして咲いている。
「サキ、風邪ひくぜ」
群れをなす花の中、少女はぼぅっと佇んでいた。
霞む視界の中、佇む少女はまるで幽霊のようにも見える。
「雨は優しくて気持ちがいいのです」
少女サキはそう言って微笑む。こちらを振り返ることなく。
いつもはねてる髪が今日はしっとりとおりている。
「濡れすぎるのは良くないぜー」
「大丈夫です。あっちでフィアナも濡れてますよ」
「いや、あいつは水妖だからな……。はしゃいでんだよ」
言外に邪魔と言われた俺は肩をすくめてその場を離れる。
優しく甘い霧雨の向こうに黒衣の城主がいる。
群れる花の向こう雨に濡れる庭で。
「サキ、風邪ひくぜ」
少し遠い位置からかけられた声とは思えないぐらいはっきりと聞こえる声。
風が届けてくれたのだとわかる。
「雨は優しくて、気持ちがいいのです」
水の性は私にはないけれど、水はとても心地よく優しい。
炎の性を持っていた弟なら嫌がっただろうけれど。
それを思い出すと自然と笑みがこぼれる。
「濡れすぎるのは良くないぜー」
心配してくれてるのだろうけれど、今は邪魔されるのが煩わしい。
一人でいたい……
「大丈夫です。あっちで、フィアナも濡れてますよ」
嬉しげに濡れて遊んでる少女を思い浮かべる。
世の中憂いはないと言わんばかりの少女。
「いや、あいつは水妖だからな……。はしゃいでんだよ」
そう呟くように言うと、城主ゼオンはどこかへ移動していった。
紫陽花の花と雨だけが先の側に残っていた。
「濡れた。濡れた」
大きい布を差し出してくる少女。
「ありがと。ティール。で、おみやげ」
ティールは自分の手の平に残された紫陽花を不思議そうに見下ろした。
♪ ♪
時は流れる。
どれほど拒もうと時は流れる。
「お父さん、おかあさん!!」
優しく厳しい両親。
「キラ」
一つ下の弟。
失われた……『異端の者』の名のもとに……
無力な私だけを逃し、優しい人たちは殺された。
私たち家族は魔法とは違う形で力を振るう。
父はその咆哮ですべてのものを分解させることができた。
母はその意志で望むものを作り出せた。
弟は炎の力を味方にできた。
私は……
生まれながらに弱かった。
「免疫を持たぬ個体」
祖父はそう言った。
家族が守ってくれなければ死んでしまうような弱い生き物。
「戦おうとしてはいけない」
祖父はそうも言った。
「冷静であれ」
とも。
☆
「ゼオンさまー。」
「ん、フィアナ?」
「見てみてですー」
少女が勢いよく手を差し出す。
手の平には小さな水色の固まり。白っぽい細い線が渦を巻いている。
「……カタツムリ?」
にょくりと角を突き出してる様はまさにカタツムリ。
「あくあんまいまいですー」
にこにことフィアナはご機嫌。
「あくあんまいまい?」
「あくあんまいまいですー。知らないんですかー」
意外そうな表情で確認してくる。少しむかつく。
「知らん」
興味なさげに言ってやるとほっぺたをぷくぷくと膨らませて
「ぶー、信じらんなーい」
ときた。
むかつきメーターなんだか上昇。だからなおさらそっけなく、
「ふてくされられても知らん。見たことも聞いたこともないぞ。あくあんまいまいなんか」
と言った。
少し、言い過ぎたのか、フィアナは手の平に捕まえてあるカタツムリを見下ろした。
「めずらしーんですよぅ。あくあんまいまい」
「しらん」
フィアナはふっと、顔を上げて手を振りあげた。
「あ、 ティールちゃーん」
通りすがりのティールが呼び止められてこっちにむかってくる。
「どうなさいました? フィアナ」
「見て」
フィアナは俺にしたように、にこにことティールにも手の平を差し出す。
「あら、」
ふっとティールの顔がほころぶ。
「ふーふーふ」
フィアナも満足そうに笑う。
「あくあんまいまいですね。ずいぶん、久しぶりに見ましたわ。珍しいものをありがとうございます。フィアナ」
ティールはにこやかにフィアナに礼を言う。
「雨だから、もしかしたらって思ったらやっぱりいたんだー。見せたくって」
「ごめんなさいね、フィアナ、用事がまだ残っているものだから……。失礼いたします」
申し訳なげにティールはフィアナに微笑んで見せてから、俺にむかって一礼し、急ぎ足でいってしまった。
何が忙しいんだろうな?
「あ、サキちゃーん」
フィアナが次のターゲットを見つけたらしく大声で呼びつける。
手招きと呼び声に逃げそびれた少女は苦笑混じりにこっちにやってきた。
「なぁに? ごきげんよう」
「なぁに」はフィアナに「ごきげんよう」は俺にむけて……何で、そんなに俺には嫌そう?
「見て」
機嫌よくフィアナは手の平を差し出す。
「あ、生きてるガラス珠。懐かしいな」
サキがふんわりと笑った。
嬉しげに、せつなげに微妙に表情が変化してゆく。
「サキちゃん、このこね、あくあんまいまいって言うんだよぉ」
「……そう……」
サキは最後ににっこりと悲しい笑顔を残し、雨の庭へと出ていった。
「おまえいい……」
文句を言いかけたとたん、
「あ、クロちゃーん。こっちこっちぃ。さっさと来るぅうう」
やはり通りすがりのクロアートは如実に嫌そうな表情をした。
しかし、呼ばれたのだからとノコノコこっちにやってくるクロアートを可愛いと思うのは気のせいだろうか?
「なんだ?」
憮然とした表情にも負けず、フィアナはにこにこご機嫌だ。
「みて」
差し出された手の平。
思案げなクロアート。
反応を待つ、フィアナ。
「こういうものはおまえ達と違い、摂取しない」
俺は次の瞬間大爆笑。
フィアナはほっぺたをぷくぷくにしている。
「そーか、フィアナは俺にそれを喰えって言いたかったのか」
「違うもん」
からかってやると頭を左右に振りながら否定する。
そのはしからクロアートが不思議そうに尋ねる。たぶん、本気で。
「不味いのか?」
まぁ、見た目喰いたいようなものではないかな……
フィアナはほっぺぷくぷく膨らませつつ主張を続ける。
「おいしいもん」
「美味しいのかよ」
俺はまた笑う。
でもあんな物が美味いとは思いもよらなかった。
「食べてって見せたわけじゃないもん」
泣きそうなほどふてくされたフィアナはいじけたように囁く。
「用がないなら行く」
クロアートは気にしたふうもなく、退去の意思表明をする。泣かしかけたまま俺に任すなと言いたいが、きっとわかってないので放っておく。
「さっさといっちゃいなさーい」
フィアナはさくっと機嫌を直して追い出しにかかる。
「ああ、またな。 呼んだのはフィアナだろ?」
ささやかな事実を突きつけ、クロアートは拗ねたフィアナを残し向こうへ行ってしまった。
「ぶー」
どうフィアナをからかってやろうかと思ってると向こうから知り合いが見えた。
純白の衣装。薄水色の髪。剣を携えた青年。
「お、よぅ、氷雪の魔王殿」
「ああ、一杯やろうと思ってな。酒を持ってきた。風の魔王殿」
酒瓶を掲げ、彼は笑う。
「くすぐったい、ゼオンでいいって」
「なら、いつも通りパストと」
久方ぶりで友人との飲み会は悪くない。
「見てくださーい」
フィアナがにこにことまた手の平を差し出す。
「ん……ああ、あくあんまいまいか。庭に紫陽花が満開だったものな」
覗き込んだパストは納得した表情で告げる。
「紫陽花?」
「あくあんまいまいは紫陽花の花につく水精の一種で、花の咲く時期、魔力の高い条件の揃った場所でしか生まれない非常に珍しい精霊だ」
なんだか、ようやく俺の疑問が解けた気がする。
「へぇ、水精だったんだ。紫陽花……ああ、綺麗だったから、こっちでも育てようと思って持ってきたんだったな。じゃあ、紫陽花を眺めれる部屋で一杯やろうぜ」
パストは薄く笑って頷いた。




