8
「……えぇ。えぇ、構わないわ、ヨルム。宜しく頼むわね」
通信端末を切る。ダリは目の前に映し出された三次元モニター。羅列されたショーくんの精神情報の分析データをひたすら何度も読み返す。
その後ろに控えながら、シーエは変わらずの無表情のまま落ち着きなく揺れていた。
そわそわ。そわそわ。擬音にするとそんな感じだった。
触れないでおこうと放置していたダリであったが、突然デスクを片づけ始めたシーエを見てさすがに声をかけた。
「シーエ、落ち着きなさい。そこはさっき片づけなくていいと言ったばかりでしょ?」
「ダリ様。申し訳ありませんが、思考制御が上手く機能しません。早急に検査をお願いします」
「必要ないから」
ダリは呆れたように溜め息をつくと、診察台に向かおうとするシーエを引きとめる。
随分と可愛い反応を取れるようになったじゃないかと、ダリはシーエの人工知能の成長を喜びながらも、成長の方向性が若干ズレていないだろうかと不安も覚えていた。
先ほど、ヨルムから通信が入った。
エリア4で発生したdollによる立て篭もり事件に、ジェスタが招集を受けた。この先の行動についてどうするべきか仰ぎたいと、優秀な生徒は気を利かせて連絡を寄こした。
随分と都合の良い展開だと、ダリはほくそ笑んだ。
そして、技術開発研究室長の声として、新型O-doll『Type-ハイドラグラ』の同行をI4騎兵装隊司令官に要請するように告げた。
無論、現場に投入するかどうかは現場指揮官の胸一つであるが。
「現実を知るには、良い機会じゃない」
「早すぎるのではないでしょうか」
あくまでも否定的なシーエに、ダリは苦笑を浮かべる。
「ジェスタにも言ったけどね、シーエ。アタシはね、あの子にこの世界について教える、義務があるの」
シーエはダリの視線の先。渦中の少年が映るヴィジョンに目を向ける。彼がこちらに来る以前より、ダリが幾度となく目を通していた少年の思考パターンに関するデータ。
この情報により推測される少年の人格として、『弱者を虐げる強者に勇敢に立ち向かえる正義感の持ち主』という性質が見られる。
しかし現在の所、少年の言動からその推測が的外れである可能性が高いと示されている。
知らない人間を前に、涙目で怯える少年。シーエの後ろに隠れ、強面に怯える少年。その強面と少しだけ仲良くなって、照れ笑いを浮かべる少年。それなら外に出てみようかと提案すれば、またもや怯える少年。
病的な目に涙を浮かべて怯える少年が、自分より強い相手に立ち向かう姿。dollを悪し様に扱う者を糾弾する姿。罪を犯したX-dollに対抗する姿。
とてもじゃないが、想定できない。
ジェスタが分かりやすい例だろう。強面の大男を前にして震えるあの姿こそ、強者を前にした時の少年の真実の姿が顕れているというものだ。
そんな臆病な少年に、誕生に立ち会った三人は良くも悪くも優しく向き合った。
殻に守られる雛のように、この世界の悪意に晒される事も無く今日まで過ごした少年。彼はおそらく、酷い思い違いをしていのだろう。
「あの子はね、この世界が優しい場所だと思っているの。アタシ達が、そういう風に守っていたからね」
だからこそ、教えてやるべきなのだ。
「この世界は、優しくなんてない。そんなに甘い世界じゃない。早すぎるなんてとんでもないわ。むしろ、遅すぎたくらいよ。この世界で生きる以上、知るべきなのよ」
この世界の、理不尽を。
モニターを眺めながら冷酷に告げるダリに、シーエは尋ねる。
「……それをショーくんが知ったとして、ダリ様は彼がその理不尽に立ち向かえると思われるのでしょうか?」
「思うわよ」
ダリの即答に、シーエは沈黙を返す。
「アタシはね、シーエ。確かに最初は読み違えたかなって思ったの。でもね、最近、実は別の読み方もあったんじゃないかって、そう思うの」
あの少年の姿を、言動を、あの涙目で怯える顔を見てなお、ダリは想定された彼の人格を疑っていないようであった。
理解できない様子のシーエに、ダリは解説する。
「あの子の、アタシ達を見た時の過剰とも言える拒否反応。細部を除いて、姿形がかけ離れている訳でもない相手に対しての、あの怯え様。おそらく彼、元いた場所で迫害の対象にされていたのではないかしら」
「それは……」
その可能性については、シーエも薄々想定していた。
初対面での反応。元いた世界に対する、執着のなさそうな素振り。気を許した相手に寄せる幼い言動。それを考慮すると自然、ダリと同じ推測に辿り着いた。
「そしてそんな状況下で、あの臆病な子がどうやって生きてきたのか。そもそも彼は、臆病でこそあっても本当に弱いのか。ただ搾取されるだけの弱者なのか。あるいは」
危険な光を瞳に映し、ダリは楽しそうに椅子から立ち上がる。沈黙するシーエに向き直ると、ニッと歯を剥いて見せた。
「臆病だからこそ、牙を剥くべき相手には容赦しないのかもしれないわね」
政令指定特区エリア4。フルムシュ大使館前。
通信指令を受けたジェスタ。そしてダリより指示を仰いだヨルムと、何故か共に連れてこられたショーくん。彼らが事件現場に着いた時、すでに周囲は騎兵装隊により包囲が完了していた。
その周囲をさらに放送局記者を初めとする民間人が詰めかけ、人口密度を局地的に高くしている。
これは何のイベントだろうかと、事情を知らされていない少年は首を傾げた。
「ヨルムさん、ここって、何故に、これほど、人が」
「本当に賑やかね。何か楽しい事でもやっているんじゃなくて?」
しれっと誤魔化すヨルムに、ジェスタはさすがダリの生徒だよと内心で呆れる。
彼は最後まで若い二人をつれてくる事に反対だったが、ダリの立場を笠に着た『要請』に渋々同行を許した。が、さすがにそこまでだ。厳しい顔を二人に向けると、きつく言い放つ。
「お前らはここで待ってろ。現場には入るな。司令官としての命令だ」
「あ、あの、ジェスタさん、現場って言うのは、一体」
ただでさえ怖い顔を更に厳しくしたジェスタに涙目で震えつつ、誤魔化されてきた事情を控えめに尋ねるショーくん。ジェスタは彼に憐憫の眼差しを向け、何も言わず現場へと去った。
ちょ、と手を伸ばしたまま置いてきぼりにされた少年は、子犬のような視線をヨルムへと向ける。あらあら甘いわねぇと首を振る隣の少女。ショーくんの手を握って笑いかけると、説明を求める視線を無視して鼻歌交じりに何処かへと歩きだした。
何か宜しくない事態に向かいつつある事を察したショーくんは、慌てて尋ねる。
「あ、あの、ヨルムさん。ジェスタさんが待ってろって。動いちゃまずいんじゃ」
「私は軍属ではないので、ジェスタさんに命令と言われても困ってしまうわ。私も私でダリ先生から仕事を任されているもの。ちゃんとこなさなければ怒られてしまうの」
困ったように俯いて溜め息をつきながらも歩みを止めないヨルムに、ショーくんはなけなしの勇気を絞って云い募る。
「し、しかしですね。ジェスタさんが」
「ショーくん」
「あ、はい」
急に立ち止まり、視線を向けられる。まっすぐな視線。少年の瞳を捉える、真剣な少女の眼差し。
「私はね、貴方と、二人きりで、デートがしたいと、そう、言ってるの」
一言一言噛み砕くように、丁寧に言葉を伝える少女。
初心な少年の頭は思考を止め、しばしの時をおいてその意味を理解する。目を逸らす事すらままならず、あわあわと顔を赤くする。
ヨルムはそのまま背を向け、強く握った手を引きながら再び歩き出す。そして顔を背けたまま。
「女に恥をかかせないでね、ショーくん」
とどめを刺す。
真っ赤な顔で俯きながら、目をぐるぐると回すショーくんに、もはや抵抗するだけの余力はなかった。
そっぽを向けたままの少女の顔が、ほくそ笑んでいるとも知れずに。