7
帽子と外套を纏い、幼い少女と手を繋ぐ壮年の男。
そして、その影に潜む青年。
「あの女の人、dollだおー」
「あぁ、そうだな。技術開発局で手配したのだろうな」
よじよじと昇ってくる少女を抱え上げて肩車するコンドルテ。わーいと無邪気に喜ぶ少女。只の親子連れにしか見えない彼らを怪しむ者はいなかった。
「コンドルテー。おわったー」
「良い子だ、ビーユー」
少女を肩車したまま、ミュリエルの元に歩み寄るコンドルテ。距離を詰める。さりげなく、川のほとりを辿るように。
ミュリエルと女はちらりと視線を向けただけで通り過ぎる。黒い影が、彼らの影に移った。
距離が開く。一歩、五歩、十歩。
ビーユーが泣き声を上げた。
「うわぁぁぁん!」
何事かと視線を向けてくる男女。その後ろから影がスルリと姿を現し、黒い刃を振った。
金属音。弾かれた音。
「え、……わっ!?」
「へぇっ! やるね」
掌だった。広げられたシーエの掌から、分厚い刃が飛び出している。
弾かれた黒い刃はマントのように翻り、襲撃者の体に絡みつく。シーエの追撃は布のようなその刃に弾かれた。
「ショーくん。下がってください」
「な、何事……?」
言われるがままにシーエの背中に隠れたショーくん。
接近するナイプ。顔の半分に刺青を入れた彼は、獰猛な笑みを浮かべて踊るように斬り掛かった。
警吏や民間人が異常事態に気付いて目を向けると、その背後から小さな蛇が顔を出し、霧を噴出した。浴びせ掛けられた者達が、痙攣して倒れていく。
「女に守られてるだけか? なっさけねえなぁレプユッ!」
姿だけならばミュリエルの少年は、嘲笑を浮かべる男の言葉にただうろたえるだけだ。尽く襲う連戟に対処するシーエは、少しむっとした顔になる。
「貴方が何者であるかは分りかねますが、随分と不躾な方ですね」
敵の攻撃をいなしつつ、腹部に膝を叩きこむシーエ。
後退して避けたナイプは、次の瞬間目を見張る。シーエの膝頭が展開し、黒い砲弾が放たれた。それはナイプの胸部に当たり、派手な音を上げて炸裂した。
ばさりと宙に身を躍らせたナイプ。
着地と同時。薄く長く伸びたマントが、シーエに向かい奔った。かろうじて直撃を逃れたシーエの腕に、薄く筋が刻まれる。
ナイプの顔に浮かぶ笑み。ダメージはない。
そのまま横に振われた剣閃を屈んで交わしたシーエは、後退してナイプから距離を取った。
「……面白い兵装ですね」
「アンタこそ、面白い体だな」
互いに皮肉混じりの言葉を投げ、睨みあう。
全身に仕込まれたギミックを駆使する全身兵器と、振えば刃と化し纏えば鎧と化す衣を操る襲撃者。
緊迫する二人の脇で、おろおろするショーくん。
ふと足元に感じた違和感に、ショーくんが下を向くと。
「ぇ……ぅ、うあぁ!」
「ッ……ショーくん!?」
「おっとぉッ!?」
ショーくんの悲鳴に反応したシーエ。そこにすかさず振われた刃は、咄嗟に転がって避けたシーエの肩を深く抉った。
肩を押さえてショーくんを見たシーエは絶句する。
地べたで這い回る無数の鈍色。
蛇である。鉄の鱗を持つ細長い小さな蛇の群れが、少年の足元で蠢いていた。
だが、シーエが焦ったのはそれだけではなく、彼に接近する別の敵に気付いたからだ。
「ショーくん! 後ろ!」
「え」
シーエの声に振りかえったショーくん。
既に間近に迫った敵。外套を脱ぎ棄て、古傷だらけの筋肉質な体を露わにした壮年の男。
無機質な瞳は真っ直ぐにショーくんを捉えている。両手に持った小槌から連続的に響く破裂音。核から発生した電磁バリアが巨大な槌と為り、標的に振われる。
「あ、あぅ、あぁ」
「ショーくん! 逃げ……」
「無理だってばよぉ!」
気付けば接近していたナイプの嘲笑。首元に振われる刃。
――終わりだ。
確かな手応えが伝わり、コンドルテがそれを確信する。だが。
ナイプの動きが一瞬止まる。シーエも同時に。背後ではビーユーが、えぇ! と声を上げる。
気付いたコンドルテが目を見張る。
勢いのまま宙に投げ出された標的が、形を崩したのだ。
銀色に変色し、水溜りのように固まった流体がシーエとナイプの方へと運ばれる。
硬直からいち早く立ち直ったシーエが残された腕から刃を出し、ナイプに振う。かろうじてそれを受け止めたナイプは、しかし。
二人のちょうど真上にきた流体。それが不意に形を為し、両手を塞がれたナイプの顔面に踵をめり込ませた。
布に覆われていなかった鼻を潰され、血を噴き出すナイプ。
「ナイプッ!」
「クソがぁっ!!」
たたらを踏み後退するナイプに、シーエが追撃する。
シーエの剣が線をなぞるが、全身にマントを纏ったナイプの体が地面に沈んだ。
影と化したナイプの姿を追うシーエだが、ショーくんの呻き声に咄嗟に反応する。
「あぁ、痛い、頭が、ふら、ふら」
「シ、ショーくんっ。大丈夫ですかっ?」
直撃の瞬間、流体と化して衝撃を流したものの、殺しきれなかったダメージを残した少年が頭をふらつかせていた。介抱しようとするシーエだが、状況的にそうもいかなくて歯噛みする。
出力を上げたバリアを展開し、二人を纏めて潰すべくコンドルテが迫っていた。
ショーくんを抱えて後退するシーエ。そこに、鈍色の蛇が追い縋る。
足元で這い回る蛇に動きを制限されたシーエの耳元で、ショーくんがぼやく。
「あぁ、シーエさん」
「! ショーくん。しっかり掴って……」
「さっきの人ですか? まだいるんですか? あぁ、やだなぁ、もう。ホントに」
うんざりとした声で嘆くと、シーエの肩にとろりとした感触が広がった。
「ショーくん!? ……っ」
既に射程距離に入ったコンドルテが槌を振う。少年の姿を追いながらも、後方に回避するシーエ。
バリアに掠めた地面が焦げる。攻撃範囲の広さと巧みな体捌き。反撃の隙を与えないコンドルテの連撃に防戦を強いられるシーエ。
コンドルテは攻撃の手を休めないまま、姿を消した標的に意識を散らせていた。
先ほどもそうだ。直撃したはずだった。手ごたえは感じた。だが……。
『地震』を司るレプユ。
ナイプからはそう聞いていたし、コンドルテとビーユーはその力の片鱗を目の当たりにしている。
だが標的は、その力を使わない。先日の接触ではお首も出さなかった臆病さ。直撃したはずの攻撃は何故か通じず、形を崩し再び組み立てる体。
コンドルテは情報を組み立て、一つの答えに到る。
「……なるほど、替え玉か」
敵の呟いたその言葉に、シーエはこの状況と、ダリの思惑を理解した。
シーエが主に憤りを覚えたその時、敵の背後からショーくんが、音も無く形を為す。
「あ、あの、ごめんなさい……っ」
涙声の謝罪がコンドルテの耳に入ると同時、ショーくんは敵の腹に手を突っ込んだ。
液状化した指が内部でコンドルテの中身をこねくり回すと、大きく身を震わせた男が力を失い、手から槌を取り落とす。
「あぁぁ! コンドルテェェェ!」
ビーユーが悲鳴を上げる。蠢いていた蛇がそれに合わせ、一斉に奇声を発した。
意識が点滅する。コンドルテは少女の声にぴくりと反応し、頭部に設置されたバリアの出力装置を最大値で作動させた。
傷ついた核にエネルギーが集中する。歪に揺らぎながら、発生した結界は大きく広がる。コンドルテを貫いたままのショーくんは容易く弾き飛ばされた。
声帯がかろうじて機能する事を確認し、コンドルテは叫んだ。
「ナ…イプ、ビーユ……御許に…合流しろ……!」
「やあぁ! コンドルテぇ!」
なおも出力を上げるコンドルテ。
破裂寸前の風船を思わせる危うげな球体が、設定値の限界を越えたエネルギーに膨れ上がる。
縋るように掛けよろうとしたビーユーは、足元から現れた黒マントに体を掬われた。
「コンドルテ! せめてソイツラくらいは仕留めてくたばれや!」
憎まれ口を残し、ビーユーを抱えて地面に沈んだナイプ。見届けたコンドルテは薄く笑みを浮かべた。
シーエは意識を手放した少年を拾い、足元の蛇を踏みしだいて離脱を急いだ。
亀裂が走る。それでもなお、出力は上がる。結界が揺らぐ。軋む。崩壊はすぐに訪れる。
ぱん。
軽い音を立てて、結界は砕け散った。
膨大なエネルギーが解放され、轟音と共に周囲に襲いかかる。熱量が、衝撃が、エニーヴィルダを蹂躙する。
蛇が塵と化す。地面がクレーター状に抉れ、樹林は倒壊し、川は枯れ果てる。
巻き込まれた人々の悲鳴が、呻き声に変わる。
暴風が巻き上げられた塵が広範囲に降り注ぎ、視界を覆い隠す。
やがて衝撃が収まり、音が静まる。
そこには。
互いに抱き合って倒れる、傷ついた男女の姿があった。