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ステーションの周囲をぐるりと囲う円形の隔壁。
エリア3。『レプユ・イクストラシ』と呼ばれるこの区画は、全域がレプユ種族管轄の自然保護区となっている。
レプユという種族。辺境の小さな星に暮らしていた彼らの数は少ない。
そして彼らの持つ希少な特性。生きた『自然現象』と呼ばれる多彩な能力。
レプユが足を踏み込めば大地が隆起する。腕を振れば風が巻き上がる。怒れば劫火が舐めつくす。
あらゆる自然現象を自在に操る彼ら種族は、いつの時代、様々な目的で異種族に狙われ続けた過去がある。
奴隷として、戦力として、危険因子として、異端として、研究対象として。一方的に攻められ、奪われ、失われ、抵抗をしながらもその数を減らし続けた。
やがて彼らは故郷の星を捨て、完成間もない惑星メトロンへと移住した。人工惑星であるメトロンに『自然』を造り出す。その条件の元、レプユはメトロンの支配種族達からの保護を約束された。
メトロンの長い歴史の中で、彼らはこの星の発展に多くの功績を残した。役に立たないと判断されれば見限られる。そう考えていた彼らはとにかく必死だった。
機械に覆われた星に大地を、深緑を、海を、氷河を生みだした。元々あった環境調整システムに更なる改良を加え、エリアごとに温度を変えてあらゆる生物種に適した生息域を造った。品種改良を施し、あらゆる惑星の植物をこの星に適応させた。
気付けば、レプユは惑星メトロンにおいてその立場を確立させていた。評議員にも選定された。数少ない生存者達は皆、様々な形で権力者として名を連ねていた。
ただ生き残るために必死だった彼らに、この時初めて余裕が生まれたのだ。
彼らが体験した数々の屈辱、無念、理不尽。そんなものを、思い返す余裕が出来てしまったのだ。
地位を、金を、余裕を手に入れたレプユ。そして、持って生まれた『自然現象』の力。
彼らはそれらを使って、復讐を開始した。
ただ力を持つだけで、何もできなかった過去の自分に対する、歪んだ復讐。
自分より僅かにでも弱い者に対する、冷酷な振る舞い。弱者への虐待。
仲間意識が非常に強く、仲間以外にはどこまでも冷酷になれる。そんな排他的に偏った思考が、レプユの原動力となった。
受入れ自体を拒否していた人種に対する救済案として作られた非民区画。表では規制されながら裏では未だまかり通る奴隷制度。奴隷売買組織『ステムゴッシュ』の設立。
深く、暗く、静かな場所で、力に溺れたレプユ。
彼らはもはや復讐する側ではない。される側になっていた。
「君、人間関係に悩んでるだろ」
「まぁな」
穏やかな日が差し込むカフェテラス。
我が子を愛でるように周囲を覆うガーデニングを眺めて微笑むのは、長身痩躯の優男。フワフワとした緑色の長髪を後ろで縛り、同色の瞳が見る者の心を和ませる。
その背後に控える男。和んだ心をズタズタに刻んで潰して貪りそうな悪人面が、憂鬱な様子で溜め息を吐いている。何故だか発情を必死で抑える猛禽類を思わせる絵柄である。
「溜め息なんて付くなよ。幸せが逃げていってしまうぜ?」
「うぜえ」
「僕でよければ話を聞くよ? ダリの事? でなければ部下か、評議員かな? 実は僕だったりして」
「全部正解だよ」
加えてとあるdoll、少年、少女である。
友人は後ろに佇む男の正直な答えにくすくすと上品な笑いで返す。そうしてまた慈しむ様な目でガーデニングを眺め、幸せそうにお茶を啜る。
「頭を悩ませるほどにその人達との繋がりを大切にしているんだね。だから君は尊敬出来るんだ。しかもその中に僕も含まれているなんて、とても光栄だよ」
「やめろ。鳥肌が立つ」
「照れ屋さんめ」
背後で舌打ちを連発されながらも幸せそうに微笑む友人。やっぱりコイツ苦手だと、ジェスタは友人の個人的な依頼を受けた事を後悔していた。
そして同時に、友人のこの態度に些か胡散臭いものも感じている。
命を狙われていると言う割には、随分と余裕がありすぎないだろうかと。
不機嫌を隠しもしない視線を友人の背中に向けるジェスタ。
病気を患った野犬のような顔面に睨まれ、怯えるでもなく肩を竦めるミュリエルは、少し寂しげな笑顔で目を伏せた。
「信用がないのは分かってるつもりだけど、やっぱり、友人に疑われるのは悲しいね」
「……いや、別にそんな」
「奴隷非民商ルアパーチ。ユユド博覧社総務局長メメデ。ゴドール銀行頭取ウォン。すでに三人、レプユは殺されている」
ショックを受けながらも健気に笑っていますといった雰囲気の友人に、良心をがりがりと削られるジェスタは、彼の口から語られた事実に絶句した。
なぜならそれは、公表されていない事実であったから。
「レプユは基本的に他種族を信用しない。種族を偽るくらいの事は平気でするし、それが出来る権力もある」
呆気にとられるジェスタに、なんでもないように答える。
そこでジェスタはあれ? と気付く。自分はそれを知って良かったのか。知らされては不味い類の話ではないだろうか。
疑問を浮かべるジェスタに気安い笑顔を向け、ミュリエルは答える。
「君の事は一人の友人として信用してるんだ。だから話したんだ」
「もう後戻りはできないと」
「あはは」
「あはは、じゃねえよ!」
またいらん事を知ってしまったと、顔に両手を当てて深い溜め息をつく大男。あははと、上品な顔を崩して無邪気に笑う優男。その脇を誰かが通るのに気付いて。
凹んでいたジェスタがいきなり拳を振り上げ、その誰かの顔面に突き刺した。
店の外まで殴り飛ばされた人影がガーデニングの向こうへと消えていく。ミュリエルはその光景に目を丸くしながら、ジェスタに腕を引っ張られた。
「ぼけっとしてんな! 出るぞ!」
すぐに会計を済ませ、店の裏口に走る。
外へ出ると、そこは路地裏。人の姿はない。が、足音が近づいてくる。
ジェスタはミュリエルを街路の脇に追いやると、片手に炸裂光弾、口にカーボンナノナイフを咥え、臨戦態勢になる。
近づく足音。姿を現した者の姿に、二人の体が硬直した。
栗色のツインテール。装飾過多な白いドレスに身を包んだ幼い少女。
にへらと緩い笑顔を浮かべて、警戒を露わにする二人の男にコテンと首を傾げている。
「どうしたの? おじちゃま」
無邪気な少女の眼差し。気まずそうに視線を逸らすジェスタ。
その後ろでミュリエルがパチンと指を鳴らすと、ジェスタの足元が揺れた。
ふらりと後ろに体勢を崩したジェスタ。その目前を何かが通り過ぎた。
鉄。鈍色の蛇が、ばくんとジェスタの顔のあった位置で大きな口閉じる。
少女の捲れ上がったスカートからその蛇は顔を出していた。長いスカートに隠されていて見えなかったが、少女には足が無かった。蛇の胴体を使い、うねうねと器用に立っている。
獲物を逃がした蛇は、なおも執念深くジェスタを睨んだ。
「助かった」
「とんでもない」
「ちぇー。ざんねーん、ぶー」
不貞腐れたよう口を尖らせる少女。
ジェスタは躊躇なく少女にナイフを奔らせる。蛇がうねりジェスタに牙を剥くと、ジェスタはその口に炸裂光弾を放り込んだ。
高熱を放つ小さな弾が蛇の口腔で弾ける。亀裂が走り、痙攣する蛇。不思議そうな顔でキョトンとする少女の首を掴み、ジェスタはナイフを突き付けた。
ちなみにその光景は結構ギリギリだった。
「は、犯罪者……っ」
「うるせえよ!」
悪人面の友人が少女を押さえつける画に腹を抱えて笑うミュリエル。ジェスタは後ろに向けて突っ込むと、凶悪な顔に獰猛さを加えて少女を睨んだ。
「いいかお嬢ちゃん。怖がらなくていい。動かなくていい。泣くなくてもいいし、笑わなくてもいい。おじちゃんの質問にだけ、素直に答えるんだ」
「やーん」
ジェスタの脅迫に少女は怯えるでもなく、にへらと笑って拒否した。
舌打ちを一つ。少女の首を掴む手に力を込める。少女はうぷ、と息を漏らす。
喉を通る何か奇妙な感触に気付く。次の瞬間、少女の口内から飛び出した小型の蛇がジェスタへと躍り掛かった。即座に少女を手放し、身を引いて避けるジェスタ。それと同時、痙攣していた大きな蛇がジェスタへと襲いかかった。
「うぉっ!」
「けほっ、けほっ。おじちゃまこわーい」
少女のドレスの下から、さらに這い出てくる小さな蛇。
蠢く鈍色の群れ。ジェスタは顔を引き攣らせ、更に後退する。
「おいミュリエル」
「あぁ、そうだね。逃げよう」
「まぁ待ちたまえ」
背後からの声。二人が振り返ると、壮年の男が立っていた。
何処か遠くを見つめる薄暗い瞳。酷く疲れた表情。歳を感じさせない逞しい体つきは、熟練の戦士を思わせた。
少女が無邪気にはしゃいで手を振る。
「コンドルテー! ビーユー良い仕事したよー!」
「あぁ、頑張ったな、ビーユー」
「ひゃふう、ほーめらーれたー」
小躍りして喜ぶ少女のドレスの裾から、更に小さな蛇が飛び出す。
男の背後からは更に、外套を羽織った虚ろな雰囲気の人影が数人、姿を見せる。
「おいおい」
「囲まれたねぇ。どうしようか」
「どうもこうもなぁ……」
他人事のように喋るミュリエルに呆れながら、ジェスタは首に下げたタグをパキッと砕く。
ぴ-……ぴー……。
小さな機械音。苦々しく顔を歪めたコンドルテが静かに声を漏らす。
「……騎兵装隊か」
「なにこの音ー?」
「ビーユー。時間が無くなった」
コンドルテは一定の足取りで二人に歩み寄る。両の手に構えた小槌を横へ広げ、真っ向から近づく。状況は分かっていないが、とにかく急ぐのだろうと理解したビーユーは足元を這う蛇に信号を送る。
ジェスタはナイフを口に咥えると、柄に刃の付いた拳銃を両手に構える。ミュリエルは変わらず自然体で、その後ろに佇む。
発砲音。ジェスタが男に向けて放った銃弾を合図に、両者が一斉に動き出した。
コンドルテが槌を前に向けると、甲高い音が響き渡り銃弾が弾かれた。手に握られた槌から円状のバリアが発生する。直径にして一メートル程度の透明な球体が振われると、その範囲に入った壁や遮蔽物が弾けて粉砕された。
後ろでは蛇が一斉に奔り出す。距離を詰めて一斉に飛びかかる事を命令された鈍色の群れ。
ジェスタはちらりとミュリエルに目を向ける。
返されるウインク。軽い苛立ちを覚えながらも頷き、ジェスタは跳躍した。同時に、ミュリエルの穏やかな笑みが凶悪に吊りあがり、その足を強く地面に叩きつけた。