私と鏡の中の私と彼が見る私
自分が高校生の時を思い出しながら書いたつもりです。
小さい頃、「鏡はね、あなたを反対に映すんだよ」とおばあちゃんに教わった。
どうりで。
鏡の中の自分は、死んだ顔をしている。
女子トイレで、友達と下らない会話をした。誰々がムカつくとか、誰々がキモイとか、男子の点数だとか、そういう話。私は、そんな会話を面白いとは全然思わないけど、周りに合わせて笑う。
でも、トイレにある鏡の中の私はつまらなそうだった。
――あ、先生に呼び出されてたんだった…
思い出し、「ごめん」と言って友達から離れた。
職員室で、担任の先生の話、話の内容から分類するならお説教を聞いている。
「どうしたんだ?全然成績が伸びてないじゃないか?」
――あんたに言われなくても、私が一番分かってるっつーの
「このままじゃセンター、厳しい結果になるぞ」
――あんたは未来でも見えるの?
「ま、お前なら大丈夫だって信じてる。期待してるんだから、頑張れよ」
――そんなどうでもいい話をする為に、私の勉強時間を奪ったの?
「はい。頑張ります」
心の中でたっぷり悪態はついたけど、先生の前では良い生徒を演じた。私のヤル気が伝わるよう、ハキハキとした口調で返事した。
職員室から出る時、壁に掛けられている鏡の中の私と目が合った。
私は、無気力な顔をしていた。
半年近く付き合っていた彼氏とは、最近別れた。
彼曰く、お互いに勉強に集中する為に別れた方が良いらしい。その理由に納得いかなかったが、私は別れることには了承した。
彼は、すぐに別の女と付き合った。やっぱりね。
予想通り過ぎて、そのことを友達から聞いた時、鼻で笑った。
でも、鏡の中の私は泣いていた。
どうやら、鏡の中の私の方が素直らしい。
私のホントの感情を、いつも表現している。
鏡の中の私とは、良く顔を合わせるようになった。自分の本当の気持ちを知りたくて。
その次に良く顔を合わせるようになったのは、たぶん隣の席の彼だ。別れた彼氏とは違う人。女子グループの話にたまに出て来る、中の下という点数を付けられた人。
その人は、いつもへらへらしている。受験シーズンだというのに、何の苦労もなさそうに笑っている。
別にそういう風に笑っているのは、彼だけじゃない。この時期に楽しそうに笑える人は、もう既に進路が決まっている人、今の成績で確実に狙える大学を志望している人、私の偏見もあるだろうがそういう人たち。つまり、不安が無い人たち。
だが、彼は違う。
彼は気さくに話しかけて来るので、授業の合間とかによく話す。前に話をした時の感じだと、彼は私よりもだいぶ成績が悪い。それでも、レベルの高い大学を志望している。余裕なんてないはずなのに楽しそうに笑っている彼が、羨ましくもあり、妬ましくもあった。
そんな不思議な彼は、学ランを嫌がり、パーカーを着て登下校している。パーカーの下はトレーナー。一応授業中は学ランだが、それも不満そうにしている。
そういう服装の乱れもあって、彼は先生たちから目を付けられていると思っていたが、そうでもないらしい。服装以外は問題ないとの判断なのか、先生たちも彼には口うるさく注意していない。
私は気になったので、「なんでパーカーなの?」と訊いた。
「動きづらいから。肩の出っ張りとか邪魔なんだよね」
笑顔で彼は言った。
本当に変な人だ。
センター試験まであまり日もない。
私たちは、普通の授業の後に課外と称して授業を続ける。そして、それが終わったら各自の判断での自学自習。この自学自習は、やりたくない又は自宅の方が集中できるという人は帰っていい。使用する教室も、特別に立ち入りを禁止されていない場所以外なら自由。
昨日まで私は自分の教室でクラスのみんなと勉強していたのだが、集中力の無くなった男子が話し始めたり、それに女子も混ざって行ったりと、勉強する空間を壊された。と言っても、それはチャイムの合間の出来事だから、みんなは悪くない。悪いのは、周りのせいにして勝手にイライラした私。
そうやって勝手にイライラした私は、みんなには帰ると言って、別の教室を探した。落ち着いて、一人になれる場所を。
どこの教室でも自由に使っていいと言われているが、ほとんどの人は各自の教室で勉強している。それもそのはずで、特別教室のような場所の暖房は、省エネということで切られている。この寒い時期に、わざわざ好き好んで寒い場所で勉強する人なんていない。
それでも私は、好き好んで、寒くて人のいない場所を探している。
探していたら、地学室兼美術室が仄かに明るくなっていることに気付いた。
美術室はあってもうちの学校には今、美術部はない。だから、放課後に明かりが点いているはずはない。
誰かいるのかな、そういう好奇心から美術室の中を除いた。
美術室の中には、いつも課外が終わると真っ先に居なくなる、彼がいた。パーカーを着て、禁止されているはずの音楽を聞きながら勉強している。
私は、彼に近寄った。
「勉強してるの?」
私は、彼の肩を叩いて、訊いた。
「うわぁ!」
彼は、こっちが驚くくらい驚き、椅子からずり落ちた。
「いやぁ~ビックリしたよ。音楽聴いてたから気付かなかった」
彼は笑って言った。
「私もビックリしたけどね…。あなたがここに居たことも、あなたがあんなに驚いたことも、お菓子まで食べていたことも」
私は、呆れながら言う。
それでも彼は一切気にしていないらしく、「あっはっは」と笑ってお茶を濁された。
「まぁいいけど」私はそう言うと、彼が私のことを不思議そうに見ていることに気付き「何?」と尋ねる。
「カバン持ってるってことは帰るの?それともここで勉強するの?」
質問を質問で返された。
「……ここで勉強するって言ったら、あなた迷惑?」
「いや迷惑じゃないけど…ここ寒いよ」
彼は言うと、頭を掻いて、何かを考え出した。
私は、彼が何か言うのではと、黙って待つ。しかし、彼は何も言わずに、着ていたパーカーを脱ぎ出した。
「ちょ、何してんのよ?」
私は、突然のことに身構える。そうやってファイティングポーズをとっている私に、彼は「はい、これ」と言って、着ていたパーカーを差し出した。
私は彼からパーカーを受け取る。彼の温もりが残るパーカーをどうすればいいのか考えあぐねていると、彼は「膝掛けにでも使ってよ。アレだったら着ても良いよ」と笑った。
「でも、あなたは…?」
「俺はほら、学ランも持ってるから」
彼はそう言うと、カバンの中から学ランを取り出した。
「でも、学ラン嫌いなんでしょ?」
学ランに袖を通し、手際悪くボタンを留めている彼に訊いた。彼は動きにくいから学ランの着用を拒み、パーカーを着ている。それなのに、彼からパーカーを奪ったら、勉強の邪魔をしてしまう気がした。
パーカー一ひとつでウダウダ言う私に、彼は怒らなかった。ただ、また頭を掻いて、何かを考え始めた。
「…じゃあさ、俺の為だと思ってよ」
「え…?」
「キミが帰るまでで良いからさ、それ温めてちょうだい。で、俺は女子の温もりを喜びながら、ルンルンで帰るから」
女子を前に平然と変態発言をする彼に、私は呆気に取られていた。しかし、彼は気にするワケもなく「じゃ決定」と言った。
私は、彼のパーカーを膝に掛け、彼の隣に座った。ノートとシャーペン、参考書まで出したが、それらを手にしない。
「なんでここで勉強してるの?」
私は彼に訊いた。
彼はイヤホンを耳から外し、「ゴメン、も一回」と言うので、同じ質問を繰り返した。今度は、彼の耳に届いた。
「あぁ。ほら、俺って見た通り、校則にちょっと違反するでしょ。教室だと先生の目が厳しいから」
「ちょっとじゃない気もするけど…」
「それに、俺みたいなへらへらしたヤツがいて、集中するみんなの空気を悪くしたくないし。あと、家だとすぐにマンガに手が伸びるから」
また、彼は笑って言った。
「キミは?何でここに来たの?」
彼に訊かれた。
「私は…なんとなく」
彼の理由と比べると、自分のことしか考えていない理由だったので、言うのが恥ずかしかった。だから適当にごまかしたのだが、彼は追及することもなく、「なんとなくか」と確認するように口にし、納得した。
いつも教室で笑顔、周りを気にして教室を出て来た寒い美術室でも笑顔、私みたいなめんどくさい女と話している時でも笑顔。そんな彼が、理解できなかった。
「なんであなたはいつも笑っているの?」彼と二人っきりと言う、普段なら有り得ないシチュエーションと、勉強への意欲も出ないせいか、私は思っていたことをぶちまけた。「何で笑えるの?不安じゃないの?私は…」と中途半端に彼を問い詰めた。
彼は、微笑を浮かべたままで困ったように首をかしげて頭を掻いた。
「え~っと…良く分かんないけど、俺のことが理解できないってことでいいのかな?」彼が言ったので、私は頷いた。「そっか。でも、俺もキミのことは理解できないよ」
そう言った彼を、私は睨んだ。何で睨んだのか自分でも分からないが、たぶん冷たくされた気がして、それが嫌で、睨んだ。
彼は、私が睨んでも微笑を崩さない。
「だってそうでしょ。所詮他人って言ったらそれまでだけど、俺とキミはかなり違うから」
「違う…?」
「うん。性別って意味じゃなくね」そう前置きして、彼は教室の前を見て言う。「俺は、キミみたいに周りから期待される人の気持ちは分からないんだ。期待される人は不安やプレッシャーを感じるんだろうなってことはなんとなくわかるけど、でも理解はできない」
「でも、あなただって…」
「あはは。俺は期待なんてされないよ。こうやって何でも笑って受け流しちゃうから、先生にも、お前はもういいよ、って呆れられたもん」
彼は、それも笑って言った。
「それならもう少し笑うの止めなよ。あなたはこうやって陰で、誰にも気付かれなくても頑張ってるじゃん」
「見周りの用務員さんは知ってるけどね。」
揚げ足をとって、彼は笑った。そんな彼を睨んでいたら、彼は笑うのを止めた。それでも微笑んでいる。
「……ねぇ、『笑う門には福来る』ってことわざ知ってる?」
彼が突然言った。
「バカにしてる?」
私が言うと、「ゴメン」と彼は笑う。
「このことわざってさ、どっちが先なんだよって思ったこと無い?」
「どっちが?」
「うん。もしかしたらさ、いっぱい福が来たヤツが笑っていただけかもしれない。で、このことわざを考えたヤツってのは、すごく運の悪いヤツで、福と言う福を全然モノにできないヤツ。そうだったとしたら面白いよね」
「面白い?」
「ああ。俺もアイツみたいになってやる、アイツが笑えるのは福が来るからじゃない、笑うから福が来るんだ。そういう風に、苦し紛れの負け惜しみみたいな気持で考えていたらさ、面白いよ。で、俺もそういうヤツになりたいって思った」
「負け惜しみで笑う方に?」
まさかとは思ったが、彼は確かに頷いた。
「だってさ、ただ福が来たヤツは、それは神様からのギフトかもしれないでしょ。それも羨ましいけど、俺は福が欲しくて、どうしても手に入れたい物の為に、意味が無いと分かっていることでもやって、一生懸命もがくようなヤツの方が良いなって思ったんだ」
彼は言った。
「……そう」と私は呟く。私は、彼の考え方が素敵だと、そしてとても強いなって思った。でも、それを口にはしたくなかった。代わりに「でもそれって、あなたが勝手に考えたことでしょ?」と言った。
「うん。俺が勝手に妄想して、勝手に信じて、勝手に支えにしていること」
そう言うと、彼は笑った。
――私も、彼みたいに笑えるのかな?
ふとそんなことを思い、カバンの中から手鏡を取り出した。
鏡の中にいる私は、いつも負の感情を持っている。こっちの私が笑っていても、ヤル気を見せても、鏡の中の私はいつも反対。
きっと鏡の中の私が正しい感情を表現してくれていて、こっちの私はいつも虚構で出来ている。それは分かっているし、そういう実感もある。
だけど今なら、心からちゃんと笑える気がした。
鏡で自分の笑った顔をチェックする私を、彼はバカにしないで、笑顔で見守ってくれている。そんな彼を参考して、私は笑った。
鏡の中の私は、すごく久しぶりに笑った。
――鏡の中の私が笑っているってことは、こっちの私は?
自分の顔を知りたくて、彼を見た。
「良い笑顔だ」
彼は、親指を立てて笑った。
「可愛いって言ってよ」
私は言った。
彼は驚き、頬を少し赤く染めて、笑顔で言う。
「……良い笑顔だ」
お気づきの方もいると思いますが、本作では私のボキャブラリーのなさを疑いたくなるほどに「笑う」という表現が多用されています。私のボキャブラリーについては「すみません」と言いますが、言い訳もさせてください。
この話では「笑う」ということを一つのテーマにしたつもりなのです。だから、ウザったくなるほど「笑う」という表現を使っちゃいました。
鏡の話です。鏡は左右反転させて映すのでまったくの反対というわけではありませんが、ここでは反対ということにさせてください。思ったことが顔に出ちゃう人もいると思いますが、本作の「私」はそういう人ではありません。一応笑顔はちゃんと作っているけど、それでも鏡には違く映っていると、そんなファンタジー解釈でお願いします。
最後に、「学ランの方を渡せばよかったのでは?」というご指摘は、そっと胸にしまうよう、重ね重ねお願いします。