愛国者検定
今日は愛国者検定の日だ。
僕はとても緊張していた。
こんなに緊張したのは久しぶりだった。
今日から僕は愛国者の資格を取り、正真正銘の愛国者になるのだ。
今この国は危機に瀕している。
景気は回復する気配は微塵もない。
近隣の国が我が国の領土を横取りしようと虎視眈々と狙っている。
かの大国には言いなりだ。
実戦でも情報戦でも、この国は弱すぎる。
このままでは駄目だ。強い国をつくらなくてはならない。
そんな時、僕は国がある検定を行っていることを知った。
愛国者検定。
それがその名称だった。
つまり合格者に、国が愛国者の称号を与えるのだ。
この試験を知った時、僕は心が躍った。
僕は誰よりも、この国を愛していたからだ。
迷うことはなかった。僕はすぐに申し込んだ。
僕は試験会場に足を踏み入れた。別に特別な場所ではない。近所にある公民館の一室だ。隣の部屋からは楽しそうな話し声が聞こえてくる。漏れ聞こえてくる声で、どうやら川柳を読んでいることがわかった。どこかの川柳愛好会かなにかが集まりを開いているらしかった。のどかな雰囲気に、僕は何だか気が抜けてしまった。同時に、緊張していた自分が少し馬鹿らしくなった。
気楽に行こう。
検定は簡単な面接のみで行われる。
僕の愛国心は、そこらの人間とは比較にならないくらい強い。こんな検定など楽勝だと思った。
受付で受験票を見せたら、すぐに面接をすると言われた。
部屋にはスタッフと思われる人が五、六人いた。あとは検定を受けに来たと思われる人がちらほらと。
「では、こちらにどうぞ」
「よろしくお願いします」
きれいな女性が僕の前に座った。彼女が僕の面接を担当するらしい。
「じゃあ、さっそく始めますね」
「はい」
「名前は、○○○○さんですね。年齢は三十七歳」
「はい、そうです」
「検定は十問の質問で構成されています。正直に答えてくださいね。ここで嘘を吐くということは、国に嘘を吐くことと同じですから」
そんなことは分かっている。愛国者がそんな姑息なまねをするものか。
「では一問目です。年収はいくらですか?」
「え?」
僕は思わず聞き返した。質問の意味がよく分からなかったからだ。女性は僕の方を見ると、もう一回聞いてきた。
「あなたの年収は?」
「……それは、必要な質問なのですか?」
「はい、そうですよ」
僕はためらった。なぜなら僕は無職だったからだ。それどころか、今までまともに仕事をしたことがなかった。今も実家で、親の金で暮らしていたからだ。
「……ないです」
精一杯声を出したつもりだったが、蚊の鳴くような声になったのが自分でもわかった。
それでも女性には聞こえたらしい。驚いたようなあきれたような表情をした。
「働いてないってこと?」
「……はい」
女性は軽蔑したような目で僕のことを見たが、手元の紙に何事かを書き込むと、表情を少し和らげてこちらを向いた。
「では二問目です」
彼女の声を聞きながら、僕はかなり動揺していた。なぜ年収を聞かれたのだろうか。
しかしそんな僕を、さらに動揺させる質問を彼女はしてきた。
「貯蓄は、いくらですか?」
貯蓄などあるわけがない。一体何の質問をしているんだ。愛国と関係ないじゃないか。
「ない、です」
また小さな声になってしまったが、女性は今度はあまり驚かなかった。一問目の解答から、ある程度、予想がついていたのかもしれない。
「では三問目です。持っている資格を、教えてください」
そんなものはない。普通自動車免許(AT限定)ですら、僕は取れなかった。
一つもない、という僕の解答に、女性は小さくため息を吐いた。
嫌な汗が服の下を流れて行った。
動悸がする。
呼吸が荒くなっていくのがわかった。
四問目。
「子供はいますか? また、いる場合は何人ですか?」
いるわけがない。
五問目。
「土地などの資産はお持ちですか?」
僕が持っているわけないだろ。
六問目。
「あなたがしているボランティア活動などを教えてください」
あんなものは偽善行為だ。
七問目。
「あなたの英語能力について教えてください」
愛国者に必要な言語は自分の国の言葉だけだ。敵国の言葉など覚える必要ない。
もう僕は我慢できなかった。なにが愛国者検定だ。
「いい加減にしてください! 全然愛国と関係ないじゃないですか!」
僕を見て、女性はきょとんとていた。
「もっとこう、違う質問はないんですか! 僕の思想とか、政治信条とか、支持政党とか、保守かどうかとか、どのような政治活動をしてきたかとか……」
「ありません」
女性はにべもなく答えた。そして僕を睨みつけながら言った。
「あなたはなにか勘違いされているようですね。いいですか、本当の愛国者に求められるのは、国に対する貢献です」
「だったら」
だったら僕は完璧だ。政治家の怠慢を怒り、国民よ立ち上がれとネットで愚民どもを啓蒙して回った。不正は許さないと怒った。ネット上の奴らと、反政府デモに行ったこともある。僕はこれだけ貢献している。これからも続けるつもりだ。
「はあ。もう帰っていいですよ、話になりません」
女性は道端に落ちている犬の糞でも見るかのような視線を僕に投げかけた。
「そんなことをしても、国の貢献にはなりません。本当の貢献というものは、いくら国にお金を払っているか、です。所得税をはじめとする各種税金。それは、国を動かすために必要なものです。それすらまともにおさめられない人間など、この国は必要としていません」
「なっ」
「さらに少子化問題は深刻です。愛国者を名乗るならば、最低でも三人は子供を作っていなければなりません。私はまだ三〇歳ですが、子供が二人いますし、そろそろ三人目をつくる予定です」
愕然としている僕に向かって、女性はなおも続ける。
「奉仕の心も微塵も持ってはいないようですし、英語もダメ。屑ですね」
「英語は敵の国の言葉だ! 覚える必要などない!」
「自国の利益を守りたいのであるならば、その敵国の言葉をネイティブ並みに話せないとまともに戦えませんよ。それともあなたは、あなたの言うところの敵国が、わざわざ私たちの国の言葉を使ってくれるとでも思っているんですか?」
「それは……」
「本当に愛国者でありたいのならば、三島由紀夫くらいの英語を話してみなさい」
「僕は……僕は……」
頬を温かいものが流れた。
どうやら僕は泣いているらしかった。
僕の中にあるプライドが、音を立てて崩れていくのがわかった。
「こんな言葉があります。イギリスの文学者であるサミュエル・ジョンソンの言葉です」
女性が言った。
「Patriotism is the last resort of a scoundrel」
僕には意味が理解できなかった。
「日本語に直すとこうなります。“愛国心とは、ならず者の最後の砦である”」
僕は目の前が真っ暗になった。深い絶望が、僕を包んだ。
「実力もないくせに、いきがってんじゃねえよ。ゴミ野郎」
女性はそう言うと、僕に唾を吐きかけた。
僕には、それから先の記憶がない。
気がついた時には、女性が血まみれになって死んでいた。
女性はひどい死に方をしていた。首が残っていたから、僕に質問をしていたあの女性だと分かったが、身体の部分がどこなのかが判断がつかなかった。首以外の部分はほぼ、僕が八つ裂きにしてしまったらしい。
僕のどこに、それほどの力が眠っていたのだろう。
僕は抵抗することもなく、取り押さえられた。
僕は、その殺しの残虐性から、死刑判決を受けた。
そしてその十年後、刑が執行されることになった。
刑が執行される直前、僕は自分がなぜここにいるのかわからなくなった。
執行官に連れられて、執行室に入る。
なぜ僕はこんなところにいるのだろう。
目隠しをされる。
手足につけられた手錠のせいで、自由に動けない。
僕は愛国者なのに、国に殺されようとしている。
周りにいる人間が何事かを言っている。
でも意味がよく分からない。
頭が理解しようとしてくれない。
首に縄がかけられる。
どうして?
僕は愛国者なのに?
ガタン! という音がして、足元の板が外される。
ふわりと身体が浮く感じがした。
どうしてぼくがぼくはあいこくしゃなのにくににころされるなんでどうしてだってぼくはあいこくせいしんがちゃんとあるのになんでなのぼくはあいこく……