07
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入学式当日は、朝から快晴だった。
ここ数日で、急に温かさを増した陽気のなかを、瑠璃子と青子に左右を挟まれながら、陽菜子はげっそりした面持ちで、学校までの短い距離を歩いていた。
(着物着るのに、結局二時間かかった……)
ここに来るまでに一応実家で、母の静子に助けられながらも練習はしてきていたし、だからそれなりに着つけにも慣れたつもりだったのだが、いざ一人だけで着るとなると、全然勝手が違っていた。
思った通りにおさまってくれない丈、巧く結べない腰ひも。焦れば焦るほど崩れてゆく襟元。……
(悪夢だ)
最後は、様子を見に来てくれた双子たちが着つけてくれて、やっとまともな形に収まったのだ。彼女たちが来てくれなければ、陽菜子は今も寮の部屋で半泣き状態で、着物や帯と格闘し続けていただろう。
「あたし、やっていけるのかなぁ……」
薄雲がすっと一面に掃かれたうす青い空を見上げて、陽菜子はため息を吐いた。
茶道学園の授業は、お茶のお点前を実地で習う「実技」と呼ばれる授業と、茶道に関するもろもろの知識を深める目的の、「座学」と呼ばれる、黒板と机の教室で行われる、二種類の授業がある。そうして「実技」は、原則着物着用のこと、と昨日のオリエンテーションで説明されていた。点前の所作を身につけるために、それは絶対に必要な条件であるらしい。もっとも、体調があんまり悪すぎて、着物を着ていられない、など云うような深刻な理由がある場合には、この限りではないとも云われたのだが。
着物を着ていられないくらい気分の悪い状態で、洋服に着替えたからと云って、どれだけ回復するものなのか、怪しいものである。当然点前をするなど無理な話だろう。
つまり、今後茶道学園で生きてゆくためには、自分で着物を着られることが、必要絶対にして最低条件になるのだ。その最初の最初の条件でけつまづいたとなっては、自信もなくなるというものだ。
と。
陽菜子の呟きを聞いた瑠璃子が、にっこりほほ笑んだ。
「大丈夫ですわよ、陽菜子さん」
「そうそう、」
青子も咲い顔で陽菜子の顔を覗き込む。「着つけなんて、結局慣れなんですから。これから毎日着つけていれば、厭でも慣れますわ」
「だと、いいんだけれど……」
「心配なら、これからしばらく練習されますか?」
「お付き合いいたしますわよ?」
「でも……迷惑じゃない?」
「いいえ、わたしたちも、着つけ講習の練習ができますもの」
「これは、双方に利益をもたらす取引ですわ」
着つけ教室にも長年通っており、講師の免許習得まであと一歩と云うところまで来ているのだという双子たちは、ふふふっとほほ笑んでそう云う。陽菜子は、左右からにこにこ覗き込んでくる同じ顔に、交互に視線をやった。
「本当に、いいの?」
「「ええ、もちろん」」
間をおかずに双子が、力強くうなずいてくれたおかげで、少し、気が楽になった。
「じゃあ、お願いしちゃおっな?」
「「はい。よろしくお願いいたします」」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
軽くお辞儀を返した頃、学園に着いた。
入学式が始まるまでの時間を過ごすように、と通された二階の教室には、生徒のほか、かなりの人数の父兄が到着しており、式の開始を待っていた。
「陽菜子」
部屋の一角から自分を呼ぶ声に、顔をそちらに向けると、陽菜子に向かって手を振っている静子と、その脇ですっと背筋を伸ばして椅子に座っている美耶子の姿が見えた。
「お母さん、お祖母ちゃん。もう来てたんだ」
紋付色無地の着物を着つけた二人の姿を目にすると、なんだかほっと、安心できた。どうやら自分でも知らない間に大分気を張っていたらしい。二人とも陽菜子と一緒に来京しており、陽菜子が入寮の手続きとオリエンテーリングに出席するために学校へ行く際に別れてから、まだ二日しか過ぎていないのだが、妙に懐かしい気持ちになった。
青子たちに断ってから、二人の元に小走りで駆け寄る。
「陽菜ちゃん、おはよう。昨夜はどうだった?ちゃんと寝られた?」
嬉しそうに、ほっとした顔を見せた静子と対照的に、美耶子はさほど感情をあらわにせず、陽菜子の全身にざっと、鋭い視線を走らせた。
「アンタはずいぶん遅かったね。他の生徒さん方はもうとっくに来ていたよ。着つけに手間取ったのかい?」
陽菜子は唇を尖らせた。
「しょうがないじゃない。着物なんてこれまで、ひとりで着たことなかったんだから!」
「確かに、最初は時間がかかっても仕方がないか。それに……一応きれいに着てはいるし、基本はもう憶えているようだ。後は慣れだね」
「……まあ、ね……」
双子にほとんど着つけてもらったとは、この場では云いづらかった陽菜子は、曖昧に頷いた。「今度、寮の友だちに、着つけの練習を見てもらうの」
それを聞いた静子が、嬉しそうに目を輝かせた。
「まあまあまあ!陽菜子さんは、もうお友だちができましたのね。良かった」
「一緒の建物で寝泊まりするんだ、友だちだってできるだろう」
美耶子の言に、静子はこくこくと点頭した。
「はい。さっそくできましたようで、安心しました」
「そう云えば、寮って云うのは何人部屋なんだい?」
「ひとりだよ」
「一人部屋かい!」
おやまあ、と美耶子は嘆息した。「ここもずいぶん変わったね。アタシの頃には、部屋親部屋子が組みになって、一つの部屋で寝泊まりしつつ、後輩は先輩からいろいろと教えてもらっていたんだが」
「あ、部屋親さんって役目の人は、いた。新入生一人一人に一人ずつついて、学園のこととか寮生活のこととか、いろいろ教えてくれるんだって」
「そうかい。上級生がきっちり面倒を見てくれるんなら、アンタも安心だね」
「まあね」
昨晩、部屋親だと云ってわざわざ陽菜子の部屋まで挨拶に来てくれた二年生の月見里美月は、ほほ笑むと丸い頬に浮かぶ笑くぼが可愛い、ふんわりとしたやわらかい雰囲気をまとった美人さんで、
「何か判らないことや困ったことがあったら、いつでも訊きにきてね」
と、外見にぴったりな、アルファ波かマイナスイオンでもまとっていそうな美声で云ってくれた。
(そう云えば、先輩も、着つけのことを心配して声を掛けてくれたんだよなぁ……)
式場の準備などの関係で、新入学生の陽菜子よりも一時間早く登校しなければいけなかった月見里は、七時半ごろに陽菜子の部屋を訪れて、着つけのことを心配してくれた。が、その時にはまだ時間に余裕があったこともあって、陽菜子はその助力を遠慮したのだ。
(あのとき、素直にお願いしてればよかったのかなぁ?)
とはいえ、間に合ったのだから良しとすべきなのだろう。結果良ければすべてよし。陽菜子は気持ちを切り替えた。感情の切り替えの早さは、陽菜子の得意とするところだ。