06
「陽菜子さん、いらっしゃる?」
「あ、……はーい!」
まだ、自分が「乙ゲー」愛好者であることを周囲に暴露するつもりはない(ゲーム業界自体が大衆化したとはいえ、「乙ゲー」分野が放つ、ある意味独特な空気は一般受けするものではないし、二次元世界の架空の人物にうっとり陶酔する姿が、外から見ればかなり滑稽であるということくらいは、陽菜子も知っていた)陽菜子は、慌ててゲーム機を、入り口の付近からは見えない位置に移したのち、ドアを開いた。
「ごめんなさい、お待たせした?」
「いいえ」
廊下には、前髪をピンで斜めに流して押さえ、クリーム色のワンピースを身につけた双子の片割れが立っていた。「陽菜子さんはお部屋のお片づけ、ひと段落着いたかしら」
「あ、……うん。えっと……瑠璃子さんもすんだ?」
額が出ていたこととワンピースの色から判断した陽菜子がそう名前を呼んだとたん、双子はケラケラと楽しそうに莞い始めた。
「ぶー、残念。私は青子のほうでーす」
「えっ、えぇえ?」
陽菜子が戸惑っていると、隣の部屋のドアが開いて、済まなさそうな顔をした同じ顔の双子――つまりは瑠璃子が現れた。「ごめんなさいね、陽菜子さん。私たち、紛らわしいでしょう?」
「いや、あの、髪……それにワンピース……」
瑠璃子の前髪が、つい先刻までの青子のように下ろされているのを見た陽菜子は、ますます驚いた。紛らわしいことに、瑠璃子の前髪は、青子と同じ長さなのだ。つまり、自己紹介で二人が教えてくれた二人の見分け方は、実は全く役に立たないことになる。
「でもね、気にしないでね」
戸惑いを通り越して混乱する陽菜子に、青子はにっこり、首をかしげた。
「私たち、ふたりとも陽菜子さんと仲良くしたいと思っているの」
「だから陽菜子さんも、どちらがどちら、なんて気にしないで、気楽に接してちょうだいね」
青子の隣に並んだ瑠璃子が、青子とは反対側に首をかしげて云う。
陽菜子は、その雰囲気に飲まれる形でこっくりうなずいた。
「あ、……うん」
「「良かった」」
双子は揃って咲った。
「それでね、そろそろお夕食の時間でしょう?」
「寮長さんが食堂まで連れて行ってくださるってお時間まであと少しですし、」
「「ご一緒に、玄関ホールまで行きませんこと?」」
男子寮と女子寮が、それぞれ学園を間に挟んでほぼ等距離に離れているという地理的な環境を慮ったのか、寮の建物内に食堂は無く、昼と夕方の食事はそれぞれ、学園の敷地にある食堂へ行って食べることになっている。初日の今日は、女子寮の寮長を勤める三年生の先輩が、新入生を連れて行って、食堂の使い方を教えてくれることになっていた。
つまり、この双子は陽菜子を誘いに来てくれたのだ。
実際集合時間のことをすっかり忘れていた陽菜子は、感謝の気持ちと共にうなずいた。
「うん。ありがとう」
「「どういたしまして」」
双子たちはなんのてらいもなくにっこりほほ笑む。陽菜子は釣られてへにょっと笑み崩れた。
(善い人たちだなぁ~)
彼女たちと同期生になれて本当に良かったと、そう思った。
ほんわりした気持ちで一階に下りる。
皆初日で緊張しているのか、云われた時刻の一〇分前だというのに、ほぼ全員が揃っており、今日のメニュはなんだろうねぇ、などという当たり障りの無い会話をしていた。
その中の一人が、なにか用事を思い出したらしい、瑠璃子に向かって、
「ねえ、青子さん」
と呼びかけた。
「なぁに?」
当然の顔で返事して彼女と会話を始めた瑠璃子を、少し距離を置いたところで眺めながら、陽菜子は困惑した。
(どどど、どういうこと?)
やっぱり、額を出している方が、瑠璃子だったのだろうか。自分はからかわれたのだろうか。
唖然とする陽菜子に、青子がそのとき、悪戯っぽくささやいた。
「気にしないで。私たち、たいていの情報は共有していますから、どちらがどちらでも、同じように対処できますの」
「気にしないでって……」
良いのだろうか、それで?
あまり良くないような気もしたけれど、それをうまく言葉にして云い表すことができなかった。
要は混乱していたのだ。
頭の中を「?」マークで埋め立てたまま、食堂へ行って、早目の夕食をとる。外食企業に委託しているという食堂の料理は、量が多くて、それなりに美味だった。
満足して外へ出ると、春の空は早くも暮れる気配を見せていた。
「美味しかったねー」
「これなら毎日楽しみだねぇ」
などと、やはり他愛の無い会話を、周囲の同期生たちと交わしながら、宵闇の降りかけた住宅地を、寮に向かってゆるゆる歩いてゆく。薄い群青色に暮れた空には宵の明星の近くに淡くて繊い月が掛かっており、見上げていると、なんだかとても幸せな気持ちになれた。
ほこほこした心持ちで、寮までの道を歩く。短い距離を歩いて、横断歩道を渡れば、寮はすぐそこだ。
歩道の前には小さなスーパーマーケットがあって、会社帰りの勤め人や夕食のための買い出しに出てきた主婦たちを集めていた。
薄闇を照らす明るい照明を見た陽菜子は、ふと、買わなければいけないものがあったことを思い出した。
「あたし、買い物してく」
幸いにして財布は持ってきていたのでそう云うと、二、三同じ言葉が続いた。
「じゃあ、またあとでね」
買い物をしない人たちと別れて、照明の強い、明るい店内へと入る。
(えっと、ティッシュペーパーとお風呂の洗剤と、台所用洗剤と、お皿洗い用のスポンジと……)
色色考えて用意してきたつもりだったけれど、いざ生活を始めるとなると、予想もしていなかった、けれど欠かすことのできない生活必需品がたくさん出てくる。陽菜子は賑やかな店内をめぐって、目的の商品をカゴに入れていった。
「これで全部かな?」
買い忘れがないかどうか、頭の中で確認しつつ、レジへと向かう。数人が並んだレジの先頭では、ちょうど見知った顔が会計をしていた。
(大桃さん?)
嬉しそうににこにこほほ笑む彼女のカゴのなかを、見ることはなしにみた陽菜子は、ぎょっと目をむいた。
(缶ビールにウィスキーにワインに……お酒ばっかり?)
寮では、表向き飲酒は禁止となっていたはずだが。
(まぁ、厳禁ってわけじゃないみたいだし、法定年齢をクリアしてればいいのかもしれないけれど、それにしても……)
一人で飲むには、あんまり量が多すぎやしないだろうか。
袋に詰めた各種酒類を抱えて、幸せそうに、弾む足取りでスーパーを出て行く美沙の後ろ姿を、陽菜子は呆然と見送った。
(変な人)
思った。