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美しくなければダメなんです!  作者: killy
たくさん遊びましょう
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お気に入り登録ありがとうございます♪(#^▽^#)

 健がソツなく挨拶を終えると、茂田井が再度進み出て、亭主との会話を再開させた。

「それでは、お道具のご説明をお願いしたいのですが……申し訳ありません、待合のお道具は、わたくしがつい、お持ちくださった方に聞いてしまいましたので、お軸をお願いいたします。この白いお軸はどう云う趣向なのでしょう?」

「これは実は、光を浴びて時間がたつと文字が浮かび上がってくると云う不思議な墨で書かれた色紙でして……」

「本当ですか?!」

 思わず陽菜子が声を上げると、庵前はあっさり首を横に振った。

「嘘です。まあ、色紙の件はおいおいお分かりいただけるかと思いますので、今は置いておいてください」

 そう云うと、庵前は八畳で区切った空間から身体を出して、改めて挨拶した。「それでは、吸い物をお持ちいたしましょう」

 その言葉を待っていたように、井艸(いぐさ)、伊豆原、七五木の三年生に、金湖(かねこ)、栽松、月見里の二年生が、それぞれ碗を乗せた盆を持って現れた。

「吸物膳や煮物椀がありませんでしたので、班員の私物のお盆や味噌汁椀を流用させていただきました。なので蓋が無いのもご容赦ください」

 庵前はそう恐縮したけれど、だれも容器やお椀を乗せる盆の形状など、気にしなかった。そんな些細なことよりも、芳醇な出汁の香気に皆、圧倒されていた。

「どうぞ、お熱いうちにおあがり下さい」

 庵前の勧めに従って、全員そろって箸を取り上げる。

「冬瓜ですね。生姜の風味がとても利いていて、さっぱり美味しいです」

 一年科の井置(いおき)が云った。調理師免許を持つ彼女は、食べ物や料理に関しては大そう探究心が強い。その彼女に褒められた庵前は、嬉しそうに頷いた。

「そうです。冬瓜に塩を軽くあててから出汁で湯がきました。別にエビを叩いて出汁に入れゆるく葛を引いたものを支度して、冬瓜を碗に盛り付けてこのエビ入りの葛出汁をかけ、露生姜を落としました」

「暑いときには冷たいものも良いですけれど、これくらい潔く熱いものをいただくのも、美味しいですね」

「ありがとうございます」

 冬瓜を食べ終わる頃、井艸がお猪口を人数分載せたお盆を持って現れた。

「盃を人数分確保できなかったので、今回は最初から石杯(せきはい)でお願いします。どうぞお好みの物をお選びください」

 井艸の説明を受けて、上座から順にお猪口を選んでゆく。

「あれも全部、美沙さんのですか?」

 陽菜子が尋ねると、美沙は首を振った。

「残念ながら、一部のだけね。あとは先輩方のじゃないかな?」

 回ってきたお盆から、備前のものを選んで次の青子に回す。恐らくは、最後の人にも選択の幅を持たせようとしてくれたのだろう、お盆には、まだ五個ほど焼きの違うお猪口が残っていた。青子はそのなかから、白磁にコバルトブルで牡丹の花の絵が描かれている、毬のように丸いお猪口を選んだ。

「はい、陽菜ちゃん。どうぞ」

「ありがとう」

 陽菜子は少し迷った末に、青磁で短い脚のついたカップのような形の物を選んだ。「馬上杯型ですね」と陽菜子の選んだ盃をさして云った健は、オレンジ色の肌に緑の釉が鮮やかな信楽のものを手に取る。

「お酒は、京都市内で唯一酒蔵を持つ造り酒屋の物を支度させていただきました」

「あら、本当に飲むの?」

 当間が驚いたように目をしばたたいた。庵前は悪戯っぽくくしゃっと笑ってしかめた顔の横で、少しだけですよ、と親指と人差し指を使って小さな隙間を作って見せた。

「形だけです。本当に形だけ」

 金湖がお猪口に見立てたガラスのティーポットを持って現れる。

「あたしのだ」

 驚いた陽菜子が思わず云うと、庵前がすかさず頷いた。

「ちろりに見立てて、舟生さんのティポットを使わせていただきました。きれい好きの舟生さんが、毎回使うたびに新品みたいにすみずみまで磨いていたので、もちろん紅茶の味は混じっていませんよ」

 金湖に続いて、四角い大皿を持った井艸が再度現れる。

「八寸には、たたみいわしを軽くあぶって出汁醤油を塗ったものと、アスパラガスの穂先をさっと湯がいて塩を振ったものを用意しました。今回は、進行の都合上千鳥は省略させていただきまして、海のものと山のものも一緒に取り分けさせていただきます」

 八寸とは、その寸法四方の杉の器のことであり、同時にそこに盛られた酒肴のことでもある。茶事においては亭主と客が、互いに酒を酌み交わしつつゆっくり会話する、千鳥と呼ばれる作法があり、八寸はそこで肴として使われるのだ――と、八寸て何、と訊いた陽菜子に健が教えてくれた。

 白木の八寸が無いので、一年生の光さんにお皿を借りました、と庵前が教えてくれたその器は、以前陽菜子が一緒に昼食を作ったときに、出来上がったサンドウィッチを乗せた大皿だった。

「でしたら、焼き物のように、私たちの方で取り分けましょうか?」

 茂田井が云った。「そのほうが手間を省けますよね?」

「ありがとうございます。ですが、井艸も金湖も、是非とも皆さんとゆっくり語らってお礼を申したいと云っていますので、どうぞお気になさらないでください」

「では、お言葉に甘えましょう」

 人数が多いため、会話は本当に二言三言を交わすのみだけれど、皆しみじみと会話して、盃を口に持って行く。

「はい。舟生さんもどうぞ」

 目の前に来た井艸に促されて、陽菜子は恐縮しつつお猪口を差し出した。

「これ、選んでくれたんだ」

 聞けばこの馬上杯型のお猪口は、井艸の私物なのだと云う。

「お借りします」

「うん。……舟生さんも、一学期お疲れ様。雑巾がけとか炭運びとか、女の子なのに力仕事をいっぱいがんばってくれて、ありがとうね」

「こちらこそ、色々と教えてくださって、ありがとうございます」

 軽く頭を下げて、ついでもらった酒を口に含む。フルーティな香りが心地よい、飲みやすいお酒だった。

「お粗末さまでした」

 大幅に省略された八寸が終了して椀が下げられると、庵前がそう頭を下げた。

「いいえ、大変美味しゅうございました。御馳走様でした」

 茂田井が丁寧に礼を云う。

「本来なら、次いで炭手前なのですが、これも都合上割愛させていただいて、お菓子を出させていただきます」

 縁高――お菓子を入れる蓋つきの専用の容器である――が人数分確保できなかったので、器で失礼しますと庵前が断りを入れるのを待って、伊豆原が白竹で編んだ籠を両手に持って来る。

「あら、きれい。梶の葉を敷いてあるのね」

 茂田井や当間、前多が思わずと云った様子で感嘆の声を漏らした。その声に釣られた陽菜子が思わず上半身を持ち上げて覗き込むと、籠の中には大きな青葉が敷かれてあって、その上にまっ白い玉のようなお菓子がふくふくと盛られてあるのがみえた。

 青々とした葉の色に、求肥だろうか、餅のような肌を持ったお菓子が白く映えて、確かにきれいだった。

「どちらのお作かしら……って、これは後入りの時までのお楽しみにしなければいけませんのね」

「そうですね。でも、」

 恐らくあがられたらすぐにお分かりになられるとは思いますが、と庵前はまた楽しそうに目を細める。

 彼の言葉の意味は、確かに食べた途端に判った。

「これって……」

 求肥でバニラアイスを包んだ、有名菓子メーカの氷菓製品だった。

「夏らしくて、良いかと思いまして」

 伊豆原の提案なんです、と庵前は笑う。

「面白いですねぇ」

「いただくまで、てっきり普通の生菓子だと思ってました」

 茂田井や当間が感心したように云う。

「本当、楽しいわ」

 うちの社中でもしてみようかしら、と前多がアイスクリームを口の中で転がしながら云った。

 菓子を食べ終えた後、席中を整えたいと云う庵前の申し出に従って、一同は最初に集まった茶室の外に席を移した。

「お若い方々の感性は、とても楽しいですね」

 茂田井たちは嬉しそうに席中の話をする。

「心が柔軟でいらっしゃるから、お茶はこうしなければいけない、という固定観念が無いのですね」

「遊び心に溢れていて、本当に楽しい。こういうお席に会うたびにしみじみ思うのですが、お茶って、遊べますね」

 もちろん、これだけ遊ぶためには、基本をしっかり身につけていなければいけませんが、と当間が云う。「温故知新。基本を知らないで好きなことをしても、それは野放図に堕ちるだけですから。ですが茶道科の皆さんは、しっかりお勉強されていらっしゃいますし、そんな心配はありませんね」

 依然「遊び」と云う言葉には過剰な注意を向けてしまう陽菜子だけれど、今このときに聞いた言葉は、なぜか否定的な感情を抱かずに聞くことができた。


 再度の案内に応じて茶席に入る。焚かれた香が、ふんわり幽かに感じられた。

「白檀ですね。良い香り」

「陽菜ちゃん、この香り好きよね」

 美沙の言葉に、深呼吸していた陽菜子は頷いて答える。

「大好きです。しっとりとしていて上品で、どこか艶があって。とても良い香りだと思います」

「そう云えば陽菜さんは、機会があればいつでも、風炉に白檀を投入していらっしゃいますね」

 青子が云った。「たまに入れ過ぎて、煙が立っていますけれど」

「火がつかないように、でもよく香りが立つように火のそばに置くのって、すごい難しいんだもん」

 陽菜子は唇を尖らせた。

 床に掛けてあった色紙は片付けられて、代わりに花が荘られてあった。

 薄紫色の螢袋に、白い円葉下野。花器は唐津の徳利だ。

「あれ、僕の徳利ですよ」

 健が複雑そうに教えてくれた。「お酒を入れているより、花を活けている方がよっぽど器も活き活きしていますね」

 すっと茎を伸ばした円罵下野と、それに寄り添うようにひっそりと葩をくつろげる螢袋は、押しつけがましくなく、ぱっと眼を引く派手さも無いのに、張りつめたような、緊張感にも似た凛然とした空気をまとってひそやかに、ただそこに在った。

「庵前さんがいらっしゃいましたよ」

 席に落ちついて少し下頃、健が云うのに応じて視線を床から移してみれば、大小二つの椀を重ねて仕組んだ茶碗を用意した庵前が控えていた。

「人数多いから、濃茶は重ね茶碗でするんですね」

 二椀を取り出して、人数に応じて濃茶を練る点前のことだ。

 初めて見る庵前の点前は、彼の人柄そのままに、大らかなようを装っていて、細かなところまで繊細な気配りを怠らない、とても気を遣った所作で行われた。

(班長って、確かにそんな人だったなぁ)

 本人は豪快とか明朗快活というイメージに憧れているらしく、後輩である陽菜子たちにはそんな風に振舞っていたけれど、その実ものすごく繊細で、事あるごとに胃が痛いとうめいては、こっそり胃薬を飲んでいたことを、陽菜子たちは知っていた。指摘すると班長がかわいそうだから、と皆騙されたふりをしていたけれど。

 手順を踏まえて正客から、順々にいただいて行く。

「お茶銘は?」

「松花の昔でございます」

「お詰は?」

「小山園でございます」

 作法に従って、正客の茂田井と亭主の庵前でやり取りが行われる。

「前席では、季節らしい、涼やかなお菓子を御馳走様でした。たいへん美味しゅうございました。……御銘を聞いてもよろしいでしょうか?」

「もちろん。あれは、甘露。あまい露と云う銘でございまして、……」

 全国規模の有名菓子メーカの名前を庵前が口に出した瞬間、皆がどっと笑った。

 陽菜子も咲った。

 咲い転げているうちに、最近鬱々と悩んでいた自分が、何だか馬鹿らしく感じられてきた。

 良いじゃない。

 自然とそう思えた。

 遊んで暮らしても、良いじゃない。

 今の自分は、茶道科の一年生。それも一学期を終えたばかりのひよっこだ。

 遊ぶのがどう云うことなのか、自分でも解っていない未熟者だ。だからこそ、それがどう云うことなのかを知るべく、遊ぶ(まなぶ)ことを許されているのだ。


 だったら存分に遊んでやろう。


 回ってきた濃茶をゆっくりいただく。

 庵前が心を込めて練ってくれた濃茶は、とろりとして甘く、まさしく甘露だった。


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