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学園でお茶の点前を実際に行う、「実技」と呼ばれる授業では、一人の生徒が茶を点てる亭主役をつとめ、一人ないし二人以上の生徒が客役となり、その日茶室に座っていただいた先生に指導をいただく形式をとっている。
茶を点てる亭主役になった生徒は、まず水屋と呼ばれる、云ってみれば稽古に必要な道具一式が置かれた準備室に行って、その日することになっている点前に必要な道具を自分で選んで支度し――これを、「道具を組む」と云う――、稽古に臨むのだ。
大勢の人間が同時に学ぶ学園の特殊性のせいか、一間の幅がある水屋は二つのクラスで一緒に使う決まりで、その日一緒に使うことになっているクラスの科目によっては、陽菜子たち一年生の科目には全く関係のない道具も揃っていることが多々ある。先輩に聞いた話では、多くの道具の中からその日自分がする科目に合った道具を選んで組むのも、勉強の一つなのだそうだ。
さて。
その日、亭主役となった陽菜子は、水屋で道具を組んでいた。
指定された科目は薄茶の平点前なので、必要な道具は、綺麗な水を茶室に運び入れるための容器である水指と、お茶を点てる茶碗。抹茶を入れて置く薄器、抹茶を薄器から掬いだす茶杓、湯と抹茶を攪拌する茶筅、茶碗を拭き清める茶巾。それに風炉釜から湯を掬い取る柄杓、釜の蓋を置く蓋置、使ったお湯を一時的に溜めて置く建水だ。
あまり選択に幅の無い建水と蓋置き、そして柄杓を選んでサクッと組んで支度した後、他の道具を選びにかかる。
棚に支度された薄茶器のなかから油滴と呼ばれる焼物の容器を選んで、流しに複数個並んでいる水指のうちからひとつを選び、ついで茶碗を選んだところで、
「志野の水指に織部の茶碗を合わせるの?」
陽菜子と同じく稽古の支度で水屋に来た、別のクラスの佐曽利健から聞かれた。「しかも薄器は黄瀬戸の油滴?」
油滴とは、四つ組としてくくられる四滴茶入れのひとつで、油をさす容器を模したものだと伝えられている、一定の形をした焼き物製の薄茶器のことである
「うん」
何かいけないことあるの、と訊き返すと、健は困ったように両目を細めて微かに顔をしかめた。
「ええっと……ほら、志野と織部と黄瀬戸は全部同じ、美濃焼の系統でしょう?一つの点前で使うお道具に同じ窯の系統を合わせるのは、よろしくないっておっしゃる先生もいらっしゃるから」
「そうなの?」
陽菜子はきょとんとした。
陽菜子も、健が云った志野と織部と黄瀬戸の関係は知っていた。が、だからこそ、
同じ系統の窯で焼かれた、ちょっと違うお道具で揃えるのって、良いんじゃないかな?
と思って選んだのだ。そんな意味合いのことを、少し早口で説明すると、健はますます困ったように苦笑いの形に顔をゆがめた。
「そうだね。いろんな考え方があるし、そこは先生にご指導いただいた方が良いんだろうね」
差し出口してごめんね、と謝った健は、自分の支度を手早く済ませると、そのまま行ってしまった。
残された陽菜子は、
「う~ん、……」
少し迷ったものの、今更道具を組み直すのも手間だしと、最初に組んだ道具をそのまま茶室に持ち込んだ。
「あら……、志野の水指に黄瀬戸の油滴。お茶碗は織部なの?」
陽菜子が運び込んだ道具を見た鶴来宗良先生は、やはり困ったように微苦笑して見せた。
「ダメ……ですか?」
ギクッとした陽菜子が恐る恐る訊ねると、
「いけないってことは無いですけれど、」
先刻健が云ったと同じ、清水と黄瀬戸と織部の焼き物が同じ系統に属することを簡潔に説明してくれた鶴来は、そうしてにっこり云った。「同じような焼き物しか見れないだなんて、つまらないでしょう?」
「はぁ……?」
つまらない、というその感覚が判らない陽菜子は生返事しかできなかった。そんな陽菜子の反応を見て、鶴来はゆるゆるとかぶりを振る。
「そうねぇ。最近の考え方だと、お揃いは綺麗、ってことになるのよねぇ……。けれどこれは、西洋風の感覚なの」
「西洋風、ですか?」
「そう。ほら、西洋のカトラリや食器類は、全部同じ、揃いのものでしょう?彼らは均一なものが揃っている景色に美しさと安心を感じるらしいわね。けれど、お茶の美は、そうではないの」
吹き寄せという言葉は御存じかしら、と聞かれた陽菜子はいいえ、とかぶりを振った。
「吹き寄せと云うのはね、」
鶴来は穏やかに説明してくれる。「秋の木の葉や木の実等、違う種類の物を幾つか合わせて、秋になって紅葉した木の葉や木の実が木枯らしにあおられて一か所に吹き寄せられた様子を表したものなの。お茶では主に、干菓子を使って表現することが多いわね。落雁や有平糖や煎餅等、味も製法も違えたお菓子を一つのお菓子器に盛り合わせて、自然の美しさと季節の移ろいを表現するのね。そんな風に一つ一つ異なるものを寄せ集めることによって、区切られた箇所に一つの世界を作り上げ、そこに美を見出すのは、日本独特の感覚かも知れなですわね」
「そう云えば、」
平和晃が思いついたように云った。「茶箱の道具立ても、一つ一つ違うものを揃えた方がよいとされていると、聞きました」
「そうね」
鶴気が頷く。「旅先や野外でもお茶がいただけるようにという目途のもと、持ち運びが容易なように、小さな箱の中にお点前のお道具一式を組んだのが、茶箱ですからね。お床のお軸も花も無い場所で唯一目にするお茶のお道具となる場合も多々あるでしょう。そんなときには特に、お客人の印象にとまりやすいですから、入れるお道具は特に気を込めて選ぶ必要がありますわね。もちろん、西洋的な感覚と日本の感覚と、どちらが優れていて、どちらがより劣っている、と云う話ではないのですよ」
これはただ、感性の違い、視点の違いというだけのこと。
「ただ、古来から連綿と続いてきた茶道という日本の文化を学ぶ際には、日本の感覚を尊重いたしましょうと、そういうお話なの」
なるほど、と納得するクラスメイトのどよめきのなか、陽菜子は真っ赧な顔であたふたと、今しがた水指の前、所定の位置に置き合わせた薄器と茶碗を取り上げた。
「あのっ、あたしっ、組み直してきます!」
「いいのよ」
慌てふためく陽菜子を、鶴来はゆったり押しとどめた。「お茶には、点前手順やお道具の扱いなどの、厳密な決まり以外の間違いはないの。志野の水指に黄瀬戸の薄器と織部のお茶碗という組み合わせだって、間違いではないわ」
ただ、より良い選択が存在する、と云うだけ。
「だから、そんなに気にしないで大丈夫。さぁ、お点前を続けましょう」
「……はい」
間違いではない。
不正解ではない。
けれど、正解でもない。
(そもそもお茶に「正しい解答」って、あるのかな?)
そんな風に気を散らしていたせいか、その日の稽古は散々で、ところどころ手順を飛ばしては、その度ごとに鶴来に指摘と指導を受ける羽目になったのだった。




