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かく云う次第で、各人が各々なりに学園生活に馴れてきた頃。
濃茶の授業を受けているときのことだった。
生徒の一人が先生に稽古をつけてもらっている様子を、他の生徒たちが見て勉強するのが、実技の授業である。もちろん役柄はそれぞれが順々に、公平に回数をこなせるよう回すことになっている。その時の順番で客として席についていた陽菜子は、ぼーっと、亭主役の瑠璃子がお茶を点てる様子を眺めていた。
今日の瑠璃子は淡い黄色の着物に若草色の帯を締め、空色の帯揚げに同色の帯締めと云う、春らしい淡い色合いでまとめていた。障子越しに射し込む白い明かりが瑠璃子の皙い肌と身にまとった色調をほんのり照らす。陽菜子と同じ水谷班に所属している彼女は、今週当番に当たっている。週も半ばを過ぎて、そろそろ疲れも出てくる頃なのに、点前をする瑠璃子の姿にはそんな様子はみじんもうかがえない。
(すごいなぁ……)
こちらは朝のお勤め疲れで、半ば夢見心地でうとうとと見とれていた陽菜子は、
「……ん?」
直の、不審そうな声にはっと我に返った。
どうかしたのかと、陽菜子や他の面々が首を傾げるなか、直は眉を寄せ、点前の手を止めて自分を見つめ返す瑠璃子を矯めつ眇めつ眺めやり、
「お前、青子の方じゃないのか?」
訊ねた。
訊かれた瑠璃子は、きょとんと首を振った。
「いいえ、瑠璃子ですが」
「そうか?点前が昨日までの青子と全く同じで、瑠璃子のクセというか、気配が全然感じられないんだが」
「そうですか?でしたらそれはたぶん、昨晩二人で一緒に稽古をしたからかも知れません」
「そうか。……そうか。うん、そうなのかな?いや、悪かった。勘違いした」
「いいえ、青子と間違えられることには慣れていますから」
にっこり、瑠璃子は何も気にしていないと微笑んで、その話題は終わりになった。双子がもう一方と間違えられるのはよくあることだし、陽菜子も未だしばしば取り違えるので、そんなことがあったなんて、五分も過ぎた後には忘れていたのだが。
その授業が終わった後の休憩時間。
(お水飲も……)
厨房へ向かいかけた陽菜子は、通り道にある小部屋の入り口から、ぽそぽそ漏れ聞こえる会話の声に気が付いた。
(瑠璃子さんと青子さん?)
何を話しているんだろうかと、好奇心を刺激された陽菜子が何気なく入り口から覗き込むと、中では双子たちが深刻な表情をして話していた。
「ねえ、やっぱり止めよう。今日は帯と小物を交換すればすぐに戻れるんだし、だから止めよう?」
真剣な表情でそう訴えているのは、瑠璃子だった。自分の片割れに切々と訴えられている青子はしかし、大丈夫でしょ、と軽い表情で取り合わない。
「あんなの、まぐれよ、まぐれ。生まれてからこれまでずっと一緒に暮らしてきた父さん母さんたちでさえ間違えるのに、どうして会ってまだひと月しか過ぎていないあの人に、私たちが見分けられるの?」
(邪魔しちゃいけないか)
そう思った陽菜子が踵を返しかけた、その時。
「でも瑠璃ちゃん……」
瑠璃子であるはずの人間の口から、「瑠璃ちゃん」と、相手を呼ぶ名を聞いた陽菜子は、驚いたあまり思わず「へ?」と、間の抜けた声を漏らしてしまった。
その声で、陽菜子の存在に気付いた双子がぱっと振り返る。
「陽菜さん……」
「いつからそこにいらしたの?」
「つい今さっき来たんだけれど……ええと、……」
陽菜子は、驚きと警戒をあらわに自分を見つめる双子たちのうち、黄色の着物に若草色の帯、空色の帯揚げと同色の帯締めという組み合わせの方を軽く、ためらいがちに指して尋ねた。
「もしかしてあなた……青子さん?」
問われた青子は、大きな目をうりゅっとうるませ、桃色の唇をきゅっとかみしめてこくんと頷いた。
「ちょっと、青ちゃん!」
隣の――つまり「青子」を装っていた瑠璃子が反射的に咎めるような声を漏らす。……が、すぐに諦めたらしい、ふっと天井に息を吐いて肩をすくめた。
「そう。実は私が瑠璃子なの」
「入れ替わってたの?どうして?」
「久しぶりに入れ替わりの遊びをするもの良いかなぁ――って、そう思いましたの」
青子と同じ淡い黄色の小紋に空色の帯、若草色の帯揚げと帯締めを締めた瑠璃子は、悪びれた様子もなくにっこりほほ笑んだ。「別に悪いことではありませんでしょう?誰にも迷惑をかけていませんし、被害も出していませんもの」
「いや、それはそう、だけれど……」
何と云うか、割り切れない。
普段の生活のなかでなら、いくら入れ替わろうとも構わないけれど、授業や稽古の時にまで入れ替えをするのは、悪乗りしすぎなのではないだろうか。それは、教えてくださっている先生方にも失礼な気がする。
困惑する陽菜子を見かねたように、その時青子が訴えた。
「ごめんね、陽菜ちゃん。瑠璃ちゃんは、私が水谷であんまり疲れた疲れたって訴えたものだから、今朝は二時間余計に寝ていればいいよって、そう云って代わってくれたの」
そう云う青子は今週水谷当番に当たっていた。そうして今日は木曜日。一週間のうちでもっとも疲れが出てテンションの下がる日である。
「全部私のためを思ってのことだったの。悪戯とか遊びとか、そんなつもりじゃなかったの」
「そっか……」
そう云うことなら、合点もいく。「瑠璃ちゃんって、姉妹思いなんだね」
云われた瑠璃子は淡く染まった頬を隠すように、ぷいとそっぽを向いて唇を尖らせた。
「そうじゃないですわ。私はただ、私たちが入れ替わったことに全然気づかない皆を見て影でこっそり楽しもうって、そう思っただけです!」
「でも、直先生は気付いたね」
陽菜子の指摘に、双子は揃って深刻な表情で頷いた。
「驚きましたわ」
「本当、まさか出会ってまだ一月と少ししか過ぎていません赤の他人に、私と青ちゃんを見分けられるだなんて、思ってもいませんでした」
「直先生、侮れませんわね」
「それってあれ?以前瑠璃さんと青子さんたちが話していたことがある、先生方は点前の姿によって、その人となりまで判ってしまうって云う……」
「そういえば……」
納得表情の青子に比して、瑠璃子はまだ不満表情だ。
「でも、他所ではこんな風に、点前を通して見分けられたことなんてありませんでしたのに」
「さすが茶道学園。一流の先生方が集まっていらっしゃるだけありますわね」
青子が感心至極に云う。
「そうだよね、」
だから、こう云ったお遊びやおふざけは、もうやらない方がいいよね――とまとめようとした陽菜子を無視するように、そのとき瑠璃子が決然と云い出した。
「では、今まで以上にしばしば入れ替わって、私と青ちゃんの見分けがつかないようにしなければいけませんわね」
「へ?」
どうしてそんな結論に至るのかと、絶句する陽菜子をおいて、青子もこぶしを握り締めて力強く頷く。
「ええ。私たち個々のクセが、各々の名の下に定着する前に、混乱させておかなければいけませんわ!」
「いや、あの、……」
あなたたち二人は、双子というひとつのカテゴリから、各々の個人に別れることも理由の一つとして、茶道を志しているのではないのかと、陽菜子は、入学式前のオリエンテーションで聞いた話を思い出しながら突っ込みを入れかけた。が、新たな目標を見つけて興奮しているらしい二人は、陽菜子の声には耳も貸さず、自分たちで盛り上がりつつ、手早く帯と小物を交換して、出て行ってしまった。
「……」
一人残された陽菜子は、二人に差し出すべく胸元の高さに上げた自分の手の甲を、しばしむなしく見つめたのち、がっくり肩を落としてうなだれた。




