表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
美しくなければダメなんです!  作者: killy
おいおい理解してゆきます
10/52

10


 始業合図のベルが一〇〇畳敷きの大広間に鳴り響く。

「初めての授業ですね」

 上級生に云われた通りに正座して膝前に扇子を置きながら、青子が、多少緊張した面持ちでつぶやいた。

「何をするんでしょう?」

 青子の隣りで、やはり緊張した様子の瑠璃子が疑問を口にした。

「今日は『割稽古』だって、配られた予定表に書いてあったよね」

 オリエンテーリングで配られた予定表の記述内容を思い返しながら、陽菜子は応えた。一体割稽古とは何をすることなんだろうかと思いながら。

「『割稽古』って云うのはね、」

 陽菜子の疑問を表情から読み取ったのか、美沙が説明してくれた。「お茶を点てる基本の動作を、部分的に教えていただくことなの。帛紗のさばき方だとか、お茶巾、お茶筅の扱い方なんかの動作を個々に教えていただくのよ」

「そうだったんですか。ところで、予定表には、今週と来週いっぱいずっと割り稽古だってあったんですが、割り稽古って、そんなにたくさんお勉強することがあるんですか?」

「憶える所作自体はそんなに多くはないと思うけれど……今云ったことは、今後ずっと必要になる基本も基本の所作だから、じっくり丁寧におしえていただけるのかな?」

「だったら心強いですね」

「そうね」

 美沙がほほ笑んだ頃、入口に人影が現れた。

 先生だ、来た、しーっ、など云うささやきが誰からともなく聞こえたが、それもすぐに消え、あとはひたすら、広間を悠々とよぎってやってくる講師に注目するのみとなった。

(おっきい)

 紺色の着物姿のその人を、陽菜子は軽い驚きの念とともに見やった。(男の人だ。しかも結構若い)

 見た目は三十代前~半ばと云ったところか。それだって陽菜子からすれば立派なおじさんだが、それでもお茶をするひとなんて、女性がほとんどで、そのなかにたまに混じっている男性だって、六〇、七〇の初老のひとばかりだと無意識に思い込んでいた陽菜子は意外に思った。

(あ、でも、うちの学年にも男の子はいるしなぁ)

 新入学生女子一〇名に対して男子は六名しかいないが、それでもいたことはいたのだ。人数の多寡に気おされているのか、それとも――お茶を志すような人間だ――全員が生来大人しい性格なのか、ともすれば女子のにぎやかさにその存在自体がかき消されてしまいそうになっているが、一応、いたことはいた。

(先輩方にも男子がけっこうな人数いらしたし……)

 実はお茶をする男の人もそんなに珍しいものではないのかもしれないと、陽菜子は思いなおした。

 洋服を着ていたらまず、茶道の講師だとは思われないだろういかつい容貌と体格を持つその先生は、自分を注視する新入生たちを無視するようにつぃっと上座に座ると、帯に手挟んでいた扇子を取り出した。

 ぽん、と何気なく置かれたそれによってスイッチが入ったように、一年生は揃って頭を下げた。

「おはようございます、よろしくお願いいたします」

 遠慮がちかつ緊張を秘めた一六名の声がそう挨拶する。

「ほい、お早うさん」

 にこりともしないまま、出席簿を開きながら講師は低い声で答えた。「欠席は?誰もいないな?」

「いません」

 位置的に、ちょうど講師の真ん前に座っていた馴田勝之が代表して答えた。

(あたい)先生、」

 一年生の監督兼世話役としてその場に残ってくれていた二年生の小野里(おのざと)文武(ふみたけ)が、凛とした声であいさつした。「おはようございます」

「おう、小野里。お早うさん。今日はお前が一年生当番か。ご苦労さん。もう戻っていいぞ」

 今日は道具は使わないから、片付けのときも別に来なくていいぞ、と講師――直が云うと、道具の扱いをまだ習っていない一年生に代わって、必要な道具類を揃えるためにこの場にいてくれた小野里は、はい、と頷いた。

「それでは、失礼させていただきます」

「ほら一年生、先輩に礼は云わんのか?」

 世話してもらったんだろう。

 目は立ち上がりかけた小野里を見つつ、直が云う。陽菜子たち一年生は慌てて彼に向き直り、お辞儀した。

「ありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました」

 そう返した小野里は、今度こそ去って行った。

「……さて、と」

 記入し終えた出席簿を無造作に脇に投げ出した直は、よっこらせ、と小さな掛け声を漏らして立ち上がり、一年生を見渡した。「じゃ、始めようか」

 まずは座る位置な、とつぶやくように云う。

「座るのは、畳の縁からきっかり八寸、一六目のとこ。お前ら、一六目にきちんと座ってるかぁ?」

 云われた陽菜子は慌てて畳目に指を当て、一つ一つ数えて膝の位置を直した。周囲の皆も同様に、膝の位置を前後に移動させて直していた。

「そうそう。それが、基本の位置な。きっちり憶えとけよー?ところで、」

 どうして十六目空けて座るんだ、と訊かれた一年生は、揃って戸惑った。

「何でだと思う?――はいお前……波利摩君?答えて」

 名札を確認されて名指しで問われた波利摩(はりま)(ひろし)は、目を白黒させた。

「ええっと、……座った時、全員の膝線が揃ってた方が、見た目にきれいだから、ですか?」

「うん、それもあるな。けれど、だったらもっと判りやすいところに座っても良いんじゃないか?畳の縁なんか、間違いようのない、格好の目印だろう?どうしてそこに合わせないで、縁から十六目なんて、馴れてなくちゃ一目で判らないようなところにどうして座るんだ?」

 ちなみに、畳十六目は数えなくても座れるよう、きちんと身体に覚え込ませておけよ、と直は付け加える。

「はい、何で?葉武君、答えて」

「ええっと、……畳を使い分けるため、ですか?」

「使い分けるってのは、どう云うことだ?」

「茶室には、踏み込み畳、点前畳、通い畳、客畳、貴人畳と、用途と云うか、そこを使う人の立場やそこで行うことの内容によって、様々に呼び分けられる区画があります。客は、招かれてその場にいると云う立場上、客用に区切られた畳から理由なく出ることはできませんので、そのなかでお茶碗を置いたりお菓子をいただいたりできますよう、膝の前にある程度の空間を取っておく必要があります。それと、先ほど波利摩君が云った、座った客人の膝線が揃っていた方が見た目に美しい、という理由を合わせたのが、縁から一定の空間を置いて座る、と云うことになったのではないでしょうか」

「へぇ……」

 意外そうに目を見開いた直は、「葉武……って、あれか。葉武先生の息子さんか」

「はい」

 ご挨拶が遅れまして失礼いたしました、とお辞儀する葉武に、直も頭を下げ返す。

「これはこれはご丁寧に……っと」

 その後短くかわされた会話から推測するに、葉武は業躰先生の息子なのだと知れた。

「それで?今のことは、お父君から教えてもらったことかな?」

 直の問いに、葉武はいいえ、と首を振った。

「父は僕には稽古をつけません。僕は父が紹介してくれました他所に稽古に出ています。訊けばもちろん父の考えを教えてはくれますが、これは僕が一人で考えたことです。父に確かめてもいません」

「なるほどな」

 そう点頭した直は、ついで一年生全員に聞こえるよう声を張り上げた。「今の質問の答えは、ほぼそんなところだ。茶室の畳の名称は、知らない奴は各自おいおい憶えていけな」

 おいおい憶えていけ、と云われたうちに含まれる陽菜子は首をひねった。

 その様子を目ざとく見つけた直が陽菜子の前に立った。

「うん?お前――舟生か。舟生は何か、疑問があるのか?」

「えっと、……」

 大勢の前で話すことは依然慣れてないし、優しいとは云い難い顔立ちをしている直を前にして、気後れはしたものの、疑問と好奇心の方が勝った。「お茶室の畳には、色々と名前が付いているそうですが、見分けるための目印と云うか、見た目の違いはあるんですか?」

 直は意外なことを云われたと、きょとんとした。

「いや、……ないな」

「そうなんですか。じゃあ、どうして見分けられるんですか?」

「見分けると云うか……今葉武が云っただろう。茶室では、客が座る場所や、亭主が座って点前する場所なんかが決まってるんだ。それで、それを行う場所場所に名称を定めたのが、茶室における畳の呼称になってるんだ」

「つまり、客が座るから客畳、亭主が座って点前をするから点前畳ということですか?」

「そう」

「じゃあ、通い畳は何ですか?」

「亭主方客方双方が、茶や菓子を提供したり取りにいったり自席についたりするために行き来する畳のことだ。云ってみればどちらのテリトリーにも属さない、中立地帯だな」

「はぁ、……」

 説明されても、和室そのものに対する記憶が薄い陽菜子には、イメージが把握しにくい。

 陽菜子の表情からそのことを読み取ったのだろう、直が訊いた。

「舟生の家には、和室はないのか?」

「はい。生れてからずっとマンション住まいなので、フローリングかカーペット敷きの部屋しかありません」

「畳部屋すらないのか」

「はい」

「お祖父さんお祖母さんの家はどうなんだ?」

「父方母方ともに、祖父母の家には和室もありますが、畳のない洋室の方が気楽なので、いつもそっちにいました」

 美耶子に叱られた後遺症の結果だ。

「そっか、……最近は仕方ないのかな。現代っ子ってわけか」

 直はこころなし残念そうにそう呟いた後、「まあ、おいおい慣れていってくれ」と云って、話を変えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ