CASE:シエラ
誤字脱字、おかしな文法などがあった場合教えていただけると嬉しいです。
作中では意図的に矛盾が生じるような書き方をしている部分があります。
その点はご容赦下さい。
昼時の食堂は、朝食時のように混雑はしない。
おかしな話、朝と昼ならば朝食を抜く人間の方が普通は多いものだが、ここではそうではない。
朝は前日に寝るためだけにでも自室へ帰った研究員達が、仕事場へ向かうついでに朝食をとっていく。しかし昼は実験から手を離せない、離したくない研究員達が研究室から出てこようとしないのだ。
どうしても空腹に耐えられなくなった場合は個々で備蓄していた保存食で凌ぐか諦めて食堂まで出てくるか、である。
シエラはどんなに忙しくても、三食しっかりととる。
口にこそ出さないが食物を得ることが出来るのに食べないというのは贅沢以上に人間の生への冒涜で、そもそも突き詰めて考えれば人は生きるために食事をし、食事をするために働くのにもかかわらず、それを労働によっておろそかにするのは本末転倒であり馬鹿だという考えを持っていた。
今日は《雷の精の日》、一週間の六日目。
食堂入り口の自販機前に立ち、周囲をうかがう。
待ち人であるリンは、まだ来ていないようなのでここで待つことにする。席など取って待たずとも、すぐに座れるほどの混み具合だ。
「シエラ!」
すると、後方から男の呼び声がした。
リンではないことは声を聞いてすぐ分かったが、呼ばれたので一応振り向く。そして顔を思いっきり、これ以上ないほどにしかめてやった。
同じ研究室の男二人組だ。しかも、声をかけてきた片方はシエラに何かとちょっかいを出してくるので彼女は彼を苦手としていた。
「なんの用?」
「いやいや、そんな嫌そうな顔するなよ」
マルコは初めて会ったときからこの調子で、馴れ馴れしい態度をとってくる。もう一人の男は困った顔をして申し訳なさそうに、後ろの方で頭を下げてきた。
頭下げるくらいならこの男をとっととどこかへ連れて行きやがれ、と目で合図してみるがその場を動こうとはしない。
「これからメシ?一緒してもいいかな」
「約束あるから」
「でも、大人数で食べた方が楽しいでしょ」
決めつけんな。
拒否を表して睨みつけても、一向に引き下がる気配を見せないどころか、へらへらと軽薄に笑う。その態度がシエラを余計に苛立たせた。
所詮は女だと侮られているような、そんな気がしてくるのだ。
「せっかくの美人が怖い顔をしてたら、もったいないよ」
「放っておいて」
これ以上しつこくしたら、腹に一発くれてやろう、そう思ったとき。
「マルコ、お前そんなこと言ってトーエにも同じようなこと言ってたじゃないか。美人ならそれで良いのかよ」
もう一人が呆れたように言った言葉が、シエラの逆鱗に触れた。
目を吊り上げて詰め寄る。マルコがたじろいだ。
「アンタ、トーエにまで同じことしてるわけ!?」
「いやいや、落ち着けって。本当に好きなのはシエ」
「黙れ!」
威嚇の意味をこめて履いているヒールをカッと鳴らして胸ぐらを掴みあげてやる。
「この脳みそ常時お散歩野郎、今度トーエに手ぇ出してごらんなさい。アンタの股間から大事なモノが消えるわよ、覚えとけ!」
そう言うとシエラは乱暴に手を離してエレベータホールへと歩き出した。待つことなら、ここでなくても出来る。
妹分のような大事な仲間に手を出されていたのかと思うと、シエラは腸が煮えくり返るかのような気分になった。
「なぁおい、お前あそこまで言われて何で笑ってんだよ」
「え、だって美人が怒ってるんだぜ?俺に向かって。なんか、こう、グッとこねぇ?」
「お前って、マゾだったのか」
「……そっか、俺ってマゾだったのか」
「否定しろよ」
「それで、怒鳴ってそのまま?」
「そう」
ランチセットをつつきながら、リンに先ほどの話をする。まだ少しムカムカする。少し無残な状態になった付け合せのポテトを、すくって口に入れる。
「マルコがあなたにどれだけ本気なのかが気になるわね」
「そんなこと、どうだって良い」
「でも彼、あなたとトーエにしか声かけないわよ?」
「ああいう男が近寄ってくるってだけで、アタシは嫌なの」
そう言って水をあおり、この話を切り上げようとした時だった。
「弱小弱小言って、馬鹿にするのもいい加減にして!」
女性の鋭い叫び声と共に、ガラスの割れる音がした。
一瞬にして食堂が水を打ったかのように静まり返る。
何事かと見やれば、どうやら女が怒りにまかせてグラスを床に叩きつけたようである。
「エイダだわ、どうしたのかしら?」
彼女は感情もあらわに再び叫んだ。
「どこで何をあたしが研究しようが勝手でしょ!」
「じ、弱小研究室を弱小といって何が悪いんだよ。いつまでも芽が出ない研究なんかして、無駄だから止めちまえばいいんだ」
「そんなこと、ルイには関係ないじゃない!大体、|《魔原》(あなたのところ)が挙げた成果なんて新しく入った人のおかげでしょう!?」
「あなたこそ、コネで無理やり入って役に立たないなら辞めてしまえばいいじゃない!!」
「っ、なんだと!?」
殴られる!
ルイが腕を振り上げるのを見たエイダは身を硬くし、目をつむって衝撃に備えた。しかし、一向に痛みはやってこない。不思議に思いそろそろと目を開けると持ち上がったルイの腕を、とっさに駆けつけたシエラがきつく掴んでいた。
シエラが静かに問う。
「アンタ、女に手を上げるなんて恥ずかしいと思わないの」
「放せ、関係ないだろうお前には!」
「関係大ありだわ、こんなところで喧嘩してくれちゃって。本当のことを言われて逆上するなんて子供みたいだわ」
「うるさい!元奴隷のくせに生意気言うな!!」
その言葉に、室内の空気がざわりと震えた。
シエラの経歴についてではない、彼女の過去は皆知っている。ルイの差別発言に反応したのだ。
いかにも甘やかされて育った、頭の足りない男の言葉に座りこんでしまったエイダも、止めに入ろうとしたリンも顔を引きつらせた。
言ってしまったことの非常識さに気づいていないのは本人のみである。
「………………奴隷のくせに?」
「奴隷のくせにって言ったわね!?」
シエラの身体にあまりの怒りで震えが走った。
呼吸がどんどん浅くなり、涙がにじみ顔が赤くなるのが自分でも分かった。
誰が、一体誰が好き好んで奴隷になどなるものか。こういった、人を平気で見下す男が奴隷を買うのだ。どんな仕打ちを今まで自分が、自分達が、ユーリが受けてきたか。このボンボンには分かるまい、分かってたまるものか。
人の気持ちどころか、自分の発言の先に何があるのか想像も出来ない馬鹿者になど!
「そうだ、本当のことを言ったまでだ!」
それを聞いて彼女は吠えた。
「表に出ろ、このど阿呆が!」
********
院の中庭まで移動する間、シエラは一言も口にしなかった。
巻き込んですまない、嫌な思いをさせてすまないとエイダはシエラ達に泣いて謝ったが、その言葉は彼女には全く聞こえていなかった。あの、世間知らずの脳足りんをどうねじ伏せてやるかで頭が一杯だったのだ。そんなシエラに代わって、リンがエイダをなだめてやった。
中庭には彼女達をギャラリーがすっかり囲んで、ちょうど良い具合のリングが出来上がっている。普段は他事に興味を示さない研究者達も、なかなか見れない事態に足を止め、なかには不謹慎にもどちらが勝利するか賭けをはじめる者達まで現れる始末である。
しかしシエラはそんなことはどうでも良かった。むしろ、なるべく多くの者達の前でルイに恥をかかせてやろうとさえ考えた。
闘うことに適さない踵の高い靴と山吹色のローブを脱ぎ捨てリングから蹴り出し、黒髪をかき上げて一つにまとめる。
誰が決めたか、いつの間にか出てきたレフェリーが手を上げた。
そして腕が振り下ろされた瞬間、
戦闘は開始した。
最初に動いたのはルイだった。
スナップを利かせて彼が放った氷刃が、シエラの足元深くに突き刺さる。
外したのではない。
目印の杭のように刺さる氷刃を中心に、見るまに地面が白く染まってゆく。
それは彼女の足に及んでたちまち踝まで凍りついた。
しかしシエラは即座に体重を移動させ、足裏からパキリと音を立たせて自由を得る。
こんなものは氷が薄く、完全に拘束される前に動きさえすれば怖くなどない。
――でも、何度もやられちゃ面倒だわ。
第二陣に対する牽制で雷撃を放つが、それは相手も予測出来ていたのか現れた水の壁に当たって激しい音を立てて帯電した後に霧散する。
何本か雷槍を出現させ、撃つ、が命中はしない。
いや、当てられないのだ。
昨日降った足元の雨の水溜まりから、瞬時に伸び上がる氷柱をとっさに避ける。
キラキラとそそり立った美しいそれの切っ先は、太く鋭い。
この脳足りんは、シエラが避けなければそのまま串刺しにでもするつもりだったのか。それとも激昂してそんな判断すらも出来ないというのか。
そんなことだから、周囲から役立たず扱いされる。
的中させることが出来ない訳。
それは雷槍で貫いたが最後、相手が感電死してしまうからだ。
シエラの使用する雷槍は、一撃必殺。
いくら憎くとも、殺してはいけない。
本気を出せない制限、その歯がゆさに唇を噛んで距離をとる。
そんなことを考えながら打ち出される氷刃から逃げ回る彼女に対して、自身が優勢だと感じたルイが悦に入って声高に叫んだ。
「この俺を愚弄したことを土下座して謝ったら、許してやってもいいぞ!どうする!?」
しかしそれが、シエラの中の何かを確実にぶち切ってしまった。
この男はまだ言うか――――!
そしてそこからの闘いは、あまりにもあっけなく終わった。
前へ突き出した腕を横凪ぎに払うと、現れた複数の放電する槍がルイの足元へ放たれる。
怯んだ彼が一瞬氷刃を撃ち出すのを止めた瞬間、
シエラは地面を蹴って飛び出した。
突然自身を目指し、突進してきた相手にルイは慌てて攻撃するが彼女はそのまま矢のように突き進む。
頬を刃がかすめ、鮮血が溢れても止まらない。
鬼のような形相の彼女に慄いて後退った。
避けなければ、逃げなければ!
が、そう思ったときにはもう手遅れだ。
前後左右に撃ち込まれた目も眩むような稲妻が邪魔をする、動けない。
急速に接近するシエラに向かってもがくように腕を振り回すことしか出来なかった。
「来るな、来るなぁ!」
彼女はそれを軽くいなしてそのまま左腕を伸ばし、
ルイを地に引き倒した。
右手に出現するは雷槍。
避けることは出来ない。
シエラが大きく振りかぶる――――!
「ぅわああああぁあぁぁあ!」
ルイが悲鳴を上げ顔を腕でかばったところで、彼女は手を握りこみバチバチと音をさせる槍を消し去った。
レフェリーが終了を宣言した。
あまりのことに、ルイは失禁し泣き声を漏らしていた。
ひざまずいたルイを見下ろして、シエラは言い放つ。
「口ほどにもない。元奴隷に下される気分はどうかしら」
「もしかして、パパにも殴られたことがないんじゃなくて、おぼっちゃま?」
大勢いるギャラリーの前で負けた彼は羞恥で顔を赤くし、憎憎しげに彼女を見る。
それを彼女は鼻で笑うと耳元に顔を近づけ、そっと、しかしはっきりと言った。
「惚れた女の子の気を引く為に苛めるなんて、今時スクールボーイもしないわよ」
それを聞いて顔をさらに真っ赤にしたルイに背を向けて、彼女は清々しい表情で友人の元へと戻った。
「な、彼女かっこいいだろう?」
「いや、おっかねぇよ」
最初から事の顛末を見ていたマルコは相棒に同意を求めたが、それはあっさりと否定された。