CASE:ソウ
誤字脱字、おかしな文法などがあった場合教えていただけると嬉しいです。
作中では意図的に矛盾が生じるような書き方をしている部分があります。
その点はご容赦下さい。
《木の精の日》、一週間の五日目。
塔最上階にあるロンの研究室、兼住居である支部長室を訪ねるために昇降機へソウは乗り込んだ。
彼は今、その中で
「やぁクロエにチーリン、今日も綺麗だね。ああ、君達の細腕にそんな重そうなモノを持たせていられないよ、貸して。僕が持つから」
「そうだ、今夜良ければ一緒にディナーでもどうだい?」
女性を口説いていた。
ディナーと言っても、時間のない研究者達だ。行くのは院の敷地内にある施設のレストランだが。
「ソウは本当に口が上手いわね。でもチーリンは駄目よ、彼女はちゃあんと彼がいるんだから」
「残念だな。じゃあ、クロエが僕を慰めてくれるのかい?」
「おあいにくさまっ」
クロエは言いながら、肩に置かれたソウの手を払った。
「私は男とディナーに行ってフォークやナイフを握るよりも、研究室で試験管を握ってる方が好きなのよ」
「クロエの恋人、研究ね」
「つれないなぁ」
「それに、付き合うにしても貴方だけは選ばないわ」
そう言うとクロエとチーリンが顔を見合わせてクスクスと笑うのを見て、彼は少し顔をしかめる。
「それは酷い、軽そうに見えるから?付き合い始めたら一筋だよ、僕は」
「それもあるけれど、それが本当の理由じゃないわ」
「自分で言うのもなんだけれど、顔も整ってる方だし」
「おぅ、ソウは顔、整てるよ。美形ね」
チーリンが大きく頷いた。
「一体、何が不満だって言うんだい?」
「不満がある訳じゃ、ないわ。でもただ、恋愛対象足りえないのよ」
「アナタ生まれ変わたら、話、変わるますかも知れないよ」
「じゃあ、私達はここで降りるから」
チン、と到着を知らせるベルが鳴ると二人はソウから荷物を受け取り、手を振って降りていってしまった。
また、失敗である。
うしろ姿をながめ、肩をすくめてため息をひとつ吐くとソウは昇降機の閉ボタンを押した。
王立魔術研究院ユンフォ支部長といえば巨大建造物、ダーヴィロス塔の最高責任者であるからにして、支部長室はさぞかし立派なものなのだろうと何も知らない者達は考えるが現実はそうではない。
元々この塔自体がかなり古く、改修工事も何度か行われてきたがそれは必要な部分を必要に応じて、だ。
そもそも、研究院を司る魔術科学省は万年金欠状態なのである。財務省から予算が下りない訳ではないのだが、魔術研究院や科学研究院、その他教育機関などの組織をそれぞれ機能させていくと、どうしてもカツカツになってしまう。
よって院中央上層部は、
使えるモノはギリギリまで、出来れば壊れるまで使ってくれ。そして、その中でなるべく成果を挙げてくれ。そうしたらこっちも頑張って、予算をもぎ取ってくるからね!
というような態度をとっている。
つまり、結果を出す者達にしか援助は出来ないということだ。
そんなこんなで、ロンが使用する支部長室はうっかりすると初見の者は部屋を間違えたかと勘違いしてしまいそうなほど粗末な扉を表にしている。
ソウも今は慣れたが、初めてここを訪れたときはかなり驚いたものだ。「支部長室」と刻まれたプレートが掲げられていなかったら回れ右をするところだった。
扉をノックしてから、名乗る。
「ロン支部長、ソウです」
「んん、入りなさい」
入室の許可をもらった彼が、ギィギィとあやしい音を立てる扉を開けて一番最初に目にしたのは、
「何、してらっしゃるんですか?ロンさん」
ロンが床に這いつくばって、こちらに尻を向けている姿だった。
「ああ、実は上等なカップを割ってしまってね。リョーコ君が帰ってくる前に証拠隠滅をしようと」
「50を過ぎた良いオッサンがすることじゃ、ないんじゃないかと思うんですが」
「………………全く、その通りです」
ロンを手伝おうと腰をかがめたとき、背後から冷たい声が聞こえた。
ギョッとしてソウが振り向くとすぐそこには、生真面目な顔をして立つ秘書の姿があった。それを見て、ロンはさっきまでかいてなかった冷汗をダラダラと流して弁解を始めようとするが、それは彼女の指示によってさえぎられる。
「いや、あのだね」
「割れ物を素手で触らないで下さい、怪我をします。私が処理しますんで支部長はご自分のことをなさって下さい」
「…………あー、すまないね」
「構いません」
「ですが、支部長」
一度手を止め、立ち上がるとリョーコは言い放った。
「カップを割ったくらいで、私は怒りません。良い大人が子供じみた真似をなさるのは止して下さい」
「…………………………ん、む。すまない」
「っぷ、あっはっはっははははははは!」
そう言われてガックリと肩を落とすロンを見て、ソウは堪えきれずに吹き出したのだった。
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長椅子に腰かけ、リョーコが出した紅茶で一息入れてからロンは口を開いた。
「いやはや、毎週のように呼び出してすまないね」
「いえ、呼ばれる理由はこちらがお願いしたことについてですし」
ソウ達は、この院の敷地内から出ようとしない。ロンも、その方が良いと賛成している。
それ故に、何か所用や要りようのモノがあった場合はロンを通して、リョーコや業者に頼んでいるのだ。
「それに前回、前々回とここに来たのはトーエとフィズですよ」
「んん、そうだったね」
紅茶を一口すする。味の良し悪しなど良くは分からないが、それでも美味しいと感じる風味だ。
「それで今日、僕はどうして呼ばれたんでしょうか?」
今は何も頼んでいない。
おまけにいつもならば室長づたいで呼び出されるのに今回はそうではない。わざわざ朝、リョーコが部屋に連絡をよこした。
何か、あるのか。
「んん、察しがよろしい。リョーコ君」
ロンが呼びかけると、彼女は心得たように薄い冊子を取り出してソウの前に置いた。手にとって見る。
「これは」
「そう、ピカロについてだよ」
ピカロは未だに、ソウ達を血眼になって探している。
当たり前だろう。
所有していた奴隷の中でも一番高値で買い取ったモノで、おまけに一等お気に入りの奴隷だったのだ。
「知っての通り、ワシは君達がここに来てからなるべく力になってやりたくてピカロの動向を探ってきた。奴がね、今まで君達の捜索に使ってた子飼いの部下達を引っ込めたんだよ。最初は諦めたのかと思ったんだが、様子を見てるとそうじゃなかった」
「捜索に部下を使用するのを止めたのは、バカ息子が海外に旅行したいとゴネたから護衛として連れて行かせるためで、君達から手を引いた訳じゃあなかった」
ロンが話しながら懐から葉巻とライターを取り出すと、たちまちリョーコがそれを取り上げてしまった。仕方なさそうに今度は立ち上がり、机の引き出しを覗いて何かを探すそぶりを見せる。
「リョーコ君、ここに入れておいたタバコを知らないかい?」
「健康に悪いので、別所に移しました」
「え」
「禁煙です」
しばらく恨めしそうに彼はリョーコを見つめていたが、どうにもならないと悟ったのか長椅子に座りなおすとマドラーをくわえた。
「それで?」
続きをうながす。
「んん、そう、それでだ」
「今度は君達に莫大な懸賞金をかけたんだ、目ん玉が飛び出るような額だよ。これは、非常に不味い」
「何故です?今までだって捜索はされていたんだ、直接じゃないだけマシになったような気が」
「甘い!」
ロンは、マドラーをソウに突きつけて言い放った。
「世の中にはな、金が欲しい者達がゴロゴロといるんだよ。ワシだって欲しい。しかしその中にはやはり、人が不幸になってでも手に入れたいと考える輩も多い。君達をピカロに突き出して金を得ようとする者が、ウジャウジャと現れるだろう」
「おまけに、子飼いは飼い主に良く躾けられているからそんなことにはならないが、賞金稼ぎは連れて戻りさえすれば良いと考える奴もいる。最悪、殺されかねんぞ」
確かに、言われてみればその通りだ。自分がいかに無知かソウは思い知った。本当に、ロンに出会わなかったら今頃どうなっていたことか。
身体がぶるりと震えた。
「君達がここに来たとき、院の者達には口外しないように言ってある。院から出なければそうそう、見つかることもないだろう」
彼はまた、マドラーをくわえた。
「ワシが伝えたかったのは、それだけだよ」
「分かりました、他の仲間にも伝えておきます」
そしてソウは、深々と頭を下げて謝辞を述べた。
「本当に、何から何までお世話になってすみません、感謝してもし切れないです。ありがとうございます」
「んん、良いんだよ。困っている人間を助けるのは、当たり前だ」
「それに君達が来てくれたおかげで、世界的新発見をこの研究院で挙げられたから《魔原》にも新しい設備を導入出来たしな」
そう言って彼は、ハッハッハと大変愉快そうに笑う。
すると、
「んじゃあ、ついでに昇降機も新しくしてくれるとありがてぇんだがな」
いつの間にか、扉に寄りかかりローブのポケットに両手を突っ込んだヨキがいた。
「この間の件でな、うちのインドア派研究員達が一週間以上も、筋肉痛で動けないって泣いてたんだよ」
言いながら部屋にズカズカと入ってくる。
「今日こそ逃がさねぇぞ、ジジイ」
「いやいや、あれは《魔原》に直接下りた金であって支部の金ではなくてだな」
「困ってる人間助けんのは当然、なんだろ。塔の研究員ほぼ全員が困ってんだよ、助けろ」
「そうはしたいが、支部自体には金がないんだ」
「アンタがひょいひょい犬猫拾うみてぇに、人間雇うからだろうが。ソウ達みたいな奴ならかまわねぇ。だが魔術師じゃないのまで拾ってくるだろ!」
「いや、しかしだな」
二人の攻防を黙って見ていると、リョーコがソウに言った。
「そろそろ昼食の時間となります、どうぞアレは放ってお帰りになって結構です」
「え、良いのかい?」
「はい」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
ソウはカップに残った紅茶を飲み干し、立ち上がってから彼女に言う。
「今夜、一緒にディナーでもどうだい?」
「仕事がありますので」
「残念だなぁ」
彼は昼食をとりに食堂へ向かうべく、深緑のローブの裾を翻して話題の低スペック昇降機へ乗り込んだ。