CASE:トーエ
誤字脱字、おかしな文法などがあった場合教えていただけると嬉しいです。
作中では意図的に矛盾が生じるような書き方をしている部分があります。
その点はご容赦下さい。
食堂を後にした三人は、そのまま真っすぐに階下からきた昇降機にそろって乗り込んだ。昇降機には誰も乗っておらず、この時間帯で他に乗り合わせがいないのは珍しかった。
ところでこの昇降機、積載重量上限がかなり低い上に、速度がとてつもなく遅い。この塔は一つのフロアの天井がそれぞれ高く造られているため、階と階の間の螺旋階段が通常より長いのだが、一階上に行くだけならば昇降機を使用するよりも自らの足を使った方が断然早く着く。
なんでも三十年以上前に取り付けられたモノらしく、研究員はロンに会う度に昇降機を新しくするように頼んでいるのだが、彼はその話が話題に上ると毎回用事を思い出していなくなってしまう。
噂ではロンが人を雇いすぎて人件費が予算を上回るので、国の魔術科学省が施設費を削っているらしい。
今日は《水の精の日》、一週間の三日目。
トーエが自身の勤める研究室のある十階の停止ボタンを押して振り返ると、
「トーエ、トーエ!」
とリンが手招きをして呼んでいた。
「リボンほどけているわよ」
そばに寄るとそう言って手を伸ばし、耳の高さで二つに結わえられた髪を丁寧に直していく。
「わ、ありがとうございます」
この水色のリボンは、彼女が背中の半ばまである長い髪の毛をその辺にあった紐でくくっているのを見たリンが、トーエの着る青いローブに合わせて贈ったものだ。
その日以来、これは彼女にとって宝物になった。
「うぅむ、こうして見ると二人は姉妹のようだ」
ソーマが腰に手を当てて感想を漏らすと、リンが笑って答えた。
「本当?私、ひとりっこだったから、ずっと兄弟が欲しかったのよ。トーエが妹になってくれるのなら大歓迎だわ」
「わたしはお二人をお姉さんお兄さんみたいに思っていたのでうれしいです」
それを聞くと、リンはきゃあっと叫んで彼女を抱きしめたのだった。
目的のフロアに到着し、昼食を共にとる約束をすると二人に別れを告げ、彼女は降りてすぐ右手にある研究室の扉を開けた。
トーエ達が日々入れ替わりで勤めている部署は、《魔術原理学研究部》、通称《魔原研》といってこの塔の中では一番大きな割合を占めるものだ。
《魔術原理学》とは大まかな説明をすると、魔力によって起こる事象である魔術を科学的に研究し、原理や法則を説き明かそうといったものである。
有史以前の遥か昔から、人は手足を動かすことと同じように魔術を使用してきた。
しかし、驚くべきことに人は人が何故そのようなことが出来るのかを知らないのだ。
他の生物には無い、人間のみが持つ力。
ある者は人間が進化の過程で手に入れたのだと説き、またある者は神が人を愛した故に与えたのだと唱え、さらにある者は人間こそが神なのだと主張した。
これについては、《魔術歴史学》や《宗教学》も関わってくるのでこれ以上は説明しないでおこう。
ちなみに《応用魔術学》、《人間魔術学》、《魔術教育学》など他にも様々な種類の分野がある。
ソーマとリンは《応用魔術学》、略して《応魔》という、基礎魔術を応用して新たな発展に用いようといった主旨の研究をしている。
閑話休題。
《魔原》では今まで、人が扱うことが出来る魔術の性質がそれぞれ生まれたときから決まっているのは、血に因るものだとされてきた。
それはまるで、血液型があるように。
何故なら、魔術の威力は出血の量に反比例して軽減していくからだ。
故にそこから魔術と血には密接な関係があると見なし、その性質の決定と作用をもたらす何かを研究者たちは昔から昼夜兼行で、文字通り血眼になって探し続けてきた。
しかし、その前提常識は三ヶ月前、トーエ達が現れたことによって覆されたのだった――――。
「おはようございます」
「おーう、おはようさん」
室内に入ってあいさつするが、いつもと違って返ってきた返事は一人分だった。
「おお、今日はトーエの日か」
「そうです、今日もよろしくお願いします」
そう言って、部屋を見回してみるがやはり室長のヨキしかいない。
普段ならば自室にも帰らずに、研究室に詰めている者達がいないというのはどうもおかしい。おかしいと言えば、昇降機に乗るときもそうだった。
「みなさん、どこに行かれたんですか?ここに来る途中でもお会いしませんでしたし」
「んー?ああ、皆一階に出払ってるんだよ」
「一階?」
一階には受付とだだっ広いホールがあるだけだ。
始終、時間を惜しむ研究者達が自分の研究物を放ってまで、そんなところにどんな用事があるというのだ。
理解出来ずに首をかしげて見せると、ヨキは続けた。
「今、一階に一ヶ月前注文した電子顕微鏡と遠心分離機が届いてんのさ」
鼻に小指を突っ込みながら、彼は言う。
「それを階段で運ぶために皆出てったんだ」
「あんな大きなものを階段で、ですか!?昇降機は」
「積載量オーバー」
なるほど。
ヨキは腕を広げて、お手上げをアピールする。
「まったく、だから何度も言ってんだ。昇降機を新しいのにしろって。それなのに、あのクソジジイはのらりくらりと逃げやがる」
「はー、わたしも手伝いに行こうかな」
「止めとけ止めとけ。お前さんみたいなほっそい女の腕じゃ、足しにはならん」
「え、でも他の女性の方達は………」
「あいつらは最新の顕微鏡が、早く見たくて行っただけだ」
「色気のない奴らだよ、まったく」
とブツブツ言いつつ、彼は実験室にのそのそとした動きで入っていった。
本当に手伝いに行かなくて良いのだろうかとトーエは考えたが、ヨキの言っていることは正しい。自分が行ったところで邪魔にしかならないだろう。こちらはこちらで与えられた仕事を進めておこう。
そう考えていると、
「あいつら戻ってきたら採血場、一気に混むから、先に済ましておけよー!」
「はい」
ヨキが頭だけを覗かせて叫んだ。
実験に血液を使用する研究員は二日おきに20mlずつ、自らの血液を採血するのだ。20mlは一回の血液検査などで採血される量の上限だが、それくらい採られたところで人は倒れたりしないので心配はない。
ちなみに以前、それを面倒くさがった研究員が一度に400ml採血し、二日おきに提出する血液を入れ替えていたところ、保存状態が悪かったのかその血液を実験に使用した他の研究者がおかしな血液があると騒いで部署内が大混乱におちいった事件があった。以来、そのようなことが発覚した場合は多額の罰金が科せられるようになった。
ついでながら言うと、そのものぐさ男は現在とある部署の室長をしている。
「ああ、あとなー。ロンののジジイが、手が空いたらで良いから来いってさ。追加の生活用品が届いたとかなんとか」
「分かりました、ありがとうございます。あとで行きます」
さて、まずは採血だ。