CASE:カイ
誤字脱字、おかしな文法などがあった場合教えていただけると嬉しいです。
作中では意図的に矛盾が生じるような書き方をしている部分があります。
その点はご容赦下さい。
ラッパの音がする。
静かな朝に鳴り響くその音は午前六時、起床時間を知らせる合図だ。
カイの頭はすでに覚醒していたが、そのまま目を閉じてラッパの音色に聴き入っている。
すると、
プップパァッ
曲も終盤というところでマヌケな音がした。
続いて、慌てたようにその少し前から吹き直そうとする気配がうかがえるが、動揺しているのかいかんせん音が外れている。
ああ、今日もか。上達しねぇな。
時刻を知らせるラッパは、半年前から孤児院より雇われた少年が吹いているらしい。実際に会ったことはない。彼がここにやって来て三ヶ月たったが、完璧なメロディを聞いたことは一度もない。いつも最後にミスをして、ヒョロヒョロとしたラッパらしくない音で曲は終わる。
そう、あの雨の日から三ヶ月がたった。
奴隷として扱われていたカイ達は、その日見張り達の隙をついて屋敷から逃げ出した。彼は途中で意識を手放してしまったが、他の仲間から聞いた話とその後の状況を統合したところ、どうやらなんとかかんとか追手達を全員倒して逃げおおせたようだった。
彼らを助けたのは王立魔術研究院、ユンフォ支部の衛士であった。
支部の研究塔、兼宿舎となっているダーヴィロス塔の門前で虫の息になって倒れていたところを保護し、治療をしてくれた。おそらく、そのまま放って置かれていたら彼らは死んでしまっただろう。衛士には感謝してもしきれない。
そして、四日後。
寝台の上で彼らが覚醒したときには―――。
ユーリがいなくなって、もう、今日で三ヶ月か。
彼女が何故彼らの前から消えたのか、生きているのか死んでしまったのか。誰にも分からなかった。
彼女の消失に、それによる今までにない喪失感に、彼らは狂乱した。
六人皆、生まれたときからずっと一緒にいた。
片時も離れたことなどなかった。
それなのに、何故彼女は消えた!?
ふと、寝台横のナイトテーブル上にある懐中時計に目を向けると起きてからすでに三十分経っている。
今日は、カイが担当の《火の精の日》。
一週間の二日目、七日間のうちの仕事始めだ。
彼らは今、この研究院のダーヴィロス塔に住み込みで働いている。
三ヶ月前に目覚めたその日のうちに、支部長のロンが彼らの部屋を訪ねて来た。
一体何があり、どうしてあんな状態で倒れていたのか。事情があるのならばこの塔で保護しよう。しかし、場合によっては保安官に引き渡すことも考えている。
ロンはそう言った。
そして、自分達が奴隷だったこと。そこから逃げ出して来たこと。行くあてもないこと。
彼らが身の上を全て明かした時、ロンは、
号泣していた。
彼はとてつもない人情家であった。
そういうことならばここに住んで、動けるようになり次第ここで働けば良い。この塔はたくさんの研究員が家にも帰らず住み着いているから二階から六階までは住居となっている。魔術が使えるのならここで働け。部屋もある。今まで大変だったなぁ。
ロンはそう言った。
それから、カイ達を雇っていたピカロのことも調べてくれた。どうやら奴は今、お気に入りだった奴隷が逃げ出したと怒り狂って騒いでいるらしい。
この国では、昔は承認されていた人身売買による奴隷は法律により現在禁止されているが、一部の富裕層は未だに所持している。保安局などに奴隷が逃げ込んでも、雇い主は所有権を主張し金にモノを言わせて連れ帰ってしまう。
彼らは本当に、ロンに頭が上がらなかった。
そうして、彼らはいまここにいる。
五人で話し合い、一週間を一日ずつ持ち回りで働くこととなった。
いい加減、起きて色々支度をしなければ仕事へ向かう前に朝食をとれなくなってしまう。
彼は寝台から抜け出すと身支度を整え始めた。
顔を洗って、寝間着を脱ぎ捨てる。部屋に備え付けのクロゼットから赤を基調とした服とローブを取り出して着替える。
赤は、火の魔術師である彼を表す色だ。
鏡も見ずに手ぐしで髪を適当に整えると、彼は乱暴に扉を開けて部屋を後にした。
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全二十階の巨大な石造りの塔。
一階は受付と広いホールになっている。二階から六階は居住区。七階はフロア全体が食堂となっていて、研究室は八階からである。
朝の食堂は当然ながらごった返している、イモ洗い状態というやつである。
そんな食堂だが座る席を探すことには、そう困らない。なぜなら、食堂にやってくる研究員の大半が、大変研究熱心な者達でクロワッサンとコーヒーを胃に流し込むと早々に研究室へと帰っていくからだ。
そんな中、彼はバイキング形式のテーブルから、
ソーセージ、ベーコン、目玉焼き、フライドポテト、サラダ、その他諸々を大皿一杯に盛りつけ、さらにオニオンスープと食後のコーヒーをトレイにのせると適当に見つけた席に腰をおろして無心に食べ始める。
「相変わらず、朝っぱらからよく食べるなぁ。お前は」
「おはよう、カイ」
スープを啜りながら顔を上げると、目の前のそこには男女が二人、苦笑しながら立っていた。
ソーマとリンだ。研究室のある階が同じなのでよく話すようになった。
ちなみに、懐中時計をカイに贈ったのはソーマだ。何も持っていない彼に、ソーマはお近づきの記念だと言った。何故時計かというと彼曰く、時間を知ることは人間として生きていくのに大事なことなのだそうだ。
正面の席に座るように手ですすめソーセージにフォークを突き刺しながら彼は答える。
「食えるときに、食っておかないとな。特に朝は食わないと働けないぜ」
「正論だわ」
「まぁ、確かにそのとおりだな」
だが、そう言って頷いた二人の皿の上も飲み物とパンしかのっていなかった。せめてもの救いといえば飲み物がコーヒーではなく、ソーマはオレンジジュース。リンが牛乳といったところだろうか。
リンは身長が低いことを気にしていた。27歳になった今でも、一縷の望みにかけて牛乳を飲み続けている。しかしカイが他の同僚から成果のほどを聞いたところ、ここ数年観察を続けているが伸びる兆しはいっこうに見えないそうだった。
二人とも目の下には相も変わらず、クマがしっかりと浮き出ている。おそらく昨日も、研究に没頭してろくに眠りもしなかったのだろう。
カイはクマのない二人の顔を見たことがない。きっとこれからも、それは叶わないだろう。
「今日も起床のラッパは失敗に終わったな」
「ああ、てんで上達しない」
酷評するとリンが反論する。
「あらカイ、そんなことないのよ」
口の上には牛乳ヒゲ。美人が台無しだ。
「半年前に初めて来たときなんかジャン、一小節目でつっかえてたんだから」
上達したもんよ!そう言って、コップに残った牛乳を一気飲みする。まったくもって美人が台無しだ。
「そもそも、彼はなんでここでラッパなんか吹いてるんだよ?」
これは前々からの疑問である。
「なんでもハワード支部長が、壊れたラッパを河原で一人で吹いてるジャンを見つけたんだと」
ハワードとは、ロンのファミリーネームだ。
答えながらソーマは、大テーブルから持ってきたジュースのピッチャーで三杯目を注いでいる。ピッチャーとは、本来一人で抱えて飲むための物ではなかったはずなのだが、と彼はそれを眺めた。
この美男美女カップルは、何かどこかがおかしい。
「なるほどね」
少年の何某かが、あの人情深いロンの琴線に触れたのだろう。
カイがコーヒーカップを空にするのを見届けると、二人が同時に立ち上がる。
「さぁて、今日も元気に研究だな」
「一に研究、二に研究、三四が不明で、五に研究!」
「何なんだよ、それ」
そう言った二人の後をカイは仕事へ向かうべく、ゆっくりと歩き出した。