五ヶ所目 3
目の前でキョトンとする蒼ちゃん。
視界の端にバスが、ゆっくりと滑り込んで来たのが見える。
飛び出したまでは、良かった。
だけど、彼女を目の前にしたらこんなに口が渇くなんて。
さっきの勢いは、どこいったんですか?
〈行っちゃって良いのぉ?〉
こんな言葉、何で吐いた?
三人の前で吐いた言葉が嘘だったかのように、実際に口から吐き出せたのは、か細い一声だった。
固まる僕を尻目に、バスの扉がお馴染みのやる気のないブザーを鳴らしながら開く。
今更ながら、僕と蒼ちゃんを無数の視線が抉っているのに気づいた。
うっ、ヤバイ。
よくよく考えれば今の僕は、完全に列を無視した無法者じゃないかぁ!?
ヤバいと思った時には、もう後ろの学生が口を攻撃的に開いていた。
「おい、お前なんだよ?」
「ちゃんと並べよ、お前!」
「その可愛い子、彼女か?彼女なのか?あぁああぁ!だから日本って嫌なんだよ!」
「テメェ、何年何組なんだ!?勝負しろコラぁ」
蒼ちゃんの後ろに並んで居た、有象無象(学生)の方々が声を荒げた。
「えっ、だか、違?」
あぁ、あきらかに上級生の率が高い……完全に先輩達に目をつけられた模様か!?
朝から校門で釘バット待って、伏せされちゃったり?
授業中、鉄板の入った鞄を持ってクラスに乱入されたらヤバい!?
明日への不安を掻き立てていると、僕の手が温かくて優しい感触に包まれた。
えっ?
この感触……って。
周りの景色が僕だけを残して、ゆっくりと後ずさったような気がした。
周りの騒音も、夕闇の風も何も感じなかった。
気づけば手を握られ、列の外へと連れ出されている。
「発車します」
運転手の渋い声と共に、再びやる気の無いブザーが鳴り響く。
蒼ちゃんの後続に並んでいた、学生が僕と蒼ちゃんに悪態をついたり、鋭い一瞥を投げかけながら、続々とバスに乗り込んでいく。
やがてバスの扉が閉まり、次の目的地に向かって走り出した。騒がしかった周囲が、嘘のように静寂に包まれた。
蒼ちゃんは、目をギュッと瞑って僕の手を両手で包み込んでいた。
心なしか、頬が桃色に染まっている。
「あ……のぉ」
僕の頭の中は、真っ白。
だけど口だけは、別の意志で操られた。
ふいに蒼ちゃんが、目をパチっと開いた。
彼女と視線が合い、脈がおかしくなる。
自分の体温が急激に上昇するのが、分かった。
彼女は彼女で、急激に頬が桃色から紅色に染まっていくのが見てとれた。
「わわ、私必死で!何とかしなきゃって必死で!?ああっゴメンなさい、乱暴に手を引っ張ってしまって」
彼女は、僕の手をギュッと握り締めたまま謝る。
いや握り締めるには、少し痛いかな?
「あっ……い、いや。その……」
「はぁあ!私ったら手を……」
蒼ちゃんは、包み込んでいた僕の手を放し、自分の胸元で手を握り締める。
もう耳までも紅色に浸色されている。
ふんわりとクセのかかった彼女の髪の毛が、夕闇の風でゆらゆらと揺れていた。
その風は梅雨の匂いと、彼女のシャンプーの匂いが混じらせて、僕の鼻をくすぐる。
だから、何だか落ち着かない。
………。
お互いに俯き、二人の間に気まずい空気が流れる。
これは、夜の妖精のせいだ。
きっと日が沈んだと同時に、二人に向かって風と一緒に沈黙を運んできたんだ。
って、いつからポエムを謳うようになったんだぁ、自分。
「ありがとう……その」
沈黙に耐えきれなくなり、言葉が口をついて出る。
だけど、蒼ちゃんは胸元で手をギュッと握りしめて俯いたままだ。
「蒼ちゃんが居なかったら、多分……」
1.何人からか殴られていた
2.大ブーイングを受け、バス内での世紀末状態
3.有象無象の言葉が、
耐えきれず、僕は一目散に逃げ出していた
この三つのどれかになっていただろう。
だけど僕の言葉も虚しく、やっぱり蒼ちゃんは俯いたまま。
も、もしかして泣いてる?
それとも怒ってる?
テスト週間の帰り道、ちょうどこのバス停での出来事が脳裏に浮かぶ。
(言いたくない!)
浮かんだと同時に、彼女の語気の強い一言が耳に蘇った。
脚が小刻みに震えだした。
嫌だった。
もう二度と見たくない。
混乱し、負のイメージが脳内を支配する。
混迷の絶頂に達した僕の口が、再び見えない力が作用したかのように動き出す。
「そ、それに、蒼ちゃんの手は柔らかくて、温かくて……ドキドキするぐらい良い匂いも……」
今、自分が口に出した言葉の意味に気づき、ハッと我に還る。
も、もう何が何だか判んないです。
気づけば、心の内を口走っているんだから。
何故、今このタイミングで暴露を?
「欧介君……」
何の前触れも無く、蒼ちゃんは口を開いた。
「はい!?い、今のは、ちが……」
「私の手、そんなに柔らかかった?」
「う、うん!そりゃもう、温かくて気持ち良いぐら……あっ」
「さっきの事……私に助けられたって、感謝してますか?」
「も、もちろんですよ!蒼ちゃんが手を握って、引っ張ってくれたお陰です」
「すっごい勇気を使いましたよ、私。それに……大勢の人達の前で、手を握り締めて恥ずかしかったです」
「うぐうぅ……ゴメン」
ぐぎぎっ!
花君のせいだ!
後で、泉橋で再開したあかつきには、ジワジワとなぶってくれるわぁ!
「映画……見に行きたいです」
「ゴメンよ、僕のせいで大勢の前で映画を……へっ?」
映画?
この単語と今の会話が繋がりませんが?
「もうすぐ私の見たかった映画が解禁されるです。その映画……」
あぁ、そゆことか。
仕方ないかぁ、蒼ちゃんに迷惑かけたし。
「詫びの代わりに、映画のチケットを奢って!って事だよね?分かりま……」
「ち、違います!奢って欲しいんじゃありません」
蒼ちゃんは、相変わらず胸元でギュッと手を握り締めたまま、眉を不機嫌そうに釣り上げる。
蛇に睨まれたカエル状態の僕。
あぁでも、こんな可愛い蛇になら食べられたって構わなぁい!
あぁ不機嫌な蒼ちゃんの顔も最高。
何より、普段は滅多に見られない表情なわけですよ。
「へっ……えっ違うの?」
「私、最近映画館に行った事ないんです。だから、少し不安で……今度の休みの日に、欧介君に連れて行ってもらいたいんです。さっきの事、少しでも感謝してくれてるのなら……」
「そ……マジで……や……た」
ま、まじで?
でしま?
まじでじ……。
「嫌なら良いです……けど」
「行きます、行きたいです、行かせてもらいます!でも、その話……本当に?」
ここにきて、さっきはよくも恥をかかせたわね!
引っかかったなぁ〜バァカ、嘘に決まってるわよ!
って言われる可能性も無いとは言い切れない。
って、さすがにこんな性悪の蒼ちゃんは有り得ないと思うけど……。
「本当ですよ!私……嘘つくの嫌い……だから」
伏し目がちな表情で、呟く蒼ちゃん。
あわわ、話が上手く出来すぎてる気が。
うん……?
ちょっと思い出してみよう。
(私、最近映画館に行った事ないんです。だから、少し不安で……欧介君に連れて行ってもらいたいんです)
よくよく考えたら一緒に映画を見ようなんて一声も言われてないじゃないか。
最近映画館に行ってないから、連れて行ってもらいたい。
彼女は、映画館まで連れて行ってもらいたいだけなんだ!
危ない、危ない。
危うく勘違いで恥を晒すとこだった。
あぁ……でも蒼ちゃんを映画館まで送って行けるなんて、ハッピーな出来事だ。
「蒼ちゃん……分かった!ちゃんと映画館まで連れて行くよ!チケットも僕が用意しておくから。この真田欧介に、任せて下さいな」
蒼ちゃんにチケット一枚おごるくらい、お安いご用さ!
よっし!
スマートかつ、スゥイートに送り届けて、僕の印象をアップさせてやる。
「ありがとう……欧介君。ふふっ、たまにはイジワルするのも良いですね」
くっ、堪らないなぁ今のセリフ。
周りが真っ暗だったら、この場で抱きついてしまいたいぐらいだ。
まぁそんな……勇気ないんですけどねぇ。
ハッハッハッ。
テンションだけは底抜に高くなっております。
「ところで欧介君。今日は一人で帰ってるんですか?」
不思議そうに首をかしげる、蒼ちゃん。
そいえば、3人の姿が見えない。
もう泉橋に向かったのか?
「いや途中まで、大河君や花君や蓮と一緒だったんだけど、泉橋に集合って言い残して(突き飛ばして)、それっきりだよ」
「へぇー泉橋ですか。あそこには、お洒落な店や楽しそうなアミューズメントがいっぱいあるそうですね。他のクラスの友達が大絶賛してましたよ」
「へぇ、そうなんだぁ。蒼ちゃんは行った事あるのかな?」
「高校生になってからは無いです。中学生の時も数回。最近は、どんどん新しい店が出来てるらしいですね。一度は行ってみたいな」
この流れは、シナリオの分岐点?
重要なフラグ?
「な、なら……」
言え!
ならさ、折角だから今日来る?って言うんだぁ!
蒼ちゃんから、〈誘って下さい〉って言ってるようなもんじゃないか!?
「えっ……なら?」
僕の、なら発言を不思議に思ったのか、キョトンとする蒼ちゃん。
あぁ、こういう時に限って口が動き出さないんだよな……。
「奈良がどうかしました……あっ、欧介君!バス来ましたよ」
「う、あはは、バスだ。はぁあぁぁー」
最後の最後で、〈なら〉と意味不明な発言を残してしまって肩を落としていると、僕を小馬鹿するように停車したバスがやる気のないブザーを浴びせかけた。
次は本編を進めるか、蓮と花と大河が泉橋に向かうまでの話を書くか迷っています(苦笑)。
皆様の感想や評価お待ちしています。
和紙でした、では!!