森の奥の幽霊屋敷
3.森の奥の幽霊屋敷
最後の一匹の頭を踏みつぶした所で、うなり声が周囲からようやく消えた。
「他は?」
「こいつで最後っ、と」
まだ動いていた一匹の頭を射抜いたマックスが答える。
「気配もないし、クリアって所だろ」
「そうであってほしいんだけどね。到着早々サプライズしかける先生だから」
何をされるか解ったもんじゃない——ぼやきながら、ティナはブーツの裏にはりついた訳の分からないものを、ごしごしと草になすり付ける。
(あとでちゃんと手入れしよう……)
今回のブーツには何気なく愛着がわいているのだ。それにちょっとばかし高かった。職業柄ぼろぼろになるのが早いとはいえ、かかったお金の事を考えると出来るだけ長く使っていたい。
「怪我ないか?」
「ないわ。あんたは?」
「問題なし。……盛大に汚れたな、それ。もうちょっとおしとやかにやろうぜ、おしとやかに」
「出来たら苦労しないわよ。あーもう、クリーナーじゃ落ちないのよねこういうの」
あとで頑張るか、と立ち上がったらちょうどサイトー君が上空からふよんふよんと降りてきた。
『第一関門クリアだな、二人ともよくやった。先生は嬉しいぞ』
「だからあの日は調子悪かったんですって」
『そんな言い訳は通用しないぞーって前も言ったぞ』
「覚えてますよちゃーんと。ただの負け惜しみです。それで、次の任務は何ですか?」
『おお。こっちだこっち』
サイトー君はふよよんと二人の間をすり抜ける。
グリム達の死体を踏み越えながら彼の後ろをついていくと、茂みの間にほっそい道を発見した。人が通る道というよりは獣道と言った方が近い。
『この道をずーっとたどっていくとだな、ちょっとした廃墟がある』
「廃墟ですか?」
『そう、廃墟だ。ちょっと前の研究施設だったかな、なんかでっかいプロジェクトをしてたんだが、いろいろあって機能停止、放置されたっていうもんだ。一般人の目に触れたらやばいってことでな、院がその周辺を私有地にして隠してる訳だな』
「つまりは訳ありってことか……」
『そういうことだな、うん。君たちにはその施設に行ってもらう』
「ちなみに先生、その研究内容は?」
『ザ・人体実験』
うげぇ、とマックスがあからさまに嫌そうな声を上げた。
「明らかにお化け屋敷じゃねえか!どっかのゲームかよ!」
「まあまあ……で、私たちはそこに行って何をすれば良いんですか?」
『お化け屋敷探検』
「断固断るッ!」
クワッ!という効果音付きでマックスが吠えた。
「……びっくりしたー……なんなのよ、あんた幽霊とか怖いクチなの?そんななりして」
「そんなナリもどんなナリもあるか! 俺は心臓に悪い事はしない主義なんだ!あいつら妙な所から飛び出してきたり変な所にまぎれたり用意周到すぎ——」
『わッ!』
「ぎゃあああああああああッ!?」
「ひぃっくっつかないでよあつくるしい!」
……どうやら相当の恐怖症らしい。
後ろに回り込んできていたサイトー君のいたずらに本気でビビり、ティナをまるで盾にするようにして隠れたマックスを見て、この先不安だわと心の底からため息をつく。ティナ的にはこの世に居ないものは居ないものなんだから怖がるのも無駄、と割り切っているのだが、それを言っても怖がりそうだ。苦手な物はしかたがない。
——そういえばこいつ、夜間訓練はバカみたいに苦手だったな……
しかしそれを今思い出した所で何の役にも立たない。
「あんた男でしょう! 私の後ろに隠れてどうするのよ!」
「幽霊爆発しろ!」
「私は幽霊じゃないわよ!」
『ここで降りたらまた来年になるぞ』
「それも嫌だああああああああ!!」
「だったら頑張りなさいよ!」
べりべりとマックスを引きはがすと、首根っこを引っ掴んでずるずるずると引きずる。
「あぁあぁぁぁああああやめろぉおぉおおおおおお……!! やめてくれぇぇぇえええぇぇ……!!」
「門度無用! 黙らないと殴るわよ!」
「——ッ!! ————ッ!!」
「声にならない悲鳴を上げてもダメっ!」
これから先大丈夫なんだろうか。
今まで組んできたパートナーに、一抹の不安を覚えてしまったティナだった。
◆◆◆
ぐずるマックスをなんとかして運び、途中途中で湧き出てきた犬っころや蛇や時々鳥を燃やして、獣道を進むことおおよそ一時間。
ティナにとってはようやく、マックスにとっては驚くほどすぐといったどころだろうか。二人はクラーク教官曰く『ザ・人体実験』が行われていた研究所跡へと着いたのだった。
「予想通りっちゃあ、予想通りよねえこの見た目」
「ひぃぃぃぃぃいん……」
「うっわもうこの子プライド捨てちゃってる」
がくがくぶるぶるを通り越して高速蠕動しているマックスを見て、しかし今はもう何を言っても無駄だと判断したティナは、とりあえず落ち着くまで放っておいて(落ち着くかどうかは解らないが)、建物の外観を観察し始めた。
——文字通り、廃墟である。一見して、森の奥のご隠居さんが住んでいるような、そんな質素な屋敷なのだが、外壁はぼろぼろはがれ落ち、窓の格子だって見事に赤茶に錆びている。多分砂糖菓子のようにぽりぽり折れるだろう。放置されてからかなりの時間が経っているようだ。
外れた扉のむこうの薄暗がりはどんよりと暗い。森からの明かりもないためか、奥に何があるのかさっぱり解らない。階段か広間かそれとも一歩入ったら研究施設なのか、それすらも解らないぐらい、暗い。
「それで、探検の目的はなんなんですか?」
『特に決まってない』
「はあ?」
じゃあなんでよこしたんですかとサイトー君を見たら、彼はふよんふよんと後ろを向いた。もしかしたら目をそらしているつもりなのかもしれない。でも全然可愛くないなあと思った。
『いやー、本当はな、先生のところにちょっと厄介なお願いが来てだな。誰も掃除とか管理とか点検とかしないから、住み着いてるやつがいたらちょっと追い出してあげてっていう』
「それで、ちょうど私たちが試験に落第したと」
『そういうことそういうこと。……だめ?』
「無機質な瞳で上目遣いしないでください、中身が伴ってないです」
瞼も瞳孔もうるうるも何もない上目遣いはあまりぐっと来ない。それに若干ノイズが混じって可愛い声になってはいるが、中身はあのごつい筋肉質のおっさんである。おっさんの上目遣いを想像すると逆に鳥肌が立つというものだ。
サイトー君はあわてたように、妙に人間くさい動きでティナとマックスの周りを浮遊する。こういった動作も再現できるんだから院の技術は半端じゃない。
『だがなあ、こう考えてみろ。このお仕事がなかったら補習なんてなかったんだぞ?先生授業内容考えるの苦手だからな』
「それでも教官ですか」
だがクラーク教官の大雑把さは今に始まったことではない。「家族の都合」で授業が休講になったことなんてざらにあるし(しかもその「家族の都合」が愛娘の誕生日やら結婚記念日やらだった)、「雨が降ってるから自主練な」ということも結構ある。
だがここまでやってこれたのは、授業がある日はみっちりぎっちりしごかれたからだ。気まぐれ度マックスの教官とはいえ、一応尊敬はしている。
だからティナはそれ以上文句は言わなかった。
「……よし」
気合いを入れると、ヴヴヴヴヴヴヴと細かく振動しているマックスの首根っこをガッと掴む。
「いつまでガタガタ震えてんのよ。さっさと行きましょ」
「……お、ぉう」
ずいぶん情けない声だが、さっきのパニックよりはましだ。返事をするようになっただけ、上出来といえる。ただまだ足は動かないらしいので、またティナは首根っこを掴んでずるずるずると引きずっていった。
玄関の小さな階段に足をかける。
腐食が進んだ木がミシッと嫌な音をたてたが、割れるまでにはいかなかった。
「ほら、ちゃんと歩いて。私転んじゃう」
なんとかしてひっぱりあげて、入口に立つ。
ここからでも、中の様子は全く見えない。むしろ、自分たちが玄関に立って光をふさいだことで、より一層暗くなったように見える。
「……行かなきゃだめか」
「行かなきゃだめ。私が先頭行ってあげるから、後ろから付いてきて」
選択権は与えないでずんずん突き進む。くじける暇を与えないで、なるべく早く補習を終わらせることが先決だ、と思ったのだ。
ティナは人差し指をたてると、ぽっ、とその先に小さな炎を灯した。
ぼんやりと洋館の中が浮かび上がる。
炎に照らされた内部は、案外結構しっかりしていた。壁の色などは暗すぎてあまり判別できないのだが、床は雨風にさらされていないせいか、木の床ではあるが結構しっかりしている。
「洋館よねえ……研究施だったっていう感じはないけど」
「ももももももしかしたらちちちち地下室とか?」
「いい加減しゃっきりしなさいよ……怖いもんは怖いから仕方ないけどさ。まだ昼だし」
きしっ、きしっ、という足音を響かせながら、二人は洋館の奥へ奥へと進んでいく。
一昔前の小さな屋敷に典型的なスタイルの、ちょっと広くなった玄関ホールを抜け、その先にある階段を上る。まずは二階からだ。
二階は小さな部屋がたくさんある、いわば客間や居室のフロアのようだった。階段を上った先から左右に細長い廊下が延びていて、その先に扉が何枚もある。
「……二手に分かれ——」
「無理無理絶対無理勘弁してくれ」
「わかった。じゃあ一緒にいこ」
どこまで女々しいんだこの男は。
ため息をつきながらティナは左に曲がった。
廊下の一番端の扉の前まで行くと、ドアノブを握る。
「……開けるわよ」
「おおおおおおおおおおおう……」
錆び付いてぼろぼろになった扉に左手をかけ、そして一気に開いた。
埃が舞い、中のどんより湿った空気が流れ出てくる。
そして、部屋の中は——
「なんにもなし。誰かが住んでる形跡もない、と」
「ほ、ほんとうか? へへへやん中に骸骨とか腐った死体とか転がってないよな?」
「大丈夫よ、ほら見てみなさい」
後ろに隠れていたマックスが、おそるおそると言った風に顔をのぞかせる。
そして、ティナの言った通り、ボロボロになった家具と埃をかぶった絨毯や小振りなシャンデリア、布団がさけた無人のベッドと言う、打ち捨てられた時のそのままの形で残っている部屋を見て、
「……ほんとだ」
「ね?」
ようやく恐怖感が和らいだらしい。
先ほどとは打って変わって、興味津々と言った様子で部屋の中をのぞきこみ、ずかずかと入っていく。
「本当に誰もいじってないんだな」
すっかりいつもの調子を取り戻したらしいマックスは、部屋に据え付けられている本棚の前に立ち、じーっと見ながら言った。
「当時の本とか、そのまんまだ」
「どんな本?」
「ほら、ちょっと前にどっかの劇団が演ったろ。滅亡した帝国の姫様の話」
「あー、あれね」
「その初版本だぜ、これ。何年前だ?」
一冊本を抜き出すと、ふぅっと埃を吹き飛ばすマックス。さっきのおびえきった様子はどこへやら、興味津々と言った様子で本をめくる。
「……うっわ、六十年前。俺たち細胞にすらなってねえ」
「ぎりぎり、母さん達が産まれないか産まれたかのあたりね。おどろいた、それからずっとほったらかしなのかしら」
『依頼書には五十三年前にプロジェクトが中断しているらしいなあ。あ、その本回収しといてくれ、先生の友達がほしいって言ってる。すぐ隣で』
「先生一体どこからナビゲートしてるんですか?」
『うん、教員室。さっきのカルステニウスはなかなかの見物——』
「だああああああ忘れて! 忘れてください先生がた!」
『はっはっは』
サイトー君は高笑いしながらマックスの手をすり抜けると、ふよんふよんと本棚に寄っていく。
『ほほー、懐かしいなあ。先生が子供の頃流行ってたものばっかりだ』
「あれ?先生結構若かったですよね?」
『リメイクというものが世界にはあるのだよ、うん』
「なるほどー。とりあえず先生の過去よりも補習の方が大事なんで、先に進んでも良いですか?」
『おお、すまんすまん』
二人と一台はその部屋を後にして、今度は隣の部屋へ入る。
隣の部屋も、同じような構成だった。質素な家具に本棚、そして沢山の埃に止まった時間。他にはこれといって特徴的な物はない。誰かが住んでいたという痕跡もない。
「研究関連の資料は別な所にあるのかしらね」
「さあな。次行くぞ次」
「途端に生き生きしてきたわね、いいことだわ」
「なんだよ、普段は『うざったい』とか言うくせに」
「引きずる手間がかからないってことよ」
後半になるといつもの調子を完全に取り戻し、ティナとマックスはいつものような軽口を叩き合えるまでになっていた。
二階の部屋を全て見て回った所、結局なにも見つからなかった。もしかしたら研究施設だったということはデマだったのではないかというレベルで何もなかった。
「次は一階ね」
「何もなかったらどうするんだ?」
「さあ。その時はその時でしょ」
とりあえず今は進むだけだ。なんとかこなして卒業研修の受研資格をもらえればこっちのもんである。
階段を下りて玄関ホールに戻ってくると、今度は階段の裏に回り、奥の広間に向かう。
それなりに大きな広間だ。一番奥には、ピアノが一台乗せられた、小さなステージがある。内装もしっかりしているし、穴も空いていない。手入れ無しで五十年間放置されたとは思えないほど綺麗だった。ただ埃が絨毯のように分厚くつもっていて、一歩歩くごとに埃が舞い踊り、あわよくば鼻の穴に入り込もとするあたりはいただけないが。
「へえー。すげえな」
上にぶら下がっているシャンデリアを見て、マックスが感嘆のつぶやきを漏らす。
「ずいぶんな細工物だぞ、これ」
「わかるの?」
「わかんね。ただ見た目の感想」
「ああそう……」
しかし確かにマックスの言う通りでもあった。所々に見られる細工や仕立てが、そこらで見るようなものよりは遥かに細かく、優れている物であるというのはよくわかる。だからこそ、この時間まで残っているのかもしれない。
埃を巻き上げながら広間を横切る。奥に一台、これまた埃をかぶったピアノが置いてあるが、蓋が開けられたままになっているため弦が所々錆びて、もう使い物にならなくなっている。しかし前は高名なピアノだったのだろうということは、蓋の内側に刻まれた金文字で判断がついた。ティナでも聞いた事がある名前だったからだ。
「行き止まりだな、ここで」
ステージの奥、緞帳のさらに向こうまでもぐってあさっていたマックスが、頭から埃を払って戻ってきた。
「隠し扉かなにかあるかと思ったが、何もない。ただの壁だ」
「そっか。じゃあ別の所——」
--行くわよ、と言いかけた所でティナの視界の隅に何かがひっかかった。
「………ちょっとまって」
「どうした。なんかあったか」
「うん」
ティナはピアノに近づいた。
カバーが上がったままのピアノの鍵盤。それをじっと見る。
「ただのピアノだな。それがどうした」
「埃がないのよ。この上だけ。今までずっと埃まみれだったってのに、ここにだけ埃がつもらないってありうる?」
「……なるほど?」
マックスがふっ、と鍵盤の上に息を吹きかけた。舞い上がる埃はほとんどない。
「確かにおかしいな。もう一回調べてみるか」
そう言ってマックスは緞帳の裏に消えていく。ティナはもう一度、鍵盤に視線を落とした。
あまり使われていなかったのだろう。鍵盤は日焼けした跡もなく割れてもおらず、白いままだ。
(……ん?)
しかしそこでティナの眉が寄った。
気になったのは鍵盤の表面だ。
白いのは白いのだが、いくつかほんの少しだけ、汚れている箇所がある。そう、まるでそこだけ限定的に弾いているかのような。
普通こんなことにはならないはずだ。ピアノを弾いた事はないから憶測なのだが、ある特定の音だけ使う曲なんてそうそうない、と思う。
「ねえマックスー」
「なん——ッ、ぶへっくしぃッ!!えくしっ」
埃を吸い込んでしまったのか、三回ぐらい連続でくしゃみをキメながらマックスが出てきた。
くしゃみがおさまるのを待ってから、ティナは鍵盤を指し示す。
「ここだけ汚れるっていうの、あるの?」
「んー……ないと思う。少なくともウチのピアノはそうだった。使うのが多い音ってのはあるが、ここまではっきりわかれる訳じゃないし、なんかありそうだな」
マックスの長い指が鍵盤の上に伸びた。
一つ一つの鍵盤を押し、そして今度は両手を使って全ての音を一緒に弾く。
背筋がぞわぞわと粟立つような非常に不快感あふれる不協和音だった。弦が錆びているせいもあるのだろうが、音符の組み合わせが元からまずかったのだろう。
「うっわぁ……」
マックスがぼそっと呟いた。
しかしそれは、あまりに不協和音がひどかったから、だけではない。
ゴゴゴゴゴゴッ、ずどん、という大きな音を立てて、緞帳の裏の壁が大々的に動き、ぽっかりと薄暗い穴が大口を開けたからだった。
「すっごい、隠し扉」
「絶対押さねえ音にしたんだろうな。気持ちわりー」
「あんたの技量じゃないの?」
「絶対違うね。そりゃ暫く弾いてなかったけどよ、もうちょっとマシだ」
そんなことを言い合いながら、二人は壁に開いた穴を覗き込んだ。
ちょうど人一人が通れるような大きさだ。明かりも何もない。ただ下へ下へと降りて行く、ゆるやかな階段があるだけだ。
「……見るからに怪しいわね、これ」
「確かにな……」
「また怖いって言い出し始めるんじゃないわよね?」
「残念だな、今の俺は知的好奇心の方が勝ってる」
「偉そうに言っちゃって」
じゃあ行くわよ、とティナは指先に焔を点した。太陽が高くなって、入る光が多くなってきていたため消していたのだ。
焔に照らされて、ぼう、と少しだけ視界が広がる。奥の方は全く見えない、闇のままだ。
「先行くわよ。コケないでよね」
「コケるか。お前こそ気を付けろよ」
「言ってくれるわね」
互いをいたわってるんだかそうでないんだか、よくわからないことを言い合いながら、彼女は一歩踏み出した。
独特のこもった空気が鼻孔をつく。
『ふむふむ、なかなかの典型的な隠し通路だなあ』
後ろからふよんふよんとついてきていたサイトー君が言った。械音声が狭い壁に反響してなかなか不気味に聞こえる。
『だがちと防音処理が足りないようだ。それに、サイトー君のスキャンによると、どうやら先客がいるようだぞー』
「ここ、立ち入り禁止区域ですよね?」
「迷い込んだんじゃねえの?」
『ふむ、デバイスのレベルを見る限りではその可能性が高いな。登録していないものだ』
「何気なく高性能なのね、そのスキャン……」
『本気を出せば透けない事もない』
「教育倫理に反しますよ先生」
「あとたたき潰しますよ先生」
『はっはっは』
さらりと爆弾発言を落とし、ふよんふよんと再び逃げたサイトー君は放っておく事にして、ティナはひたすら下へ下へと歩いていく。
二十段目をすぎたあたりで、ティナの足がカチッと何かを踏んだ。
「あら?」
「どうした」
「何か踏んだわ」
何だろうと指の明かりを近づけてみると、その段だけなんだか微妙に壁から離れていて、しかもティナが乗っている事でちょっとだけ沈んでいる。
「階段がへっこんでる」
「何だろうな?」
二人で顔を見合わせた瞬間、ちょっと遠くのちょっと上あたりから、『ゴゴゴゴゴゴッ、がごん』というどこか聞いた事のある音が聞こえてきた。しかも、ほんの少しではあるが周りが暗くなった。
「………そういえば、入り口開けてきたままよね?」
「そうだな、開けてきたままだな……閉め方が解らなかったしな」
「ちょっと後ろ見てくれる?あんたで見えないのよ、私」
「おうよ」
マックスがくるっと振り返った。
そしてすぐに振り向いた。
「……うん、まあ悪い方向の予想が的中したな」
「つまりは、閉じ込められたってことね……」
壁を開ける手段はもうない。試しにもう一回段を踏んでみたが、全く反応してくれなかった。どうやら閉めるだけのスイッチらしい。
今までスイッチや仕掛けらしいものはなかったから、完全に閉じ込められた事になる。
『ああ、出られなくなったら破壊許可を出すから安心しろよー』
途方に暮れていると、後ろからサイトー君がふよっと出てきた。
「壊して良いんですか?」
『どうせ使わないからな。「試験で潰れた」という言い訳なら通じる』
「なんという……」
『院の特権という奴だな』
そんなご都合主義な……と思ったが口には出さない。「研究目的で」という但し書きがあれば、たいていの破壊活動にはオッケーがでてしまうというのは、今までの授業や実習で経験済みだった。
二人は気を取り直してさらに奥へと進んでいく。
それにしても長い廊下だ。ひたすらまっすぐのびている。壁に何かの細工がされているわけでも、何らかのトラップが仕掛けられている訳でもない。ひたすらゆるい下り坂が、ひたすらまっすぐ続いている。
どこまで続いてるのかしら、そうティナが言いかけた時だった。
ただぼんやりと、底が知れない暗闇ばかりが照らし出されていた前方。そこに、うすぼんやりとではあるが壁らしき物が見えてきた。
「やっとゴールかしら?」
「気つけろよ、どんな仕掛けがあるか解ったもんじゃねえ」
「解ってるわ」
ティナは少しだけ焔の勢いを強くして、細部までじっくり観察していく。
丸いドアノブまで金属製のしっかりした扉だ。特に魔法的な要素は感じられない。
「見た感じ、仕掛けはなさそうなんだけど」
「ちょっと場所代われ。確かめる」
「うん」
狭い中、なんとかしてマックスと入れ替わる。
「俺の髪燃やすなよ」
「燃やす訳ないでしょ、ちゃんと限定してるし。それに髪って燃えるとくっさいのよ」
「俺の髪に限ってそんな事はない」
「だったらあんたの髪は髪じゃなくて紙ね」
「だれが上手い事言えと」
「頭の回転が速いのよ。……それでどうなの?」
「ちょっと待て」
マックスは注意深く扉を見ているようだった。扉に触れないぎりぎりの距離に手をかざし、扉自体を詳しく見るかのように、ゆっくりと動かす。『悪意』や『危害』に反応するマックスの魔法はこういう時に便利だ。
しばらくチェックしたのち、マックスは「よし」と言って立ち上がった。
「反応なしだ。鍵もかかってない。オールグリーン」
「ありがと。じゃ、早速中に入ってみましょうか」
もう一度場所を入れ替わると、ティナはそのドアノブを掴んだ。
捻って一気に押し開ける。外見の通り、なかなかに重い扉だ。
「よっこいしょ……っと」
全て開け放って明かりをかざす。
ティナ達が出たのは、洋館のあの埃っぽさとはうってかわって、清潔そのものの小部屋だった。材質も木ではなく、一気に近代的な材質になっている。しかしそれほど目立った物はない、ただ廊下よりもすこし広い幅の、右側に棚が一つ、そして向かいにまた扉が一つあるだけの部屋だ。
「……何も無いわね」
「俺としては、どうしてここに棚があるのか気になるんだがな」
マックスが棚を覗き込んだ。高さで言うとティナの腰ぐらいで、両開きの扉が付いている。
「開けるぞ」
「気をつけなさいよ」
「ああ」
マックスは取っ手に手をかけた。
鍵は掛かっていないようで、棚はすぐ開いた。
二人で覗き込むが——中身は空だ。何かがあった痕跡もない。一体なんのための棚なんだろうと二人は顔を見合わせた。
「私ね、もしかしたら『履物の泥を落としてください』とかそういったメモがあるんじゃないかってちょっと期待してたわ」
「超名作の現場に立ち上えるんだったら俺も嬉しいけど、その後食われてバッドエンドだぜ」
「助けてくれる犬もいないしね」
あのわんちゃんたちどこで売ってるのかしら、やっぱりペットショップじゃねえの、とくだらないことを言い合いながら店を閉め、今度は向こうの扉を見つめた。
先程の洋館の雰囲気にはまったくもってそぐわない、近代的な扉だった。よく院の研究施設にみられるようなものだ。
「ビンゴかもね。明らかに雰囲気が違うわ」
「どうする?この奥にモンスタープラントとかあったら」
「明らかに死フラグじゃないの私たち」
勘弁してよねと言いながらティナは扉のノブに手をかけた。
軋むこともなく、あっさりと開く。
ドアの向こうは真っ暗だった。窓がないから当然といえば当然なのだが。
「スイッチ探したい所だけど、変な仕掛けとかあったら困るわよね……」
ティナはぼそっと呟くと、今度は先程よりも大きい炎を手のひらに灯した。どちらかというと火の玉を持っているといったほうが近い。
光源を得たことで、ぼんやりと二人の周りが浮かび上がる。
炎を反射している床は汚れひとつない。誰かが定期的に掃除しているとしか思えなかった。
「ますます怪しいわね」
「慎重に進もうぜ。先客が居るみたいだしな」
「珍しく正論ね。賛成」
「前の一言いらねえよな」
『もうちょっと仲良く行くっていうのはできないのかお前達』
「いつもですよ」
平常運転だからしょうがない。悪口軽口を叩き合っている方がなんだか落ち着く。
サイトー君は放っておいて、二人は先の見えない向こうへと歩き出した。
「トラップもなさそうだなあ」
「そうね」
二人の靴音が響く。
機械の駆動音も何もしない、先ほどから気になっている『先客』の気配もしない。
「……もしかして、サイトー君のスキャンミスとか?」
「ありうるな。先生ずぼらだし」
『おいおいちょっと待てお前ら、ちゃんとこまめな手入れはしているぞ、先生を見くびるんじゃない』
「でもここまで何もなかったですよ」
『反応はもっと奥だ馬鹿者。早とちりするな』
話をちゃんと聞きなさい、とサイトー君が怒るが、全くもって迫力がない。かわいらしい球体に言われても何の怖さも感じなかった。
『さっきから動いていないな……』
「反応ですか?」
『そうそう。動く気配もなにも……お?』
「どうしました?」
『ちょっとおかしい』
サイトー君が前に出た。
ジー……という、今まで聞こえなかった駆動音が『彼』の体内から聞こえてくる。どうやらより精密なスキャンを行っているらしい。
「(やっぱり自信なかったんだな)」
「(そうみたいね)」
『こらそこー先生にはちゃんと聞こえてるぞー』
おっと、とティナとマックスは顔を見合わせた。スキャンは不調でもマイクは好調だったらしい。
「おかしいって、どういうふうにおかしいんですか?」
『ブレたんだ』
「ブレた?」
『そうだ、なんというか……安定していない。ひどいときは十倍近く差が出ている』
「スイッチ入ったってことなんじゃない?」
「おいお前筆記でやったろ。デバイスにスイッチは無えぞ。出力が上下するとしたら、デバイスのリミッターが外れた時だ。使用者がフルパワーでデバイスを使ってるってこと」
そうそのとおり、とサイトー君が丸を付けるように小さく浮遊した。
『使用者が、何らかの理由でフルパワーにせざるを得ない状況になった。つまり——』
「——荒事に巻き込まれたってこと?」
ティナがサイトー君の言葉を引き継いだその瞬間。
遠くの暗闇で、ちょうどガラスが割れるような破壊音が、ティナの言葉を肯定するかのように響いた。
「……いるわね」
「そうだな……」
二人は身構える。
目の前で響く音は、断続的に続いている。だんだんと近づいてきてもいた。
ティナは暗闇の奥を見据えた。
ピリピリとした感覚が肌を刺激する。今まで乗り越えてきた経験が、危険なものが来るということを告げている。
「迎撃用意よ」
「わかってら」
ひときわ大きな破壊音が響いた後、場にそぐわぬ金髪美女が全力疾走で暗闇から飛び出してきたのは、その直後のことだった。