72P科学と魔導の交響曲Ⅱ
2話連続投稿!!
ピンからキリまであるとはいえ、魔導書はどこにでもある。
わざわざ“紋”をはがすという労力を割かなくても、それなりのお金を払う、もしくは由緒正しきお貴族様の鶴の一声で魔導書を差し出す魔導師はいるだろう。
「ああ、おかげでとても貴重な情報を得る事が出来た」
「なにを、ですか?」
(釣れた、かな?)
ユーリの質問は彼の心に響いたらしい。
(父さま直伝『弱小貴族の生き残り方法その10、相手の心をつかむ言葉を言えるように語彙力はしっかり養っておく』……兎に角喋らせて会話をしつつ自分の状況が好転しそうな言葉を引き出す為にも、これは必須と叩き込まれたのが微妙に役立っている?…といいなぁ!?)
こっそり姑息なことを考えているユーリに気づかないのか、はたまたユーリの考えなどどうでもいいと考えているのか、わからないがオストロ教授は饒舌に話し続ける。
「【真理】の魔導書は存在するという証明だ」
「…………はい?」
聞いたことのない単語が出てきてユーリは首を傾げた。
「君は知っているかね?我々の使う魔導は九百年前に生まれたのだよ」
「……それは、『聖都の大賢者』の話?」
「あらすじを言いたまえ」
「えっと、大昔に大災害が起きて、世界が海に沈んだ後、残っていた“都”で人々が暮らせるように魔導の叡智を授けた賢者がいたって」
よくある御伽噺。
優秀な『賢者』を妬んだ『愚者』が起した『大災害』。
それに飲み込まれた人々を『賢者』が導き、人々は幸せに暮らしたという話。
「そう、その賢者が広めた魔導が我々の魔導の根幹となっている、という事になっているな」
実に疑わしそうにオストロ教授は鼻白む。
「で、このお話と今オストロ教授がここにいる事に何の関係があるんですか?」
疲れ切ったユーリの言葉にオストロ教授は薄く嗤う。
「【真理】を我々は求めているのだよ」
「だから、その【真理】とは何ですか?」
「この世界中にあるありとあらゆる魔導を記し、この世界の魔導の根幹となった始祖たる魔導書の事だ」
ユーリはオストロ教授の言葉を聞いて、思い出すのは、『聖都の大賢者』に載っていた一節。
(確か、聖都の大賢者は何でも知っている魔法の本を持っているって……)
ユーリの脳裏に、『王立学院図書館』の迷宮のような本棚、森の木々のように乱立する本棚、隠された本棚とその棚にびっちりと詰められた本が思い浮かぶ。
ものすごく、嫌な予感がする。
「世界中の魔導師が模倣した大賢者の残した魔導書、君は何か知っているかな?」
戯れのように問われたユーリは『賢者の大迷宮』を呪った。
「知りません」
「だろうな、だが、エリアーゼは知っているはずだ」
憮然と返したユーリにオストロ教授の反応はあっさりしたものだった。
「は?」
「おかしいと思わないのか?この王立学院図書館の“紋”が確実にありとあらゆる流派の魔導書の魔力を封印し、魔導の使用を制限しているということに」
「それは、……」
図書の探索機能に図書の自動返還機能、その上魔導書の場合は魔力封印機能とよくよく考えてみれば“紋”とそれに付属する魔導はとてつもなく高性能である。
(ずっと便利だなぁとしか思ってなかったけどなぁ)
などという戯言をオストロ教授は求めていないだろう。
「でも、この“紋”を作ったのは先代の図書館長では?エリアーゼ館長にここまでの魔導を施す能力はないってエリアーゼ館長本人が言っていたような?」
少なくとも、治癒魔導以外の魔導の才能は並以下とか言っていたような気がする。
「何だ、自分の主人の事なのに知らないのか?あの女は元宮廷魔導師にして占術師、“千里眼”の目と名声を欲しい侭にした女だぞ」
「え?占術師?うっそだぁ」
あの超現実的かつ合理的思考を持つエリアーゼ館長があの夢見がちなヴォルヴァ先生と同じ魔導を修めていたとは俄かには信じられない。
何となく察したのか、オストロ教授は苦い顔をする。
「………君たちの何代か前の、まともな占術師がまだ『学院』にいた頃の天才がエリアーゼだ」
「はぁ」
いまいち納得できていない顔でユーリは一応頷く。
が、何となく、オストロ教授がエリアーゼ館長とこの王立学院図書館に拘る理由は読めてきた。
「つまり、エリアーゼ館長が王立学院図書館内にあるだろう【真理】の魔導書とやらを使って、便利な“紋”を作ったと、貴方はそう思っているんですね?」
笑みのみの「是」に胸やけがする。
「それで、【真理】の魔導書を手にした貴方は何をする気ですか?」
「ここは教育機関だぞ?やることは決まっているだろう?」
芝居がかった仕草で宙を仰ぎ、『賢者の大迷宮』の鍵を天に掲げる。
一瞬の閃光ののち、あたりの風景が変わった。
林のように乱立する巨大な本棚とその本棚を繋ぐ細い階段、廊下が木々に絡まる蔦のように配置された、専門階。
そのちょうど中心にしてもっとも天井に近い本棚の上にユーリとオストロ教授はいた。
「これは…」
「ふむ、『賢者の大迷宮』の鍵をもってしても魔導階にまでは行けないのか?」
(………違う)
胸の中で一瞬安堵が咲く。
彼は拒絶されたのだ。
あの誇り高く、気位が天上の神々の住まいよりも高く、下品でお茶目で気難しい“禁制魔導書”達から。
(なら、大丈夫)
「決まっている。とは?」
ユーリは問う。覚悟を決めて。
「教育だ。迷える子羊たちに正しき魔導と魔導師としての在り方を示すのだ。まずはこの国の魔導師たちからな」
熱に浮かされたかのようにオストロ教授は声を高く熱くする。
「選ばれし魔導師たちには、魔導を使えぬ者たちの上に立ち正しく導かねばならん。その方法と思想、そして何より正統なる魔導を教育するのだ」
ダンッと杖の先を本棚に叩き付ける音が専門階に木霊する。
その音に惹かれるようにユーリは顔を上げた。
専門階の天井には世界中から集められた古今の神話や御伽噺の抽象的な絵画が沢山記されている。
その中のひとつ、巨大な蛇が世界に巻き付きながら、人の頭部を食べている絵が見えた。
知恵ある蛇
その蛇は世界中の知識を欲して世界中の人々の頭を喰らい、彼らの知識を独占しようとしたという。
(お父様)
高山地帯で、冬は雪で覆われる、ユーリの故郷ランビール。
冬場、外に出られない子供たちを集めてユーリの父はよく神話や童話、俗に御伽噺と称される話を聞かせてくれた。
この『知恵ある蛇』の話はユーリ以外の兄弟に不評で興味を失った弟妹達は遊び始める中、大人しく最後まで聞いていたユーリに父はそっと教えてくれた。
『この話はもしかしたら、大昔に実在した事柄なのかもしれないな。知識の独占と支配は他国への侵略後によく行われることだ。異なる文化を消し去り、支配者が被支配者へ自分の思想と文化を押し付ける。その際に が行われたと示しているのかもしれない』
「貴方に、選ばれなかった人は、どうなるんですか?」
どの歴史にも記されている。
支配者に、選ばれなかったものの末路。
「豚に真珠の首飾りを渡して何になるという?選ばれた者たちにこそ古の叡智と“真の魔導”を行使することが許されるのだ」
目の前が、急に色を無くして暗くなった。
(それ、は)
「独占する気ですか?【真理】の魔導書の知識を」
「君。何を言っている。【真理】の魔導書を使った教育は必ず行うと言っているだろう?」
「違います!!貴方は、貴方の言っている事は、違う…それは、まるで……」
(知識の制限、教育の強制。自由な発想や思想の弾圧それを何と言う?それは、それは)
体が震える。
温かな暖炉の前で温かい父の声を聞いていたはずなのに、背中がひんやりとした。
あの日、あの時、父は何と言った?
震える唇が吐息のように掠れた声を漏らした。
「洗脳」
その音は広い専門階によく響いた。
「洗脳とは酷い言い草だ。強く正しい魔導の在り方を教えるだけでそのように評されるとは心外だな?」
杖の先で顎を上げられたユーリの顔からは表情が抜けていた。
奇妙に澄んだ黒い目に不愉快気な顔のオストロ教授が映りこむ。
「そうですね。反対意見は、全て『無かった』ことにされるんでしょう?そして、貴方は貴方の、貴方だけが信じる正しい『教育』を行う。人々は自分たちが制圧され、自由を無くしたことすら気づかない。『魔力がないから』、『選ばれなかったのだから』と自分自身に言い訳して、不幸にすら鈍化する。これを『洗脳』と言う以外にどう表現すればいい?」
淡々と、この先の未来を予言した漆黒の学生にオストロ教授はカッと気色ばんだ。
「何も知らぬ小娘が何を知ったような事を!!我らが動かねば、誰が我が領の領民を、国王陛下より承ったあの美しい土地を守るのだ!?今尚、我が領の領民はあの“悪夢の森”から漏れ出る強い魔力と魔獣に怯え苦しみ続け、不要な血を流し続けているのだ!!だというのに、年々まともに魔導を理解し使うことのできる魔導師は減ってきている。このままでは我が領だけでなく他の領地、いやこの国そのものの基盤が揺らぐことになるのだぞ!?力ない貴様ならいざ知らず、私にはこの国で国王陛下より認められた貴族としてなすべきことを成す義務があるのだ!!何もせずにはいられるものか!!」
激昂するオストロ教授に椅子ごと倒されたユーリは、ただ彼を見つめた。
(ああ、この人は)
どれほど、専横的であっても、オストロ教授は『貴族』なのだ。
国王陛下に忠誠を誓い、領地と民を守る。
そして、何より魔導師であるのだ。
魔導というものに、絶対的な万能性を期待し、魔導によって世界を統べようとする魔導師。
「魔導の正しき力と発展。それによって私はこの国を守るのだ」
オストロ教授の声が低く響いた。
彼の声の余韻はまるで陽炎のように漂い、どこか虚ろに意味をなさぬ音として専門階の本たちの中に吸い込まれ、消えてゆく。
それを最後まで見送ったユーリは、ゆっくりと息を吐き出した。
「たしかに、私は下級貴族の第三子。国王陛下への忠誠心も国への恩義も義務感も薄いのかもしれません」
侯爵という高い地位と豊かな領地を持ち、魔導に優れる人材を数多く身内に抱え、王宮内での発言力も強く、名声を欲しい儘にするオストロ侯爵家。
一方、ユーリは高山地帯の小さな領地をどうにかこうにか餓えさせないように守るのが精一杯の、吹けば飛ぶような弱小貴族であり、この王国内に数多いる子爵家のひとつ。
ぶっちゃけ、貴族じゃない方が柵も少なくて楽に生きていける可能性はある。
貴族位返上して資産纏めて暮らせば、今のようにカツッカツにユーリは働かずとも『学院』に通えるだろう。
『だが、いまはまだこの地位を捨てるわけにはいかない』
セフィールド学術院に入学するために、ランビール領からチューリヘ向かう旅の中、父が言った。
『所詮、マルグリット子爵家はザラート王国の土地を治めるために、王家に地位という名の首輪をつけられ、使われている駒の一つにしか過ぎない』
セフィールド学術院に父と共に行くために乗った汽車は三等車両だった。
その車両の乗車券を買う為に父は祖父(つまり、ユーリからすれば曾祖父)の形見の品である純銀の腕輪を手放した。
『そう、わかっていてもなぁ。あの美しい地を捨てたくはないんだよなぁ』
自嘲という言葉がよく似合う、どこか泣きそうな顔で笑う父の前で、自分はどんな顔をしただろう?
『ご先祖様のような武勇も魔力もない私だが、それでもこの数百年この地を守り続けた一族の長として、いやこの地に生まれ育った者として、この地への愛着と誇りがある。見捨てることはできない。見捨てたくはない』
(あたしもだよ。お父様)
木々が若い色に染まって花々が咲き乱れる、春の山脈の初々しさ、雪解け水で出来た水晶のように透明な川が流れる夏の川辺、いっぱいに恵みを分け与えながらゆっくりと鮮やかに命を終えてゆく秋の輝き、雪に覆われた厳かな冬の沈黙。
いつまでも見ていたいと思うあのランビールの地を守りたい。
だから、オストロ教授が貴族として自分の領地を守りたいと思う気持ちはわかる。
(でも、だからこそ)
「それでも、私は貴族の娘として新しい知識を踏みにじることは出来ません。その技術が有用であれば使います」
オストロ教授のやり方は赦せない。
支配と統治は違うのだから。
「弱きものは、弱きもののやり方で知恵を絞り、戦うのですよ」
だから、ユーリは飛んだ。
持てる力をもって、専門階の最上部から。