70P子羊たちへの応援歌Ⅵ
「ユーリさん……」
水仙が咲く、美しい水辺の苑で、エリアーゼは座り込んでいた。
彼女の膝では顔色の悪いミーシャが眠っている。
「とりあえず、この子は『病院』に連れて行かないと」
すっとエリアーゼは目を閉じ、諦めたように溜息をついた。
そして、そっと腕からシンプルな腕輪を外す。
(…………)
腕輪に唯一付いている宝石にそっと口づけし、放った。
一瞬の閃光ののち、その場に武装した女性が三人現れた。
「御呼び頂き、光栄でございます。エリアーゼ様」
「……アルウィスとリーシェは?」
跪く彼女らを見、エリアーゼは表情もなく問うた。
「部下たちが見ております」
「奴らの手は回っていないのね?」
短い返事で答えた彼女らに一瞬表情を緩めたエリアーゼは彼女らの中から一人を呼び、ミーシャを渡す。
「彼女に然るべき治療を、『傀儡』の魔導を掛けられているようです」
「この子は?」
「ミーシャ・ヴェルデ。東の砦街から来た『学院』の生徒です」
淡々とミーシャを渡したエリアーゼは立ち上がり、手折った水仙を水に浮かべる。
水仙の花はゆっくりと開き、美しい扉に変わる。
「この扉を抜けて行けば図書館の外に出られます」
「あなたは?」
「この騒動に終止符を打ちに行きます」
水仙さえ見惚れるだろう、凛とした姿でエリアーゼが宣言した。
一方その頃。
ぽこぽこと火をかけられた丸フラスコから湯気が浮かぶ。
薄暗い部屋の中、硝子管の中で液体たちが化学反応を起こす。
それを制御している少年が一人。
少年は湯気を出すフラスコを取り上げ、いくつかの液体を入れ込む。
そして、何を思ったか、フラスコの中身を一枚の紙の上に垂らす。
「できた」
その一言と共に、肺がしぼんだのではないかと心配するほど深い溜息を吐き、少年は天鵞絨が貼られた高級そうな椅子に身を預ける。
疲れ切ったかのように腕を上げ、目にかけていたゴーグルを外す。
厳ついゴーグルの下にあったのは榛色の目。派手な金髪を押しつぶすようにゴーグルを頭に乗せ、閉じた瞼の上から目を揉んだ。
「……………あとは、これをあのちょーおっかない館長に渡せば、退学を免れる……」
実に切実そうな声で情けないことを言うと、気合を込めるかのように勢いよく立ち上がった。
「ぃよっしゃああああっ!!俺天才!!ちょー…っうおっ!?」
彼のいる部屋の扉の向こうからいきなり鋭い光とドタバタと激しい物音がした。
「なんだ?」
しばらくしんっと静まり返ったかと思うと、勢いよく扉が開いた。
扉からどやどやと出て来た男たちに驚いた彼は思わず部屋の隅に身を寄せる。
「うおおおおっ!?………て、あ?」
山籠もりでもしてきたのかと思うほど薄汚れた姿の男たちの中、見覚えのある姿を見つけて彼は目を丸くした。
「君は……たしか、イオン・ガスパール君?」
名を呼ばれ、彼―イオンは体の緊張を解いた。
「君、何でここにいるんだい?オストロ教授の秘密の実験室にいい思い出なんかないだろう?」
そう、彼らはオストロ教授の秘密の実験室にいた。
「まぁ、エリアーゼ館長のご命令で、コレを作ったら退学チャラにしてくれるって言ってくれたんで」
イオンが振って見せたのはフラスコの中の透明な液体。
何を隠そう、オストロ教授に奪われた液体Xと同じ物。
オストロ教授に取り上げられた液体Xの調合表を基にイオンが作ったのだ。
「あ~、その不思議な液体……」
呆れたように男は片眼鏡を直しながら、疲れきったように肩を落とす。
イオンが液体を垂らした紙の上、へたくそに書かれた熊のイラストが半分ほど消えている。
「調合は成功したんですね」
紙に書かれた熊を見てだろう、男はちょっと嫌そうに顔を顰めた。
「それにしても、クライヴ副館長。何があったんですか?こんな時間にそんな恰好でこんな処に」
片眼鏡の男―クライヴ副館長はイオンに問われてがっくりと肩を落とした。
「君たちと同じ目に遭ったと言えば通じるでしょうか?」
「あ~……」
特別奨学生でとても聡いイオンはそれだけで通じたらしい。
“悪夢の森”にぶっ飛ばされて帰って来たのだとイオンは悟った。
実際は、“悪夢の森”の主にじゃれつかれるというオプション付きだったのだが、のんびりと不幸語りをする暇はない様だ。
「クライヴ副館長。我々はもう行く」
「いえ、私も行きます」
ルファル魔導師たちと共にクライヴも重たそうに体を動かした。
「行くって、どこへ?」
イオンの問いにクライヴは短く応えた。
「王立学院図書館へ」
一方その頃。
魔導科の教室から魔導によって異空間(?)に飛ばされ、巨大な金の木の中に侵入し、囚われた生徒を見つけた司書と騎士科の生徒と宮廷魔導師の一行。
彼らはまだ金の木のうろの中、人々が囚われているところにいた。
「で?ここは何なんだ?」
足下でとぐろ巻く紫の光を心底不気味そうに見下ろし、ロランは宮廷魔導師たるアヴィリスに問う。
「ここは魔導の主軸にして始点だ。複数の魔導によって生み出された巨大な魔力の流れが集まり、ひとつの形にならんと胎動している」
さっきから壁を見上げて何やら丹念にメモしているアヴィリスは端的に応えた。
が、
「意味、わかったか?」
「さっぱり」×6
司書と騎士科の生徒達には訳が分からなかった。
しかし、アヴィリスはそれ以上応える気がないのか、一向にこちらを向かない。
「………オストロ教授は『科学をなかったことにする』ために『学院』中に魔導陣を設置した」
「グレン!!無茶をするな!!」
体を起こしたグレンにランクが慌てて駆け寄り、体を支えた。
「平気だ。アヴィリス魔導師が張ってくれた魔導陣のおかげで魔力が吸収されずに済んでいるし」
「何を知っている?」
百戦錬磨の傭兵の如きロランの鋭い視線をグレンは静かに受け止め、ゆっくりと口を開く。
「これでも、オストロ教授に使われていたから、ある程度の事は」
苦々しそうに顔をゆがめ、グレンは大きく息をついた。
「馬鹿馬鹿しい思想のために、オストロ教授は自分の生徒や侯爵家の分家、縁者の魔導師たちを使って『学院』中に『創世』の魔導に必要な魔導陣を設置した。オストロ教授の意向でこの『学院』に張り巡らされた魔導陣は惑星魔導を基礎にした、天道の動きによって自動で発動する使用になっているものだった」
「だった?」
歯切れ悪そうに区切ったグレンの言葉をランクが繰り返す。
「占術学部で魔導があれほど暴走し、そして消滅しなければ、今頃『学院』の人々のほとんどは科学の“か”の字すらわからない状態になっていた」
「その時点で失敗しているなら諦めろよ」
「確かに」
ロランの冷静なツッコミに皆が頷いた。
「オストロ教授はもう駄目だ。魔導書の「儀式」の成功に酔い、『創世』の魔導に溺れて正常な判断すら危うい。もはや魔導は崩壊しきっているというのに、失敗した魔導の代わりに俺たちをここの維持のために利用した」
グレンは溜息とともに言うと、ランクから水を受け取って飲んだ。
「随分胸糞悪くなる話だな。正気か?」
「と、言う事はここに囚われているのはオストロ教授の関係者って事ですか?」
「魔導陣といい、行方不明になった生徒といい、よく今迄バレなかったな」
司書たちが口々に疑問を口にする。
「あ~」
実に気まずそうに騎士科の生徒たちが顔を見合わせる。
「実は司書たちには魔導科の生徒たちの誘拐疑惑がかかっていまして……」
「あんっ!?」
「それもあって、俺達はあなたたちと行動を共にしていたんです」
代表するようにエクエスとセルフがいう。
「んなっ!?冤罪だ!!」
「それでやけにしつこく絡んできやがったのか!?理事と騎士科の教官ども!!」
「あんたらがうっかり行方不明者を出しそうな方法で魔導書の取り立てをしていたからだろうが!?」
いきり立つ司書に対し、ランクが切り込む。
あの大爆発が頻発していた魔導科の惨状を思い出した騎士科の生徒たちは深くうなずいた。
うっかりしたら行方不明者という名の死者が出ていたかも知れない。
「まぁ、魔導書の取り立てに徹底対抗するように煽ったのはオストロ教授だけどな」
あの激しい抗争や騒動によって『学院』中に張り巡らされた魔導や行方不明になった生徒たちへの注目を逸らし、ついでにあの場に発生した魔力までちゃっかり吸収していたらしい。
「それでも足りない分はオストロ教授の領地にある森から吸収していた」
「森……」
ゼクスがぽつりと呟く。
「心当たりがあるのか?」
「……死にかけた」
「…………そうか」
エクエスは痛ましそうに彼の肩を叩いた。
「ここは言うならば、糸車みたいな場所なんだ。『学院』に設置された魔導陣から発生した魔力をここで集めて混ぜ、ひとつに纏めて紡ぎだす場所だ」
「どこに流れて行くんだ?」
ロランの問いと共に、ぱんっと何かを勢いよく閉じる音がした。
壁に向かっていたアヴィリスがようやくこちらを向いた。
「『王立学院図書館』、『賢者の大迷宮』だ」