69P 子羊たちへの応援歌Ⅴ
「いっ!!」
両手を背で結ばれ、拘束されたユーリは抗議するようにオストロ教授を見上げる。
「ゼクス先輩をどこへ?」
「君は知らなくてもいいことだ」
そっけない言葉と共にオストロ教授はユーリを無理矢理に立たせる。
「………何故、エリアーゼ館長の下へ?あ…私のような一介の生徒を通さずとも教授からの呼び出しにならエリアーゼ館長は応じるでしょう?」
「余計な事を口にせず、さっさと案内したまえ」
杖で背をつかれ、顔を顰めたままユーリは歩く。
広い廊下に足音のみが響く。
魔導封じのタイルが貼られた床を見下ろして、ユーリは唇を噛んだ。
(この拘束が外れれば、逃げられるのに!!)
唯一の希望はエリアーゼ館長がもう帰っているかもしれないこと。
しかし、館長室の重厚な扉が見えた瞬間、ユーリは愕然とする。館長室の扉からうっすらと光が漏れていた。いつもは定時になれば一目散に帰宅するエリアーゼ館長が今日はまだ居残っているらしい。
(館長がいなかったら、あとは知らぬ存ぜぬで押し通そうと思ってたのに!!)
普通科の学舎の前で見たオストロ教授の酷薄な笑み。
まるで、出来の悪い弟子がようやく答えを見つけてきた事を褒める様な顔だった。
もう、公になっても構わないほどに彼の計画は進んでいるのだ。
何の計画かは知らないが、色んな人が巻き込まれ、ついでにエライ目に二度もあった身から考えるに、きっとものすごくロクでもない計画だろう。
ユーリはせめてもの抵抗を示すように扉の前に立ちふさがった。
「何をしている?」
「もうひとつだけ、訊いてもいいですか?」
不快そうな顔をされたが、見なかったフリをする。
「ミーシャ・ヴェルデ。彼女はどこに?」
「………どけ」
表情すら動かさない無の対応。
その一言と一緒に突き飛ばされ、ユーリは廊下に転がった。
開いた扉の内側、薄暗い館長室の中、ぽかりと暖かそうな光を放つ光がひとつ。
その光をやわらかに跳ね返す金の髪をゆるりと流し、すべてを包み込むような碧い瞳、完璧なバランスで配置された形の良い鼻梁に花弁のような唇、目尻に小さくついたほくろが妙に婀娜っぽい、美しい女性。
その部屋の女主人は重厚な執務机の前に腰かけ、微笑んでいた。
「まぁ、乱暴だことぉ」
呆れたように言いながら、彼女は優艶に立ち上がる。
「小賢しくも、忌々しい結界のせいでね。案内人が必要だった」
乱暴に拘束されている縄を曳かれたユーリは低く呻く。
ユーリの声にエリアーゼは柳眉を潜めた。
「迎え入れてくれて光栄だ。エリアーゼ・シエロ・コガ?」
優越者のみが浮かべる傲岸な顔でオストロ教授は笑う。
「いや、エリアーゼ・アウグル=アルス・ヴィ・オブトニール。“千里眼”の魔導師」
絨毯の上で無様に転がりながら、耳慣れない名で呼ばれた女性をユーリは見上げる。
温かなランプの光が凍るような凄絶なまでに冷酷な笑みを浮かべた女性がそこにいた。
出逢ったころから、綺麗な人だと思った。
太陽の光を跳ね返して豊かに輝く金の髪、穏やかな碧い目。
王立学院図書館初の女性館長にして、王立学院図書館の効率化を果たした才媛。
人々は口々に彼女をそう称した。
エリアーゼ・シエロ・コガ。
ソフィア・コガ学院長の遠縁の女性、二人の子を未婚のまま産んだ母。
コネで今の地位についた恥知らずの女。才媛を気取る勘違い女。
未婚で子を産んだふしだらな節操なし。
揶揄する声ももちろんあった。
けれど、彼女は凛と背を伸ばして立ち、微笑んでいた。
それだけで、いいと思った。
「エリアーゼ館長!!」
「大丈夫ですかぁ?ユーリさん」
「大丈夫なように見えますかっ!?」
いつもと同じ穏やかな微笑と共に手を振られたユーリは思わず噛みつく。
「あら?元気。大丈夫そうですねぇ」
「だからっ……っくあっ」
「黙っていろ」
オストロ教授の声と共にエリアーゼの表情が凍る。
拘束され、床に転がされたユーリの背にオストロ教授の足が乗っていた。
「野蛮ですこと」
軽蔑の視線を向けられ、オスロと教授はいっそ傲慢に嗤った。
「随分、大事にしているようだなこんな小娘を」
「もちろん。私はこの子の雇用主ですもの。この子を守る義務があります」
その割にはポイポイ危ないところにぶち込まれている気がする。と思ったが、ユーリは賢明にも口にはしなかった。
「だから、あなたのやろうとしていることには賛同できませんわ。アルカス・カリスト=アルス・オル・オストロ教授」
エリアーゼ館長の周りにぽわりぽわりと光の粒が浮かび上がる。
「逃げるか?エリアーゼ」
ユーリの頬に金属の冷たい固さが当たった。ナイフを突きつけられたようだ。
どうやら、光の粒は転移系の魔導を使う前触れらしい。
「あなたの欲しいモノは、これですか?」
エリアーゼ館長が首から下げていた銀色の鍵を取り出す。
鍵は彼女の手の中で一本の杖に変わる。
透明度の高い魔鉱石を中心にした美しい杖だ。
「それが……」
オストロ教授はうっとりとした目を杖に向ける。
それを見つめながら、エリアーゼ館長は杖を掲げた。
「ユーリさんを返してくださいな」
にっこり微笑んで杖を差し出す。
「それを、この娘に」
オストロ教授の足元に魔導の光が沸き上がる。
「なんで、図書館内で魔導を?」
動揺するユーリを見、オストロ教授は薄く笑う。
魔導の光の中から、亜麻色の髪の少女が現れた。
「ミーシャ!!」
図書館内に現れた彼女はまるで人形のように生気のない顔で佇んだ。
「『傀儡』の魔導ですか?」
エリアーゼ館長の顔にはっきりとした嫌悪が浮かぶ。
「その娘に杖を渡し、共に来てもらう」
傲慢に言い放つオストロ教授の下でユーリは唇を噛みしめた。
『傀儡』の魔導は精神系の魔導の中でも最も危険で、使用に制限のかかるタイプのものだ。
この魔導をかけられた人間は迅速に治療を施さなければ何らかの障害が残る可能性が高い。そのため、魔導師が他社に使用したことがバレたら『裁判所』行きである。
(ミーシャ!!)
植物学を学んで、東の荒野に花を咲かせたいと言っていた。
花の美しさを知らない荒野の人々に己の手で咲かせる花の美しさを見せたいと。
目を輝かせて言っていた彼女。
眩しくて、羨ましかった。
だから、
(考えろ!!何か、何かないか!?一瞬でいい。このおっさんが動けなくなるような何か!!)
魔導に対する知識など米粒ほどしかないユーリにはミーシャを助けるには『病院』に連れて行くしか対処のしようがない。
だが、エリアーゼ館長なら。
身動きひとつとらず、ミーシャが近づいてくるのを静かに待つエリアーゼ館長を見、ユーリは腹を決める。
エリアーゼ館長の杖にミーシャが触れる。その姿を決死の顔で見つめる少女の姿が館長室に飾られた鏡面に写った。
「ぅああああああっ!!」
ミーシャの手に杖が移った瞬間、一瞬、オストロ教授は油断した。
意図せずしてその隙をつけたユーリは教授の足の下から這い出ることに成功する。
無様にひっくり返る教授の罵声を背に、ユーリはミーシャとエリアーゼ館長に体当たりした。
「館長!!鏡の水仙を!!」
「!?」
エリアーゼは思わず、といった様子で鏡の縁を飾る水仙の花のモチーフに触れる。
「『ひらけ ひらけ 己におぼれる水の華 汝は美しい
水の鏡 水の鏡 うつくしき 貴き水の華 楽園へ誘う華』」
「ユーリさんっ!?」
「館長!!ミーシャと逃げて!!」
ユーリが唱える『語られてはいけない言葉』と共に、鏡が水のように揺蕩い、エリアーゼとミーシャを包む。
その瞬間、ユーリはまたしても床に叩き付けられた。
衝撃に息が止まったと同時に、乱暴に鏡を殴るような音を聞いた。
「おのれっ!!」
乱暴に蹴られ、ユーリは痛みに呻く。
だが、館長室に残っているのはユーリと一本の美しい杖と激昂するオストロ教授。
(ざまぁみろ)
蹴られた痛みで唾液を吐きながら、ユーリは低く嗤う。