66P子羊たちへの応援歌Ⅱ
ボーっとしながら、魔導馬車に乗ったせいだろうか?
ふと、気がつくとユーリは普通科の校舎の前にいた。
ひとつ降車場所を間違えたらしい。
(とりあえず、家に帰って『学研』案内書読んで、それからちゃんと考えよう)
一旦、馬車から下りて歩いて帰る事にする。
昇り始めた月は不気味な橙色をした三日月。夜の闇がにまりと嗤っているよう。
ふと、街灯の光の下に人影がある事に気づいた。
(…………気づかなかったふりをしたい)
その人の姿を見た瞬間、ユーリは力いっぱい脱力する。
鉄色の髪に鋼のような色の瞳、騎士科の制服とくれば。
「何してんですか?ゼクス先輩」
声をかけた途端、びくっとゼクスの肩が動き、ものすごくバツの悪い顔が街灯の光の下で露わになる。
「っ」
「あ、もういいです。みなまで言わなくても」
片手をふってゼクスの言葉を遮る。
(また、迷子)
確か、病院には騎士科の生徒が彼を迎えに来ていたはずだが、彼はどうしたのだろう。
「…………はぐれた」
「そうですか」
(何でこの人騎士科の生徒やっていけてるんだろう?)
セフィールド学術院出身のチューリ自警団の団員さんは市民のみなさんに道案内をしていた気がするが、この人は絶対に出来ないだろう。
「……騎士科まで案内しましょうか?」
ユーリは色々諦めた事にして提案した。
「いや、婦女子をこんな暗い中を歩かせるなど…」
「んじゃあ、今夜どこで寝るんですか?」
「野戦訓練は受けている」
「いや、胸張って言われても…」
堂々とした野宿宣言にユーリは溜息を禁じえない。
変なとこで妙な騎士道を持ちこまんで欲しい。ぶっちゃけ、もうすでに相当カッコ悪いのだし。
「ざっと聞きますけど、どこでどんな感じで寝るつもりですか?」
「そこの植え込みの木の下に潜りこんで……」
「『学院』整備の庭師の方々に怒鳴られますよ」
何だか、話がどんどん脱線していっている気がするが、このメビウスの輪からは逃れられそうにない。
世間一般ではこういう事をドツボと言う。よっぽど出来たツッコミ役がいなければ抜けられない。
「………こんな所で何をしているのだね?」
不毛なやり取りを低い声が遮った。
「アルカス・カリスト=アルス・オル・オストロ教授」
二人は不毛なやり取りを中断して、声の主を見た。
厳格で気位の高い貴族魔導師教師だ。
「教室に忘れ物をしまして……」
ここにいる意味は特にありません。なんて素直に答えたら、怒られそうで、無難そうな言い訳をおずおずと告げる。
すると、教授は不愉快そうな顔でユーリを見下した。
「君は入院していたというのにまだ魔導の気配の濃い教室に行く気かね?」
(え?)
オストロ教授の言葉にユーリは猛烈な違和感を覚える。
「……何で、魔導の気配の濃い教室に行くと思ったんですか?オストロ教授」
問うた途端、彼の動きが一瞬止まる。
強烈な違和感と既視感が綯い交ぜになってユーリに危機を囁く。
何故?と思うとオストロ教授はこの場で最も異質だ。
「魔導科の、高位貴族魔導師のあなたがどうしてここに?」
だって、ここは。
「科学科の学舎建設工事中の場所なのに」
街灯の明かりの届かない、広場とは逆の方向には科学科の校舎の建設のために沢山の資材が運び込まれている。
科学科の設立に、魔導科の教授達は軒並み反対していたと聞く。
ガッチガチの高位貴族魔導師たるオストロ教授にとって、ここは忌むべき場所だろうに。
「彼から離れなさい!!ユーリ!!」
焦りを含んだ声と共に複数の人間が駆け寄る音がする。
「クライヴさん!?」
片眼鏡をかけた、ひょろひょろ副館長・クライヴが険しい顔をした壮年の男性を連れて広場の方から駆けて来た。
「アルカス・カリスト=アルス・オル・オストロ教授。貴方に違法魔導の使用容疑がかかっている。ヴァイゼ・ジーニア=アルス・ルファルが名の下に『裁判所』への出頭を要請する」
壮年の魔導師の手許から白い大きな鎌のようなモノが出現する。
数ヶ月前にアヴィリスの迷子になった魔導書に関わるなんやらかんやらを(詳しくは迷子の魔導書と王都の魔導師を参照)解決した後に犯人の魔導師達を拘束した人々が持っていた鎌と似ていた。
だが、それよりも。
「違法魔導の使用?」
ルファル魔導師の宣言を聞いたゼクスが剣の柄に手をかけながらユーリの前に出る。
「まさか、わたし達を“悪夢の森”に飛ばしたり、アデラ・ヴィ・シンファーナに忘却魔導をかけたのは、オストロ教授ですか?」
ちらりと向けられた目は凪いだ湖のようにただ動揺するユーリを映すだけで、何の表情もない。
「行方不明中のミーシャ・ヴェルデ、及び騎士科の生徒達の居場所に心当たりはありますね?」
ゼクスの言葉はもはや尋問に等しい。
しかし、オストロ教授は何も言わずにただ、嗤った。
その、刹那。
閃光がはじけた。
「きゃああっ!?」
いきなり飛んできた雷電の塊の眩しさにユーリは目を閉じ蹲った。
そんな彼女を守るようにクライヴが、ルファル魔導師が前に出る。
しかし、彼らよりなお速く動いた人間がいた。
「チェエエエストオオオオオオッ」
耳を劈くような裂帛の気合。
金属が砕ける音と共に魔導の雷電が消えた。
―……ドサッ
銀の刀身が緑の芝生の上に落ち、街灯の光を映す。
その光に人影がぬっと掛かる。
銀の刀身が映すのは、鉄色の髪に銅色の目をした少年。
「……やっぱり、鋳造製の摸造刀は脆い」
ぼやきながら彼はあたりを見回す。
オストロ教授はもちろんもういない。
あの雷電の魔導は攻撃というよりは目くらましに重点を置いたものだったらしい。
「なに、が、起こったの?」
顔をあげたユーリの目に写ったのは真っ二つに割れた剣の刀身を鞘に戻している騎士科の少年とその彼を感心するような目で見ているクライヴ。
「オーブ流剣術ですか?」
「オーブ流?」
その言葉を聞いてユーリは首を傾げる。
「魔導すら切り裂き、無効化する剣術だと」
ルファル魔導師がユーリに手を貸しながら彼女の問いに応えた。
「はぁっ!? そんな剣術あるの!?」
どんな反則技だ。
「実際、彼が使って見せたでしょう」
いや、それはもっともなんですが……。
「ルファル魔導師!!我々は彼らを追います!!」
「私も行く!!」
失礼するとおざなりに頭を下げて駆けて行くルファル魔導師。
「ユーリさんは図書館に行って館長に!!私がオストロ教授を締め上げに行きますので!!」
「はっ、はい!?」
ルファル魔導師を追いかけて行くクライヴからの声にユーリは頷く。
なんだかクライヴから不穏な発言が出た気がしたが、聞かなかった事にする。
ユーリの側を青い残像が走り抜ける。
「え?ゼクス先輩?」
「何で付いてくるんですか!?」
クライヴの悲鳴のような声と共にゼクスの背中が見えなくなった。
「………とりあえず、図書館に帰ろう」
エリアーゼ館長にクライヴの不穏発言を伝えに行かねばならない。
(ん?館長が図書館って事は、イオン君も図書館って事?)
…………何故だろう?嫌な予感しかしない。
が、嫌な予感はすぐに目の前に現れた。
「…………」
「…………」
ユーリは目の前の人物と無言で向き合った。
何とも言い難い沈黙が流れる中、沈黙を先に破ったのはユーリ。
「あの、一緒にエリアーゼ館長にこの事報告に行きませんか?ゼクス先輩」
「…………わかった」
激しく上下させていた肩をがっくりと落として項垂れているゼクスに、追い打ちをかける事は出来ず、ユーリはゼクスの横に立って歩きはじめた。
(この人の方向感覚ってどうなってるんだろう?)