59P科学の音色で奏でる真実Ⅵ
お待たせしました。
すいません。
数十年前まで『科学』とは「紛い物の学問」とされ、学ぶ者・研究する者すらも「下賤」もしくは「奇人」と評され、それはそれは肩身の狭い思いをし続けて来た。
とある科学者が現れるまでは。
後に『科学の父』と称される科学者はとある功績によりザラート国王の庇護を受け、科学の地位向上に尽力し、志半ばで生涯を終えた後でも彼の弟子を名乗る科学者たちの努力によりセフィールド学術院において確固たる地位を築いた。
だが、「紛い物の学問」と謗られてきた歴史は消えない。
つまり、歴史を己が血の中に取り込んでいるような、やんごとない貴族の中にはいまだに『科学』を「下賤」と蔑む風潮が消えていない事もあるのだ。
(あ~……、帰りたい)
イオンはげんなりした顔を隠しもせずにグレンの背中越しに見える紳士を見やった。
(グレン義兄ちゃんのトコに寄るんじゃなかった)
グレンの言う「オストロ教授」とやらの事は良くわからなかったが、気品厳格、気位の高さが自然と滲み出ているせいで、一目で高位貴族であるとわかった。
・孤児(しかも出身国不明)
・魔導師になるほどの魔力もなし
・科学者を目指している(←これ重要)
という高位貴族が思わず顔を顰める条件を全て満たしていると重々自覚しているイオンにとって、高位貴族とは「鬱陶しくて面倒臭い人種」である。
必要が無ければ、(あったとしても)極力関わり合いになりたいと思えないのだ。
が、何の因果か、イオンはそれはそれは高位貴族である(予想)オストロ教授の研究室にグレン義兄と共に向かっているのである。
憂鬱にならない理由があれば、是非とも教えて欲しい。
なので、
(「グレン義兄。おれ、帰る」)
超小声でこそこそとイオンはグレンに提案した。
(「馬鹿、お前の謎の液体Xと破損図書をオストロ教授に押さえられているんだぞ?返してもらわないと図書館に謝罪できないだろうが」)
視線すら合わせずに冷たく言い放った義兄。
(神も救世主もいない)
だから、
「オストロ教授!!何を!!」
魔導書に記されていた“紋”の上に謎の液体X降りかかり、消える瞬間をただ見ている事しか出来なかった。
「………教授!!その液体を返してください!!いますぐに図書館に…っ!?」
「グレン!?」
オストロ教授に駆け寄ったグレンが突然、床に身体を投げ出して倒れた。
「ぐっ!?」
身体全体に恐ろしく重い何かが圧し掛かったかのような感覚と共に、イオンも床に倒れる。
「がっ、ぐぅぅ」
(まさか、グレンも?)
恐ろしく重い何かに抗うように呻くイオンは、いくつかの魔導書に謎の液体Xをかけるオストロ教授を見た。
(やめろ!!)
「……っお…ン!!」
「…………ごはっ、げほっ、うぐっ」
グレンの絞り出すような声と共に圧迫感から解放されたイオンは真っ青な顔で咳き込む。
「しっかりしろ!!」
イオンに負けず劣らずの顔色の悪さで、駆け寄ってきたグレンの背後に熱に浮かされたような顔をしたオストロ教授が音もなく立った。
「……グレン・ガスパール。さすがはコルベリドール教授が目をかけるだけある」
「がぐっ!?」
襟首を掴みあげられ、放り投げられたグレンの呻き声を薄れゆく記憶の中で聞いた。
「…………やはり、いまの魔導では科学ごときに後れをとってしまうのだな」
「………っつ!!」
身体を踏みつけられた衝撃で薄れかけた意識がぼんやりと覚醒する。
「なにを!!」
「この少年が無事に生き延びて欲しいと思うのなら暴れない事をお薦めする。グレン・ガスパール」
ふらふらと立ち上がったグレンを脅すようにオストロ教授は微笑んだ。
「教授!!科学に傾倒するしか能のない魔力なしの孤児など、放っておけばよいでしょう?あのおかしな液体もおそらく偶然の産物、もう一度同じものを作り出すことは不可能でしょう」
儀礼用のナイフが義弟の方を向いている事を苦々しく思いながらグレンは油断なくあたりを見回す。
魔導的な実験を行う為だろう、部屋中に張り巡らされた対魔導の陣が恨めしい。
ちょっとでも地面がむき出しになっていたり、自然の植物や水があれば魔導を紡いで対抗する事が出来るのに、と歯噛みする。
「ふむ、常々私は君が魔導機工学を専攻した事を惜しいと思っていたのだよ」
「何故?」
いきなり自分の進路に話が飛んだ事にグレンは顔を顰める。
だが、
(…チャンスととるか?)
顔はそのままで、頭を巡らせる。
このまま自分のご高説に酔ってイオンから注意がそれてくれれば。
手の中にあるガラス片を握りしめて血を滴らせる。
魔力が籠っている自分の血、それから、首にかかっているロザリオを触媒にすればそれなりの魔導が紡げるはずだ。
「君は実に優秀な魔導師になる資質があるというのに魔導技師を志し、魔導を科学のように大衆の見世物に変えようとしている。…………実に嘆かわしい」
「………………魔導を、いえ知識あるものの知恵を人々の生活の向上に生かすことは現国王陛下が推奨している事であると思うのですが」
ぐっと噛みしめた奥歯を軋ませながらグレンは唸るように言う。
魔導機工学―応用魔導学から突出したこの学問は、簡単に言うと魔導機製造のための学問である。
魔導技術を応用し、機構に組み込んで大衆に役立てるその仕組みを研究する学問であるが故に魔力や魔導耐性の高さが重要視されないため、魔導師内では落ちこぼれ魔導師の行く先とも言われ、選民意識の強い魔導師からは『大衆のための魔導』と謗られることが多い。
だが、グレンの言うように国民の生活向上のために現ザラート王国国王はこの技術を推奨している。
「現国王陛下の目を覚まさせて差し上げる事も我々の責務であるとその自覚は無いのかね?グレン・ガスパール」
嘆かわしそうに首を振るオストロ教授は選民意識の塊で出来ている貴族魔導師であったようだ。
「………では、このまえ渡した渾天儀。アレはお気に召しませんでしたか?早い事返して欲しいとウォーカー教授がぼやいていましたが」
グレンは控えめにオストロ教授に嫌味を零す。
イオンは魔道具と誤解したようだが、あの金の渾天儀は魔道具ではなく魔導機である。
それもオストロ教授の無茶な注文で作らされた。
色んな学部からの圧力を受け、魔導機工学学部全員でほぼ不眠不休で作り上げ、最終調節に根気が良いグレンが選ばれ、たまたまオストロ教授と話をする事が多かった。
(目をつけられるのは誤算だったが……)
胡乱な目でオストロ教授を睨む。
こいつについて行くのを反対したイオンほどではないが、グレンも高貴な貴族魔導師には必要がない限りは(あったとしても)関わり合いにはなりたくないと思っている。
「ふむ、では君にも真の魔導の片鱗をみせてやろう。その強大さがわかれば、愚かな民どもに魔導を使う事など不可能だとわかるだろう」
「……ありがとうございます」
イオンの頸動脈の側で揺れる銀の刃を睨みながら、グレンは絞り出すように吐き出した。