58P科学の音色で奏でる真実Ⅴ
「相っ変わらず、偉そ~ってゆーか、いかにも金かけてますって寮だよなぁ」
魔導科の寮、とある一室の前でイオンはしみじみと頷く。
「文句があるなら、来なければいいだろう?」
「わぉ」
ドアを開けて部屋から出て来たのは、イオンより年嵩な少年だった。
よく熟した葡萄と同じ暗赤紫色の髪をきちんと整え、生真面目そうな顔立ちに映える、鉱物のように鋭い黄褐色の目を持つ彼は、無表情に近い顔でイオンを見下ろす。
「で?今日は何をしたんだ?」
「俺が来たら、何かした事が前提なのかよ」
げんなりとした表情を隠さないイオンに、彼は生真面目な表情を崩さないままくいっと器用に眉をあげて見せた。
「いままでの行動を振り返ってみろ、お前が俺に泣きつくときは大体、何か壊したか、崩したか、汚したかで自分ではどうしようもなくなってからだろうが」
「……………あは」
「笑って誤魔化そうとするな。さっさと要件を言え」
ちらっと視線を移した先、何人かの生徒が魔導科の寮に何故普通科の生徒がいるのかと訝しげな顔でイオンを睨んでいる。
「いまの魔導科と普通科…科学科の間のゴタゴタをお前は知っているだろう?」
「あ~、まぁ、一応?俺は科学科志望だし!!」
「デカイ声でそういう事を言うな!!話は中で聞く!!入れ!!」
「おっじゃま~しますっと」
(できるなら、さっさと放り出したい……)
部屋の主である少年の思惑を余所に、イオンは部屋の奥の窓枠に軽く腰掛け、ニッと愛嬌のある笑みを浮かべる。
「でさ、やっぱホント久しぶりだよな。グレン兄さん」
イオンのためにスツールを差し出しながら、グレンと呼ばれた赤紫の髪の少年はいくらか表情を和らげる。
「ああ、そうだな。夏休みに、『家』に帰って以来……」
自身も椅子に座りながら、グレンは応える。
「……ところで、その金の物体何だ?買ったのか?」
イオンが指差す先に金の球体があった。
以前、グレンを訪れた時には無かったものだ。
「ぱっと見、天球儀っぽい?ん?あれ?」
「おい、触るなよ。それは特別製だ」
「あん?」
天球儀に似た金の球体をまじまじと見つめ、好奇心に駆られて触ろうとしたイオンをグレンは窘める。
「大体、それは俺が買ったんじゃない。俺の所属する学部の備品だ」
「ほぉーん」
首を傾げたままイオンはその天球儀をじっと見る。
「これ、地動説系でも天動説系でもない……よな?」
この国の天球儀は二種類ある。
この世界が巨大な球体であり、たくさんの星という名の天体の中を動いている、自らも自転している天体のひとつであるという考えの下、作られた地動説系の天球儀と、この世界のとある国が全ての中心であり、天こそがこの地を中心に動いているのだという考えの下に作られた天動説系の天球儀。
前者は科学の観点から作られたもの。後者は魔導の観点から作られたものだ。
他の国では天動説系の天球儀しかないが、科学の発達したザラート王国では地動説系の天球儀も作られ、広まっている。
「これは、渾天儀を元に作りだした、特定の天体の動きを観測し、その動きを追跡し、記憶・再現するものだ」
「え~と、つまり、特定の天体の情報が貯まったら、その天体そのものの動きをする魔道具ってことか?」
「簡単にいえば、そうだな」
堅苦しいほど生真面目な彼の顔がふっと柔らかく弛む。
だが、それも一瞬、スツールに座りなおしたグレンはじっとイオンを見つめた。
「で?いったい何があったんだ?」
「あ~…………っと…………」
イオンは榛色の瞳を明々後日の方角に向けながら、がりがりと頭をかく。
どうにも煮え切らない様子の彼の様子にグレンはすぅっと表情を消す。
こういう態度に出るイオンを見た後、神父(と自分や先生)は面倒事や厄介事の後始末に身を粉にして働くことになるのだ。
「10秒以内に簡潔に何があったかさっさと吐け」
ドスのきいた声に脅され、イオンは10秒以内に簡潔に吐いた。
「……王立学院図書館の本を壊しちゃった」
言うと同時に立派な表紙を持つ重厚な本を出す。
彼の言葉の正しさを示すように、本の表紙の革が所々くすんでいて、その上中のページも何かに濡れた後のようにでこぼこしているし、所々変色している。
「…………」
疲れたように目頭を押さえて俯いたグレンのつむじを見、イオンは何を思ったか一言声を発する。
「えへっ」
その瞬間。
「今すぐ謝罪して来い!!」
グレンの大音声に魔導科寮は一瞬揺れた。
「あ、やっぱり?」
グレンの米神に青筋が音を立てて浮かんだ。
「『あ、やっぱり?』じゃない!!王立図書館の貴重な本を傷つけるなんて何考えているんだ!!」
「かふっ!!」
その貴重な本とやらでグレンはイオンの頭を力いっぱい殴る。
いい音を立てて、分厚い本の角が脳天に突き刺さったイオンはその場で悶絶して蹲った。
「大体、お前は!!どうしてこうも厄介事を起こすんだ!?俺達が粗相をすると、身寄りのない俺達を『学院』に入学させるために後ろ盾になってくれた神父や先生に迷惑がかかるんだぞ!?それどころか!!『家』にいる兄弟達にも悪い影響が出るかもしれないんだ!!…って!!これを何回言わす気だ!?」
グレンはイオンを睨みおろす。
激高しながらも、彼は歩みを止めない。
イオンの襟首を掴んで、引き摺りながら歩く彼に何事だと魔導科の生徒達は目を見張るが、グレンのおっかない顔と声に全員が一様に目を逸らして“みなかった事”として処理する。
「いや、だいじょーぶ。ダイジョーブ。俺が多少何かしてもクロ兄とかベア姉、シリー姉レイ兄が立派な実績作ってくれてるから、問…………ぐふっ」
ヘラっと笑ったイオンの襟首を掴んでいた手がなくなり、イオンは地面とキスをした。
「いた~」とうつ伏せのまま、打ちつけた鼻をさするイオンにグレンは彼の両足に関節技をかけながら馬乗りになり、イオンの体をエビのようにそり返させる。
「大アリだ!!この馬鹿!!大体!!お前は何でまっすぐ図書館に行かない!?俺にどうにかしてもらって、誤魔化そうっていう浅はかで甘ったれた魂胆が見え見えなんだよ!!」
「あだっ!!あだだだだだあだあだああああっ!!スンマセン!!スンマセン!!ぎぶぎぶぎぶぅうううう!!」
バンバンッと床を叩きながら悲鳴をあげるイオンに多少は気が晴れたのか、グレンはイオンを解放する。
「まったく」
はぁ、と溜息をつきながらグレンは二つ年下のイオンを見下ろす。
「俺はいつまでもお前と一緒にご近所に謝罪行脚に行ってはいられないんだぞ?お前はもう16歳。いい加減、お前も自分の人生に誇りを持てる生き方をしてくれ」
「……………その台詞神父と同じだ」
むっくりと起き上がったイオンはバツが悪そうな顔でそっぽを向く。
「俺だって、別にグレ兄にどうにかしてもらおうって思って来たんじゃねーし…」
「じゃあ、何でだ?」
「科学実験で作ったモノが魔導を打ち消す、何て事あり得るのかどうか、教えてほしかったんだ」
イオンの視線の先、グレンは制服の裏ポケットから一本の試験管を取り出す。
きっちりコルクで蓋をされた試験管の中では透明な液体がちゃぽんと軽快な音をたてて揺れた。
「本当にコレが図書館の“紋”を消したのか?」
「うん」
こっくりと頷いたイオンを見下ろし、グレンはじっと試験管の中の液体を睨み、軽く振る。
「…………………魔力を欠片も感じないんだが?」
「そっか」
ほっとした顔でイオンは言うとグレンから試験管を受け取る。
「なら、いいや」
んじゃまぁ、図書館に行ってくる~と軽く手を振りながら暢気そうに歩いていく義弟を見ていたグレンはひとつ溜息をつく。
「待て。俺も行こう」
「へ?」
「何だ、その気の抜けた声は」
「いつまでも一緒に謝罪行脚に行くわけじゃないって言ってたじゃん」
「………………今回は、少しややこしくなるかもしれないからな」
「?」
首を傾げた義弟にグレンは溜息を禁じえない。
「魔導書に“紋”を記す理由、お前は知っているか?」
「科学者の卵がまともに魔導の講義聞いてると思ってんの?グレン兄」
しれっと言い放たれた言葉にグレンが顔を引き攣らせる。
「この国の『学院』で学んでいる以上、多少は魔導に親しんでもらわないと困るんだが…」
しかし、言い放った本人はグレンの言葉にきょとりと目を丸くしたから、……救いがない。
「何でだよ」
「…………いや、いい」
とにかく、とグレンは軽く言葉を切る。
「魔導書が馬鹿みたいに高くて、そこらのお貴族様より大事にされていることくらいは知っているだろう?」
「………どっかの貴族が魔導書の輸送に関わって、魔導書の代わりに見殺しにされかけたっていう話は聞いたことある」
初等科の魔導講義で教師がぽろっと漏らした逸話をおぼろげに思い出したらしい。
正しくは貴族ではなく、地方官吏の一人だったし、見殺しという訳ではなく、賊に襲われ怪我をした彼の治療よりも魔導書の輸送を優先されたのだが……。
(……まあ、似たものか)
「まぁ、とにかくだ。そんな人命より重要視されているといっても過言でない魔導書にも押されている“紋”を消したわけのわからん液体も、それを作ったお前も危険物とみなされて図書館に拘留される可能性があるという事だ」
「…………………マジでッ!?」
「こんな事で冗談を言ってどうする」
疲れ切ったように溜息をついたグレンの前でようやく危機感を抱いたイオンが頭を抱えて天を仰ぐ。
呻き声をあげながら何やら天に弁解しているようだ。
「…………お前はやらかすことは派手だが、言い訳が絶望的にヘタだからな。多少のフォローをしてやるから、そのわけのわからん液体の没収だけでコトが済む事を心の底から祈れ」
「何に?」
「神なんじゃないか?」
「魔導師の卵から、そんな非現実的存在が語られるとは……」
イオンががっくりと肩を落として嘆く。
つまり、ここから先の戦略は無いというわけだ。
「君達、何を騒いでいる?」
どしりと腹の奥に響くような、命令し慣れた重い声が響いた。
声を聞いただけでわかる、いかにも高位貴族らしい傲慢さと気品にイオンは遠慮なく「げっ」と顔を顰め、グレンはそんな義弟のシャツの襟元をしっかり握りしめて、義弟の首を締めつつもきちんと姿勢を正して声の主に向き合った。
「お騒がせして申し訳ございません。アルカス・カリスト=アルス・オル・オストロ教授」
貴族らしい傲慢な冷たい鳶色の目がイオンを見下ろしていた。