5Pガール・ミーツ・ボーイ
普通科の校舎での一幕。
『学研』まで残り七日。
足早に駆け回る生徒や教授。
色とりどりのポスターや看板。
落ち着いて校舎を見回すと、周りは『学研』一色になっていた。
図書館業務に追われていたせいで学内の事にすっかり疎くなってしまったユーリにしてみると、何だか置いてけ掘りを喰らった気分だ。
「どけどけっ!! 危ないぞ!!」
「おい!! ビーカーが足りないぞ!!」
「そこの媒介はもっと丁寧に扱え!!」
「誰だ!? そこのフラスコ動かした奴!!」
わいわいがやがやと走り回る教授や生徒の集まる先は普通科の大会議場。
そこにユーリは足を向けると、会議場の窓や扉にユーリと同じように中の喧騒を覗いている生徒達がいた。
「やっぱ、科学科に転科しようかな?」
「バッカ、お前科学系の必修科目とってねえじゃん。無理無理」
「うわあ、化学学部のあれ、なに?」
どうやら、彼らはユーリのように今年の九月から学科生・新三年生になる生徒達らしい。
がやがやと騒ぐ生徒の中にふと、ユーリは見知った亜麻色の三つ編みを見つけた。
「ミーシャ」
亜麻色の三つ編みがふわりと舞い、濃い青の瞳がユーリを見た。
「ユーリ」
「ミーシャも見学に来たの?」
「見学……うん。見学に来た」
明らかに野次馬である自分達を正当化する言葉に苦笑しながら、ミーシャは頷く。
「やっぱり、科学系の学部の展示品は派手っぽいね」
「うん。 他の学部に比べて研究結果が分かりやすいから、パフォーマンスもやり易いんだ」
「ふぅん。 植物学部ってどこかな? あたしも新しい花の苗は欲しいな」
「おい!!こらそこっ!! 関係者以外は立ち入り禁止だぞ!!」
背の高い厳格そうな男が会議場内でうろついている、ある少年達を指差して怒鳴った。
「げっ!!」「やべっ」と言いながら少年達はユーリ達のほうに走ってくる。
「こら待て!!」
「魔導科の生徒じゃないだろうな!!」
「そこ!!何を見ている!?」
少年達の進行方向にいるユーリ達にも鋭い声がかかった。
「げっ!? 逃げるぞ!!」
「え?なんかやばいの?」
わたわたと四方八方に走り出した生徒達の喧騒の中、ユーリはミーシャの方を向いた。
「アーノルド・ウェンハイム教授は説教がねちっこくて、くどくて長ったらしい事で有名な先生だ」
こちらに声をかけた眼鏡の先生を指差しながら、ミーシャはユーリと共には知る。
「っ!? 追い駆けて来てる!?」
ミーシャの解説を聞いて、思わず振り返ったユーリは後ろから迫ってくる白衣集団を見て顔を引き攣らせた。
生徒達はほとんどいろんな方角に逃げたようだが、何故か、白衣の集団と一人の金髪の少年がユーリとミーシャを追い駆けてくる。
「彼は……、確かリーデル・マクスフェル先生に注意されていた少年だな」
白衣の集団の前で走っている金髪の少年を見たミーシャが淡々と告げる。
「え?そのリーデルなんたらっていう先生ってあの厳格そうな先生?」
こくりと頷いたミーシャを見、ユーリは理解する。
一番最初に目をつけられた、不法侵入少年がこっちに走ってくるから、あの白衣の集団もユーリ達を追い駆けているらしい。
「っ、ちょっと!! そこの金髪のあんた!! 追い駆けて来ないでよ!!」
「うるせーっ!! 捕まるならもろとも道連れじゃああ!!」
危機迫った少年の言葉にユーリとミーシャは顔を見合わせる。
「なぁっ!? ジョーダンじゃないっ!! 断然お断りっ!!」
「くっ、来るな!! わたし達は関係ない!!」
「待てええええっ!!」
怖い顔をした白衣の集団がどんどん近付いてくるさまは、何だかものすごく不気味だ。
「い~や~ああああああっ!!」
ユーリの悲鳴が普通科校舎に高らかに響き渡った。
「どこに行った?」
「ダメだ。 見失った」
白衣を纏った数人の生徒がぽそぽそと話し合っている。
「もういい。 戻って『学研』の準備をしよう」
「はい」
ぞろぞろと教室から出ていく姿を、ユーリは机の下で息を潜めて窺っていた。
教室から白衣の生徒がいなくなるのを確認したユーリは詰めていた息をほっと吐き出した。
「ふたりとも、もう大丈夫だよ」
机の下から抜け出したユーリは服についた埃を払いながら、埃まみれの大きなカバーに声をかける。
「ぶはっ!!」
「ごほっ、けふんっ」
埃まみれのカバーから出て来たのはミーシャと金髪の少年と壊れてしまっている天体模型。
「と、とりあえず、ここから出よっ、しゅんっ!!」
「けふんっ、こふっ!! うん。そうしよっくふっ!!」
「賛成っ、げほっ」
舞いあがった埃と戦いながら、三人は隣の教室に入り込んだ。
物置代わりにされていた教室から抜け出たユーリとミーシャは窓を全開にしてようやく一息ついた。
「っ、はあ~。助かった。 捕まるかと思った」
「あんたのせいでしょうが!! あんたの!!」
椅子に座ってだらりと伸びている少年をぎっとユーリは睨みつける。
短く刈り込んだ金髪についた埃を少年は払い、勝気そうな榛色の目をユーリとミーシャに向けた。
どこにでもいそうな顔立ちの少年だが、好奇心で輝く榛色の瞳にふと、記憶が揺り起こされた。
(あ、昨日専門階にいた子だ)
ユーリがそう思っていると、ミーシャはいささか不機嫌そうに少年を睨んだ。
「君は……。確か、基礎化学学の……」
「知り合い?」
「選択する授業が似ていて、よく見かけるんだ。彼を」
端的なミーシャの言葉をユーリは自分なりに噛み砕いてみる。
「つまり、顔は知ってるけど、名前は知らない赤の他人だと」
「ああ」
「おい。それ、本人の前で言うか?」
堂々と頷いたミーシャに少年は引き攣った笑みを浮かべる。
「俺はイオン。イオン・ガスパール!! 科学科の科学学部志望!!」
ニッと笑って自分を指差すイオンは『学院』の制服を軽く着崩し、首からゴーグルをぶら下げている。
「あたしはユーリ・トレス・マルグリット」
「わたしはミーシャ・ヴェルデだ」
イオンをユーリとミーシャは微妙な表情で見やる。
「いや~。お互い災難だったな。 まっ、これもなんかの縁ってことで、よろ」
にこやかに微笑むイオンにユーリとミーシャが切れた。
「あ、ん、た、がっ!! 呼んだ災難でしょうが!!」
「わたし達はお前の軽率な行動に巻き込まれた被害者だ!!」
「ま~ま~。どうどう」
だが、イオンは反省の欠片もなくカラコロと笑う。
その様子にミーシャが呆れたようにこめかみを揉んでうめく。
「何故、関係者以外立ち入り禁止中の大会議場に入ったんだ?」
「いやあ、だってな? 去年までは『学研』準備中も入場オッケイだったじゃん?それなのに、今年はダメって酷くねぇ? それに、隠されると余計見たくなるのが男のサガっていうか、本能だからさぁ」
『学研』準備中の大会議場に無断侵入した理由は、羽毛よりも軽い吹けば飛ぶようなアホな理由だった。
「無節操なお前の行動のせいでわたし達は恐怖体験をした」
「そうだよ!! 白衣着た人達にあんな風に追い駆けられるのって怖いんだから!!」
ユーリはほとんど忘れかけている、前世日本で柴崎由利だったころに見たホラー映画を思い出して身震いする。
あの集団の白衣に血糊でもべったりついていたら逃げる前に卒倒していた。
ユーリとミーシャが心底げんなりしていると、さすがのイオンも気の毒になったらしい。
「あは、スマン」
この世の悪事など何も知らないようなあっけらかんとした清々しい笑顔に殺意が湧く。
「もういい。行こう、ユーリ」
「うん。 あたし仕事あるし」
イオンを無視することに決めたミーシャとユーリは彼に背を向けて教室を出た。
「あ、ちょいまち。 ちょいまち!!」
わたわたとイオンが焦ってユーリとミーシャを止める。
「なんだ?」
肩にかかったイオンの手を煩わしそうに払ったミーシャの目には隠しきれない苛立ちがあった。
一瞬、その目に怯んだイオンだが、気を取り直すように咳払いをして姿勢を正す。
「あんた、『植物の化学』をいま王立学院図書館で借りてるよな!?」
「ああ。借りている」
何故そんな事を訊く?と言うように首を傾げるミーシャ。
一方、「いよっしゃ、らっきー」とガッツポーズをするイオンを見たユーリは嫌な予感がする。
「その本、三日間だけでいいから貸して!!」
「え?」
「絶対ダメ!!」
ユーリの予感大的中。
頼んだイオンだけでなく、頼まれた事がうまく飲み込めていないミーシャさえ驚いた顔でユーリを見た。
「図書館の本は借主の身元がきちんとわかっているのを前提に貸し出ししてるの!! 図書館の管理下にない貸し出しとか、また貸しされたら図書館の本が無くなったり、傷ついた時に揉め事になるから絶対ダメ!!」
一息に言いきったユーリは肩を揺らして荒い息を吐く。
「ええ~。でもさあ。俺もミーシャも『学院』の生徒じゃん。ケチケチしないで、ちょっとくらい融通してくれてもいいじゃん」
「絶対ダメ!!」
イオンは面倒くさそうな顔でぎっと睨むユーリを見下ろす。
「わたしは、一言たりともお前に貸すとは言っていないんだが?」
馴れ馴れしいイオンの手をミーシャは払い落す。
「いや。三日、三日だけでいいからさ!!」
「お断りする。 お前のようにちゃらんぽらんな奴にまた貸しして本が傷ついたら弁償するのはわたしだ」
「ええ~っ。頼むよ!! なっ、このと~り!!」
「断る。わたしもあれを読み始めたばかりだ。 苦労して借り出した本、そう簡単にまた貸しできるか」
頭の上で両手を合わせて拝むイオンにミーシャは冷たい視線を投げかけた。
「返却されるのを大人しく待て」
「そーだよ」
少女二人の冷たい視線を受けたイオンは悔しげに地団太を踏む。
「根性悪の、ドケチ女!!」
「うるさい!! 節操なしの馬鹿男!!」
ミーシャが投げた靴がイオンの顔面に当たって跳ね返った。
新キャラ、イオン登場。
ちょっとはっちゃけたキャラが書きたかったのです。