40P 魔導と騎士と科学の狂音曲Ⅶ
貴重な文献を納めた書架が壁を覆う、図書館館長の部屋には重苦しい空気が流れていた。
爽やかな青空を映す窓の前、重厚な執務机の前に腰掛けたエリアーゼはその知らせを聞いて深く溜息をついた。
「ロラン達が行方不明ですか…………」
ギズーノンが重々しくネロが持ってきた報告を繰り返す。
「彼らの事は心配ですが、こちらの方が大問題ですね」
エリアーゼの前の執務机の上、ベルとシーズが運んできた魔導書が広げられている。
彼女はその中の一冊をめくる。
ぱらり、ぱらりとページがめくられ、最後の見開きページを開く。
その時、控えめなノックの音が響く。
「入りなさい」
「失礼します」
入ってきたのは学者風の容貌の麦藁色の髪を持つ片眼鏡をかけた青年。
「いかがなされましたか?」
飄々とした様子のクライヴを見、エリアーゼは自分が持っていた魔導書を差し出す。
「これを」
首を傾げたクライヴはそれを見て目を見開いた。
「あり得ない………」
「これだけでも大変だというのに、ロラン達“保安司書”数名が騎士科の生徒と共に行方不明です」
「それにユーリの名前も追加してください。さっきから懐中時計に連絡を入れているのですが、応答がありませんし、居場所の逆探知もできませんでした」
エリアーゼは机に両肘をついて項垂れた額を支える。
「十中八九、ロラン達と同じ運命をたどっていますね」
「おそらくは」
部下達の同意にエリアーゼはいっそう項垂れる。
「…………一体どうして」
恨めしげに見下ろした魔導書の見開きページ。
図書館所有の魔導書ならば“紋”が押されている場所。
そこは何かで拭いとったかのように真っ白に染まっていた。
「どうやって“紋”を消したの?」
聖母の美貌が苦悩で歪む。
「しかし、どういう術で“紋”を消したのかはかわかりませんが、“紋”が消されたならば、逆探知も強制返却も出来なくなった理由がわかります」
クライヴが厳しい顔で片眼鏡を直す。
「幸い、と言っていいのかはわかりませんが、ほとんどの魔導書は我々の手の中です。“紋”の本来の存在理由を気づかれる前に魔導書を回収し、行方不明になった司書を探し出しましょう」
「館長」
項垂れたエリアーゼの金髪をギズーノンが気遣わしげに見下ろす。
「……他に連絡のつかない司書は?」
エリアーゼが顔をあげると、そこにはいつもの聖母の仮面を被る、いつもの図書館長がいた。
「いまのところ、ユーリのみです」
「ロラン達は『断罪人』達に任せましょう。心配なのはどこで行方不明になったかわからないユーリさんです」
「ええ、せめて行方不明になった場所と魔導陣さえわかればどうにか対処のしようもあるのですが…」
「断罪獣と共に普通科の方へ向かっていくのは見ました」
ふと、エリアーゼは昼頃に見た後ろ姿を思い出す。
魔導科の方へ向かわないから不思議に思っていたのだ。
「普通科の方へ?」
クライヴは首を傾げる。
「それはまた、厄介な」
ギズーノンは普通科の広大さを思い浮かべて米神を揉んだ。
「クライヴさん。特級魔導機の利用を許可します。ユーリさんを探し出し、彼女の探す魔導書の回収を助けてください」
エリアーゼは言いながら古風な銀の鍵を机から出す。
「…………了解しました」
クライヴは顔を引き攣らせつつ鍵を受け取ってしまう。
「さて、問題はユーリさんが普通科のどこへ行ったか、という事ですか……」
普通科の方角に開けた窓を見つつ、エリアーゼはふとこちらに飛んでくる何かを見つけた。
「あれは」
青い空にぽつりと浮かんだ深紅。
「断罪獣!!」
エリアーゼはそれを認めると慌てて懐中時計から小さな笛を取り出す。
契約違反をしたアデラ・ヴィ・シンファーナの魔力より生まれた赤い小鳥はエリアーゼの笛の音を聞き、ギズーノンが開けた窓から入ってきた。
「消えかけている…」
ギズーノンの腕にとまった小鳥は、蜃気楼のように身体を揺らめかせ、いまにも消えそうだった。
「魔導による攻撃でも受けたんでしょう。もう数時間も持ちません…」
しかし、とエリアーゼは口元に笑みを浮かべる。
「普通科内の道案内をするくらいの時間くらいならば、存在を保てるでしょう」
エリアーゼはペンをとると紙に複雑な魔導陣を書き散らし、その真ん中に赤い小鳥を乗せる。
魔導陣から金色の糸が立ち上がり、小さな鳥籠を形作る。
「クライヴさん。頼みました。この子が消える前にユーリさんを探し出してください」
「はい」
鳥籠を受け取ったクライヴは一礼すると足早に部屋を後にする。
閉じられた扉を見送ったギズーノンはエリアーゼを振り返る。
「間に合いますでしょうか?」
「間にあって貰わないと困ります」
エリアーゼは厳しい顔つきで執務机の後ろの窓を見上げる。
「少しばかり、おいたが過ぎるようですわね?」
エリアーゼは吐息のような声色である名を口にする。
それを聞いたギズーノンは固い表情でエリアーゼに目礼して執務室を後にした。
「私が、大人しくそちらの思惑通りになるなどと思わない事よ」
ゆっくりと立ち上がったエリアーゼは獲物を見つけた捕食者のような鋭い笑みを浮かべた。