28P 迷走輪舞曲2
「結局!!無駄足ッ!!」
病院で治療や検査を終えたユーリは問題なしと診断され、下宿先である図書館の最上階の秘密の植物園、その奥に隠れ立つログハウスに帰って来た。
の、だが……………。
「はあああああ」
肺が萎むほど溜息を吐き、寝室代わりにしているロフトのベッドに倒れこむ。
「うううぅぅ~っ」
ユーリが唸りながらベッドの上で転がる。
あれほど労力を浪費し、命の危機にもさらされたというのに、『神秘の手引き』は手に入らずじまい。
その上、かなり厄介なことまで判明した。
「…………まさか、記憶を消されてるなんて」
吐いた溜息はさっきのものより深く湿っぽいものになった。
「『神秘の手引き』なんて知らないわ」
アデラ・ヴィ・シンファーナの答えははっきりしたものだった。
「嘘!!これ、見なさい!!あなたの出した誓書!!ほら!!」
※『一級魔導書』貸し出しには専用書類を用いた魔導師による誓書の提出が必須になります。(『王都の魔導師と迷子の魔導書』6P王都から来た魔導師の巻 参照)
魔導書を必ず返す事、魔導書の知識の悪用・乱用、魔導書の破壊等をしない事を誓う書類です。『一級魔導書』を借りたい方は魔導階の受付にて申請を。(by王立学院図書館司書一同)
ユーリが手に持っていた羊皮紙をアデラ・ヴィ・シンファーナの目の前に突きつける。
金の装飾を施されたその羊皮紙のその中心、アデラ・ヴィ・シンファーナと記された文字が血のような深紅に染まっている。
「…………なに?これは」
「触んないほうがいいと思うよ。それ、『魔封じの棘』と同じ効果を持つから」
ぎょっと目を見張ったアデラにユーリは冷たい表情で彼女を見下ろす。
「でもって、あたしはあんた達の魔導実験の被害を受けて気が立ってるの。……あんたの発言次第ではあんたを魔導が使えない身体にしてもいいかな?って思ってるんだけど」
「……あなた、魔導科の生徒?」
アデラが恐る恐る問う。
「ううん。違うよ」
ユーリが首を横に振った途端、アデラの表情が変わった。
「魔導師でないあなたに何が出来るっていうの?」
傲慢な嘲笑にユーリの表情がなくなる。
「………下らない。本当に、貴族派の魔導師ってロクでもない」
ユーリは王立学院図書館司書の証である懐中時計を開き、竜頭を数回押す。
ぱちり
小さな音を立てて文字盤を守るガラスが開く。
「王立学院図書館司書、ユーリ・トレス・マルグリットが、誓書番号1789304に記されたアデラ・ヴィ・シンファーナと交わされた契約の凍結を宣言します」
宣言と同時に、誓書が赤い光を放ち、小さな音と共に時針が外れた。
燃えているかのように禍々しい赤に包まれた誓書を見、アデラは息を飲む。
「…………え?」
小さくアデラが呻き、力尽きたかのようにベッドに倒れこんだ。
そんな彼女を余所に、ユーリは小さな時針を赤い炎の前に差し出す。
すると、炎のような赤が一瞬で時針に吸い込まれ、時針は形を変える。
「…………何ですの?それは?」
炎のような赤を吸い込んだ時針はユーリの手の中で大きな鋏に変わった。
「『断罪の鋏』…………誓書の契約内容、覚えてる?」
鋏を右手に、元の姿に戻ったような誓書を左手にして問う。
「………」
ぞんざいなユーリの言葉遣いが気に入らなかったのか、アデラはムッとした顔でそっぽを向く。
不機嫌を隠さないアデラをユーリはきつく睨みつけながら口を開く。
「誓書の契約を破った場合、契約違反者の違反事項別に罰則を下らせることが出来ます。……軽度の破損や延滞くらいだったら、誓書の状態に応じて魔力を吸い取るくらいだけど、紛失・隠ぺいや魔導書が帰って来ない場合」
ユーリは誓書の一部に小さく鋏を入れる。
シャキン
「あうっ!?」
アデラが小さく悲鳴を上げ、驚愕の瞳でユーリを見やる。
「まさ、か」
「やっと気づいた?………どう?魔力がなくなる感覚は」
冷たいユーリの言葉にアデラは顔色を失くす。
誓書が切れた一部から赤い靄のようなのもが立ち上がり、ユーリの周りをぐるぐる回る。
赤い靄を導くように、靄に触れたユーリの指先で靄は赤い小鳥に姿を変えた。
ユーリの指先にとまった赤い鳥は毒々しい緋色の冠羽や長い尾羽を毛づくろい。
ふと、小鳥の金の瞳がアデラを認める。
その途端、小鳥は全身の羽を膨らませ、甲高く鳴いてアデラを威嚇する。
「その、鳥………」
「気づいた?この子はあなたの魔力で生まれた。詳しい原理はわかんないけど、この誓書を鋏が断ち切った瞬間、あなたの魔力は完全にこの子のモノとなり、あなたは二度と魔導を使えない」
ユーリの言葉を処刑台に上がる罪人のような絶望的な顔をしてアデラは聞く。
「お待ちなさい!!あなた、私が何者なのか、わかっていてそんな暴挙に及んでいるのでしょうね!?」
「誓書に書かれた契約通りの罰則を科そうとしている。それだけだけど?」
ヒステリックに声を荒げたアデラに対し、ユーリはあくまで冷静だ。
「私はアデラ・ヴィ・シンファーナ!!シンファーナ伯爵家の跡取り娘!!私が魔力を失えば、シンファーナ家が……」
「ぶっちゃけ、王立学院図書館に貴族のお家事情なんか関係ないし」
どこまでも傲岸なアデラの言いように、最早ユーリは顔色一つ変えない。
「待って!!待ってちょうだい!!私は本当にそんな魔導書借りた覚えがないのですわ!!」
魔力を吸い取られる感覚に恐怖したアデラが悲鳴のような声をあげる。
「まだしらばっくれる気?」
ユーリの声が低くなり、目がやばい感じにすわる。
「おい、よせ」
不穏な空気を切り裂いたのは藍色の髪を持つ魔導師だった。
「アヴィリス・ツヴァイ=ネルーロウ・スフォルツィア様!!」
黄色い悲鳴のような声で美しい魔導師を見上げるアデラの顔は一瞬で薔薇色に染まる。
「………」
一方ユーリはそんなアデラと質素な患者服を着ているというのに無駄に美形なアヴィリスを冷やかに見やる。
「…………おかしな魔導の波長を感じて来てみれば………」
何をしているのだ?と問いながら、アヴィリスはユーリを見下ろす。
「…………いい機会です。アヴィリスさんも『一級魔導書』以上の魔導書を借りパクした魔導師がどうなるのかきっちり見ておいてください」
美貌の宮廷魔導師の登場に慌てて身づくろいをしていたアデラがユーリの言葉に固まる。
「たっ、助けてください!!アヴィリス・ツヴァイ=ネルーロウ・スフォルツィア様!!この司書が訳のわからない事で私の魔力を奪い取ろうとしているのですわ!!」
「………そんなことが出来るのか?」
「この誓書で」
ユーリが突き出した誓書を見、アヴィリスは納得したように頷く。
「ああ、その魔導……。契約の魔導というより呪いの様だよな」
のほほんと傍観の姿勢をとったアヴィリスと冷然とした姿勢を崩さないユーリにアデラは絶望する。
「ほんとうに、ほんとに、知らないのよぉぉぉ」
とうとう泣きだしたアデラにユーリは小さく嘆息する。
「だから、ここに誓書があるって言ってるじゃん」
「何かの間違いよぉ」
「なんかの間違いだったら、あんたの魔力がこの子に刈り取られてないんだってば!!」
「だから、私はそんな誓書を書いた覚えがないのですわ!!」
「じゃあ、『神秘の手引き』をあなたが手にしていなかったとして!!この誓書を書いて魔導書を手に入れた日、あなたはどこにいたの!?」
いい加減この平行線の言い合いに疲れて来たユーリはイライラと吐き捨てる。
「………」
病室がしんっと静まり返った。
「え?」
呆然と目を見張って固まっているアデラをユーリとアヴィリスは見つめる。
「私、その日は…………」
そのままフリーズしたように動かないアデラにユーリは溜息をつく。
「二週間前くらいの事だしねぇ」
「………いや、普通覚えてないか?」
「何か特殊な事したなら大体覚えてるけど………」
曖昧なユーリを置いてアヴィリスはアデラの前に出る。
「ちょっと、いいか?」
アヴィリスの手がアデラの頭を包み込む。
「『其は流れるモノ、揺れるモノ、ゆれゆられ、導き、示せ、愚者の足跡」
魔導詠唱と共にアデラの頭をヴェールのような魔導が顕現する。
ふわりふわりと花嫁のヴェールのように揺れるその魔導はふっといきなり弾けるように消えた。
「やっぱりな」
目を開けたアヴィリスの琥珀の目は厳しい色を纏ってアデラを見下ろした。
「何かわかったんですか?」
「この娘、魔導による記憶操作を受けている」
「え゛?」
淡々と下された結論にユーリは顔を引き攣らせる。
「それって……」
「ああ、どんな場合でも魔導による記憶の操作は違法だ。この娘も早急に治療した方がいい」
「いや、法律うんぬんはどーでもいいです。うん」
重々しく告げるアヴィリスにユーリは米神を押さえた。
「つまり、それって………」
ユーリが何か言う前に、乱暴に部屋のドアが開かれた。
「一体さっきから何をしているんですかっ!!病棟内での魔導行為は禁止です!!出ていきなさーいっ!!」
「うはああっ!?」
「え?俺もか?」
白衣の般若……もとい、白い看護服を着た恰幅のいい中年女性にユーリとアヴィリスは否応なく部屋から引きずり出した。
「まったく、あなた方も患者だというのに!!好き勝手に動き回って!!そもそも『魔導酔い』で運び込まれたというのに魔導行為を行うなど何を考えているのですか!!」
と、延々と続く説教を軽症者が集められた大部屋の自分のベッドの上で聞きながら、隣のベッドで眠っているのか瞑想をしているのかわからないアヴィリスにユーリはこそこそと話しかける。
「ねぇ、アヴィリスさん。彼女は記憶操作されてるって言ったよね?」
「ああ、大分高位の魔導師がやったみたいだ。実に巧妙に綺麗さっぱり魔導書借り出しの日の記憶がない」
「戻るの?」
「時間は大分かかるぞ。大体、1ヶ月か2ヶ月くらいかかる」
「そんなぁ~。その頃にはもう魔導書跡形もないですよぅ。魔導実験とかなんとかで」
「あなたたち!!わたしの話を聞いていますかっ!?」
ユーリが嘆いた瞬間、看護師長がとうとうキレた。
結局、ユーリはその日のうちに退院を言い渡され、いまに至るわけである。
ついでに、病院内で罰則執行を行おうとした事でエリアーゼには怒られた。
「うぅ~っ」
ピィピィ……ピルルルルッ
呼ぶような声にユーリは身体を持ちあげる。
寝室代わりにしているロフトから見下ろした先、ダイニング代わりの小さな一間には小さな鳥籠がひとつ置かれている。
その中にいる小さな炎のような赤い小鳥が歌うように鳴いていた。
「お腹すいたの?」
誓書から出て来た小鳥はユーリが急遽飼う事になった。
小鳥の下に降りたユーリはパンを入れている籠からパン屑をさらい出し、小鳥に差し出す。
「ごめんね。お腹すくかもしれないけど、あんまり魔力のあるものをあげると完全に誓書から独立しちゃうからね」
パン屑を啄ばむ小鳥に話しかける。
止まり木、水飲みがあるだけの簡素な鳥籠の中、止まり木に括りつけられた筒の中には三分の一ほど切り裂かれた誓書が入っている。
誓書から出て来た小鳥は誓書から一定以上離れることが出来ない。そのうえ中途半端に解放されているので、酷く存在が曖昧だ。
だから、存在を保つために一定量の魔力が必要になる。
しかし、あまり魔力を与え過ぎると、アデラから吸い取った魔力が上書きされてしまい、誓書から完全に独立してしまうし、もっと最悪の場合は消滅してしまう。
そのため、この小鳥が入っている鳥籠で守ってあげないといけない。
「アデラ・ヴィ・シンファーナが記憶操作されてしまっている以上、頼れるのはお前だけだから」
お腹がくちくなったのか、小鳥はユーリの指先をつっついて遊び始めた。
「明日は『学院』に行くよ。だから、おやすみ」
ピルルと小さく鳴いて赤い小鳥は止まり木で羽を休めはじめた。
その様を小さく笑いながら見送り、ユーリもベッドの中に潜り込む。
「明日、か」
『学研』まであと四日。
「何事も起こらなければいいけど」