27P 迷走輪舞曲
灰色の壁に覆われた、広い部屋に角灯の光がぼんやりと降り注ぐ。
その仄明るい光に照らされるのは、灰色の冷たい煉瓦の床に、ばらばらに砕けた木片や紙切れ、ペンなどの文具用品。
仄かな光を反射するのは砕けたガラスの破片だろうか?
広い部屋に散らばる様々なものの中に、茶色の地味な布で包まれた人々もまた、壊れて散らばるモノの中で同じく灰色の床に突っ伏して散らばっていた。
太陽光をイメージした白い光を受けて、倒れていた人が一人、身動きをした。
「ゲホッ…………ッ!!」
溺れていたかのように咳き込みながら起き上ったのは、美貌の青年。
彼は肺が引き攣るほど咳き込んだのち、ようやくあたりを見回した。
闇を纏った天井から垂れさがる年代物の古いシャンデリア、地味で温かみのない灰色の壁で覆われた、灰色の広い部屋。
「………いき、て、いるのか」
アヴィリスは呆然とつぶやく。
頭痛とめまいが一瞬襲ったが、それをしばらくこらえ、よくよくあたりを見回す。
自分が座り込んでいる冷たい石の床にはローブを着こんだ人達が寝転がっている。
もちろん、好きで転がっているわけではなく、魔導の暴走に巻き込まれた生徒たちなのだろう。
倒れ伏している彼らの下には黒く、焼け焦げたかのような跡が広がっている。
「魔導陣が、壊れている」
ふと、低い呻き声を聞いてアヴィリスは目を見開いた。
同じ茶色の人が倒れ伏す床の中、鮮やかな藍を纏う者がいる。
「ユーリ!!」
アヴィリスはふらつく体を叱咤して彼女を抱え上げる。
「おい、しっかりしろ!!おい!!」
ぴたぴたと色を失くした冷たい頬を叩く。
「……………う」
低い呻き声と共に、漆黒がアヴィリスを見上げる。
「アヴィ、リスさん………」
「お互い、生きているようだな」
僅かに頬を緩めて、アヴィリスは息をついた。
「みん、な……?」
ユーリが緩慢なしぐさであたりを見回す。
周りでも、魔導耐性の強い生徒達が呻きながらも目覚めようとしている。
「どうやら、生きているようだ」
アヴィリスは腰が抜けたかのようにその場に座り込んだ。
あれほどの大掛かりな魔導実験の失敗で奇跡のような結果だ。
その、彼の目の前には閉じたままの扉がある。
「しかし、『錠』の扉がまだ残っている、か」
憂鬱そうに溜息をついたアヴィリスの前で、開かないはずの扉が開いた。
軋んだ音を立てて、観音開きの扉は開く。
光を背負って、部屋に入って来たのは。
「………うっす」
いぶし銀の髪を短く刈り込んだ、アヴィリスより年嵩の男。
「ろ、らんさん……」
掠れた声でユーリがその名を呼ぶ。
司書より傭兵の方が似合っていそうな彼の登場にアヴィリスは微妙に顔を顰めた。
「何故、こんなところに?」
「それは、こっちのセリフっていうか………。まぁ、……何があった?」
言いながら、ロランは部屋の中をぐるりと見まわし、
「………………何となく想像はできるが…」
顎を撫でさすり、呟いて唸る。
「俺も何故お前がここに来たのか、わかった気がする」
ロランの右腕で息絶えたようにだらりとぶら下がっている魔導科の生徒らしき少年とその後ろで蒼褪めた顔をしている壮年の男性を眺めながら、アヴィリスは溜息をついた。
「魔導書の借りパクか?」
「いや、また貸しだ」
ロランの腕の中にいる魔導科の生徒が、この部屋にいる生徒の誰かに魔導書をまた貸ししたらしい。その魔導書を回収するためにロランは後ろにいる壮年の男(後で話を聞くと魔導科の教師だった)を脅してここまで来たらしい。
ふと、ロランはアヴィリスに抱えられ、一言も声を発せず、ぐったりしているユーリを見下ろして顔を顰めた。
「ん?おいおい、大丈夫そうじゃないな」
「『魔導酔い』だ。すぐに医者に診せたい」
「なら、魔導科の中央塔に行け。魔導関係の病気・怪我は魔導科の医務室に行くのが一番だ」
言いながら、ロランは他にもぐったりとしている生徒を認めて困ったように溜息をつく。
「あ~。にしても、……どうする、か?」
「<クラン>のチューリ支部の人間を呼べ。これは立派な魔導事故だ。いくらここの生徒達に魔導耐性があったとしても、早急に治療しないと不味いぞ」
「あ~ららら~…。マジでかー」
ひとかけらも緊張感のない、どこか気怠そうな口調で言いながら、ロランは懐中時計を取り出し、竜頭を何度か回して押した。
すると、懐中時計の文字盤、それを保護する硝子面がぱちりと開き、ロランは無造作に分針と秒針をくるくる回す。
「もしもし?こちらロラン。エリアーゼ館長に至急連絡を取りたい」
『あら?ロランさん?いかがいたしました?』
「いかがも何も、魔導科の占術学部はとんでもない事になっていますよ?至急<クラン>の断罪人を呼んでください。あと魔導関係の疾患に詳しい医者、それから騎士科の魔導に耐性ありそうな奴らと、魔導書専門司書を派遣して下さい。ただの“保安司書”や司書じゃあ手に負えねぇ」
『まぁ、それは大変ですわね?わかりました。至急手配します』
短い通信を終えたロランは憂鬱そうに溜息をつく。
「……とりあえず断罪人やら、騎士科の治安維持部隊やら自衛団共が来るから、宮廷魔導師様も事情聴取に………おい」
振り返ったロランは床に仰向けに倒れている美貌の宮廷魔導師と彼のお腹を枕にするように倒れている司書の少女を見た。
慌てて二人に駆け寄ると、息は荒いし、お世辞にも良い顔色とは言えないが、きちんと生きている事がわかった。
「まぁ、何にせよ、生きていれば良し。…………・しかし、まぁ」
ちらりと見下ろした先、蒼褪めた顔をして、倒れている占術学部の生徒達を見ていた壮年の男は既にここにいない。
館長と連絡を取り合っている間にいなくなっていた。
「………………駆け寄って、生徒達を助けるならまだしも、この状況を見て考えたのは己の保身か、魔導科教師!!」
唾棄するように吐き捨てられた言葉には、遣りきれない怒りが、昇華できない苛立ちがこめられていた。
怒りに燃える銀が暗い廊下の向こうの闇を見据える。
固く握られた手の中から赤い雫が滴るのにも気づくこと無く。
「失敗、か」
かつん、かつんと石畳を踏む足音、二つ。
「はい。いかがされますか?現場に入り込んだ宮廷魔導師と司書達のせいで<クラン>から断罪人と自衛団がやってくるようです」
「かまわん。ほうっておけ、占術学部の失敗は占術学部で贖えばいい。それに、我々の計画は次の段階に進む」
きぃっと軋んで開いた木の扉の中、漆黒の闇の中、金に輝く小さな木が葉を揺らした。
魔導科の占術学部での大掛かりな魔導実験の失敗が発覚してから、翌日。
セフィールド学術院ではその話題が朝から広まっていた。
けれど、その騒がしい喧騒も、ここには届かない。
セフィールド学術院の中心部にほど近い場所にある、白い建物。
『セフィールド学術院医学部付属病院“クラル・カーサ”』
どこかせわしない人の流れが生む独特の物音とツンと鼻を指す消毒薬と薬の匂いが充満する、その建物の一室。
その中で、一人の少女が自らも入院用の服を纏いながらベッドに横になっている少女の目覚めを待っていた。
「う………」
白いベッドの上で、金髪の勝ち気そうな少女が目を開いた。
「あ、気がついた?」
「ここ、は?」
黒っぽい髪に漆黒の瞳の少女をベッドの中の少女はぼんやりと見上げる。
「『学院』内の病院。占術学部のみんなもここにいるよ」
病院。
その言葉にまだどこかぼんやりした少女は僅かに表情を強張らせる。
「アデラ・ヴィ・シンファーナさん。魔導学科、占術学部の四年生。それってあなたの事だよね?」
「あなたは、何なの?」
「あたしはユーリ・トレス・マルグリット。あなた達の魔導実験に巻き込まれた司書の一人だよ」
訝しげな声に笑みを消した少女がひたとベッドに横たわる少女を見つめる。
「ねぇ、教えて」
すぅっと漆黒の瞳が怒りを帯び、彼女を見つめる。
「『神秘の手引き』はどこ!?」