2P妥協を覚えて人は大人になる
「わたくしの神聖かつ高尚な占術魔導学が低俗な科学などに劣ると貴方方はおっしゃるというの!?」
甲高いヒステリックな声がすり鉢状にイスと机が並ぶ、会議場に響き渡る。
ここはセフィールド学術院の本部である、『学院本部』校舎の大会議場。
セフィールド学術院の唯一の出入り口たる大正門からすぐに見えるのがこの建物であり、セフィールド学術院の運営と発展を司る、セフィールド学術院の“要”たる建物である。
『学院本部』校舎の一番大きな大会議場にいま、セフィールド学術院の理事・教授が全員勢ぞろいしていた。
すり鉢状になっている議場を見回し、窮屈そうに溜息をつく金髪の美女が一人。
(ほぉんと、暑苦しい事……)
エリアーゼはエメラルドのような瞳を伏せた。
理事・教授が全員勢ぞろいする事はほとんど無いが、新学科設立となれば話が違う。
そのため、『王立学院図書館管理責任者』としてエリアーゼもこの大会議場の末席にいた。
今日の議題は『科学科の設立にあたって、科学科に加入する学部の調整と予算分配について』。
議場は始めから大荒れ模様だったが、魔導科占術魔導学部のヴォルヴァ助教授の発言でさらに状況は悪化した。
「貴殿!! 我らの研究を侮辱するつもりか!!」
「貴女のその発言はセフィールド学術院の『全ての学問を受け入れ、万人に平等に知識を与える』という理念に反する!!」
「学問に高尚も低俗もないはず!!」
「今すぐ撤回と謝罪を求める!!」
轟轟と批難の声を上げたのは科学科への加入が決まった学部の教授陣。
白い白衣の集団に迎え撃つのは魔導科の魔導師たちだ。
「しかし、貴方方の学問のせいで我々の研究が妨げられるのはこちらも本意ではない」
「ヴォルヴァの発言は確かに問題だったが、我らの学問の高尚性はそちらも知っているはず」
「謝罪の必要はないと思うがな」
「それは、我々の学問に膝を屈するような成果しか出せない貴殿らの『負け犬の遠吠え』と考えさせてもらっていいか?」
「高尚? はっ!!笑わせる。 魔力が無い万人に伝える事の出来ない学問を誰が学ぶ!?」
「間違いを認められない者は愚者にも劣る!!」
「貴様ら!!我々を侮辱するか!!」
「魔導の深淵を知らぬ凡人に我らの学問を知る知能もないようだな」
「貴方方の学問こそ、この『学院』には不要だ!!」
「何を!!」
「そちらこそ、何を言う!!」
(ああ、五月蠅い……)
白衣の科学科の教授陣と魔導科の教授陣が総立ちで轟轟と自分の学問の正当性を語り、相手の学問を詰る。
真面目な言葉を使うと堅苦しいが、簡単にいえば子供の口喧嘩と大差ない。
エリアーゼは自分の息子が学院内の託児所で、お友達と自分のおもちゃの自慢合戦をしていた姿を思い出す。
(お願いですから、お前の母ちゃんでーべーそーとか言わないで下さいね? 貴方方の精神年齢を疑ってしまいます)
それを危惧したくなるくらい彼らの論争はどんどんレベルが低下していく。
聞いている理事や他の教授達がげんなりし始めたころ、
「静粛に!! 両陣!! それ以上口論をするならば出て行きなさい!!」
すり鉢の一番奥から張りのある鋭い女性の声が響く。
真っ白な白髪を緩やかに結いあげ、深い海の様に青い瞳を持つ五十歳ほどの貴婦人がピンッと背を伸ばして立ち上がり、科学科と魔導科の教授達を睨みつけていた。
「ソフィア学院長」
両陣の誰かが眦を吊りあげる老貴婦人をそう呼んだ。
「魔導科教授長、科学科教授長」
老貴婦人は真っ直ぐな目で各学科の長を呼ぶ。
「この口論が貴方方の学科に有益なものでしたか? 私は貴方方が貴方達の学問をより発展させるにふさわしい人物であると思い、貴方達を『教授長』に任命したのですよ?」
おごそかな老貴婦人の言葉に、両陣の長達は恥いったように身を竦ませる。
「わかったのなら、席に着きなさい。 ヴォルヴァ助教授の発言の責任は魔導科教授長のドレイツ教授に任せます」
「わたくしは!!」
「黙りなさい!! どんな学問にも貴賎はありません!! それがわからないのなら……」
ソフィアの脅すような視線を受けたヴォルヴァは唇を引き結んで渋々席に着く。
大人しく両陣の教授達が着席した事を見計らい、ソフィアはすっと三つ揃いの貴族の礼服姿の壮年の男性を見やる。
「議長。議題の進行をお願いします」
「は、はい!!」
(やっと話が進みそうですね)
そう思ったのもつかの間、
「では、この予算案の通り魔導科の予算を10%カット……」
「いや!!納得いかん!!」
「我々から削られた予算を科学科なんぞに使われてたまるか!!」
魔導科の教授陣が立ち上がり、
「なんだと!?」
「予算を削られてしまうのは、貴様らの怠惰が原因だろう!!」
科学科がいっせいに迎え撃った。
ぎゃいぎゃい、わいわいといつまでたっても進行しない議題と状況にエリアーゼは溜息をつく。
そして、すっと学院長の席を見、耳をふさぐ。
「いい加減にしなさああああああい!!」
般若のような形相のソフィア学院長が『学院』中に響き渡るような声を吐き出した。
「まったく!!どいつもこいつも!!」
「まあまあ。学院長、気を落ちつけてください」
鼻息も荒く執務机に腰かけたソフィア学院長をエリアーゼはいつもの微笑みでなだめる。
一向に進まない議論に、堪忍袋の緒が切れたソフィア学院長の提案で予算案と科学科加入学部の調整は理事たちの協議の後、最終決定時に教授達に意見を求め、明確な理由の下での異議申し立てのみをもう一度話し合う事になった。
「まあ、今回の件で理事たちも教授達だけで話し合いをさせるのは無駄と知ったようですし、最終的に教授達も学院長の提案を承諾したわけですし」
「承諾したのは理事たちと騎士科・医療科・芸術科と普通科の教授達よ」
多数決の結果を思い出したのか、エリアーゼが淹れた紅茶をソフィアは苦々しげに口に含む。
応接用のソファに腰掛けることを勧められたエリアーゼも静かに茶をすする。
「みんないい年して自分の我を通す事しか考えてないんだから!!」
鼻息も荒くソフィアが吐き捨てる。
「ですが、それだけ教授方は妥協せずに自分の学問を修め、高めて来たという事でしょう?」
エリアーゼが諭す言葉にソフィアはケッとそっぽを向いた。
「そうね。我を貫き通す子供がそのままデカくなったような奴らだものね」
口論の最中、彼らの言葉のレベルがどんどん低下していった事を皮肉っているのだろう。
ソフィアはげんなりした顔をふってエリアーゼに向き直る。
「あの人たちの事はもういいわ。 それより、図書館はどう?」
「はい。工事のほうももう終わりましたし、副館長にクライヴ司書の採用を支持していただいたおかげでわたしの苦労も減りましたわぁ」
にっこりと微笑んだエリアーゼからソフィアは少し視線を逸らす。
「レイヴン副館長の事は、御免なさい。こちらの配慮が足りなかったわ」
「いいえぇ~。あの件のおかげで、無能な理事も一掃できましたしぃ」
「…………そうね」
にこにこと微笑むエリアーゼを前にソフィアも負けじと微笑む。
三ヶ月前の王立学院図書館での魔導書の暴走・放火事件は世間に大々的に報じられた。
ただの図書館ならば市民の反感も薄かったかもしれないが、ザラート王国の管理下にある『王立』の図書館を傷つけたとして、主犯の魔導師二人と同じく共犯者の司書と副館長も槍玉に挙げられた。
特に副館長であったレイヴンは王立学院図書館の管理者の補佐という立場でありながら事件に加担したとして市民の猛烈な非難を浴びる事になった。
調べてみると、当時のエリアーゼの王都行きもレイヴンと、彼と手を組んだ理事たちによって仕組まれたものであるという事がわかり、副館長にレイヴンを押した理事、加担した理事達も一掃される事になった。
(図書館の管理人にしておくにはもったいない女狐だこと)
事の発端は事件を起こした奴らだろうが、後に起こった『大掃除』に暗躍したのはエリアーゼであることくらいソフィアも気づいている。
それに、エリアーゼのしようとした事に少々加担した自覚はある。
「大事ないならそれでいいの。 あそこはこの国の……いいえ、世界の宝ですもの」
「はい。心得ています」
こくりと頷いたエリアーゼにソフィアはようやくほっとした笑みを浮かべた。
「科学系の専門書の増加は進んでいるかしら?」
「ええ、いま急ピッチで最終調整中ですわ」
「そう」とソフィアはそっけなく言い、エリアーゼが差し出した書類に目を通す。
「今回の『学研』荒れるでしょうねえ」
「そうね」
エリアーゼがぽつりとつぶやいた言葉に、ソフィアは溜息と共に理事達と決めた取り決めを思い出す。
『『学研』での研究発表内容を審議し、その後に行われる学部申請で加入学生が多かった学部へ予算を優先的に配慮する』
「『学研』で何かが起これば即生徒の身に危険が及びます」
「魔導科と科学科がお互いに何か仕掛けなければいいですけど……」
「ええ、ですから、騎士科の教授とこれから会合です」
心底辟易した様子でソフィア学院長は溜息をつき、エリアーゼに書類を返す。
書類の確認をしたエリアーゼはすっと背筋を伸ばした。
「では、わたしは失礼させていただきます」
「ええ、これからも図書館をよろしく」
「エリアーゼ殿」
学院長室を出たエリアーゼは呼び止められて振り向く。
「まあ、オストロ教授」
エリアーゼの視線の先に鳶色の瞳と髪を持つ、厳しい顔立ちの男性が立っていた。
白いクラヴァットに明るい栗色の三つ揃いの礼服を纏う様は典型的な貴族の成り立ち。
「学院長は中にいるか?」
貴族らしい尊大な口調にエリアーゼはにこりと愛想笑いを零す。
「ええ、オストロ教授はどうしてここに? これから学院長は騎士科の教授とお話があるそうですけれど?」
「何故、だと?」
オストロ教授――アルカス・カリスト=アルス・オル・オストロは異様な事を聞いたかのようにエリアーゼを見下ろす。
「貴殿は魔導科が侮辱されたというのに何も思わないのか?」
「……」
彼もまた、魔導崇拝思想の持ち主だ。
大会議場での一件が気に食わなくて抗議に来たのだろう。
「申し訳ありません。 わたしは一介の図書館の管理人ですから、教授方の崇高な議論には口を出せませんわぁ」
にっこりと微笑んだエリアーゼ。
ユーリが見たら『イラッとしてる!!』と震えあがるような笑顔だったが、オストロはふんっと鼻を鳴らしてエリアーゼを見下ろす。
エリアーゼは優雅に一礼するとオストロが学院長室の扉を叩く音を背中に聞きながら、その場を去る。
『学院本部』から出たエリアーゼは『学院本部』の中庭側に置かれた掲示板を見た。
掲示板には、各学科の『学研』案内が貼られている。
セフィールド学術院の生徒達が一生懸命学んだ事学んでいる事を伝え、知ってもらい、共に学ぶ仲間を増やす為に行われるのが『学研』だ。
(大人達の下らない自尊心のためではないでしょうに)
ソフィア学院長は『学研』を予算分配のための篩がわりに使われる事が気に入らない。
エリアーゼは母として、一個の人間として、若者の伸びやかな芽が大人の事情で踏みにじられるのは我慢ならない。
(どうか、無事に……)
楽しそうに『学研』の発表内容を話し合う生徒達の横を歩きながらエリアーゼはそっと祈った。