21P迷走行進曲part3
……ゲロゲーロ
濃緑色のぬめっとした肌をてらてらと輝かせる、女性が見たら悲鳴をあげる事間違いなしの巨大な両生類が「ごちそーさまでした」とでもいう様にぺろっと舌で口許をぬぐう。
「あの、馬鹿…………」
ユーリが蛙に食べられる、衝撃瞬間をばっちり目撃してしまったアヴィリスはぽつりと呟く。
『娘!!』
反射的にたった一人で特攻を仕掛けたスーシャにいくつもの異形が一斉に襲いかかる。
『くっ………』
囲まれたスーシャを銀の何かが守るように横切る。
銀の何かにぶつかった異形はインクを飛び散らせて霧散した。
『これは………』
「………やっと発動したか」
いくらか安堵したかのようにアヴィリスは無表情に吐き捨てた。
『あれは、あの娘の肩にくっついていた鳥だな?』
冷静さを取り戻し、アヴィリスの下まで後退したスーシャが確認するように問う。
「この部屋のせいで肝心なところでまったく役立たずだったがな」
苦々しく吐き捨てる彼の言葉は、結局、ユーリが蛙に飲み込まれるのを防ぐことはできなかったうえに、自分の魔導の余波で彼女を吹っ飛ばしてしまった事を指しているらしい。
アヴィリスは溜息と共にあたりを見回す。
周りは舌舐めずりする異形に囲まれ、唯一の退路である扉は黙したまま動かない。
「しかし、この状況……どうしたもんか………」
『お前にあの扉が壊せるのか?』
「いや、扉以外の問題が発生している事が判明した」
『は?』
「……………くそ、面倒臭ぇ。こんな事態初めて見るぞ。どうなってんだ」
『?』
ぶつぶつぼやき始めたアヴィリスに、スーシャが声を掛けようとした瞬間、またしても異形達が襲いかかってくる。
「くそっ!!」
アヴィリスは結界を張って異形達の攻撃を防ぐ。
いままでと同じような異形達が襲いかかってくるが、さっきまでと違うのはアヴィリスが防戦を続けなければいけない事。
なぜなら、
『あまり迂闊に攻撃してくれるなよ。あの異形の中に娘がいる』
「わかっている」
ユーリが人質にとられている以上、アヴィリスは大掛かりな魔導で攻撃するわけにいかないのだ。
「このままじゃあ、本当に魔力が削り取られていくだけだろうな」
相手はどれほど攻撃しても復活する異形達。
一方、人質をとられたせいで逃げる事も攻撃する事も出来ない魔導師。
「こいつらの餌になるのが先か、救助が来るのが先か………」
何となく、あの蛙に食べられるのだけは嫌だなと漠然と思う。
諦観と共に、アヴィリスは腰を落とした。
その、刹那。
ゲゴッ!!
蛙が謎の悲鳴をあげて蹲った。
『何だ?』
「ユーリを喰ったせいで腹でも下したか?」
半ば本気でそう思いながら、アヴィリスは立ち上がる。
王立学院図書館の司書はやっぱりびっくり人間らしい。
(とにかく、チャンスか?)
『魔導師!!』
「お前は下がっていろ!!」
アヴィリスは剣を持ち直し、周りにいた異形達を切り伏せた。
(……何だ?)
切り捨てた異形に彼は違和感を覚える。
「復活しない?」
切り捨てたインクのシミはピクリとも動かない。
そのまま見下ろしていると、インクがシミになったところがピシリとひび割れる。
「何だ?」
思わず立ち止った彼の耳に、ふと、耳馴染みのない【歌】が届く。
『これは………』
(これは、【語られてはいけない言葉】か?)
アヴィリスは己の知るどの言語にも属さぬ不思議な音の羅列に耳を澄ませる。
音の許は、ユーリを飲んだ蛙のいる場所。
(あいつが【語られてはいけない言葉】を使ったか………)
どういうわけか、魔導に対抗する力を持つ【言葉】がこの状況を打開したと考えるなら………。
(好機だ)
アヴィリスはふっと微かに笑う。
「邪魔だ!!どけ!!」
アヴィリスは勢いのままに目の前の異形に魔導をぶっ放す。
遮るものがなくなったアヴィリスの視界に飛び込んできたのは、まるで卵のような黒い球体。
「何だこれは?」
『【歌】はこの中から聞こえてくるな』
「と、言う事は、この黒い球体があの蛙のなれの果てか?」
『おそらくは』
アヴィリスとスーシャはじっと未知の【歌】が流れてくる黒い球を見つめる。
『……………』
「…………」
『おい、魔導師』
「何だ」
『この球の中に娘がいる事は確実なのだ。………助け出さないのか?』
「……お前こそ、さっきまでユーリを助けようとしていたあの勢いはどうした」
二人は無言でお互いを横目で睨みつけ合う。
『…………私はおそらく、この球に触れると元のインクに戻ってしまう可能性がある』
「俺だってこんな得体の知れないモノに触るのは御免だ。大体、中でユーリがどういう状況なのかわからないのにヘタに触って彼女を危険な目に遭わせたくはない」
『お前、本音と建前(?)が逆転しているぞ』
「現在進行形でややこしい事に巻き込まれているんだぞ?これ以上の厄介を背負わされてたまるか」
『最早取り繕うようなこともしないのか』
「その必要を感じないからな」
いっそ胸を張るように晴れ晴れと言い切られ、スーシャは何とも言えない顔で口を噤む。
何となく非難されているような気分になりながら、アヴィリスはあたりを見回す。
「それにしても、何なんだろうな?この【語られてはいけない言葉】っていうのは。魔導に対してここまで影響力を持つモノを聞いた事がない」
『【語られてはいけない言葉】……?』
スーシャが不思議そうに首を傾げる。
「何だ?この【言葉】を知っているのか?」
『この【言葉】は遥か昔……』
バキッ
語ろうとしたスーシャの足もとが突然崩れる。
「スーシャ!?」
彼女の足もとに突然生じた黒いインクのひび割れから現れた、黒よりなお濃い漆黒の手がスーシャに絡みつき、闇の中に飲み込んでいく。
『何故?これは……』
驚き顔のまま飲み込まれていくスーシャを救おうとしたアヴィリスに漆黒の手が襲いかかる。
「何だ?」
黒の手から逃れたアヴィリスは意思ある生き物のように蠢く黒の手を見やる。
アヴィリスを掴み損ねた漆黒の手はかさこそと何かを探すように蠢いていたが、ふとその動きを一瞬止めた。
そして、大きく鎌首を持ち上げ、かぱりと大蛇のように大きく開いたかと思うと、白の世界を噛み砕き、飲み込んだ。
「――ッ!?」
じゃぐじゃぐじゃぐじゃぐと咀嚼音を響かせながら、闇から生まれた手は白の世界を食べていく。
白の世界が食べられた後の闇から無数の手が生まれ、白の世界が食べられていく。
「これも、【歌】の効果なのか?」
呆然とアヴィリスが見やっていると、あろうことか、黒の球体にその闇の手が喰らいついた。
「なっ!?」
驚くアヴィリスの前で世界が悲鳴をあげた。
「ッ!?何だ!?何なんだッ!?」
地面が震え、ひび割れ、上から白い欠片が落ちてくる。
「くそっ!!わけがわからん!!」
上から落ちてくる白の世界の欠片を避けながら、アヴィリスは【世界】の【真理】の探究者である魔導師という自分の立場を忘れて、現状の把握と理解を放棄して気絶したくなった。
(コレが夢なら覚めて欲しい!!)
切実にそう願いながら、アヴィリスは崩壊する白の床の上を器用に飛びながら黒の球体を見やる。
黒の蛇のようなモノに咬みつかれながらも、まだ黒の球体は壊れていない。
「くそっ!!」
アヴィリスは黒の蛇に向けて魔導を放つ。
もんどりうって蛇は倒れ、消滅する。
それを確認したアヴィリスは白の欠片を踏んで黒の球体に向かって走る。
安定しない白の欠片を踏みしめ、迫りくる黒の手を避けながら走っているため、戦場で綱渡りをする曲芸師のような気分だ。
「中がどうなるかとか、考えている暇はなさそうだな!!」
アヴィリスは剣を構えて振りかぶる。
「ユーリっ!!」
黒を切り裂く銀の軌跡。
引き裂いた黒の中から、小柄な少女の体が現れる。
手の中には見た事のない本。
本から発される光を受けてぼんやりと光る彼女はその目を開いた。
黒よりもなお深遠な漆黒が瞼の向こうから現れる。
漆黒と琥珀が見つめ合い、戸惑いに揺れていた漆黒に光が宿った。
「アヴィリスさん!?」
その瞬間、世界が割れた。