17P迷走幻想曲part1
あけましておめでとうございます。
新年初投稿です。
「うわぁ……」
白。
ユーリの目にまず飛び込んできたのは、一点の曇りのない、白。
ヴォルヴァ先生が開けた、『神秘の間』たる部屋は白かった。
その部屋は、壁も床も何もかも白く、地下だというのにとても明るい。
世界の中でぽっかりと口を開けた、虚無のように白い空間。
まるで無のようなその部屋には、誰も何もなかった。
「どうして?」
ヴォルヴァ先生の呆然とした様子にアヴィリスとユーリは顔を見合わせる。
ふいに、アヴィリスはヴォルヴァ先生に問う。
「実験を行っている部屋はここであっているのか?」
「もちろん!!今日は実験の最終日!!ここで生徒と占術学部の選ばれた教師達と共に魔導の発動実験をしているはずですわ!!それなのに、どうして、どうして!?」
取り乱した様子のヴォルヴァ先生をよそに、ユーリとアヴィリスは『神秘の間』(仮)をぐるりと見回す。
何気なく壁に手をついたユーリはふと、目を瞬く。
(?)
壁とは違う、しかし、身に馴染んだ手触りにユーリは訝しげに眉根を寄せた。
一方、アヴィリスはこの部屋に入ってから拭いきれない感覚に身を緊張させていた。
さっきから、探るような、試すような視線を感じる。
しかし、視線を感じた方を見ても何もない。
(なんだ?それに、この感覚……)
さっきまで感じていた塔の魔導の圧迫感を感じない。
しかし、巨大な魔力がこの部屋中に満ち溢れている。
そのギャップがアヴィリスに強烈な違和感をもたらす。
(…窒息しそうだ。いったん、外に出た方がいいかもな)
アヴィリスがふとユーリの方を見やる。
「ゆ……」
そのユーリの隣、白い壁に黒いシミのようなものが見えた。
(なんだ?あんなもの、さっきまではなかった……)
そう、アヴィリスが思った瞬間。
シミがどろりと湧き上がり、巨大な狒狒に変わった。
六本の腕を持つ異形の狒狒は明後日の方角を見てきょろきょろしているユーリに向かって円月刀のような巨大な爪を振りかざす。
「おいっ!!」
「へ?」
アヴィリスの声が聞こえると同時に、ユーリは体がものすごい勢いで放り投げられるのを感じた。
予期せぬ動きにブレブレの視界の隅で獲物を取り逃して地面に突き刺さる凶器のような獣の爪が見えた。
「………うわっ!?」
床に乱暴に投げ出されたユーリは抗議するようにキッと顔をあげる。
その眼前に、狒狒に似た面立ちと剣のように巨大な牙と大きな体躯に鋭い爪をもつ腕を六つもつけた異形が迫りくる。
「下がれ!!」
狒狒が繰り出した鋭い爪を愛用のナイフで弾いたアヴィリスは、一瞬の隙をついて魔導を放つ。
無詠唱で繰り出された雷の魔導を喰らった狒狒はもんどりうって吹き飛ばされ、しかし、そのまま倒れ伏すことなくアヴィリスから油断なく距離を取り、濁った緋色の目で仕留め損ねた獲物達を睨む。
アヴィリスは低く唸りながら自分を狙う狒狒を睨みつけ、自分の持っているナイフを見下ろす。
狒狒の爪をまともに食らったナイフには小さな傷が付いている。
「なに?コレ」
呆然としたユーリの声に誘われるように顔を上げたアヴィリスは驚愕で目を見開く。
「いったいどこから沸いて出た?」
さっきまで何もない、白の世界だった部屋は一瞬の後に一変していた。
周りを見回すと、隙を窺う様に自分達を狙う異形のモノたちがいる。
蛇の尾をもち、白き翼をもつ獰猛なる獅子。
額に一角の角と蝙蝠のような翼をもつ馬。
無数の目と鋭い爪と牙をもつ金色の巨大な虎。
ドラゴンの顔と腕を持つ雄々しい男性。
最高級のビスクドールのように透明な美貌を持つ少女は漆黒の鳥の体に蝙蝠のような翼をもっている。
ぽかんとへたり込んだままのユーリの側でヴォルヴァ先生は声も出ないのか、音もなくその場に座り込んで息を止めている。
「合成獣?馬鹿な、ありえない」
有象無象の異形の姿と彼らが立てる不気味な物音に、さすがのアヴィリスも顔を引き攣らせた。
「アヴィリスさん」
「……!!ッ」
さすがのアヴィリスも一瞬自失していたらしい。
我に返り、振り返った先には床から立ち上がったユーリと、へたり込んだまま目を見開いているヴォルヴァ先生がいた。
アヴィリスはヴォルヴァ先生の姿を見た瞬間、きつく目を眇める。
明らかに異常な状況は、おそらくヴォルヴァ先生の言っていた『実験』のせいだろう。
「おい。コレはどういう状況だ?何の魔導実験をしていた?合成獣合成は第一級禁忌実験……」
「キィヤアアアアアアアアアアアアアッ」
アヴィリスが詰問調に話しかけた途端、この世のものとは思えない、壮絶な悲鳴がヴォルヴァ先生の口から発された。
「ッ!?」
超音波のような悲鳴にひるんだ一瞬、ユーリの体は予期せぬ衝撃にふらついて倒れかかる。
「おい!!」
アヴィリスはヴォルヴァ先生に突き飛ばされて倒れかけたユーリを受け止め、抗議するように声をあげる。
しかし、その時彼が見たのは薄いヴェールをかなぐり捨て、必死の形相で扉に縋りついて出て行くヴォルヴァ先生の後ろ姿だった。
「おい!!待て!!」
アヴィリスが目を見開き、声を張り詰めた、その一瞬。
――……ガチャリ
「え゛?」
アヴィリスとユーリの二人を絶望に叩き落とす、無情な音が響いた。
「逃げた?」
「鍵、を掛けられた?」
呆然と二人が顔を見合わせる。
「………………………嘘でしょう?」
前には見た事のない様々な異形の生き物たち。
後ろは『鍵』を掛けられるとけして開かないという、魔導の編み込まれた扉。
絶望したようにその場に座り込むユーリの隣でアヴィリスは静かに前を睨みつける。
『堕落した蛇』と蔑まれながらも軍門に属し、戦いの中に身を置いてきた、彼の精神はこの状況の中でも静かに冷静に思索をする。
生き残るための、生存戦略を。
(こいつでは、心もとないな)
アヴィリスはナイフの柄に施された魔導陣をなぞるように指先で触れる。
主人の魔力を受けたナイフが淡い青の燐光を帯びながら、姿を変える。
(『ソードワンド』制限解除…)
燐光が消えたナイフは実用的で精錬された剣に変わった。
「動けるか?ユーリ」
ぶんっと剣を振り、構えなおすと、自分の後ろでまたきちんと気丈に立ち上がった少女を見やる。
「うん」
奇怪な噂話の宝庫である王立学院図書館を根城にし、魔導師を相手に日々働くユーリの漆黒の目にはきちんと理性の光が灯っている。
その漆黒の目がじっと異形達を見つめた、のち
「ああぁ。こんなコトになっちゃって……」
ユーリは深い溜め息をついて項垂れた。
その姿にアヴィリスは既視感を覚える。
ルキアルレス達を追いかけて『咎の隠し部屋』に入った時と反応が同じ感じだ。
どうやら、彼女はこの光景がどういう事なのかわかるらしい。
(つくづく常識外れだな、あそこの司書は……)
アヴィリスの脳裏に魔導攻撃を受けてもピンピンしていたロランや自分にトランクをぶち当てた女司書が思い浮かぶ。
アヴィリスからすれば、ユーリも十分彼らと並ぶ非常識さを持っている。
しかし、いまはユーリのその非常識さがありがたい。
「で?コレはどういった状況だ?」
「…………………多分、魔導書の暴走だと思う」
見た事がないけど……と不安そうにユーリはあたりを見回す。
「魔導書の暴走?俺の『始まりの叡智』の暴走とはずいぶん毛色が違うな?」
「アレは魔導書が不完全な状態だったから、魔導書内の魔力が暴走したんだよ。……………今回のこの状態は多分、何らかのカタチで魔導書の魔力が解放されて、魔導書の魔導が暴走しているんだと思う」
「魔導書の魔導の暴走……。「儀式」でもしていたか?あの女教師のレベルから察するに、ここの生徒が「儀式」を行えるほどの実力があったとは思えないが……」
「……………だから、魔導書は暴走してるの」
ユーリが深い溜息と共に重々しく吐き捨てる。
「…………………………なるほど」
占術学部の生徒や教師達が魔導書の知識と魔力をきちんと理解せずに魔導書の力を解放する「儀式」を行い、制御できなくなったせいでこの状況が出来上がっているらしい。
「馬鹿が」
アヴィリスの琥珀の瞳が隠しきれない嫌悪で濁る。
ただそれだけで、表情に乏しい美貌に冷やかに鋭く切れるような恐ろしさが増す。
魔導師とは魔力という不可思議な力を未知なる理の下に行使する者。つまり、『未知への探求者』であり『理の理解者』でなければならない。
そんな彼ら、魔導師にとって、己が生み出した魔導を暴走させることは最も恥ずべき行為だ。
「まぁ、『一級魔導書』だったら仕方ないよ。生半可な覚悟と能力じゃあ太刀打ちできるわけないし」
げんなりした様子だが、どこか諦めたようにユーリが言い、体についた埃を払う。
「お前、さりげなく自分が酷い事を言っているって気づいているか?」
ユーリの言い方では普通の魔導師達では『魔導書』を使用することは出来ないと言っているようなものだ。
しかし、ユーリはキョトンとした顔でアヴィリスを見返す。
「忘れたの?王立学院図書館の『一級魔導書』は魔導師本人が手ずから書いた、魔導師の命の欠片なんだよ」
吸い込まれそうな、深い深淵を宿した漆黒がアヴィリスをじっと見上げていた。
深い深淵はまるでアヴィリスを試しているようにもただ、見つめているだけにも見える。
「お前は……」
アヴィリスが何かを問いかけようとした瞬間、
「アヴィリスさん!!」
沈黙していた異形達がアヴィリスとユーリに襲いかかる!!
「っ!!」
アヴィリスは咄嗟に剣を振るう。
太刀風が異形のひとつを切ると同時に、紫電を纏った刃が他の異形を裂く。
「で?どうすればいいんだ?」
「暴走している魔導書を鎮めることができれば………」
「そうか」
アヴィリスは言い様に、後ろからユーリに襲いかからんとしていた獣を切り落とす。
「!!」
切られた三つ首の猫の姿をした異形の生き物は切られると、血を流すこと無く、ただ黒い染みを残して消えた。
「ある程度の魔導的な攻撃を加えれば、消えるようだな」
納得したような、まるで確認するようにアヴィリスは言い、
「集え」
アヴィリスの言葉と同時に剣がぼんやりと青い燐光を纏う。
……ぽこり、ぽこり
小さな音を立てて剣の周りに水球が集まる。
「刃となりて我が敵を打ち倒せ」
言うが早いか否か、アヴィリスが剣を振ると同時に水は刃となって異形達に襲いかかる。
断末魔の悲鳴をあげて数匹の逃げ遅れた異形が消える。
その様子を目の当たりにしたユーリはぎょっと目を見張る。
「戦うの!?この数相手に!?」
悲鳴のような声をあげてユーリは部屋に所狭しとひしめいている有象無象の異形達を見回す。
「それ以外に生き残る術はない」
「扉打ち抜いて外に助けを求めようよぅ!!」
涙目で訴えたユーリにアヴィリスは呆れ顔で溜息をつく。
「俺達が外に出ている間、こいつらが大人しくしていると思うか?」
「……………」
「こんなものが外に出たら、『学院』は大パニックだ。場合によってはあの図書館も閉鎖されることになるぞ?」
「そっ!!…それは嫌っ!!」
ほとんど反射的に叫んだユーリにアヴィリスは虚を突かれたように一瞬目を見開く。
だが、それも刹那の事、アヴィリスは傲岸不遜な笑みを受かべてユーリを見下ろす。
「だったら、ここで俺に協力しろ。ユーリ・トレス・マルグリット」
「……………りょーかい」
ユーリは諦観のにじむ溜息をつくと、ぐっと腕輪を握りしめた。
「行くぞ。自分の身はなるべく自分で守れ」
「えっ!?」
さらっと爆弾発言を残したまま、アヴィリスは気前よく大きな魔導を異形達に向けて走る。
その魔導を受けた異形は何匹か消し飛んだが、無事だった異形が何匹かアヴィリスに特攻を仕掛けてきた。
巨大な大蛇に似た異形を前に、アヴィリスはどこか楽しげに口角を吊り上げる。
「まったく、チューリは図書館といい、『学院』といい」
魔導を纏った剣で牙をむく大蛇の牙を切り落とし、そのまま頤を切り裂く。
「退屈させてくれないな!!」