16P迷走間奏曲Ⅲ
「これから行う魔導は、古の叡智の再現であり、古くより続く魔導の歴史に名を残す名誉ある魔導である」
通りの良い、だがどこか神経質な声が薄暗い部屋に朗々と響く。
その部屋は、大きな石を積み上げて作ったような、見るからに頑丈そうな部屋で、広い割には薄暗く、古く、まるで冬の曇り空のような寒々しい部屋。
その灰色の部屋の、学校の教室の教壇のように一段高くなった場所で、壮年ぐらいの男が朗々と小難しい熱弁をふるっている。
それを聞くのは男と同じデザインの茶色のローブを纏うたくさんの人影。
部屋を覆い尽くさんばかりに集まった、ローブを纏う人影は熱弁をふるうその男の前、部屋のちょうど中心にある何かをぐるりと囲むように集まっている。
ローブからのぞく彼らの顔立ちは若く、幼さを残しており、ローブに縫い込まれた『学院』のエンブレムから察するに魔導科の生徒らしい。
彼らが囲む、部屋の中心に在るのは、魔導陣。
様々な色合いの鉱石を砕いて作ったらしい、色鮮やかな絵具で描かれた魔導陣は、灰色の空の下で咲いた極色彩の花のように、とても美しく、華やかで、一個の芸術品のようだ。
しかし、その中心に何とも地味なものがぽつりと置かれている。
まるで花の中にぽつりと開いた虫食いのようなソレは、本。
四角い、何の変哲もない革表紙に包まれた、見るからに古臭い本。
しかし、彼らの目は一心にその本にこそ向けられている。
「さあ、これより我らは叡智の開放を行う!!」
その声と共に、ローブを纏う彼らから朗々とした魔導の詠唱が始まる。
声に呼応するように、魔導陣がゆらりと小さな光を灯す。
導火線を走る炎のように魔導陣を小さな光が走り、強く、強く、光りはじめる。
その光に揺り起こされるかのように、魔導書がカタコトと震えた。
それを見た彼らはより声を高くして、叫ぶように詠唱を続ける。
ふわり
魔導陣から出る光の絨毯の上を魔導書がまるで羽が生えたかのように浮かび上がる。
ぱらぱらとまるで見えない読み手が魔導書をめくっているかのように魔導書のページが踊り、踊るページから吐き出されるように、魔導書から文字が浮かび上がる。
極色彩の彩りで浮かび上がる文字は美しく、まるで、天井の花弁が舞うようで、魔導の詠唱を続ける彼らがほぅっと感嘆の溜息をつく。
うっとりと、酔う様に彼らは詠唱を続ける。
その声に応えるように魔導書の文字が踊り上がり………
光が部屋を覆い尽くす。
その、一瞬。
ぱきりと何かが外れるような音がした。
「うぶっ!?」
いきなり巨大な壁にぶつかって、ユーリはくぐもった悲鳴をあげた。
驚いて顔をあげると、夜明けの空のように鮮やかな深い藍色が視界を染めていた。
次いで感じたのは人間らしい温もりといままでユーリが嗅いだ事のない不思議な香り、そして自分が手をついている藍色の柔らかな感触。
顔をあげた先にあったのは、何の表情も浮かんでいない凍えるような美貌と太古の記憶を内包した琥珀のような色合いの瞳。
「アヴィリスさん?」
「……………」
突然立ち止まったまま身動き一つとらないアヴィリスは、何かが気になるのか、あたりをぐるりと見回して、難しい顔をしている。
「どうかなさいましたか?」
怪訝な顔でヴォルヴァ先生も振り返る。
「……………結界が、震えた」
ぽつりと呟くと同時に、ぎろりとヴォルヴァ先生を見下ろす。
「おい。魔導の実験を行っているのはどこだ!?」
「え?それは……………」
いきなりアヴィリスに詰め寄られたヴォルヴァ先生はぎょっと身をすくめる。
「さっさと案内しろ!!」
「はっ、はいっ!!」
アヴィリスの恫喝に怯えたヴォルヴァ先生は脇目を振らずに走りだした。
その後を追おうとしたユーリの肩を大きな手が掴んで止める。
振り返るといつになく渋い顔をしたアヴィリスがユーリを見下ろしていた。
「お前は来るな。ユーリ」
「え?何でっ!?あたしは魔導書を回収しないといけないんだよ!?ついて行くよ!!」
「危ないかもしれんぞ?」
「危ない………」
(間に合わなかったかもってこと?)
何らかの異常事態が起こっているかもしれないらしい。
(でも)
しかし、そう言われてもここまで来た以上、そうやすやすと引き下がれない。
もはや癖のように、ユーリは『書架』を握りしめる。
「…………あたしが、毎月必ず行方不明者が出るような危ない図書館に住んでるって事をお忘れですか?」
キッとアヴィリスを見上げた目が絶対に逃げないぞと言っている。
「………いや」
力なく首を振ったアヴィリスは小さく息を吐くと、
「自分の身は自分で守れよ?」
「善処します」
こくんと頷いたユーリにアヴィリスはくすりと小さく笑う。
「行くぞ」
ユーリとアヴィリスがヴォルヴァ先生に案内されて辿り着いたのは、塔の地下だった。
薄暗い部屋の奥、鋲が打たれた黒い大きな扉。
まるで、冥界に通じる扉のように、重厚で排他的な闇そのものを濃縮したようなソレにユーリは知らず身を震わせる。
ユーリは気づいていないが、アヴィリスは扉に魔導が仕掛けられていることに一瞬で気づいた。
(選別、あとは封じと保護の魔導がかけられている…。結構強いな)
昔は力のある魔導師が占術学部にもいたらしい。
この地下に入ってから、王立学院図書館にはかなり劣るものの魔力や魔導を抑制する力を感じる。
(この扉の魔導もかなり強い。封印の魔導式が流動している?誰だ?こんな魔導見たこと無いぞ?)
ここに来て初めてアヴィリスの目に小さな光が灯る。
その光はまるで生まれて初めて贈り物をもらった子供のように無邪気でどこが残酷な色をしていた。
「ここが、我ら占術学部が誇る大実験室名付けて『神秘の間』ですわ」
まるで自分がこの部屋を作り上げたかのように堂々と胸を張るヴォルヴァ先生をよそにアヴィリスはユーリの肩をそっと突っつく。
「………そう呼ばれているのか?」
「いや、あたしに訊かれても…、あたし普通科の生徒だし」
「酷いネーミングセンスだ」
「…………」
ユーリもそう思っていたが、アヴィリスの言葉に頷くことはせずに賢明なる沈黙を守った。
何しろこそこそ話しているように見えてこの二人の会話は普通の音量で行われていたのだ。
つまり、ヴォルヴァ先生にも筒抜けというわけで…………。
しっかりアヴィリスの言葉を聞いていたヴォルヴァ先生は顔をぴくぴくと引き攣らせながら、せめてもの威厳を守るために大きく咳払いをして懐から鍵を取りだした。
「これは…」
「『鍵』の魔導か」
ヴォルヴァ先生が何か言いかける前にアヴィリスが珍しく感心したようにほぅっと息をついた。
「『鍵』?」
「封印・結界系の魔導の一種で、『鍵』と『錠』で一組の魔導だ。『錠』の魔導を掛けられた場所は現実の世界から切り離され、一種の異空間を作り上げる事ができ、『錠』の魔導がかけられた場所への物理的魔導的な干渉が一切できなくなる。だが、『錠』と対になっている『鍵』の魔導があれば、どこにいても『錠』を開き『錠』で隔離された空間に入る事が出来る」
「へぇ~」
「………その通りでございますわ。アヴィリス様。さすが宮廷魔導師様」
媚を売るようににっこりと微笑んでヴォルヴァ先生をアヴィリスは不快そうに見下ろす。
ふと、アヴィリスは服の裾を控えめに引っ張る手に気づいて首を巡らせる。
「ねぇ、アヴィリスさん」
「何だ?」
ひそひそと話しかけてくるユーリに合わせてアヴィリスは少しばかり身をかがめる。
「『鍵』の魔導があればどこででも『錠』の中に入れるっていうんだったら、ここにわざわざ来て『鍵』を使わなくても、『神秘の間』?とやらに入れたんじゃあ……」
「あ」
アヴィリスがそれもそうだ、とでもいう様に手を叩く。
「何をこそこそ話しているのかしら?司書風情が」
「『鍵』の魔導があればここに来る必要などなかったんじゃないのか?」
忌々しそうにユーリを睨むヴォルヴァ先生にアヴィリスは冷やかな視線を送る。
「この『神秘の間』の『錠』は『鍵』の魔導だけでなく、特別な詠唱も必要になるのです。ですから……」
ユーリに対する態度とは一変して、あたふたと言い訳じみた事を言い、媚びるように微笑むヴォルヴァ先生にユーリは呆れる。
(その特別な詠唱とやらを覚えていたらここに来る必要、なかったんじゃあ……)
アヴィリスもそう思ったらしい。
「もういいから、さっさと開けろ」
うんざりしたように手を振るアヴィリスに、まだヴォルヴァ先生は何か言いたそうだったが、渋々言い訳を辞めて扉に対面する。
ヴォルヴァ先生が扉の中に『鍵』を差し込む。
かちり
小さな金属音の後、闇そのもののような扉が地響きを立ててゆっくりと開く。
その瞬間、ぱさりと何か、とても聞き馴染みのある音をユーリは聞いた。